1989年4月23日ーデカンショ節と教育制度ー
きのう「デカンショ節」のことを書いた。
第一節は「半年暮らす」だが、そのあとは
歌詞が無数といっていいほどある。
おやじ おやじといばるなおやじ
おやじ 息子の なれの果て
教師 教師と いばるな教師
教師 生徒の なれの果て
こんなことを歌いながら、むかしの学生は
うっぷんを晴らしていたものだ。
いまの学校と違って、むかしの学校制度は
それだけ余裕があったからだろう。
小学校6年間は今と同じ。しかし、
中学は5年、その上に高校3年、そして大学は3年だった。
このうち小学校から中学校に行くのは20%、
中学校から高校にいくのは、そのまた2%。
だから高校に入ると、もうだれもが大学に行けた。
いまは94%が高校に行く。
教育が普及したのだから、いいことなのに、
余裕がなくなってしまった。
少しかわいそうだ。
1989年4月22日ーデカンショ節ー
むかし、高校生(旧制)が必ず歌ううたに
こういうのがあった。
「デカンショ節」
この「デカンショ」というのは、デカルト、カント、
ショーペンハウエルという、当時の高校生が
学ばなければならない3人の哲学者の名前を
ちじめたものだ。
こんな歌詞で始まる。
デカンショ デカンショで半年暮らす
あの半年や、寝て暮らす
のんびりしたものだろう。
そのカントが生まれたのが1724年の
4月22日。ドイツの哲学者だ。
いまでも、カントなしに哲学が語れないほどに、
それ以後の哲学の基礎をつくった。
その最大の功績は、それまでは教会(宗教)
のための哲学だったものを、人間のための哲学
とし、神のために生きるのではなく、人間自身の
ために生きることを学問的に証明したことだ。
難解だが○○○ちゃんも、いつか読むことになる。
1989年4月21日ー軍事探偵・横川省三ー
むかし、スパイのことをこういった。
「軍事探偵」
日本の軍事探偵で有名なのが横川省三だ。
日露戦争の最中に、沖禎介(おきていすけ)とともに、
満州(現在の中国東北地方)のロシア軍の背後に
潜入、チチハル付近で、ロシア軍を輸送する
鉄道の鉄橋を爆破しようとして、逮捕され、
明治37年4月21日、銃殺された。
つまり、きょうだ。
彼は、本当は、もともと、朝日新聞の記者。
日清戦争に従軍して記事を送ったりしていた。
けれども、冒険家で、しかも、なによりも
愛国的(少し狂信的だった)だったので間もなく
退社、満州に渡った。
しかし、捕まったとき、敵のクロパトキン司令官は、
彼等の勇気に感動しこういった。
「将校として扱い、その名誉を保つため、銃殺刑に」
(民間人なら絞首刑)
横川公園は、彼を記念してつくられた。
1989年4月20日ードイツの宣伝のために利用されたベルリンオリンピックー
第11回オリンピックは、昭和11年(1936年)、
ドイツのベルリンで開催 された。
あの前畑秀子が日本女性として、水泳の平泳ぎ
200㍍で金メダルをとった、あのオリンピックだ。
このオリンピックは、様々な新機軸を出した。
聖火リレーが始まったのも、このときから。
そのなかでも、世界中を驚かしたのは、
記録映画のすばらしさだった。
2年後の4月20日、公開された。
陸上競技の部が「民族の祭典」、水上競技が
「美の祭典」。それ以後、オリンピックごとに
各国が競って記録映画を作るようになった。
けれども、このオリンピックも、この記録映画も、
当時から反対意見が強かった。
そのころドイツを支配していたのがヒトラーのナチ党だった。
だから、どちらもドイツの宣伝のために使われたというわけだ。
事実、映画公開の年、ドイツはオーストリアを侵略した。
映画を作った監督(女性)は戦後、追放されている。
1989年4月19日ー日本初の女子官費留学生ー
明治4年、政府は岩倉具視を団長とする
大使節団を欧米に派遣した。
その中に59人の官費留学生がいた。
官費とは、いまでいえば国費、国がすべて
お金を出してくれる留学生を、当時こう呼んだ。
そして、その中に5人の、日本初の女子留学生がいた。
最年少は、当時7歳の津田梅子。
帰国後、津田英学塾を創設した人だ。
最高齢が14歳。
上田貞子とかいう人だ。
この他に、面白い名前の少女もいる。
山川捨松(すてまつ)11歳。
本名は山川咲子という。
会津藩の家老の娘だった。
あの会津の戦いで、母に抱かれ、やっと城を
脱出した。それだけに幼い娘が遠い海外に
行くのは身を切られるように辛かったろう。
