デタラメ映画批評 Vol.46 | 不思議戦隊★キンザザ

デタラメ映画批評 Vol.46

引っ越し熱が高まっている。日常生活の細々したものが部屋に溢れて身動きが取れないのである。ムッシューがダイニングの椅子に座っているとカニ歩きで後ろを通らなければならない。PCの横で書類が雪崩を起こしている。一度崩壊したクローゼットの再崩壊も時間の問題だ。このままこの部屋にいるとそのうち遭難してしまう気がする。早急に引っ越さなければならない。しかし。

引っ越しとなるとこれ全部荷造りするんだよなあ、電気水道ガス光回線の届け出もやんなきゃいけないし。面倒なことだよなあ。と遭難より面倒が勝ってしまいなにも出来ずにいる。引っ越しより先に性格を直した方がいいのかもしれない。

ということで性格を直すのも面倒だから後回しにしていつもの映画ひとこと感想。

 

マグニフィセント・セブン

 

西武時代のメリケン南部地方、善良な市民たちが暮らす小さな町に豊田商事みたいな悪徳商人がやってきた。悪徳商人は町を乗っ取ろうとして教会を放火したり善良な市民を射殺したりする。夫を殺された奥さんは全財産を使って悪徳商人とタメを張れる荒くれどもを集めて町を守ろうとする。

 

安心して見れるやつ

 

どっかで聞いたような話である。原点は七人の侍、それを西部劇にした荒野の七人は既に殿堂入りしている。しかし2匹目のドジョウならぬ3匹目のドジョウの今作品はどうだろうか。ただ役者が変わっただけで新鮮味はない。もうこのプロットは不変なので伝統芸能の範疇に入るのだろうか。

 

ワイルド・スピード アイスブレーク

 

ヴィン・ディーゼルが仲間を裏切ってどーのこーの、でも本当のところは敵を欺くために裏切った振りをしていただけでどーのこーの、ラストは高そうなペントハウスのテラスでファミリー和気あいあいして終わる、一貫して約束された予定調和。驚きも新鮮さもなく、もう全然面白くない。

 

大味

 

ポール・ウォーカー亡き後のシリーズ一発目。ヴィン・ディーゼルだけじゃ地味だよなあ、と思ってたらドウェイン・ジョンソンとステイサムが揃って登場。え、一気に豪華じゃんとは思うものの、それでも何か物足りない。髪か、髪が足りないのか。

 

エルヴィス

 

エルヴィス・プレスリーの伝記映画。プレスリーの不幸は才能を持っていたがゆえに悪徳プロデューサーの餌食になったことだ。当時はパーカー大佐のような詐欺師がたくさんいた。多くの詐欺師は宝石を見つけられずにドサ回りの興行師で終わる。

だが大佐は見つけてしまったのだ。プレスリーというドデカい原石を。

 

思ってたよりまともな人物だった

 

ちょっと整えられ過ぎている感がなきにしもあらずだが、プレスリーのいた時代、黒人のR&Bが白人のロックンロールに華麗に姿を変えた時代、プレスリーの生涯がコンパクトにまとめられている良作。ロックンロールの裏にはもちろん搾取された黒人ミュージシャン(白人もいる)が多数いるが、それはまた別の話。

 

サボタージュ

 

シュワちゃんがヘッドを張る強面特殊捜査チーム。捜査ついでに麻薬密売人のカネを1000万ドルほどチョロまかす。ところがその1000万ドルが消息不明に。カネの隠し場所を知っているのはチームメンバーだけだ。とすると犯人はチームの誰かってことか?それはいったい誰なんだ!

 

シュワちゃん出しときゃOK案件

 

全体的にシリアスだけど、プロットが普通なのですぐ忘れる系。面白くないこともないが、面白い!まで到達していない。地味だからか?シュワちゃん主演なのにシュワちゃんを活かしきれていないからか?活かしきれていない気がするのはシュワちゃんが年を取りすぎているせいだろうか。役に無理があるのだろうか。

 

ブロンコビリー

 

西部劇のショウで日銭を稼ぐ旅回り一座の座長ビリー(イーストウッド)、ある日婚約者に逃げられた新妻を拾う。どーして新妻が拾われたのかというと、夫になにもかも盗んで逃げたからである。どーして夫が逃げたのかというと、新妻があまりにもワガママだったからである。

人助けだと思って新妻を一座に迎い入れたはいいものの、やっぱりワガママなのでイーストウッドの堪忍袋も切れそうになる。旅回り一座の運命や如何に!

