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1989年5月23日ー大航海時代ー

きのう22日は、大航海時代の英雄の一人、

バスコ・ダ・ガマがアフリカの喜望峰を回り、

インドのカルカッタに到着、欧州と東洋を結ぶ

インド航路を発見した日だ。

1498年のこと。


大航海時代は、また「地球上の発見の時代」

ともいわれ、15世紀の初めから17世紀初め

までのことを指す。


興隆期のスペイン、ポルトガルが通商や

新しい大陸の発見にエネルギーを発散していた。


インド航路発見の6年前にはコロンブスが

アメリカを発見(1492年)、23年後には、

前にも書いたマゼランが南米のマゼラン海峡を通り、

初めての海の世界一周を完成している。


ちなみにマルコ・ポーロが陸路、中国(当時は元)

に向かったのが1271年、日本に初めて

ポルトガル人が来たのが1543年、

マルコの東方見聞録が彼らの夢を誘った。


【関連記事】

1989年5月15日ー科学者や探検家の名前が多い宇宙観測探査機ー

1989年5月22日ー「父系社会」と「母系社会」ー

「父系社会」とか「母系社会」という言葉を知っているかい。

女が家を出て、男の家に嫁いでくるような形の社会

が「父系社会」。


日本をはじめ、ほとんどの国が「父系社会」だ。

ただし、その家に男がいない場合には、

家の名を残すために、娘が養子をとることがある。

アメリカでもそうだ。だから完全な「父系社会」では

ないが、男が家長的な存在だから「男社会」といって

いいだろう。


「母系社会」は、その反対。

女が家を出ないで、男が外から入ってくる。

姓も女の方の姓になる社会だ。


人間の社会には少ないが、サルの群れは典型的な

「母系社会」。雄は5,6才になると群れを離れて、

雌を探しに出るが、雌は群れに残って、外から来た

雄と結婚、子を産む。

しかし、ボス猿は雄。そして実権は雌。

まるで、わが家みたいだね。


1989年5月21日ー緑地率と人間の行動ー

「休む」という字は、「木」の横に「人」が、

たたずんでいる形になっている。

人々は、むかしから、木陰で憩い、

疲れをいやしてきた。

「木」があって、初めて「休む」ことができたと

いえるだろう。


面白い調査がある。

一定の面積に「木」の緑がどの程度あるかというのを

緑地率という。それが60%以下になると、人間は

急速に緑不足に不満を感じ始める。

緑地率60%といえば1平方キロの中に人口が

2300人ほど。そして緑地が減り人口が増えるに

従って、ハイキングから1泊旅行へと遠出

する人が増加、7千人を突破すると、

それもあきらめ花や鉢植えの木を買い出し、

最後には、人嫌いとなって家に閉じこもり、

テレビばかり見出すという。


遠出をしたり、花をいっぱい買ってくるお母様は、

かなり緑欠乏症らしいね。要注意!



1989年5月20日ー英語の海の名前の語源ー

the Arctic Oceanは北極海

the Antarctic Ocean は南極海


昨日、覚えたばかりの単語だね。

Arcticの語源はなんだと思う。

ギリシャ語のaretos、意味は熊のことだ。

つまり「熊の海」「北極熊の海」ということなんだ。


英語になおすと「The ocean of the Bear」という

ことになる。


Pacific Oceanの語源は何だろう。

Paはラテン語のpaxからきたもので「平和」

という意味。

そしてpacificは「平和な」だ。

初めて船で世界一周した、例のマゼランが、

余りに海が静かなので、こう名付けた。


大西洋はAtlantic Ocean。

アフリカの北の西のあるモロッコのatlas(アトラス)

