1989年4月4日ーイギリスの長者番付ー
ロンドンの新聞が、イギリスの長者(お金持ち)の
番付(順位)を発表した。
一位はエリザベル女王。
財産は約52億ポンド、約1兆1700億円だ。
当然といえば当然だろう。
この中には歴代国王が集めた美術品、宝石、
王冠が入っているのだから。
チャールズ皇太子は29位だった。
イギリスらしいのは、上位200人のうち、
半分以上が貴族で、一代で財をなしたのは、
わずか86人しかないことだ。
さすがに貴族の国である。
庶民のナンバー・ワンでさえ、エリザベス女王、
そしてウェストミンスター公につづいて三位。・
その人は英国最大のスーパーストアチェーンを
経営するロード・セインズベリーという人だ。
それも4400億円。
女王の三分の一にすぎない。
1989年4月3日ー「エイプリル・ウェザー」-
4月1日は「エイプリル・フール」だった。
そして、4月の天気のことをこう呼ぶ。
「エイプリル・ウェザー」
この月の天気は非常に変わり易い。
「エイプリル・フール」とひっかけると、まるで、
ウソつきのように天気がころころ変わる。
最近の空模様をみてもわかるだろう。
晴れたかと思えば雨が降り、雨が降ったかと
思うと、翌日は30度近い陽気。
これは二つの理由がある。
一つは大地が暖まると、空気の対流が起こり易くなり、
積乱雲や積雲が次々と発生、1日の間に何回も
降ったり照ったりするからだ。
もう一つは、日本には、このごろ、大陸からの低気圧や
高気圧が目まぐるしく通り過ぎる。このため、
そのたびに天気が変わるのだ。
また「エイプリル・シャワー」という言葉もある。
これは春雷やヒョウを伴った雨が季節はずれに
降ること。
4月は人間と天気のだましっこの月だ。
1989年4月2日ーエッフェル塔ー
きのう書いたエッフェル塔。
面白い 話がある。
せっかくつくったけれど、困ったことが一つあった。
あそこまで、どうしてあがるかということだ。
できあがった時(1889年)には、まだエレベーターがなく、
来賓たちは、息を切らして頂上まで階段をのぼり、
フランス国旗三色旗をかかげた。
それから50年後、ドイツ軍がパリに入城した
その日に、なぜかエレベーターが故障してストップ。
占領中の4年間、ついに動かなかったのだそうだ。
ヒトラーも、あがろうとして、途中で息が切れ、
ついに展望台まで行けなかった。
多分、ドイツ軍に反対するレジスタンスが
機械をこわしたのだろう。
この次、パリに行った時にはエッフェル塔にのぼろうね。
2011年4月2日
エッフェル塔、まだ一度も登ったことがない。
家族旅行でフランスに行った時も、学生の時、
フランスへ行った時も、結局エッフェル塔には
登らなかった。
1989年4月1日ーエイプリル・フールー
「エープリル・フール」「4月バカ」
なぜ4月1日が、こう呼ばれるか、諸説ふんぷん。
まさに、どれが本当かわからないほどだ。
一番信じられているのが、昔は春分に新年が始まり、
4月1日まで、バカ騒ぎをした。
ところが、新暦になって新年が1月1日になってしまったため、
昔の風習をなつかしむ連中が、つらあてに、
でたらめな贈り物をし合ったという説だ。
これも、どうも、ピンとこない。
だがいずれにしても、この日、ヨーロッパのマスコミは
ウソの報道を競い合う。
サッチャー首相がモスクワ訪問中には、
ゴルバチョフと公園でキスした写真をのせたり、
右側通行が日本にならって左側通行になると
発表したり。
中にエッフェル塔が地方に移転すると報じられ
大騒動になったこともある。
百年前のきのうエッフェル塔完成。
これは本当だ。
1989年3月31日ー京都遷都ー
13歳の春。
京都の旅は、また格別だったろう。
住みたいとは思わないけれど、さすがは千円も都だったところ。
行くたびに、新しい風情を感じるところだね。
あの地に平安京をつくった桓武天皇は、最初、
長岡京に都をうつすはずだった。
京都より、やや大阪よりの地で、いま「長岡京市」
という市に なって残っている。
しかし、都づくりを任された藤原種継が殺されたため、
10年で中止、京都にかわった。
この京都遷都に財力、技術両面で功績があったのは
秦氏という朝鮮からの帰化人。
京都の西に太秦というところがあるが、そこが
彼らの根拠地だった。
朝鮮にはお世話になっている。
京都は兵火で随分焼かれているのに、東京は
江戸開城のように免れている。
そのかわり空襲で焼け、京都は残った。
因縁だ。
1989年3月28日ー子供だけでの旅行ー
きょうから「京都」だね。
思い切り楽しんでおいで。
