
ジョークじゃ、メロスよ。 殺人事件に巻き込まれて走っている場合ではないメロス
メロスは激怒した――――。この一文を知らない日本人はいまい。出典は太宰治の「走れメロス」である。1955年から中学2年の国語の教科書に掲載され現在に続いている。我々は信頼や友情、責任といったものをメロスから学んだのである。
そしていま、新たなメロスが我々の前に現れた。
殺人事件に巻き込まれて走っている場合ではないメロス
五條紀夫
角川文庫
メロスは激怒した。不甲斐ない自分に激怒した。親友セヌリンティウスを人質に取られてしまったからである。これ全てメロスの過失である。暴君ディオニスの治めるシラクスでメロスは覚えのない殺人事件の犯人としてとっ捕まったが、たったひとりの肉親である妹のイモートアの婚礼を行うため3日間を猶予として故郷へ帰っているところである。その間、セヌリンティウスを自分の身代わりとして暴君に差し出してしまったのである。メロスは走る。イモートアのために、セヌリンティウスのために、そして約束を果たさなければならない自分自身のために。激怒しながらメロスは走った。
まさか故郷シケリア島で殺人事件が起ころうとは、このときのメロスは知る由もなかった。
タイトルに一目惚れ
太宰のメロスは激怒するだけだが、今作品では激怒に推理が加わる。メロスが推理するのである。といってもメロスはド田舎の牧人に過ぎない。しかしフィジカルと正義を愛する正直者である。メロスは正義の拳で征伐することを好む野生のファイターであった。一般人からするとちょっとありがた迷惑な筋脳でもあった。
そんなメロスとバディを組むのはメロスの妄想が生み出したイマジナリーセヌリンティウス、略してイマジンティウスである。ふたりは協力して故郷シケリア島で起こった殺人事件、山賊殺人事件、豪雨で氾濫した川に入水しようとしていたオサムスを巡る土左衛門事件を解決しながらゴールを目指す。果たしてゴールについたとき、暴君ディオニスの王宮でまたしても殺人事件が起こるのである。
メロスは真犯人を見つけ、自身の潔白を証明することができるであろうか?
-略-
既存のものを加工、編集して新たな作品、あるいはサービスを作り出すことをマッシュアップという。主に音楽やプログラミングで使われている手法である。とすると依存の小説に手を加えた作品はマッシュアップ小説ということになる。今作品は非常にレベルの高いマッシュアップ小説である。
レベルが高い理由はいくつかある。まず原作が意図しているものを棄損していないこと。メロスの意図とは先に述べたように信頼、友情、責任である。今作品ではそれらにマッチョが追加されている。第2に書き出しと終わりが原作と同じであること。「メロスは激怒した」で始まり「勇者は、ひどく赤面した」で終わるのは原作通りである。第3に状況や進行、登場人物が原作に沿っていること。沿いながらも登場人物それぞれに個性を与え物語を爆笑で彩っている。第4にメロスに推理させるべく一種のミステリーとなっていること。事件が起きる→メロス考える→とりあえず拳で解決しようとする→イマジンティウスがヒントを与える→解決に辿り着いて鉄拳制裁、という流れるような様式美。第5に時代背景とされる古代ギリシアの歴史風俗に合致していること。原作にはないダモクレスの剣をブッ込んでくるテクニックは鮮やかである。そして第6、これが一番大事なことだがものすごく面白いこと。この面白さは失速することなく最初から最後まで一定のレベルを保ち続けている。
特に4章の「メロスは入水した」に登場するオサムスは奇跡である。モデルは太宰治である。このオサムスがものすごく太宰なのだ。よくもまあこんな人物を登場させたな!と感心するほどの太宰っぷりなのである。しかし著者は太宰をバカにしているわけでもおちょくっているわけでもない。なぜなら愛があるからだ。あまりにも太宰なオサムスは著者によって新しい人格を与えられ、救われる。作中のメロスは一連の事件を通じて犯人に鉄拳制裁を見舞っているが、オサムスが登場する4章だけ制裁は行っていない。なんという配慮であろうか。
まあ、今作品を読めば分かることだが、著者は太宰を相当読み込んだと思われる。ファンなのか?それにしてもメロスが少々マッチョ過ぎではなかろうか?こんなに直情だったっけ?と思って原作を読み返してみた。
実は太宰は苦手
合ってた。マッチョで直情だった。正直者で正義を愛する脳筋だった。暑苦しさも同じであった。例をあげてみる。出典は全て太宰治の「走れメロス(岩波文庫)」である。
しばらく歩いて老爺に逢い、こんどはもっと、語勢を強くして質問した。老爺は答えなかった。メロスは両手で老爺のからだをゆすぶって質問を重ねた。
質問というか尋問である。しかも相手は老爺である。自分が正義だと信じて疑わないメロスは、他人に対して威圧的になるのである。少しくらいコミュニケーションを円滑にする作法を知ったらどうだ。
そんなに私を信じられないならば、よろしい、この市にセヌリンティウスという石工がいます。私の無二の友人だ。あれを、人質としてここに置いて行こう。
このときメロスは人質になるための了解をセヌリンティウスに取っていない。勝手に人質にしたのである。しかも「あれ」呼ばわりである。このあと縄をうたれたセヌリンティウスはなにがなんだか分からなかったであろう。
おまえの兄は、たぶん偉い男なのだから、おまえもその誇りを持っていろ。
妹の婚礼が終わり、メロスが妹にはなむけとして伝えたセリフである。なにを根拠に自分のことを「偉い男」と言っているのであろうか。お前、無二の親友を勝手に人質にしたじゃねえか。時間までに戻る約束はまだ果たせてねえだろ。もっと自分を顧みろ。
