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1989年4月13日ー4月10日は天皇・皇后の結婚記念日ー

少し古くなったが、この4月10日は天皇と

皇后の結婚記念日だった。

30年前の昭和34年のこの日、当時の皇太子と

美智子が結ばれた。

いわゆる“ご成婚”だ。


美智子さまは日清製粉という会社の社長の娘。

つまり“平民”の子だ。

天皇家の親類でも貴族でもなかった“平民”からの

お嫁入りということで大騒ぎしたものだ。


”開かれた皇室”ということもあるが、当時は皇室に

“平民の血”を入れる必要もあった。

近親結婚の弊害を、一度ここで断ち切るためだ。

悪い遺伝が伝わるのもこわかった。


英国ビクトリア女王の子孫が、ヨーロッパの各王室に

嫁いで行き、血友病が広がったのは有名だろう。

特にロシアのニコライ2世の息子が血友病で、

これが革命の一因でもあった。

1989年4月12日ーナポレオンの波乱の人生ー

あのナポレオンほど、波乱の人生を送ったものはいない。

戦争の天才だった。


フランス革命がおこった時は、

革命側の将校として戦い、反革命軍を打ち破る。

つぎに、イタリア、エジプトを征服。

フランス革命政府が弱くなったと見てとると、

急遽、パリに戻り、政権を奪う。


戦争だけではない。

フランスを近代国家にするために、法律、

銀行、大学をつくり政治家としても天才だった。


しかし、ロシア遠征に破れて、急速に力を

失い、ついに英国、ロシアの連合軍にパリを

囲まれて、皇帝を退く。

そして、1814年の4月11日、地中海のエルバ島

に流されることが決まった。

島に向かう途中、住民が手のひらを返したように、

ナポレオンをののしり、馬車に石を投げつけたそうだ。

英雄の運命だ。

でも、1年後、彼はパリに戻ってくる。


1989年4月12日ー日本の超高層ビル時代の幕開けー

きょうは、日本の建築にとって歴史的な日。

昭和43年のこの日、あの「霞が関ビル」が完成した。

36階。

日本の超高層ビル時代の幕開けだ。


「霞が関ビル」より前にも超高層ビルの計画があった。

有名なのが「東京海上火災ビル」。

丸の内の皇居前に、このビルを建てることになったら、

東京都が「待った」をかけた。

あのあたりは、ビルの高さが7階か8階に統一されて

いるのに、ノッポビルが建つと美観を害するというのが

理由だった。

「美観論争」といった。


本当は「美観」ではなく、ビルから皇居がのぞかれるのは

“不敬”というのが本音だ。

あほらしい。

OKになったのが霞が関ビルが建ってから。


その霞が関ビルも老朽がはげしくエレベーターなど

大改装するそうだよ。

1989年4月11日ー赤い靴の女の子、本当は渡米できなかったー

「赤い靴 はいてた 女の子 

異人さんに 連れられて いっちゃった」


この少女、本当は海を渡っていなかった。

名前は「岩崎 きみ」。


静岡県に生まれ、間もなく北海道へ母とともに渡った。

しかし、その母は再婚、アメリカ人宣教師の幼女に

出されてしまった。

3歳の時だ。


宣教師夫妻は帰国するとき、きみちゃんも連れて行く

予定だった。けれども、きみちゃんは結核にかかっていて、

やむなく孤児院に預けられた。


その孤児院があったのが麻布十番。

あの大とり神社の付近だという。

そして明治44年、9歳で亡くなった。


宣教師は帰国したのを知った母は、

きみちゃんも渡米したと思い込み、

それを伝え聞いて野口雨情が作ったのが

あの童謡だ。


あの銅像の前には毎日、百円玉が何枚か

供えられている。

1989年4月10日ーソ連の宇宙委員会発足ー

ソ連が怒っている。

例の人工衛星による日本人宇宙飛行士打ち上げ計画だ。

TBSはソ連の宇宙総局との話し合いで、

1991年末、つまり2年後に日本人ジャーナリストをソ連の

宇宙軌道科学ステーション「ミール」に

搭乗させることになった。


ところが、ソ連のジャーナリストたちが、

われわれを出し抜いて、日本人がジャーナリストとして

一番乗りするのはケシカランというわけだ。

そして5日には、ソ連ジャーナリスト同盟がソ連人記者を

宇宙に送り込む「宇宙委員会」を発足させてしまった。

プラウダ、イズベスチャなどソ連一流の新聞やタス通信が

これに参加しているから大変。

TBSも、うかうかしておれなくなった。

