不思議戦隊★キンザザ -5ページ目

謹厳実直 ゴジラ -1.0

WW2末期の1945年、大戸島に1機のゼロ戦が着陸した。パイロットの敷島が降りてきて故障したので修理してくれという。直ちに点検するが特に異常はない。特攻が怖くて逃げてきたのか?命を懸けて戦っているときに?整備兵の橘は不審に思う。

ゼロ戦に故障が見当たらないので修理も出来ず、その日は日が暮れたので敷島は大戸島に一泊する。

 

 

夜中に大きな物音で目が覚めた。敵襲か?外へ飛び出た敷島は信じられない光景を目の当たりにする。怪物がいるのだ。見たこともないような怪物が。怪物は次々とひとを襲い家屋を破壊していく。

「呉爾羅(ゴジラ)だ!」と誰かが言った。呉爾羅とは大戸島に伝わる伝説の怪物、厄災そのものだ。こいつが現れると良くないことが起こる。なぜいまここに現れる?とにかく倒さなければ全滅してしまう!

 

ところが小銃などでは歯が立たない。しかし小さな島のショボい守備隊基地に火砲なんてない。戦時なのに国を挙げて燃料にさえ事欠いているありさまである。くっそう、20ミリ砲でもあれば・・・。あっ、あった!ゼロ戦だ!橘は敷島にゼロ戦の20ミリ砲でゴジラを撃退するよう求める。それ以上の武器はない。依頼された敷島はすぐさまゼロ戦へ駆け寄った。狙いを定めて、しばし逡巡する。そして敷島は撃てなかった。ただの一度も。

 

気が付くと夜が明けていた。敷島はどうやら気を失っていたらしい。怪物はもう姿を消していた。助かったのか?あれは夢だったのだろうか?しかし周りを見渡してみると惨憺たる光景だった。そこここに遺体が転がっている。呆然とする敷島に橘が声をかける。否、それは恫喝であった。

お前が撃たなかったせいで俺たち以外全員死んでしまった。お前のせいで死んでしまった。なぜ撃たなかった。全部お前のせいだ。なぜ・・・。

 

日本が敗けて敷島は日本へ帰還した。とはいえ大空襲を受けた東京は焼け野原、自宅は両親もろとも焼け落ち、残っているのは残骸ばかりである。隣家の奥さんからは「お前ら軍人が情けないばっかりに日本が敗けた」と八つ当たりされる。

なにもない。自分にはなにも残っていない。感情さえどこかへ消えてしまった。それでどうして生きなきゃいけない?どうして自分は生き残った?

感情を失ったまま、なにかを強く憎みたいと思う。しかし憎むべきものがなにか分からない。隣家の奥さんは俺を憎んでいるけれども、憎むべき対象があるだけまだ救われている。俺はなにを憎めばいい?どうやって生きればいい?

 

ある日赤ん坊を連れた女と出会う。女は典子と名乗った。赤ん坊は明子といった。しかし典子と明子は親子ではない。典子は敷島の自宅へ居座り奇妙な共同生活が始まった。敷島は本格的に仕事を探さねばならなくなった。

 

仕事が見つかった。戦争中にバラまかれた機雷撤去作業である。危険な仕事だがカネになる。敷島は一緒に働くひとたちと徐々に親しくなっていった。機雷撤去作業は順調だった。稼いだカネで住居を整え、帰宅すれば典子がいてくれる。赤ん坊だった明子は歩けるようになった。一見、幸福そうな家族に見える。戦争は終わり世間は復興真っ只中である。それなのに敷島は悪夢にうなされる。そんな敷島を、典子は黙って抱きしめる。ふたりはまだ他人のままだった。なぜか。

敷島は自分が結婚に値するとは思っていないからだ。幸せになってはいけないと思い込んでいるからだ。それは特攻隊の生き残りという負い目による。自分が幸せになってはいけないのだから、典子を幸せにしてやることも出来ない。幸せになろうとも、なりたいとも考えてはいけない。

これは現在でも帰還兵の多くが患うPTSDのひとつであろうと思われる。

 

そこへあいつが現れた。大戸島で目撃したときより巨大化していた。ゴジラはあっさりと高雄を沈めてしまう。悪夢は続いている。敷島の戦争は、まだ終わっていない。

 

デケエー!

 

ゴジラが銀座に向かっているというラジオ中継を聞いた敷島は、銀座に働きに出ていた典子を探しに行く。銀座は既に逃げ惑うひとびとでごった返している。その中で敷島は典子をちゃんと見つける。なぜなら愛してるから。なにより大事なひとだから。典子の手をとってその場所から逃げようとしたそのとき、ゴジラの放射熱戦の爆風に煽られ、敷島を庇った典子が行方不明になる。

 

デカ過ぎない?