路行く人を押しのけ、跳ねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駆け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴飛ばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も速く走った。
ただの迷惑走行じゃねえか。
かように、読めば読むほど突っ込みたくなる原作メロスである。著者がマッシュアップしたいという欲求が抑えきれなかったのが分かる。そんな原作の中で、太宰を強く感じる一文がある。疲れ切って倒れたメロスが弱気になる場面である。
正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。
この一文こそ太宰だ!と思った。メロスの中で最も太宰している。もちろん走ってる場合ではないメロスも原作に忠実に弱気になる。しかしそこはフィジカルメロス、水を飲んで勇気凛凛、路行く人を押しのけ、跳ねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駆け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴飛ばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も速く走って間に合うのである。
そこからは怒涛の展開、王宮ではまたしても殺人事件が起こり、メロスはプラトンにチョークスリーパーをかけられ、しかしワンダフルなフィジカルで難を逃れ、推理し、真犯人に迫る。そしてラストは驚くべき真実が明るみになりイマジナリーセヌリンティウスの謎も解け、暴君は改心し、原作メロスのラストにリンクする。
爆笑を誘いつつ、ミステリーとしても楽しめる。なかなか油断できない一冊であった。おすすめ。
まるで少女漫画 お姫様の装い
お姫様の装いと聞いてどんなドレスを思い浮かべる?レースとリボン、可憐な刺繍、アラベスク模様の生地。ゴージャスで格調高いドレス。お姫様にはそんなドレスを着てほしい。だってお姫様なんだもの!
ということでお姫様の装い展に行ってきた。
なんて可愛いドレス!
場所は大妻女子大博物館、展示ドレスは佐賀藩鍋島家に伝わるドレスを家政学部被服学科の石井とめ子名誉教授の指導のもと復元したものである。つまりレプリカだ。レプリカを制作する意義はふたつあると考える。まずひとつめは技術の習得のためである。それなら別にドレスじゃなくていいじゃん、ってな話にもなるかも知れんが、ふたつめの意義はまさに「なぜドレスなのか」を追求すると見えてくるであろう。
黒船以降、日本政府は急速な欧化政策を進めた。なぜか。日本が世界で生き残るためには近代化が必要だった。欧米諸国に認められるには西洋のコモンセンスに準拠しなければならない。そこでドレスの登場である。鍋島家に嫁いだ榮子は公卿の娘、世が世ならばお姫様である。日本のお姫様は西洋の淑女を模倣した。語学に長けた榮子姫は日本の発展のためにドレスを着用して鹿鳴館の華を務めた。明治鹿鳴館時代、日本人女性が着用したドレスは日本国の発展に一役買ったのである。これはもう歴史の一部といっても良い。
ということで復元ドレスふたつ目の意義は「歴史アイテムの復元」だ。オッケー?よし!ではお姫様アイテムを紹介したい!バッグと扇から始めよう。
淑女のバッグはビーズのオペラバッグ。小さいので持ち物はハンケチ、リップ、手鏡、気付け薬の必要最小限である。気付け薬は失神したときに用いる麝香などの動物性生薬、あるいはミントやユーカリ油といったアロマである。失神は淑女の持ちネタだった。マダムもデカいトートはやめにして、気付け薬だけ格納したビーズバッグにしようと思う。酷い肩凝りにも良さそうだし。そんで、ときどき失神すればモテ間違いなし!
バラ柄ビーズバッグ
これもバラ柄だ!
バラモチーフ多い
上記3点はいずれもバラをモチーフとしているが雰囲気が全然違う。シック、可憐、エレガント。合わせるドレスも違ってくるだろうな。こういうのがファッションの醍醐味よね~。
さて、これらバッグはレプリカではなく19世紀あたりの本場のモノホン。竹内コレクションから寄贈って記してあったので竹内さんから寄贈されたっぽい(進次郎構文)。
アラベスク模様のシックなバッグ
天使モチーフで品が良い
続いて扇である。扇はただのアイテムではない。扇の持ち方に様々な意味があり、淑女は扇を使って意中の殿方にシグナルを送っていたのである。これを扇言葉という。なんという官能!
鼈甲仕様の豪華な扇
現代ではもう作れない
デザインが大正モダン
配色が素敵
花は菫かしら?可憐!
扇を使った仕草で「お近づきになりたいの」「私についてきて」「あなたは私の心を射止めたわ」「キスしていいわよ」「大嫌い」「あっちいけ」など、言葉を交わさなくても会話が出来るのである!
マダムも扇言葉で会話したいと思った。心の底から。「牛丼買ってこい」「会議室予約しとけ」「金曜日、うどん、個室」「喫煙所の鍵を開けてください」。あっ、ダメだ。なんかダメな気がする。もっと、こう、官能的な会話を習得するのが先か。
ロココな扇
中骨の彫りが細かい
気品あるわあ~~
中骨はマザーオブパール!
彫刻がスゴイ!
ロココだよ!
なんてロマンティック!
