1989年4月19日ー日本初の女子官費留学生ー
明治4年、政府は岩倉具視を団長とする
大使節団を欧米に派遣した。
その中に59人の官費留学生がいた。
官費とは、いまでいえば国費、国がすべて
お金を出してくれる留学生を、当時こう呼んだ。
そして、その中に5人の、日本初の女子留学生がいた。
最年少は、当時7歳の津田梅子。
帰国後、津田英学塾を創設した人だ。
最高齢が14歳。
上田貞子とかいう人だ。
この他に、面白い名前の少女もいる。
山川捨松(すてまつ)11歳。
本名は山川咲子という。
会津藩の家老の娘だった。
あの会津の戦いで、母に抱かれ、やっと城を
脱出した。それだけに幼い娘が遠い海外に
行くのは身を切られるように辛かったろう。
だから母は捨松と改名させた。
「(娘を)捨てたつもりで待つ」
お父様もわかる気がするよ。
捨松はのち、大山元帥の妻に。
彼女は一生、この名前を変えなかった。