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1989年5月3日ー道徳の教科書より道徳的な「日本国憲法」-

憲法記念日。

へたな「道徳」の教科書より

はるかに「道徳」的だ。

お父様の好きな言葉をあげよう。


「われらは平和を維持し、専制と隷従(れいじゅう)、

圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている

国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。」(前文)


「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を

誠実に希求し、国憲の発動たる戦争と、武力による

威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、

永久にこれを放棄する」(第九条)


「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。

この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことの

できない永久の権利として、現在および将来の国民に

与えられる」(第11条)


まだいくらでもある。

しかし、お父様は、いつも、この憲法に違反することをやっている。


1989年5月2日ー女は第二の性ー

2,5日間、お母様代わり、主婦代わりをありがとう。

意外に、工夫して、よくやるので、ちょっと驚き、感心した。

ことに、あのスパゲッティーは、おいしかった。

ゆで具合が、なかでも、よかった。

それに、むづかしく考えないで、簡単にやってしまうのが

お父様にとっては、複雑な気にさせられる。

やっぱり、女の子なのかなあ、といった感じだ。


「恋しくて-」

あの“男おんな”の女の子も、そうだった。

なぜ、男の子は男の子になっていき、女の子は女の子

になっていくのか。

肉体的には仕方がないとしても。


フランスの女性哲学者は女というのは

“第二の性”で、今の社会が、女の子にするのだという。

どう思う。


1989年5月1日ー血と戦いの「メーデー」の歴史ー

1886年(明治19年)5月1日。

36万人の労働者が、次の3つの要求を

かかげて、一斉にストライキ(働くことを拒否すること)に

入り、デモ行進を行った。


8時間の労働

8時間の休息

8時間の教育


それまで、ほとんどの労働者は、休みもなしに

1日中、働かされ、勉強する時間もなかったのだ。

4日後、警官が、この労働者を襲い、多数が死に、

指導者5人に死刑が宣告された。

これがメーデーの始まりだ。

いまでは「労働者の祭典」といわれているが、

血と戦いの歴史があった。


日本での第一回メーデーは大正9年。

しかし、いつも弾圧され、昭和11年に禁止になった。

復活したのは昭和21年。

しかし27年には「血のメーデー」が起きた。

その時、お父様もつかまったんだよ。


1989年4月30日ー二季の天気ー

きのうは、いろいろと、ご苦労さん。

きょうも頼むよ。

お母様は、寒くて、軽井沢で、ふるえあがっているらしい。

東京も、寒くなったり、暖かくなったり。


ゴールデン・ウィークのこのころの気候をこういう。

「二季の天気」

5月2日は「夏も近づく八十八夜」なのに

5月5日はもう「立夏」。

春と夏の2つの季節が、かさなり合っているからだ。


このころに咲く花も、そんなふうに二股的。

ライラック、フジ、ツツジは俳句では春の花。

ボタン、ミズキ、キリは夏。


けれども、フジを「二季草(ふたきぐさ)」というよう、

どれも春と夏をつないでいる。


1989年4月29日ー松下幸之助ー

少し古くなるけれど、27日の夕刊には

各紙とも、こんな大きな見出しが並んでいた。

「松下幸之助氏 死去」

日本最大の家庭電器メーカー、松下電器産業者だ。

94歳。

松下電器というよりは「ナショナル」といった方が

分かりやすいだろう。

うちのビデオも「ナショナル」製だね。

「ナショナル」といえば「ソニー」と並んで、世界的にも

電気製品の代名詞になっている。

けれども小学校も中退して、でっちになり22歳で

「改良電気ソケット」の製造に乗り出したのが、

この仕事に入ったきっかけ。

それが、あれだけの大会社にしたのだから大したものだ。

だから、こう呼ばれる。

「経営の神様」



※2008年10月に松下電器産業はパナソニックに社名を

統一。ナショナルはパナソニックの旧ブランドである。

1989年4月28日ー人間の善し悪しー

この前、暴走族の少年たちが出ているテレビをみて、

あきれかえったそうだね。

暴走族のこわさは、アメリカやオーストラリアの