さあ続いてお待ちかね、復元ドレスの紹介だ。まずは乗馬ドレスである。当時の貴婦人は横座り(サイドサドル)で乗馬していた。一見ロングスカートに見えるけど中身はキュロット。優雅かもしれんが事故や落馬が多かった。そういえばダウントンアビーでメアリーがサイドサドルで乗馬してるシーンがあって、どんだけ練習したんだろうと感心したことがある。
優雅ではある
イラストで乗り方解説
パニエで膨らんだスカートが迫力あるこちらはローブ・ア・ラ・フランセーズ。ロココの粋が詰まっている!否、この膨らみっぷりは最早無粋か?
満員電車に乗れない
ストマッカーに並んだリボン、肘あたりから覗くレースがロココの真骨頂。こういったドレスはもちろんひとりでは着ることが出来ない。正面のストマッカーは着用後に針と糸で縫い付ける。お姫様の着付けには時間がかかる。優雅であろう?
袖のレースのチラリズムが大好き
ロココのローブ・ア・ラ・フランセーズもう一丁!ロココも後半になるとストマッカーはボタンやフックで着脱可能になった。とはいえ重量のあるドレスは女官の手伝いがないと着ることは出来ない。
折り畳んだ襞がスゴイ
大好物
刺繍もマダム好み!
ローブ・ア・ラ・フランセーズの特徴は背中に大きな襞があることだ。生地を大量に使用するのでかなりの重量と思われる。
これ着て動くの大変そう
フランス革命でロココ終焉、天下を取ったナポレオンの帝政が始まった。帝政下で流行ったのがエンパイアスタイルのドレス。流行らせたのは当時トップファッショニスタであったナポレオンの嫁ジョゼフィーヌである。薄衣ドレスなので肺炎を拗らせて亡くなる女性が多発した。
ネグリジェではありません
冬でもこれ着て散歩して風邪ひいてました
フラワーモチーフが可愛い
19世紀に入るとロマン主義が台頭し始め、ドレスはコルセットが復活して袖を膨らませたドレスが流行、ロマン主義時代ということでロマンティックスタイルと呼ぶ。赤毛のアンが着てたのがこれ。
「羊の脚袖」だそうです
続いて現れたのがクリノリン。クジラの髭や針金でスカートを膨らませた。歴史は繰り返すというが、ファッションも繰り返すのである。スカートは時代によって膨らんだりしぼんだりするのである。スカートが膨らんでいるときはコルセットでウェストを極限まで絞るまでがセット。
もっと膨らましてくれ
クリノリンが廃ると、次に現れたのが尻部分だけを膨らませたバッスルスタイルのドレス。明治期のシン・浮世絵によく描かれているのがこのタイプ。展示してあったドレスはあんまり膨らんでなかったけどギャザーの作りが繊細だった。
メリケンでも流行りました
尻パッドを装着して膨らませます
19世紀末になるとアール・ヌーヴォースタイルに落ち着き窮屈さはなくなった。でもウェストマークはマスト。
すげー上品に見えるぞ
わあああ!袖が可憐!
さあここから佐賀藩鍋島家の復元ドレスに入るぞ。まずはこれを読んでくれ。
鍋島家に伝来していた「直大公御夫妻鹿鳴館時代御洋服」と墨書きの貼り紙をされた長持ちの中に、ウコンの風呂敷に包まれ鍋島直大・栄子夫妻が着用されたとみられる衣装21点が保管されていました・・(略)・・損傷が激しい衣装もあったため、石井教授は実物に直接手を加えることは危険と判断し、修復に着手する前に試作として復元ドレスを製作することにしました。
復元ドレスには当たり前だが見本があるのである。それも鹿鳴館時代の!いやあ、本当に鹿鳴館で舞踏会や夜会が開かれていたんだな~としみじみする。日本、頑張ってたんだな~って。
まずはデイドレスから。「明治38年戦役凱旋の時、東郷大将に送られし折にお召遊ばれし御洋服」の復元である。いきなりビッグネームが登場したぞ。日露戦争の戦果を明治天皇に奏上に向かう東郷平八郎を、新橋で出迎えた際に着用していたドレスと考えられる、とのことである。
気品ある
後も手抜かりはありません
白地に白糸の刺繍、襞の寄ったドレスが清楚で慎み深さを感じさせるではないか。
ハイネックな首元にも刺繍
袖にも刺繍
ローズ色に金モール刺繍をあしらった夜会服。スカートの内側の紐で膨らませるバッスルスタイル様式が残されているとの由。大柄で華やかな模様が織り込まれたブロケード生地が重厚でゴージャス!
実物はもっと色が濃かったです
緞帳ドレス
明治20年に伊藤博文首相官邸で開催された仮装舞踏会で着用されたドレスの復元。最高にカワイイ!!バラのアップリケがキュート!全体のバランスと配色がパーフェクト、コルセットのような編み上げがポイントか。
すごーくカワイイ
ジゼルみたい!
センスあるわあ~
夜会や舞踏会はカップルが基本である。ってことで直広侯爵がお召になった御洋服も復元してあった。アビ(コート)、ジレ(ベスト)、キュロット(膝丈パンツ)で構成されたアビ・ア・ラ・フランセーズである。貴族とかが着てるやつだ。
貴族の服だ!