 

西部とNYの格差がみえる

 

どこにも腰を落ち着けることなく行く先々でテントを張って興行する。一座の仲間は他人同士でそれぞれの過去は詮索しない。ただ一緒に旅芸人として各地を回る。70年代にはまだこんな旅回り一座がいて(たぶん、現在も存在しているだろうが)興行を楽しんだ人々がいたのだろう。旧き良き西部を思わせる。

 

サンダーボルト

 

元銀行強盗と何者かになりたい若人のバディ作品。これまた70年代の作品で雰囲気が最高。プロットも重厚なシリアスではなくコメディタッチの軽いノリなのが良い。モンタナの風景が美しい。

 

詩情溢れる風景が良い

 

バディ作品でありながら、ロードムービーでもある。苦い余韻の残るラストも良い。イージーライダー、スケアクロウと同じくらい好き。

 

レナードの朝

 

神経の病気で長年入院しているレナードに新薬を与えてみたところレナードがみるみる回復。といっても回復して元に戻ったというより神経が高ぶって若干狂暴化したに近い。もともと頭の良いレナードは自分の状況を受け入れ、薬によってどのように変化するのか記録してくれと担当医師に頼む。

 

デニーロがスゴイ

 

うーん、薬って難しい。実話らしいが、やってることは人体実験に等しい。とはいえ治験を経なければ認可することもできない。難しい。作品自体は面白くなかった。

 

愛と青春の旅立ち

 

過去を背負った男が士官学校へ入学し、卒業する話。まあその間にいろいろあって、訓練が厳しかったり仲間が脱落してったり地元の女性と恋仲になったりする。やっと人生の入り口に立った男は苦い経験を経て最後はハッピーエンド。

 

 

 

男は機能不全家庭で育ったらしいのだが、そのあたりの詳細が不明なので男の孤独や葛藤がイマイチ伝わってこない。午後ローだったので肝心な部分を端折られていたのかもしれない。完全版だともっと詳細なのだろうか。

 

話は変わるが洋画の場合原題と日本語タイトルが全く違うことがある。今作品もそれで原題は「An Officer and a Gentleman(将校と紳士)」である。全然違うじゃん!と思われるだろうが、ちゃんと内容に合致しているのである。そう、昔は全然違うタイトルでもまともだったのである。

原題と日本語タイトルが乖離している作品が顕著になり始めたのは00年代以降からだろうか。乖離の理由は「観客をミスリードするため」である。タイトルで観客を騙して売り上げを稼ごうとしているのだ。例えば「ゼロ・グラビティ」「小さな独裁者」などである。「アイアムアヒーロー」では予告でゾンビ映画だということを1ミクロンも出さずに全然違う客層を呼び込むという失態を犯している。途中退出する客が異常に多くても配給会社及び広告会社はチケットさえ売れればいいので問題にしない。不誠実だと思う。

 

この子の七つのお祝いに

 

狂った女はまだ小さい娘に言って聞かせる。曰く「お前のお父ちゃんは私たちを捨てた悪い男だ。お父ちゃんを憎みなさい。大人になったらお父ちゃんに復讐しなさい。ほら、これがお父ちゃんだよ」。そういって家族写真を取り出した狂女は父親の顔面にマチ針をぐっさぐっさと刺していく。娘が七歳になった正月、狂女は布団の中で頸を掻っ切って死んでいた。娘は血塗れの狂女の死体に縋って泣く。

 

湿度を感じる

 

なかなか完成度の高いミステリ。完成度の高さは狂女役の岸田今日子、バーのママ役の岩下志麻による演技力の高さであろうか。この2大女優のおかげでミステリというよりホラー色が濃い。写真に針を刺す岸田今日子は紛れもない狂女だし、セーラー服写真の岩下志麻に至ってはまんまホラーである。後味の悪さも最高であった。

 

秘密結社鷹の爪 私を愛した黒烏龍茶

 

一時期ハゲタカと呼ばれるファンドが日本を買収しまくっていた時期に製作された一本。ということで今作品の敵はハゲタカファンド。ハゲタカは狙った相手をネット上で大炎上させて株価を下落させて買うという、まさにハゲタカの名に恥じないハゲタカ野郎。ネット世界を自由自在に飛び回る敵に、昭和アナクロな鷹の爪団は太刀打ちできるのか!?

 

観てて気持ち良い

 

最初から最後までふざけている。右端の予算ゲージに予算があるうちはまともな作画だが、予算が減ると作画崩壊していく。じゃあ崩壊したまま続くのかと言うとそうでもなく、劇中内でスポンサーが広告を出すと予算が増えて作画が戻る。戦闘ロボを作ったつもりが銭湯ロボ、全てをハゲタカに奪われてオオサンショウオとともに島根県の里山に引っ込んだデラックスファイター、観客のための告白タイム、リラックスタイムの導入などなど。本当にふざけている。

ふざけていながらも全力で魅力的なキャラクター勢、完璧な伏線回収、島根県の可能性、優しさと希望のあるラスト、外タレのエンディングテーマ。文句のつけようがない。もう本当に大好き。

 

デューン 砂の惑星 PART2

 

壮大なSF大作3部作の第2弾。荒涼とした風景、迫力あるサンドワーム、惑星の生活様式、トンボのように羽ばたくオーニソプター。世界観に奥行きがある。壮大な舞台装置の中で惑星人どもが繰り広げる侵略と抵抗。そこに絡む秘密結社ベネ・ゲセリットの策略。

ベネ・ゲセリットはいつから存在し、なにを企てようとしているのか。いま起こっている事象は予知されたものなのか、それとも緻密な企てなのか。誰がどこまで関わっているのか。この世界を支配しているのは一体誰だ?