映画によく出てくるので、知ってはいたが、

日本もアメリカ並みになってきた。


「大学にいけないようなバカが、ああなるのかな」

と○○○ちゃんはいったという。


確かにそうかも知れない。

しかし、大学生もおかしいのがいる。

ある大学の医学部の教授はこういっている。


「毎年入学してくる医学生の一割に、こんな人間は

絶対医者になってもらっては困るという人格の学生がいる」


医学部に入るぐらいの学生ならバカではないはずだ。

それなのに、暴走族的な人格の人間がいるのだ。


自動車教習所の指導員も「運転はうまいけれど、絶対、

事故を起こすぞと予感する人間がいる」。

そして必ず死んでいる。

頭や技術より、最後は人間の問題だ。


2011年4月28日

中学生だった私は、ずい分バカなことを

言ったものだと、今になって思う。

人間の善し悪しは、学歴や職歴では

量れない。

中学生で、そんなことも分からなかったのかと

思うと、私もバカだったな。

1989年4月27日ーチェルノブイリ原子力発電所事故の日(1986年4月26日)-

きのう26日は「秘書の日」だった。

だが、もっと物騒な“記念日”でもある。

ソ連のチェルノブイリ原子力発電所事故の日だ。

1986年4月26日に起きた。

事故で流出した放射能はソ連だけではなく、

北欧、ヨーロッパにも及んで農作物を汚染、

チェルノブイリ近辺では、いまだに野菜は食べられず、

放射能病患者が続出している。


歴史は原爆投下のヒロシマ以前とヒロシマ以後の

時代に区分しなければならないといわれる。


人類の破滅が“予言”の世界だけではなく

“現実”としてあり得ることになったからだ。

そして、原子力発電もチェルノブイリ以前とチェルノブイリ

以後とでは、人々の考え方は180度変わった。

人類を破滅させるのは原爆だけではない、

ということがわかったのだ。


2011年4月27日

東日本大震災に影響で放射能漏れをおこした

福島原発。

地球が、人類の変革を求めている、そのように

感じた今回の地震、歴史に新たな区分を作った。


1989年4月26日ー秘書の日ー

また、新しい“贈答記念日”が、日本ではやりそうだ。

「秘書の日」

毎年、4月の第三水曜日が、この日なのだという。

ことしは、きょう26日。

1953年、全米秘書協会の呼びかけで、商務長官が賛成、

この日が設けられた。


「年に一度、職場の上役が女性秘書をねぎらう」

というのが趣旨。


10月16日の「ボスの日」に対抗して、考え出された。

けれども、アメリカと違って、日本では個人秘書が

持てるのは、重役クラスだけ。

だから、なかなか普及しなかったが、最近は

外国企業が増え、徐々に広がっているとか。


そういえば23日は、恋人に本を贈る、

「サンジョルディーの日」だった。

だれかに本をもらったかい。


2011年4月26日

現在、秘書の日が普及しているとは思えない。

やはり、日本文化にそぐわないのか?


1989年4月25日ー目が見えない母を持った松平隆康監督ー

数日前、目の見えないお母さんの手を引いて

横断歩道を渡っていた5歳の坊やが、

ひき逃げされて死んだ。


これに関連して、映画監督の大島渚氏が

感動的な話を東京新聞に書いていた。


全日本男子バレーチームをひきい、

世界一にした松平隆康監督についてだ。


松平さんのお母さんも目が見えなかった。

そんな母親を持った松平さんは、

どんな少年時代を送ったのだろう。


たとえば、服を汚したりして帰ってきたとき、

普通の母親なら、何もいわなくてもすぐわかる。

だが松平少年は、ここが汚れたとか

ここが破れたとか、母親にいわなくては

ならなかった。しかし松平さんはいう。


「おかげで、自分の意思をきちんと相手に

伝えることができるようになった」


こうして名監督になる素質が養われた。

死んだ坊やも生きていれば立派な人になったろう。

1989年4月24日ー地球と小惑星のニアミスー

航空機の操縦士が、最も恐れている“事故”の

一つに「ニアミス」というのがある。

「ニア」とは「NEAR」。

「近い」という意味で、「ニアミス」とは、

航空機同士が、いまにも衝突せんばかりに

接近するミスのことをいう。

無数の星が浮遊し、飛び交う宇宙でも、

この「ニアミス」が始終おこっている。


先月23日にも、実は地球から80万キロ

離れたところを、小惑星が音もなく

通り過ぎていたことがわかった。


地球と月との距離の2倍以上離れているが、

宇宙的感覚では危機一髪の状態だったそうだ。


小惑星も地球も、決まった軌道を走っているわけだから、

ミスというのもおかしいかも知れない。


しかし天文学者が知らなかったのだから、

小惑星からみたら地球のミスだ。


もし衝突していたら水爆2万個分の破壊力があり、

大都市一つが消えていた。