仮装舞踏会ってことなので、夫妻はフランス宮廷がブイブイいわせてた頃の仮装で挑んだらしい。着色された証拠写真があった。侯爵、ちゃんとカツラつけてるわ。
仮装して真顔
オオトリを飾るのは小袖をドレスに仕立てた小袖夜会服!復元には同じ模様に染めた生地に刺繍を施したものを特注して製作したそうだ。もうね、全てに気合が入ってる!
どすこーい!
孔雀のようだ
ドレスなのに雰囲気は日本。その正体は全体に刺繍されたモチーフであろう。万字繋ぎや花が散りばめられ、裾には数珠繋ぎの風鎮的アクセサリーが!圧巻のゴージャスが満開である。
胸元は編み上げで
玉はビーズではありません
たぶん、シルクの糸です!
そして珍しいのが軍配の刺繍である。軍配は男子のシンボルとされる。その軍配をドレスに施す大胆さ!マジなのか?マジで復元してるのか?
相撲の行司が持ってるアレ
今展覧会は展示数は多くないものの、年代を追ったドレススタイル、日本におけるドレスの発展と役割を視覚的に知ることが出来て満足であった。無料ってーのも太っ腹で良かった。
本当にどアホウ 野球どアホウ未亡人
夏子の夫ケンイチは野球バカだった。今日も今日とて夏子を顧みず草野球の練習に出掛けていく。休みの日はもちろんのこと、平日の日中はサラリーマンとして働いて、朝練夜練の野球三昧。ふたりが住む部屋はいまどきモルタル2階建ての古いアパートである。高校球児ではあるまいし、野球ばっかりしているケンイチは稼ぎが悪いのであろう。
いまどきガス給湯器のアパートって
それもこれも全部監督重野のせいである。重野の書いた本は野球バカどもから聖書と崇められている。ケンイチも重野信者のひとりであった。そんなケンイチが夏子は許せない。ケンイチが愛しているのは野球だからだ。夏子は野球に嫉妬しているのだろうか?草野球も重野も憎い。
野球バカ過ぎてバカ
試合の日、夏子は「頑張って」とケンイチを見送った。それがケンイチと最後に交わした会話であった。ケンイチは河原で死んでいた。どうしてこうなった。
血の付いたボールだけが真実を知っている
夏子のもとに重野がやってきた。ケンイチに線香をあげに来たとのことだが、本当は夏子をスカウトに来たのだ。過日、あの河原でケンイチとキャッチボールをしていた夏子を目撃した重野は夏子に才能を見出していたのだ。何の才能かって?野球に決まっている。ポジションはピッチャーだ。
重野はケンイチの借金をカタに嫌がる夏子に野球を押し付けた。というか、ユニフォームを押し付けた。
着替えちまったよ
なぜこんなことになったのか分からない夏子。我々観客もどうしてこんな展開になるのか分からない。しかしまあ「野球どアホウ未亡人」というタイトルの「野球」と「未亡人」はこれで回収できたので仕方なく観賞を続ける。残るは「どアホウ」だ。もしかしたら観賞する我々が既に回収しているのかもしれない。こんな作品を選んで観てしまっているという行為に於いて。
河原に連れていかれた夏子は河川敷で重野から突き落とされる(増水時に冠水する高水敷から低水敷へ突き落される)。回転しながら落ちる夏子。危ない。
河原に狂人ふたり
夏子は怒った。当たり前である。しかしそんな夏子を監督は諭す。「ボールは回転する。ボールになれ、夏子」。「わたしが、ボールに?」。会話は噛み合っているのか?大丈夫か?
その夜から夏子は狭いアパートの部屋で前転の練習を始める。会話は噛み合っていたみたいだ。しかし、大丈夫だろうか?という心配は否めない。
翌日、夏子はボールになれないまま河川敷で重野を待っていた。わたしはボールになんてなれない。野球なんてできない。でももう一度、もう一度だけ転がってみよう。夏子は転がった。転がった夏子は天啓を受けたような表情で「これが・・・ボールの」と呟く。なにかを掴んだようだが、なにを掴んだのだろうか。それは掴んでもいいものなのか。
すっかり洗脳されてやがる
ここから本格的な特訓が始まった。まず重野ギプス(大リーグボール養成ギプスみたいなアレ)を装着して日常生活を送る。「野球は生活、生活は野球である」との重野の野球哲学の実践である。しかしギプスの荷重が大きすぎ箸を持つことも一苦労だ。
大リーグホール養成ギプスっつっても
若人には伝わらんかもしれんな
「男にはあって女にはない玉、それはもちろん金の玉だ」というのも哲学のひとつである。じゃあ金の玉をもたない女が男に勝つにはどうすればいいか。変化球である。そんな夏子を見てバカにする二人組がいた。草野球のメンバーのようだ。夏子はこのふたりを相手に訓練の成果を見せる。
急に出てきたお前ら誰だ
夏子の放った球が、男の股間にヒットした。男はその場に倒れ、残った男は逃げ出した。重野は満足そうであった。変化球の名称は「玉砕カミソリボール」である。って、故意のデッドボールはルール違反にならないか?草野球ではオッケーなのか?わからない。なにもかもわからない。
