ボン珍2017 ポリニャック一族の本当のはなし | 不思議戦隊★キンザザ

ボン珍2017 ポリニャック一族の本当のはなし

4日目。午前はレッスン。昼食はエルベお手製のシェーブルチーズのフガス。

 

黒板にメニューが書かれてます

 

いつも新鮮なサラダ

 

お手製フガスに

 

チーズクリームと生ハムをサンドします!!

 

デセールはイチゴアイス

 

午後はポリニャック城へ。支度して外へでるとオレリアが何かを指さしながら「ぎゃあああ」と叫んだ。何事かと思って指さす方を見ると近所の自動車整備工場の温度計が41℃になっている。「うわあああああ」マダムも叫んだ。

天気についていままで書いてなかったが写真をみれば分かる通り、マダムが滞在していた間は異常な熱波がヨーロッパを襲い、暑いというより痛いのであった。車に乗り込むとうだるような、というか蒸発しそうな暑さである。それでも運転しなければならないエルベにマジ感謝。

 

炎天下の駐車場

 

さて、ポリニャックというとベルばらファンにはおなじみの「文句があったらいつでもベルサイユへいらっしゃい!」と啖呵を切った伯爵夫人が有名である。ル・ピュイはそのポリニャック一族の本拠地なのである。近所にポリニャックの城がふたつあるが、10世紀にさかのぼる最も古い城(というより要塞)は廃墟になっており、本日訪れるのは2番目に古い城Chateau de Lavoute-Polignacである。

 

ポリニャック伯爵夫人といえばコレ!


鬱蒼とした森の中に、ポリニャック城はあった。

 

ポリニャック城専用パーキング(ただの空き地)から城が見えます

 

ここから城まで徒歩

 

だんだん城に近づいてきたぞ!!

 

誰でも見学できるが直接電話して予約を入れなくてはならない。まあ、そのあたりのことはエルベとオレリアが手配してくれるので楽チンである。門は閉まっているのでブザーを押してしばらく待つ。すると女性の管理人さんが門を開けて中へ入れてくれる。

 

門を入った付近

 

当たり前だけど庭が広い

 

城の玄関前にはすでに何人かのガイドツアー客が待機していた。我々もそこに混ざるのかと思ったが、管理人さんは「勝手に見てくれ」っつってオレリアに鍵を渡した。ええーーーっ、いいの?なんて贅沢なんだっ!!どうやらエルベとオレリアはしょっちゅう日本人を連れてくるのでほぼ顔見知りになってるっぽい。ではエルベとオレリアのガイドふたり付でマダムだけのポリニャック城贅沢ツアーを始めよう。

 

ツタも手入れされてるんだろうな~

 

ポリニャックはかなり古い一門で、その始まりはカロリング朝(8~10世紀)にさかのぼるらしく、この城の最も古い部分は10世紀のものだという。玄関を入ってすぐロビーになっており、そこから鍵でそれぞれの部屋を開けて見学していく。
歴史を感じさせる重厚なインテリア、床も窓枠も木製である。鍵も古臭くてカッコいい。ドアを開閉するときの音さえ歴史の重みを感じざるを得ない。全てを写真に収めたいが、城内は撮影禁止だったのであしからず。

 

ファサードには年季の入った紋章が

 

いくつもの絵画が壁にかかっていて、その中にはヴィジェ・ルブラン描くポリニャック伯爵夫人の肖像画ありーの、シャルル10世の側近で外相を務めたジュール・ド・ポリニャックの肖像画ありーの、ルイ16世とマリー・アントワネットももちろんありーの、ルイ18世、シャルル10世ありーの、ずっと王党派であったことをうかがわせる。
その他にも昔の地図、当時の風景画、城を描いた風景画、紋章付家系図などマダム的にツボるものがたくさんあった。特に紋章付家系図は面白く、読んで字のごとく家系図を紋章で表したポスターみたいなものなのだが、紋章がいちいち面白いっつーか、可愛いのである。婚姻関係を結ぶとふたつの家紋を掛け合わせて新しい紋章とした。そうやって最初は地味だった紋章が、徐々に「やんごとなさそう」になっていくのである。

 

ルブラン夫人はアントワネットのお抱え画家

 

二階には「カーディナルの部屋」という重要な部屋があった。カーディナルというのは枢機卿のことで、ポリニャック家は枢機卿を輩出している名門なのである。枢機卿っつったら王と肩を並べるほどの権力者と言っても過言ではない。とはいえポリニャック家のメルシオール枢機卿(Cardinal Melchior de Polignac)はさほど権力に貪欲ではなかったようで、どちらかというと昭和の自民党代議士のように「おらが町」の発展に積極的に寄与し、ル・ピュイに美しい回廊を作ったり、画家のパトロンになったりして領民たちの信頼厚い枢機卿だったようである。枢機卿自身もサロンの常連で文学に造詣が深く詩作を好み、ラテン語で作った詩は1000編を下らないという。