山脈に面しているので、この名がある。

ちなみにatlasは「巨人」という意味がある。


1989年5月19日ー共産主義ー

ソ連のゴルバチョフ書記長が中国を訪問。

2つの国が30年ぶりに和解(元の仲よしに戻ること)した。

両国ともに、共産主義国家である。

共産主義というのは、マルクスという人が唱えた

マルクス主義に従って、政治を行い、

国をつくる主義をいう。

簡単にいうならば、富も財産も、個人が所有するのではなく、

国が管理して、国民の共有財産にして、それを万遍なく

均等に分け合おうという考え方だ。


日本のような資本主義社会では、働く人の金が

社長や政治家などに搾取され、富が片寄って

しまっているが、そんなことをなくそうというのが

共産主義。


だが、現実はそうはいかなかった。

そしてその共産主義国家同士がケンカをしたり

戦争したりする始末だ。

この両国のケンカは共産主義を理想では

ないことを教えた。

しかし両国が仲よしになれば、少しは希望がもてる。


2011年5月19日

1991年ソ連は崩壊した。

1989年5月18日ーリクルート事件と疑獄ー

リクルート事件で、ついに地検(東京地方検察庁)の

捜査が政治家に及んだ。

いまのところ、取り調べを受けたのは

藤波孝生元官房長官(自民党代議士)と

公明党の池田克也代議士だ。

いずれもリクルート社に便宜を図った

謝礼として、大量の株を贈られた疑い。


国会開会中に代議士を逮捕するには、

国会の承認を得なければならない。

その手続きが面倒なので、多分、2人とも

逮捕されないままで、裁判にかけられることになるだろう。


それほど代議士の身分は守られているのだから、

代議士も自覚してもらわなくてはね。


ところで、このように政治家もかかわった大がかり

な贈収賄事件を、特にこう呼ぶ。


「疑獄(ぎごく)」


本来は読んで字の如く、有罪か無罪かはっきりしない

事件のことをいったのが、いつの間にかこうなった。

リクルート事件も、あきらかに疑獄だ。


1989年5月17日ー昭和の戊辰戦争ー

顔のハレも、なおってよかったね。

一時は、本当いって、お岩様みたいだったよ。

竹の子を食べて、あのようになるとは、

お父様も驚いた。

食べ物はこわい。


ところで、自民党の後継総裁選びが難航している。

リクルート事件の責任をとって、竹下首相が、

首相と自民党の総裁をやめることになった。


そこで、その後継として、株もなにももらっていない

伊東正義氏の名があがったが、伊東氏が、

がんとして受けないからだ。

筋を通す、頑固な、いかにも会津人らしいと、

よくいわれる。

幕末に徳川家に忠誠を誓い最後まで薩長と

戦った、あの会津魂がのこっているのだという。


それに安部幹事長や竹下首相は中国地方の

長州勢。だから戊辰戦争だという人もいる。

会津では本当にそう思っているらしいよ。


2011年5月17日

竹の子を食べて、顔がハレたことは

いまでも鮮明に覚えている。

なんかイガイガした竹の子だなぁと

夕食で出された竹の子を食べて思ったの

だが、気にせず食べていたら、

少し目がかゆくなってきた。

それでも、気にせずその日は寝た。


次の日起きて鏡をみてビックリ。

目がハレあがって、まるで別人。

その日は学校を休んで病院へ。

ステロイドだと思うが、注射をされて

数十分で顔のハレが治った。


起きて、鏡をみて自分の顔がかわっている

という恐怖、今でも忘れられない。

1989年5月16日ー芭蕉300年祭と全天日射量ー

ことしは、芭蕉の「奥の細道」の300年祭にあたる。

いまの暦でいうと、江戸を出発したのは5月16日。

五月晴れの、すがすがしい日だった。

まさに「太陽の季節」だ。

全天日射量というのがある。

地表にまで達する直射日光と空気の分子で産卵されてくる

太陽のエネルギーの送料のことをいう。


その1日の量の平均が最も多いのが5月。

「日差し」が一番強いのは夏至を中心とする

6,7月だが、梅雨があるから、5月の全天日射量が

最大となる。


だから、5月は「すがすがしい」からといって、

日光に当たり過ぎると毒だそうだ。

「日焼け防止クリーム」を買ったのは正解だったね。

でも芭蕉は“歩き”だったので間もなく梅雨に見舞われ

日焼けの心配はなかった。

1989年5月15日ー科学者や探検家の名前が多い宇宙観測探査機ー

宇宙観測探査機には、歴史的な科学者や

探検家の名前が多い。

つい最近、打ち上げられた金星探査機は「マゼラン」。


1519年に5隻の船と共にスペリンを出発、21年に

フィリピンのセブ島に到着した。

ここで原住民に殺されるが、船団は22年に

スペインに帰った。


船による初めての世界1周だった。

以来、「大航海時代」が始まる。


マゼランの名は、南米の南端、マゼラン海峡

という名称で残っている。


金星は厚い炭酸ガスにおおわれ、熱が逃げず、

地上は470度の暑さ。

いま騒がれている“温室効果”の親分株にあたる。


10月に打ち上げる米国の木星探査機は「ガリレオ」。

そして来年は太陽探査機「ユリシーズ」があがる。

ギリシャ時代、トロイ戦争のあと、故郷に帰るのに

10年も漂流した英雄。

但し探査機の方は永遠に帰ってこない。


1989年5月14日ー和泉雅子北極点に立つー

この10日、女優の和泉雅子(41)が、ついに

北極点に立った。

1909年にアメリカのピアリが成功して以来、

犬ぞりで北極点に到達したのは15隊目。

女性では3年前にアメリカ人の教師、

アン・バンクロフト(33)についで2人目になる。


よく、がんばったものだ。


前にも書いたように、この前(4年前)に3人で

ヨーロッパに行った時、飛行機で北極上空を飛んだ。

あのとき、ちょうど和泉隊が北極に初挑戦、

凍りの上で悪戦苦闘している最中だった。


飛行機から見た北極の氷は、縦横に亀裂が

入っていた。

それが初挑戦を阻んだのだ。


北極点に、ピアリの前に、最も近づいたのは

ノルウェーのナンセン。

1895年のことだ。

彼女はのち政治家になり、国際連盟の代表にもなっている。

1930年5月13日没。

和泉の成功は、命日の3日前だ。


1989年1月5日ー北極オリンピックー

1988年4月8日ー極点の“一番乗り”ー