倒れる男1と逃げる男2
夏子は草野球会で頭角を表し始めた。玉砕カミソリボールでどうやって試合をしているのか全く不明なのだが、まあ普通にストライクボールも投げられるのであろう。しかしそういった描写はない。1ミクロンもない。スッカスカのどーでもいい学芸会が続いている。
そんな中、ケンイチの不幸な事故は重野が仕組んだことが明るみになった。夏子は重野に向かって球を投げるが打ち返されてケンイチと同じ仕打ちを受ける。夏子はショックから失語症になった。もうやめればいいのに。
黒い眼帯で凄みが増しました
しかし野球を止められない夏子。ケンイチの妹は「姉さんは本当のアホじゃ!野球どアホウじゃ!」と罵るが、野球にひたむきな夏子に感化されいつしか一緒にキャッチボールするようになる。そこへグリフィス吉田が果たし状を持ってきた。送り主はもちろん重野である。重野と夏子のホームラン対決、やるかやられるかの試合。ゲームオーバーはどちらかが死んだときだ。
※急に登場人物が増えましたが大したことではないので気にしないでください。
無駄に達筆
果たし状を受け取った夏子は墓場でケンイチと再会する。といってもケンイチは死んでるので幽霊である。まだ成仏してないらしい。幽霊ケンイチ曰く「復讐はやめてくれ。俺は死んで初めて分かった。君が支えてくれていたことを。君には幸せになって欲しい。僕のことも野球のことも忘れて、幸せになって欲しい」。
死んでから言い訳しても遅い
夏子は笑った。朗らかな笑いではなく嘲笑であった。いまさらなにを言ってんだよ、この男はよ。私が勝負するんだからお前には関係ない話だ。そもそもお前死んでるだろ。いつまで夫ヅラするつもりだい?うっとうしい野郎だぜ、あばよ。
本当は復讐して欲しい下心を見透かされたケンイチは、夏子に足蹴にされビービー泣くことしかできなかった。
本心「復讐してくれよぉぉぉぉ」
あんたと私、どちらがより野球かと言えば、私の方が野球だ。重野より私の方が野球だ。私が野球なんだ。さよなら、ケンちゃん。
結婚指輪を投げて返した夏子
運命の日がやって来た。勝負はホームラン対決である、すなわち三振を取れば夏子の勝ち、ホームランを打たれたら重野の勝ち。ただしホームラン以外はノーカウントのゲームである。グラウンドにはふたりだけだ。夏子はマウンドに立ち、重野に向かって重野の気の緩みを指摘した。どーしたわけか夏子は関西弁になっていた。
因縁対決
虚を突かれた重野は自分がマウンドに立つという。ピッチャーの夏子にバッターは不利である。罠かもしれない。それでも受けて立つ夏子。重野から放たれた1球目がカーブして夏子の胸に当たり、夏子はぶっ倒れた。パイリーグボール一号、普通ならデッドボールだ。しかしこのゲームはホームラン対決である。ホームランか三振のみの非情なゲームなのである。
これで話が成り立ってるのがスゴイ
かろうじて起き上がった夏子に、重野が2球目を放った。夏子はボールなんて見ちゃいなかった。バットを真っ直ぐにブン投げた。
野球の「や」の字もありません
あ・・・ありのまま今起こった事を話すぜ!マダムは野球ドラマを見ていると思ってたら、デッドボール投げるわバット投げるわ、挙句の果てにバットが重野の股間にジャストミート、重野は股間を押さえたまま倒れた。夏子スペシャル稲妻睾丸破り!なにを言ってるかわからねーと思うが、マダムもなにを見ているのかさっぱり分からない。野球だとかホームラン対決だとか、そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ・・・ もっとワケがわからないものの片鱗を味わったぜ・・・。本当に意味不明なんだぜ。
このあと気を失う重野
グラウンドにライトが灯る。重野が気を失っている間に日が暮れたのである。いい大人が雁首揃えてヒマなんだな。気を取り戻した重野に夏子は「パイリーグボールを」と告げ、バットを前方に掲げた。予告ホームランである。グラウンドに緊張が走る。
大きく振りかぶった重野が・・・・3球目を投げた!
投げてみろよ、パイリーグボールを!
要求通りに投げてやるぜえ!
スピード感を増して大きくカーブした球は夏子を狙う。バットを構えたまま姿勢を変える夏子!バットに当たり摩擦で燃え上がった球を、夏子は重野めがけて振り切った。ピッチャー返しだ!
左上のハッピーターンみたいなのが球
当てたああああああああ!
受けてみろおぉぉうりゃあああぁぁ
重野を直撃した球は、軌道を変えて燃えながら宇宙へ飛んで行った。
ぎゃあああああああ
ロケットのように飛んでいく球
お見事・・・。自らの負けを認めた重野はグラウンドに崩れ落ち、爆発消滅した。
え、どういうこと?
え?なに?最後がよく分からない?じゃあもう一回繰り返すぞ。お見事・・・。自らの負けを認めた重野はグラウンドに崩れ落ち、爆発消滅した。
なになに、どうして?