だから母は捨松と改名させた。
「(娘を)捨てたつもりで待つ」
お父様もわかる気がするよ。
捨松はのち、大山元帥の妻に。
彼女は一生、この名前を変えなかった。
1989年4月18日ー昭和9年コインランドリーの誕生ー
電気洗濯機、電気冷蔵庫、電気炊飯器。
この3つの電気製品を、1960年代(昭和35年前後)の
“庶民の三種の神器”といった。
「三種の神器」とは、歴代の天皇が受け継ぐ、
鏡・王・剣の3つの宝のことをいう。
これを、庶民が結婚したとき、必ずそろ えなければ
ならない“3つの必需品”にたとえたのが、
この言葉だ。
必需品というより、まさに、庶民の手には届かぬ
貴重品だったかも知れない。
特に、電気洗濯機はそうだった。
そして、これが、自動販売機のように手軽に
町で使われるようにあなったのがコイン・ランドリー。
昭和50年代だ。
だがアメリカでコイン・ランドリーが初めて現れたのは
1934年(昭和9年)のきょう。
テキサス州の小さな町で「ウォッシュテリア」という名の
店で動き出した。日本より40年も早い。
1989年4月17日ー自転車ー
ようやく、大人の自転車に乗ることができたね。
絵画館前で乗るのを見た時は、絶望的だったけれど、
短い時間に急速に進歩した。
最初に覚えた国の言葉と自転車の乗り方は
死ぬまで、体が覚えているというけれど、
本当だろう。
子供自転車に乗れるようになるまでは、
何日もかかったのに、きのうは、10分間ほどで
勘を取り戻した。
しかし、交通事故には、くれぐれも気をつけること。
危ないと思ったら、絶対に降りることだ。
無理をしたらいけない。
自転車は英語でBICYCLE。CICLE(サイクル)は「周る」。
BIは「2つの」といった意味がある。
バイリンガルというのは「2ヶ国語の」。
そのバイだ。三輪車はTRICYCLE。
TRIは「3」という意味を持つ。
1989年4月16日ー梅若が涙の雨ー
暑い日が続いたと思ったら、また、お天気が
怪しくなってきた。
しかし、むかしから、今頃は、よく雨が降った。
春によくある寒冷前線のいたずらだ。
江戸時代の歳時記(俳句のための季節の言葉を
解説した本)にもこうある。
「(このころは)はなぐもりとて、大かた曇り、
又は雨ふる事あり。
この日雨ふるを、梅若が涙の雨というならわしなり」
「この日」とは4月15日の「梅若忌」のことだ。
梅若は、誘拐された京都の子。
普通「梅若丸」といわれる。
そして貞元元年(996年)3月15日に
隅田川のほとりで死んだ。
この日は旧暦。
太陽暦になった時、1ヶ月ずらして、4月15日が
「梅若忌」になった。
きょうも「梅若の涙」は降るのだろうか。
1989年4月15日ー佐久間艇長ー
戦前、小学校の教科書に出てきた人物のなかで、
子供たちに、最も強烈な印象を与えたのは、
この人だろう。
「佐久間艇長(ていちょう)」
明治43年4月15日、広島湾で潜水訓練中だった
第六潜水艇は、ついに再び浮上しなかった。
そのころ潜水艦は、まだ小さく、潜水艇といった。
その艇長、つまり艦長の名が「佐久間」だった。
乗組員15人は全員死亡。
その後、引き揚げて調べたところ、佐久間艇長は、
薄くなる空気の中を、最後まで、必死になって、事故の
一部始終をメモに書き残していた。
「(このメモで)将来、潜水艇の発達研究に尽くされんことを、
さすれば我等一つも遺憾とする所なし」
美談である。
だが、子供たちの多くは、これで潜水艦に恐怖を抱いた。
お父様も潜水艦は絶対イヤだと思ったものだ。
1989年4月14日ー地球は青かったー
この12日は、人類の宇宙飛行史にとっては
記念すべき日だ。
昭和36年(1961年)のこの日、ソ連の宇宙飛行士が、
人類で初めて人工衛星に乗って、地球の上空を
一周した。
その人の名はユーリー・ガガーリン。
ソ連の空軍中尉(地球一周の功績で、のち大佐に昇進)。
宇宙船はボストーク1号。
飛行時間は1時間48分だった。
彼が宇宙から見た地球についての、次の第一声は、
有名だから知っているだろう。
「地球は青かった」
だが、この宇宙の英雄も7年後にジェット機事故で死亡、
クレムリンの城壁に葬られている。
日本にも夫人と一度来たことがある。
そしてこの言葉は、いま、緑保全の合言葉だ。
「青い地球を守れ!」
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