桜の開花とともに迎えた4月も半ばを過ぎ、そろそろゴールデンウイークのことを考える時期になった。

今年は気分次第だが、どこかに出かけるかもしれない。勉強や武術の稽古、もろもろ研究もやりたいし、文章も書きたいが、しばらく会えていない友達にも会いたい、と思う。今後のことについて、整理もしたい。

相変わらず、貪欲な僕です。何もできなかったということにならないよう、的を絞ることも大切かな。


この春は、塾講師の仕事を本格的に開始、かつてから興味のあった「人に教える」という仕事につくこととなった。ようやく私自身も徐々にではあるが、生活に落ち着きを取り戻し、かつてより動きやすくなっていることを感じている。あくまで徐々にではあるが。10年前の自分だったら、どんどん外に出て、行動していたと思うが、生活圏が都心から離れた郊外で、都心にはめったにでないためか、お金も、日々の楽しみであるお酒ぐらいにしか使わず、量も以前よりだいぶ減ったので、いたって地味な生活である。だれか強引に振り回してくれる人でもいれば、と思ったりもする。たまに、誘ってくれる人がいると本当にうれしくなる。


一方、取り戻した落ち着きに浸りたい自分も、やっぱりいたりする。落ち着きがないと、創作も稽古も、いいものは絶対できない。追い込まれた状況でやるってのも、というか、今まではずっとそうだった気がするが、独特のエネルギーが生まれて、一つの形かもしれないけど、もう今後ははっきりと卒業したいと思う。創作については、思索を続けながら、言葉を生み出しつつ、目に見えるものとして形にしていく作業を続けたい。武術は、最近、型の術理について学び始めた。どうしたら自分の身に入れられるか考え、工夫して、日々トレーニングする。今後のことについて、整理と書いたが、日々の生活を、本当に丁寧に見つめていくことで、今後もおのずと開いてくると思っている。自分らしさというのか、さんざんあがきまくって、神様もかわいそうだと思ったのか、それともご褒美なのか、ようやくつかめつつある。自らつかもうとしたというより、勝手に開いてきた感じで、本当におかげさまだと感謝したい。自分では気づいていないけど、花が咲こうとしているのかな。桜のように華やかじゃないかもしれないけど、自分らしく咲ければなあ、と。やっぱり華やかなのはいいなあ、と、人のことを羨むこともありますが、僕のキャラではないんですかね。


あれ、何を書こうとしたんだっけ。ものすごいとりとめのない文章になってしまった。

そうそう・・・

自分では気づいていないけど、花を咲こうとしている、と書いたが、自分の花を知ることは大事ですね。

教えている仕事をしていて、また武術の先生と話していて思うのですが、例えば、私は勉強は小さいころから得意だったので、今、塾講師という仕事にありつくことができたわけですが、なせ自分は勉強が得意なのか、ということを自分で突き詰めて考え、生徒に伝えていくことが大事なんだなと思います。武術の世界でも、達人必ず名伯楽ならず、といいますか、達人は、日々の鍛錬の中で身につけてきたことを、必ずしも他の人に伝えることができるというわけではないようです。達人にとっては、あまりにも自然なことになりすぎているので、本当は、色々なポイントがあったとしても、あまり本人の中では重要視してなかったりすることがあるのではないでしょうか?武術の先生は、無意識を顕在化するということをよくおっしゃいますが、それとともに、武術については、僕は苦手なことなので、様々な課題を解決するために、トレーニングを工夫して考え、なぜそのトレーニングをやるのか、身体に問いながら丁寧に意識化しながらやっていきたいと思います。ちょっと強引ですが、このことは面白いのでまた書きます。