オッケー?間違いじゃないぞ、爆発消滅したんだ。夏子はグラウンドを走ってホームベースを踏んだ。そしてそのまま、どこかへ走り去っていった。夏子はホームランボールになったのだ。もう誰にも止めることは出来ない。夏子は野球の女神となり、熱狂をもたらし、野球人口は増加した。国際野球連盟は夏子をモデルにした巨大立像を建立予定だという。
-終-
世間ではWBC真っ最中である。ニュースもXも猫も杓子もWBCである。そんな中で視聴したのが今作である。先に言っておくが完敗である。なにに完敗かって?なにもかもに、である。こんなもののレビューをしようとしているマダムの胸中を察してくれ。
毒にも薬にもならない系
本作品は60分というコンパクトさでありながら、中弛みがハンパない珍作である。なぜこれを視聴したのか?実は本作品は驚くべきことに映画館(テアトルシネマグループ)で上映していた実績を持つ。そんで、サメ映画ルーキーさんが上映前も上映中もXで激推ししていたのだ。ルーキーさんの激推しっぷりは上映館に日参しているのか?と疑うほとで、その熱に浮かれたようなルーキーさんの熱が一時マダムに移り、ヒューマントラスト渋谷まで出張る直前だった。しかし平日の上映時間に合わせることが出来ず映画館で観賞することはなかった。危ないところだった。ルーキーさんはよくもまあこんな作品を何度も映画館で観賞できたものだ。ますます尊敬する。
みんなもフォローしよう!
さて、「野球どアホウ未亡人」である。野球というからには野球なんだろうなと誰もが思うであろう。マダムも思っていた。しかし今作品は野球のふりをした野球ではないSomethingである。なぜなら野球をしていないからだ。ランニングやケツバットなどの描写はあるものの、ランニングって野球の上達には無意味じゃなかったっけ?ケツバットはいまとなっては禁忌であろう。制作側の野球の知識が昭和で止まっているようだ。
見た目は野球
登場人物が極端に少ないのも気になる。野球は最低9人いないとプレイできない。ところが今作品で野球をやっているのは夏子、重野、男子2名だけである(ケンイチは死んだので除外)。そのうち重野は監督なのでプレイヤーの実質人数は3名だ。しかも男子2名は咬ませ犬みたいなもんなので、残るは夏子ひとりである。プレイヤーひとりだけで野球映画とはとんだ羊頭狗肉である。
デッドボールで頭角を表すとは
これは野球ではないのでは?という薄っすらとした疑いを持ちながら観賞を続ける。夏子はユニフォームを着用し、ボールを投げている。これだけ見れば紛れのない野球である。野球だけに専念してくれればいいのだがケツバットを受けて恍惚の表情で「野球って気持ちいい・・・」と独白したりするので油断できない。
禁断の喜びを知ってしまった夏子
夏子がいきなり関西弁で極妻っぽくなるのも意味不明。とはいえ既に脳味噌が弛緩しているので、関西弁は汎用が効くからなあ程度の引っ掛かりである。
急にミュージカルが始まったりする
ラストの重野爆発に至っては、どうしてこんなことになったのか分からない。分からないけど、とにかく爆発があれば喜ぶ客が一定数いる。そしてマダムは喜んだ。うわー、爆発したー、すごーい!という他人から見ればレベルの低い喜びかもしれんが、こんな作品でも爆発があればなんとなく得した気分になり、これまでの腑に落ちなさも怒りもリセットしてくれる。まあいいか!爆発したし!と優しい気持ちになれるのである。爆発は全てを救う。
監督は観客の欲しいものを分かっているのだ。野球、小学生男子並みのエロ、極妻、爆発。これらイメージだけで制作したのであろう。なんという力業。
ゆるゆるで荒さの目立つ本作品について、ただひとつだけ確信を持って言えることがある。制作陣は野球を知らない。
有閑マダムの密かな愉しみ ランチ通常運転
あれっ?2月ってもう終わったの?早くない?体感2週間くらいだったけど?本当に28日もあった?と思って手帳を手繰ると、確かに毎週末なにかしらの予定が入っていて全て覚えがあるマダムですこにゃにゃちは。
1月=行く、2月=逃げるどころの騒ぎじゃないっすよ、飛ばし過ぎですよ。3月=去る前にしっかりと日々を過ごさなければなりません。今月もどーしたわけか予定入りまくりで倒れないか心配です。とりあえず過ぎ去った日々になにを喰っていたか記録です。
とんかつ屋で唐揚げ定食。よく揚がった唐揚げが6個。もちろん完食!
鶏唐大好き民
テンションあがる揚がりっぷり
喰ったあとは腹一杯で今日はもう何も食べずにいようと誓ったにもかかわらずその後アイスラテを飲みワッフルを喰い、夕食はパスタとスープと生ハムサラダを摂取してしまい自分の意志の弱さを再確認。うん、自分、昔からこうだった。夏休みの宿題スケジュールを立ててもスケジュール通りに進んだことは一度もなかった。一度も。それでも大人になれるんだな~。じゃあいいや、このままで。
マダムは省みない。退かぬ!媚びぬ!省みぬ!ってことで次は久しぶりにさぼうるのナポリタン。美味~~い!
何年振りかしら
このマウンテンっぷり
ムッシューのカレーが大盛り過ぎ
でもこれで並なんですよ
いつものennで今回はオムライス。デセールも頼んだはずだけど写真なし。なぜだ!
やさしい味のオムライス
珈琲はポットで2.5杯分ある
寺家ふるさと村のカフェでランチ。ど田舎に見えるけど住所は横浜市。ハマなのにこの長閑っぷり。
なにここ秘境?