委員会は5月15日まで宇宙飛行希望の

ジャーナリストを募集する。気になるだろう。

1989年4月9日ー異常気象ー

きのは「風花」など、のどかな話を書いたが、

異常気象で、生き物たちは、それどころではない。

イトトンボの仲間であるオツネントンボが

いつもより1ヶ月以上も早く卵を産んでしまった。

普通は4月下旬か5月下旬。

3月14日に産卵の写真がとられた。

チョウの産卵も1週間から10日早い。

ヤマアマガエルも1月20日に産卵が観察されている。


渡り鳥も、早々に北へ帰っていった。

ガンなどは2月8日に北海道を横切った。

例年なら3月上旬。

逆にツバメは、早くも3月31日に東京で姿を

みせている。

平年より5日早い。


ロサンゼルスの6日の最高気温は38.9度。

俳句の季語が、いつか使えなくなる。


1989年4月8日ー風花ー

入学式のころには、ちょうど満開のはずの桜が、

暖冬の影響で、早くも散り始めた。

「花吹雪」とはよくいったものだ。


このほか、桜の花と雪とは、よく、同じたとえに使われる。

「風花」

「かざはな」と読む。

遠くの雲から風に流されてきて、青空の下で落ちる雪

の一片のことをいう。


大昔、中国の塔のころには「ふうか」と読まれ、

文字通り「風に乱れ飛ぶ花びら」を指していたそうだ。


面白いことがある。

桜の花びらと秋の紅葉と雪片の落ちる速さは、

みな同じなこと。

秒速0.5㍍から1.5㍍ぐらいで落ちる。

比重が同じだからだ。

どれも水に浮くほど軽い。

「一円玉」も多分、そうだと思う。

1989年4月7日ー放射能単位「キュリー」から「ベクレル」へー

キュリー夫人が“引退”する。

といっても、放射能の単位を表す「キュリー」。

この1日から放射線障害防止法などが改正されて、

多くの単位が変わった。


「キュリー」は「ベクレル」になる。

ベクレルは放射能を発見したフランスの物理学者の

名前で、1ベクレルは放射性原子核が1秒間に

1個崩壊する時の放射能の強さをいう。


これに対して「キュリー」はラジウム1グラムの放射能の量。

1秒間に崩れるラジウムの原子核は370億個にもなる。

従って1キュリーは370億ベクレル。

だから1秒間に1個の原子核が崩壊するときの放射能の

強さを示す「ベクレル」の方が単位として明確で

分かりやすい。

それが改正の理由らしい。


「レントゲン」も「クーロン」に変わる。

単位もどんどん進歩。



2011年4月7日

テレビをつければ、毎日耳にする「ベクレル」。

キュリーのままだったら、余計分かりにくかったかも

しれない。


1989年4月6日ーアジア各地にいる日本兵の生き残りー

いまだに旧日本兵が、アジア各地で生き残っているらしい。

今度はタイ・マレーシア国境の密林。

2人の日本兵がみつかったという。


グアムの伊藤、皆川、そして横井さん。

そしてフィリピンからは小野田少尉。

この人たちは敗戦を知らずにかくれていたのだが、

今度の2人は敗戦後、その国のゲリラに加わって、

独立運動に加わっていた。


こうした日本兵は、現在、まだ88人はいるといわれる。

一時は数千人を超えた。

インドネシアでは、この人たちがゲリラを指揮、

オランダからの独立に協力した。


よく、だから、先の大戦はアジア諸国の独立を

早めたと、日本の功績を主張する人がいる。

確かにそういう面もある。

しかし純粋な気持ちを持っていたのはごく少数。

日本の軍隊は、こういう人もだまし、侵略をしていた。


1989年4月5日ー貴族ー

きのう、イギリスの長者番付の半数以上を

貴族が占めていることを話した。

イギリスは、いまなお貴族階級のいる数少ない国の一つだ。

日本にも戦前にはあったが、戦争に負けて廃止された。

いまイギリスの貴族は公・侯・伯・子・男爵あわせて約千人もいる。

フランスでは、あの大革命のころまで約10万人いたので、

それより少ないが、それでも税金で彼らの大半を

養っているから大変だ。


このほかに準男爵と一代限りの騎士(ナイト)がいる。

よく「サー」とか「卿」とか呼ばれているのは、

このナイトたち。

少し功労があるともらえる。

ビートルスも、イギリスのために、大いに稼いだと

いうので「サー」の称号をもらっている。


日本には貴族がいないが勲章に勲一等、勲二等とか差がある。

これは日本だけ。

人に等級をつけると、いまも反対が強い。


【関連記事】

1988年7月12日ー勲章ー