 

まただ。また死なせてしまった。よりによって一番愛するひとを。自分のせいで。敷島の自責の念はいかばかりか。

 

デカすぎるぜ!

 

連合軍に負けた日本は、次はゴジラという敵に対峙しなければならなくなった。だが日本は武装解除されている。故に軍隊も武器もない。民間でやるしかない。そこで民間によるゴジラ対策機関が立ち上げられ、敷島もメンバーになった。指揮を執るのは一緒に機雷除去をしていた野田である。野田は兵器の開発をしていた技術者だ。日々作戦を練る中、パイロットの敷島に戦闘機でゴジラを誘導する役目が与えられた。武装解除された日本で、たったひとつ忘れ去られたままの戦闘機震電があった。それでゴジラに特攻してやる。最期の花道を飾ってやる。

震電は整備が必要であった。花道を飾るためには最高の整備士がいる。敷島は最高の整備士を知っていた。橘である。だが橘にとって敷島は橘の部下を見殺しにしたにも等しい仇だ。それでも最高の整備士は橘しかいない。敷島は自身の命を懸けて依頼する。橘は震電の整備を引き受けた。

 

作戦当日、上陸したゴジラを敷島が戦闘機で沖合まで誘導、海神作戦(ゴジラを海の底に沈めた後、急速浮上させて水圧でどーのこーの作戦)を開始、これでゴジラは再起不能となるだろう。ならなかった。ダメージを受けたとはいえ海上に浮上したゴジラは背ビレを青く光らせる。放射熱戦だ。ゴジラが熱戦を吐く直前、敷島はゴジラの口目掛けて突っ込んだ。

口に異物を突っ込まれたゴジラは暴発、儚く海の底へ沈んでいった。

 

―略―

 

ゴジラには掟がある。まず大戸島の伝説であること、核で巨大化すること、海から現れること、放射熱戦を吐くこと。そして恐ろしいこと。今作品も例に漏れず大戸島の伝説から始まり核で巨大化、東京湾に現れ品川に上陸、銀座へ侵攻しゴジラのシンボルとも言える和光とツーショット。「臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます」とビルの屋上からリポーターがラジオ中継し、運悪くゴジラの近くを走行していた電車はゴジラに蹂躙される。

ゴジラ上陸シーンはなにもかもが初代の踏襲である。安易な模倣ではない。初代に最大限のリスペクトを捧げているのである。見れば分かる(断言)。

 

ゴジラ禍後

 

さて、ここで問題だ。ゴジラは怪獣映画だろうか?答えはYESだ。だってゴジラ映画だもんな、そりゃ怪獣映画に決まってら。

では怪獣映画とは何か?怪獣が登場する作品である。怪獣が出てくりゃなんだって怪獣映画だ。それでいい。だが怪獣映画というカテゴリーだけに収まらない作品がある。それが初代ゴジラである。核のメタファーとして誕生したゴジラは戦争の落とし子であり、それゆえ初代ゴジラは反核反戦のメッセージでもあった。

では今回は?もしメッセージがあるとしたら、それは一体どのようなメッセージだろうか。

 

おこんばんはー!

 

今作品は敷島の苦悩と再生を丁寧に描いている。登場したときから引鉄を引くことが出来ず、復員して隣のおばさんの八つ当たりを甘んじて受け止め、典子を愛しても決して結婚しようとしない。敷島は重度の心的外傷後ストレス障害を負っている。敷島の時間は止まったまま、そこから動けないのだ。自らを責めながらただ生きているだけだ。

そんな敷島の時間が、典子を失ったときから皮肉にも少しずつ動き始める。ゴジラを倒すという「やるべきこと」を自覚したからだ。そしてそれはひとりでは成しえない。同じ思いを仲間たちと共有し、お互いを必要とする。橘に殴られながらも整備を依頼する。橘を信じているからだ。あのとき、あの島で、敷島の弱さを知った橘を信じている。橘はそれに答える。弱さは悪いことではない。死ぬことは誰だって怖いものだ。それが強いられた死であれば尚更だ。

 

今回のゴジラさんは背ビレがスゴイ

 

敷島はゴジラに特攻するが死んではいない。死のうと思えば死ねたのに。だが敷島は生きることを選ぶ。華々しく散ることより地道に生きる道を選んだ。過去を背負って生きる覚悟を決めたのだ。

敷島は、日本の別名でもある。敷島の再生と戦後日本の再生がリンクしている。

 

トゲトゲスイッチ

 

吐くよ吐くよアレを吐くよ

 

吐いたよー!