こんな場所にオシャレカフェが
ランチは自家栽培の野菜と発酵玄米、メインはやわらかローストポーク!こんな場所(失礼!)でこんなにレベルの高いランチがいただけるとは思わなかった。嬉しい誤算である。誤算ついでにグルテンフリーのヴィクトリアケーキを所望するとこれもまた美味!グルテンフリーって信じてなかったけど美味いんですね・・・。
健康は約束された感のあるランチ
でもボリューム満点
グルテンフリーなのに美味しい!
さあここからコースランチだ。初めて訪れた目黒の一軒家イタリアン。路地奥にあって隠れ家的雰囲気、サーブも心地よくて一発でファンになっちまった。また行きたい。
このセッティングに胸が躍ります
かんぱーい
なんだと思う?
カボチャのスープ!
エディブルフラワーの下に本鮪
楽しいプレゼンテーション
鱧のフリット!
プチパン!
2杯目!
味わい深い蛸のラグー
鴨にラズベリーソース
和栗モンブラン、ラム酒風味
次は神楽坂の一軒家イタリアン。ここは2回目かな?平日の真昼間だったので酒が飲めないのが残念。とはいえカネは会社持ちなので文句はいえず。でも言いたい。「酒も飲みたい!」と。
前菜いろいろ
ペンネのパスタ
肉がね、喰いごたえあるんですよ
誰かの頼んだネギクリーム
メインはやわらかお肉
ドルチェ盛り
ミニャルディーズでお腹いっぱい!
今年初のオザミは銀座SIXで。やっぱり安心するわ~、心地いいわ~。美味いわ~~。頼むメニューも決まってきたけど、それがいいんだ。こういうフレンチの店でマンネリ化した注文がいいんだ。だって常連みたいじゃん?常連とは程遠い客だけど。
入口がパリっぽくて良い
ミモザで乾杯
サーモンとキャビア、ブリニの前菜
お友達はカニとホタテのテリーヌ
2杯目はアルザスのピノ・グリ
カボチャスープで口直し
大好きなリブロース!
お友達は豚ロースとソシスのシュークルート
こちらもすごいボリューム
最後にリンゴタルトを詰め込みました
今週末は田園調布でランチ予定。マダムらしいファッションで挑まないと!鳥の羽を拾い歩いて首周りを飾るか。
カルティエ ハイジュエリーのアトリエ
銀座2丁目のカルティエで職人の仕事っぷりを無料で見学出来るってんで行ってきた。
こんなとこに入るのは初めてですよ
ハイジュエリーのブティック、しかもカルティエに足を踏み入れることなんて一生ないだろうと思っているマダムだが、「職人」「無料」「見学」には抗えず、見学当日は一応TPOを考えてブラックのペンシルスカートに7センチヒール、カシミアストール、シープスキンのロングコート、指にはデケェ石のついたメリケンサックみたいなリングを3つ装着し、東西南北どっから見ても隙のない貧乏成金スタイルで挑んだ。オッケー、バッチコーイ!!
うわー、明る~い
カルティエのアイコン、パンテール
まず1階はパリのアトリエで撮影した写真のパネル展示である。写真家は川内倫子さんということだ。記録的な写真ではなく写真家のフィルターを通した写真であった。いわゆるアート作品である。マダムの琴線には全く触れなかったが、なんとなく覚えのある感覚である。これについては追って語る。
まあ、うん、アートだね
パネルをサクッと見終えたら階段で2階へ上がろう。階段もさすがのデコレーションだ。非日常である。
気分上がるわ~!
2階はアトリエで働く女性職人たちのパネル紹介、道具紹介、作品カタログなどである。
驚きの展開
デザイナーさんと作品
道具類
広告かな?
作品カタログ
一画には職人の仕事机が再現されており、モノホンの職人さんが説明してくれる仕様になっていた。職人さんは常に居るワケではなく時間が決まっているらしいので、先に3階を見学することにする。
わー、石がたくさんあるよ~
おお~~、これは彫刻された石ですね
わくわくだよ~~
3階は職人さんたちの仕事を見学できる。通訳さんもいて質問出来たりする。まずは刺繍職人さんである。下絵を描いた布地にひとつひとつビーズを縫い付けている。微妙な色の違いを組み合わせセッティングしていくのは100パーセント職人さんのセンスであろう。いいなー、こういう仕事。
繊細な作業です
下絵はアクリルだそうです
細かいの!
3D具合が分かりますかね?
続いてモザイク職人さんである。若そうなのに、なんとメートル・ダールの称号をお持ちである。メートル・ダールは人間国宝という意味に近い。
もくもくと作業中
モザイク作品
小さなパーツで空間を埋めていくのだが、ペンチで少しずつ割って調整しながら合わせていく。気の遠くなるような作業である。いま作成しているのはカルティエのアイコン、パンテールの頭部である。作業4日目でやっとここまで出来たということだ。
30センチ四方ってとこですかね
首から下部分は既にパリで完成しており、これに頭部を合わせて背景に取り掛かるのであろうか。完成品を見てみたいなあ。
色遣いは職人さんのセンス
おヒゲがチャーミングな宝石細工および象嵌職人さんはカルティエ専属ではなく、独自にアトリエを構えて各国の金持ちから注文を受け付けているということである。この方もメートル・ダールだ。こんなに国宝が揃っていていいのか。
よくしゃべる方でしたよ
象嵌に使用する半貴石
通訳さんを通した説明が滅法面白かったので実際の作品や作品画像を撮るのを忘れてしまったが、丸テーブルの制作に6人で半年かかったとか、スイスの大金持ちに請われて大理石の風呂やアルコープを5年掛かりで作ったとか、スケールがデカすぎて壮大だった。スイスの金持ちかあ~。ロスチャイルドかな。それにしても人間国宝を年単位で確保してオーダーする世界があるんだな~。ここまできたらもう羨ましいという感情は全く湧かず、話だけでアトラクションとして楽しめると思った。もっと知らない世界の話を聞いてみたいなあ(野次馬根性)。
職人さんたちは毎日全員揃っているワケではなさそうで、日本人の板金加工職人さんはお休みらしく(もしくは休憩中)姿を見ることはなかった。でも作品や道具類は並べてあるのでじっくり見ることが出来る。そういえば中学の美術で銅板叩いてなんか作った覚えあるなあ~。あのまま技を極めておけば、マダムも今頃はカルティエのアトリエで銅板叩いてたかも。そんでパンテール銅鐸とか作ってたかも。
パンテールと桜かな?