 

この肖像画があったかなー(既にうろ覚え)

 

冠位十二階が色分けをされているように階級には色がある。枢機卿の色は赤なので「カーディナルの部屋」は赤色がアクセントになっていた。実際にメルシオール枢機卿がこの部屋に滞在していたようで、ベッド、椅子、机、長持、十字架、タピスリーなどの生活用品が揃っている。
欧州ではよく壁にタピスリーがかかっているが、ただの装飾品だと思っているひとはいないだろうな?マダムはただの装飾品だと思ってた。

 

有名なこの画のタピスリーは海軍省にあります

 

欧州の住居は石造りである。そして冬は寒い。分厚いタピスリーは防寒のためなのである。丸めて持ち運びも出来るので上流階級の旅には必須であった。防寒という点では天蓋付きベッドも同じ理由である。無駄に広い部屋は寒い。そこで布を使ってスペースを区切り温かい空気を分散させないようにした。お姫様がいつも天蓋付きベッドで寝ている理由はちゃんとあるのだ。

カーディナルの部屋のほかにいくつか見た部屋の中で、一枚のレターが額縁に入れられて飾ってあった。一番目立つ場所に大事そうに飾ってあったので重要な手紙であろう。それは1789年10月、国王一家がヴェルサイユからパリへ連行される直前にアントワネットがポリニャック伯爵夫人へ宛てて書いた手紙である。

ひええええええ!!こんな地味な(失礼)城に、超弩級のお宝が!とマダムが超驚いていると、ポリニャック城にあるのはコピーで、モノホンはどっか他所に保管されているとオレリアが種明かししてくれた。それでもアントワネットの筆跡を見ることが出来るし、ポリニャック伯爵夫人を心から親友だと思っていたんだなあと思うと、なんか切ない。

同じ部屋にはポリニャック家代々の肖像画や写真が飾ってあり、ピアノの上に飾ってあった女性の写真は「さっきの女性のお母さまよ」とオレリアが言うので「え、さっきの女性って誰?」と聞くと、鍵を貸してくれた管理人さんだという。ってゆーか、マダムは管理人さんだと思ってたけど、もしかしてポリニャック家のひと?じゃあ貴族?マジすか!?とまた驚いたのであった。
いまでは貴族という階級は存在しないことになっているが、だからといって元貴族がなくなったわけでもなく、貴族だった家系はもちろん現在に連綿と続いているである。

 

バルコニーがあったので出てみる。当たり前っちゃ当たり前だが、バルコニーも石である。半分崩れててちょっと怖かったが、見晴らしが素晴らしく良い。

 

バルコニーは外なので撮影オッケーらしい

 

立ち入り禁止の鎖が張ってあったりしてスリリング

 

つくづくみると本当に古い城だと実感する

 

 

このバルコニーから見える全てがポリニャックの領地だったという。スケールがちげーわ。城の側を流れているのはロワール川である。え、ロワールってこんな小さい川だっけ?と思ったが、源流が近いのでこの程度のようだ。

 

草原に羊小屋と干し草ロール

 

この城は革命によってポリニャック一族の手から一度離れている。亡命して留守にしている間に誰かに分捕られたのである。というかフランス国内に留まってたら殺されちゃうからね。だもんだから自分たちの城を買い戻したらしい。どっから買い戻したのかは忘れたが、一族にとって重要な拠点だったからこそ買い戻す価値があったのだろう。調度品などは盗まれていたかも知れないが、城そのものが破壊されてなかっただけマシである。
こういった古い建築物は常に修復を必要とする。一族以外の誰が、この城を保ち続けることが出来ようか。たかが一地方の地味な城とはいえ、かつての権力は時を経てモニュマンとなり、モニュマンを残すことは歴史を残すことである。ポリニャック家は城を修復管理すると同時に、歴史を保存しているのである。

 

ゴジラ先輩も楽しんだようです

 

ってな結論に達し、見学を終えた。いやあ勉強になったなあ、ポリニャック伯爵夫人だけで一族を計ってはならんなあ、と思った。階段室まで戻ると初老の男性がいてオレリアに親し気に話しかけてきた。男性は我々を門まで見送ってくれた。柔らかい物腰、上品なしゃべり方、クソ暑いのにきっちり第一ボタンまで締めた着こなし、スゲー長い睫毛。もしかして?と思ってオレリアに聞くと、やはりポリニャック一族の一員であった。
ポリニャックさんにはこれからも頑張って歴史を保存してってほしい。



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