御幣山(軍配山)古墳〜春の美墳巡り、群馬県玉村町 | 徒然コオロギ庵~旅する似顔絵師~

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一年の半分を旅に過ごす似顔絵師コオロギの日々の雑記。趣味の古墳巡り&地質巡り&車中泊アレコレetc徒然とだらだらと書き尽くします

気づけばプロ野球交流戦も終わり、

いつのまにかセ・リーグ阪神が4位浮上!アップアップアップ

でニヤニヤしてますニヤリ

しかしドラゴンズが最下位って悲しい龍タラー

順位の変動激しくて交流戦って、面白いね!



交流戦は終わっても野球

まだまだ終わらないゴールデンウィーク旅ブログ。

ゴールデンウィーク中に訪れた古墳が

どこも美しい古墳ばかりだったので

春の美墳巡りと題して書いております桜キラキラ



今日ご紹介するのは群馬県玉村町にある

軍配山古墳!(御幣山古墳)

近くの道の駅玉村宿に展示があって

気になっていた古墳ですウインク



5月の風に揺れる


ザワワザワワな麦畑の向こうに


松の木が目印の軍配山古墳っ!

まさに美墳っラブキラキラ!!


反対側にいろいろ解説板がありました。


ASITAカルタびっくり


群馬の方、ほんとカルタ好きよね爆笑(笑)

上毛かるた以外にもご当地カルタがあるそうです。


訪れたのがゴールデンウィークのちょい前で


まだ八重桜が残っておりました。

花が似合う美墳っ桜キラキラ



御幣山(軍配山)古墳。

 当古墳は、昭和5年2月に発掘された出土品は墳丘上の碑文に記されているが中国渡来の白銅製内行花文鏡2面をはじめ、勾玉管玉鉄鏃その他鉄器類がある。それらは東京上野の国立博物館に保存されている。中国渡来の内行花文鏡の出土は、当古墳の被葬者が、かなりの豪族であったことを推定される。附近の烏川段丘上には相当数の古墳が存在していたが、それからの出土品には、本墳のようなすぐれたものがないことからすると、本墳の被葬者が、この附近一帯の有力な支配者的存在であったと推定できる。古墳の型式は円墳、主体部の型式は不明。
 後藤守一氏は築造年代を碑文に示されているが、いずれにしても古墳時代初期に属するものであろう。一名軍配山と呼ぶが、それは天正10年神流川合戦の折、滝川一益が本古墳を本陣として軍配をふるって全軍を指揮したために名付けられたものと伝えられている。

とのこと。

私の好きな古墳時代初期の古墳だったのねラブ

内行花文鏡も出てるしラブラブラブラブラブラブ
 


内行花文鏡下矢印違う古墳のですが。
ほんと美しい模様ですラブ



看板横から墳頂に登る小道が。


手を合わせて、お邪魔しますお願いと登ります。

墳頂の碑。


遠くには上毛三山が。


赤城山、、かなキョロキョロ



墳頂を吹き抜ける爽やかな5月の風よっ!

墳形だけでなく、絶景の美墳でしたーラブキラキラ!!

上野の国立博物館、訪れたことあるけど
  
またちゃんとチェックしにいきたいなルンルン



  軍配山古墳詳細 



  春の美墳巡り2022

  

 

 

 

 

 

 




 

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