下絵ですね
職人さんたちの作品はカルティエブティックに飾られる。なるほど~。ブティックに行けば作品を観賞できるってワケか。ジュエリー買うつもりないというか買えないからブティック入ることはないと思うけど。でもなー、作品だけでも見たいよな~。
絵画と金箔職人さん
作品類
ということはエレベーター内部のパンテールも職人さんの作品か。スゲーなあ、カルティエ。アートとアーティストを保護し育てている面もあるんだな。さすがフランス企業!
カッコ良かったです
作品のポスターがあちこちに
これは作成途中?
そろそろ宝石彫刻のデモンストレーションが始まる時間なので再度2階へ。実演されるのはフィリップ・ニコラさん、もちろんメートル・ダールである。
素敵な笑顔!
ニコラさんは主に半貴石を使用したジュエリーの制作で、石の買い付けからデザイン、彫刻まで全てをひとりで担っているということである。年単位でひとつの作品を完成させるそうだ。
以前の展覧会でマダムが一目惚れしたジャスパーのブラックパンテールリングもニコラさんの手によるものと思われる。こういった宝石彫刻の作品は世界にひとつしかない。同じデザインであってもだ。
展覧会で一目惚れしたやつ
机の上には様々な原石が、後の棚には半貴石のミステリークロックが飾られており、ニコラさん自らカタログを手にして説明される。
カラフル過ぎるぜ!
宇宙を閉じ込めたような
彫刻が施してあります
やっぱパンテールが基本
下彫ですかね
これはバングルですね
そしてグラインダーを使用しての実演。グラインダーは据え置きとペン型の2種類。先端ドリル(でいいのかな)は何種類も付け替えがあり、ダイヤの粉を石に塗布して彫刻する。
据え置きグラインダー
ペン型グラインダー
私物らしいです
目の前で職人さんから直接「ひとつの作品が出来るまで」の道のりを聞くと、いままでブティックや展覧会などで何気なく見ていた珊瑚やラピスラズリ、ジャスパー、瑪瑙、水晶などのジュエリーが奇跡に思えてくる。静かに眠っていた半貴石が見出され、原石の持つ魅力を最大限に引き出されるようデザインされ、唯一無二のジュエリーに生まれ変わる。何万年もの時を刻んだジュエリーだ。
クォーツにインタリオ
メートル・ダールは人間国宝の他に、技術を継承する使命を課せられる。技術継承にルールはあるのか?どの程度の技術が必要なのか?という質問が出た。ニコラさんは即座に「技術は優先しません」とおっしゃった。ニコラさんは技術よりインスピレーションとクリエイティビティを重視するということであった。ニコラさんのアトリエではすくすくと後継者が育っている。それら作品をマダムが手にすることは絶対にないが、これからも小さなアートが誕生すると思うと喜ばしいことこの上なしである。
これリングでした!
ダイヤがびっしりバングル
パンテールペンダント
さて、冒頭で述べた「琴線には全く触れないパネル写真に対するなんとなく覚えのある感覚」を説明したい。以前、新国立美術館で開催されたカルティエ展で感じた違和感である。その展覧会にマダムはがっかりした。なぜか。カルティエジュエリーと日本の古い掛け軸と現代アートの流木のコラボ展示だったからである。ジュエリーの展覧会になぜ現代アートが必要なんだ?と腑に落ちなかったのである。その「腑に落ちなさ」を今回の写真パネルに感じたのである。しかし間違っていたのはマダムであった。
自社でアートを制作しているカルティエは、アートのメセナでもあるのだ。だからこそ若いアーティストに機会を与え、支援しているのだ。
マダムはカルティエの支援活動に感銘を受け是非手伝いたいと心の底から思ったが、もう全然手が出ないので手伝うことが出来ない。悔しい。でもまた同じようなイベントがあったらノコノコ出掛けて行こうと思う。

























































































































































