しかし、くれぐれも、安全に注意してほしい。
特にこわいのは、はしゃぎすぎること。
グループで行くと、楽しさの余り、おしゃべりに熱中してしまう。
そうすると、気が緩み、周りのことを忘れ、とんでもない失敗
をするものだ。
道のまんなかで、ふざけても、交通事故をおこす。
○○○ちゃんは、これまでも度々、一人旅してきた。
カナダ、芦屋、秋田・・・。
けれども、必ず、行き先には、先生、○○さん、○○ちゃんと、
周りのことをみ て、守ってくれる大人がいた。
今度、正真正銘の子供だけ。
そのことを絶対忘れないで。
帰りを待っている。
2011年3月28日
中学生のとき、はじめて友人3人と
京都に旅行にいった。確か泊まったところは
甲子園にある、友人の親戚の家だったと思う。
大人が同行しない旅行は、自分が大人になった
気分になり、本当にワクワクして楽しかった覚えがある。
でも、親になった今、こういう旅行を子供がするたびに
心配が耐えないのだなと思う。
「親の心、子知らず」
親になって、はじめて、この言葉を理解できたように思う。
1989年3月27日ー東京都から「婦人」という言葉が消えるー
東京都が使っている用語から「婦人」という
言葉が消え、かわって「女性」という用語に
統一される。
「婦人」だと、結婚した女性とのイメージが強く、
子供やお年寄りは除外されるような印象が
あるからだという。
いま都では、いろいろな文書のほか、
東京婦人センター、婦人相談センターといったのがある。
これも変わることになりそう。
確かに「婦人」にh、そういう感じがある。
もともと「婦」のつくりには「たてかける」「寄り添う」という意味
があって、古い中国では「姑に仕え、家のそうじをする女性」
を指した。
その後、それが「妻」をも意味した。
明治以降は成人した女性への敬称的なニュアンスを
こめて使われ、必ずしも「嫁いだ女性」のことではない。
しかし歴史的にはやはり問題ありそう。
1989年3月26日ー島崎藤村と室生犀星ー
明治5年のきのう25日、一人の文豪が生まれた。
「まだあげそめし前髪を
リンゴの下に見えしとき」
の島崎藤村。
最初、詩人、のちに小説家。
「木曽路はすべて山の中である」
これは小説「夜明け前」の有名な書き出しだ。
高校のとき、先生が大きな声で朗読してくれた。
昭和37年のきょう26日、一人の文豪が死んだ。
「故郷は遠くにありて思うもの
そして悲しくうたうもの」
の室生屑星。
最初、詩人、のちに小説家。
娘が散歩しているとき、ひる顔を摘んだ。
犀星はいった。
「キミ、花を盗んでも泥棒にならないのだよ。
花盗人という言葉もあるからね」
お母様はきょう花盗人してくるだろう。
1989年3月24日ー人権侵害の疑いのため青少年外出禁止令延期ー
殺人事件の多発に音を上げたアメリカ・ワシントン市が
青少年の夜間外出禁止令を出したことを、この前書いた。
だが、裁判所が、これに異議を唱え、禁止令の実施は
延期となったそうだ。
この命令は、人権侵害の疑いがあるうえ、あまりにも
対象が広すぎて、犯罪防止に効果があるかどうか
疑問というのがその理由。
全く、アメリカらしい成り行きだね。
アメリカ人が最も大事にするのは「人権」。
人間が、自分の意志で、好きな時間に、
好きな所に行くのは、権利である。
つまり人権の一つだ。
だから、よほどのこどがない限り、
これを制限することができないというのが、彼らの考え方。
まして外出禁止令を出しても、麻薬は地下にもぐるだけで
実効がないとすれば、なおのことというわけだ。
正当な考え方だと思う。
しかし、人権は絶えず犯される。
これに対してもアメリカ人は断固戦う。
告発の行方 もそうだった。
【関連記事】
1989年3月20日ーワシントンで青少年外出禁止令ー
1989年3月23日ー東京都のシンボルー
東京都のシンボルが決まった。
上の図がそう。
一見してわかるように、イチョウの葉をデザインした
ものだ。色は緑。
イチョウは「都の木」。
都の説明では、東京の頭文字の「T」のイメージ
を中央に置き、3つの同じ円のカーブは、
新生東京の躍動感、生命感、気品と威厳の
バランスの取れた成長などを表しているのだという。
これまでの東京のマークは下図。
少しゆがんでしまったけれど、太陽と「東」を
デザインしたものだ。
これは東京のマークとして残し、
シンボルは一般に使う。
これをCIという。
コーポレイテッド、アイデンティティ。
企業シンボルとして最近会社をこんなシンボルで表すことが
はやっている。
でも東京のはパッとしないね。
<参考>
都の紋章・花・木・鳥