 

サンドワームに乗ってみたい

 

登場人物がまた増えた。まあ壮大なSF叙事詩なので範囲が拡がれば拡がるほど波紋の干渉は大きくなる。しかし壮大な物語の中で「小せえなあ」と思わせる人物がいる。アトレイデス家後継者ポールの母親である。

母親は秘密結社ベネ・ゲセリットの一員でなんらかの力を持っている。アトレイデス家へ入り込んだのも思惑あってのようである。しかし彼女が目的としているものが分からない。たぶん彼女自身も分かってない。というか、いま惑星アラキスで起こっていることがベネ・ゲセリットの仕組んだものだとしたら、この壮大なSFも瞬時にして色褪せる。だって世界が秘密結社の掌の上ってバカらしくね?

母親のミステリアスを気取る態度が気に喰わねーし、預言者扱いされて当然ってスカしてやがるのも気に入らねえ。ポールに慕われて母親面してんのも気持ちわりーし、そもそも未婚のままポールを生んで「自分、アトレイデス家とは関係ないっす」って予防線を張ってるのがムカつく。

あまりにも母親ジェシカに腹立ったので、最終章で母親もろともベネ・ゲセリットを殲滅せしめてくれることを希望する。がんばれ、ポール!

 

プリシラ

 

1959年西ドイツ。14歳のプリシラはパーティーでエルヴィス・プレスリーと出会った。既に世界的な人気を誇っていたエルヴィスは徴兵されて西ドイツ勤務となっていたのである。ふたりは一目で惹かれ合う。

エルヴィスはプリシラの父親に交際の許しを請い、デートの際はプリシラをエスコートし、門限を守り、必要以上に手を出さなかった。エルヴィスが満期除隊しメリケンへ帰国してからも交際は続く。

エルヴィスは責任をもって高校を卒業させるとプリシラの父親に約束して、とうとうプリシラをメンフィスの邸宅へ呼び寄せる。プリシラが卒業し、晴れてふたりは結婚する。子供もすぐできた。

大スターの夫、広い家、可愛い娘。欲しいものはなんでも手に入る生活。だが留守の多い夫を待ち続け、プリシラはいつしか孤独になっていく。

 

劇中ファッションが可愛い

 

オープニングナンバーはラモーンズがカバーしたザ・ロネッツの「Baby、I Love You」である。これだけでソフィア・コッポラ監督が今作品で目指した方向性が見えたと思った。プリシラの本当の恋は成就しないだろうと思った。果たしてその通りであった。

プリシラの本当の恋。それはエルヴィスとの対等な恋愛であった。だがエルヴィスはいつまでたってもプリシラを14歳のままで愛しているのだ。高校を卒業し結婚し子供を産み、とっくに成熟した女性となっているプリシラを。

そのくせエルヴィス自身は子供じみているのである。プロデューサーのパーカー大佐に長らく囲われ交際範囲が限定されているせいもあるだろうが、思考も行動も大人の男としての責任感がまるで感じられない。どんなに売れても大佐の犬を辞める勇気が持てない。精神に成長が見られないのだ。

エルヴィス自身の精神が成長していないので、プリシラを大人の女性として見ることが出来ない。これでは対等の関係に成り得ない。

 

あの頃の君が好き

 

エルヴィスとの結婚生活が続く中でプリシラのヘアスタイルが徐々に巨大化していく。それが流行であったからという一面もあるが「私をちゃんと見て欲しい」という欲求の現れにも思える。その欲求は悲痛であり攻撃的であり、しかも滑稽なのである。

 

まだ上品な盛り上げ

 

メイクも濃くなった

 

妖怪じみてきた

 

プリシラのヘアスタイルが徐々に落ち着いてくるのは、プリシラがエルヴィスに期待しなくなってからだ。まあ、時代はビッグ・ヘアからナチュラルなヒッピーヘアが主流になってきたせいもあるだろう。そしてプリシラはエルヴィスとの離婚を決意する。

エルヴィスは最後までプリシラを理解出来なかったし、プリシラはエルヴィスの理想の女を演じることが出来なかった。切ない良作であった。エルヴィスの曲を一曲も流さないところに監督の粋があると思った。