 

かように当作品は怪獣映画でありヒューマンドラマである。PTSDを負った敷島の再生を真っ向から描いた、真っ正直な人間ドラマであった。ゴジラも得体の知れない恐ろしさという意味で王道のゴジラである。感動しまくった。ゴジラに感動し、敷島に感動した。残るは典子の首に現れた黒い痣の謎である。

巷では典子の首の痣はG細胞だろうと言われている。マダムもそう思う。G細胞とは、異常に早い再生力を持つ巨大化したゴジラ細胞のことである。これ全て放射線の影響による。

ということで、典子のG細胞、あれは被爆のメタファーじゃないかな、と思った。被爆者は長らく根拠のない差別に苦しんだ。「原爆症(被爆)はうつる」「妊娠に影響がある」「子供に障がいが出る」などである。いまでは科学的に遺伝子に影響はないことが分かっているが、当時は被爆者というだけで就職や結婚に支障がでまくった。自殺者も多かった。

では敷島は被爆した典子を愛し続けることができるであろうか。愛し続けるに決まっている。だって典子なのだから。ゴジラ化したってそのまま受け入れて愛するだろう。そこに希望があるんだ。誰かを知ること。誰かを信頼すること。愛すること。拒絶しないこと。

 

お散歩ゴジラ

 

とんでもない良作が誕生したと思った。素晴らしい脚本だ。初代をリスペクトしてゴジラの方程式に忠実ながらも全く新しいゴジラ映画になっている。そのうえ初代ファンもゴジラ初心者もゴジラを知らない層も楽しめる作品に仕上がっているのだ。なんという構成力であろう。驚きである。

そしてラスト。ちゃんとゴジラの掟で締めくくっている。海中でゴジラ細胞が蠢くシーンで終わるのだ。このラストシーンで山根博士のセリフが脳内に響く。

 

きゃー!いったーい!もうヤダー!

 

「あのゴジラが、最後の一匹とは思えない」

 

セリフがなくとも脳内に直接呼びかけてくるのである!これが計算のうちだとしたら、監督の手腕は大したものである。疑ってごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

有閑マダムの密かな愉しみ 和食が美味い編

師走が目の前に迫っていらんことに忙しいマダムですこんにちは。クローゼットがね、崩壊したのですよ。いままで見て見ぬふりを貫き、まだだ!まだ終わらんぞ!とうそぶいた結果が崩壊ですよ。どうしてこんなに溜め込んだんだ!自分のバカバカバカ!と自己批判しても後の祭り。せっせと分類してスッキリしたいのに全然片付きません。ちなみに分類の内容は「着る服」「着るかもしれない服」「着たい服」「まだ着れる服」です。自我が崩壊しそうです。

ということで自我が崩壊する前に崩壊クローゼットの記憶は抹消して有閑マダムの和食が美味い編にいきたいと思います。

一発目はいつもの鰻重。いつものってーのは川勢の鰻重ってこと。っつーか、ここに通い始めた10年ほど前は同じ値段で肝吸いとデザートが付いてたんだけどなあ。

 

鰻の季節に必ず寄る一軒

 

美味いんだよなあ

 

土佐料理の日本橋祢保希(ねぼけ)。土佐っつったら皿鉢料理が有名だけど、今回はランチコースで。写真見ても料理名が全然思い出せないが全部美味かったことだえは覚えてる。

 

コースターが龍馬

 

こっちはジョン万次郎

 

先付2品

 

かんぱーい!

 

摺り流し、激美味

 

刺身が新鮮なのよ

 

なんだったか忘れたけど美味かった

 

カツオのタタキは一枚がむっちゃ厚い。美味い。ヤバい。

 

プレゼンテーションが良かった

 

こうやってですね、燻すんですよ

 

厚い!分厚い!美味い!オカワリ!

 

三枚肉の炊いたんだったかな

 

や~わらか~なんすよ!

 

〆は炊き込みご飯と御御御付

 

デザートがオシャレ

 

日本橋の新しめのビル内にあって、客層はご近所のファミリーや老夫婦って感じで品が良かった。土佐なのに。

 

さあ次はしゃぶしゃぶよ!しゃぶ禅神楽坂、すき焼きもあるけどやっぱしゃぶしゃぶっしょ!食べる前は腹が空いてるから「もっと肉があってもいいのに」と思うが、食べてるとちょうど良い量。〆はきしめんに餅!ちょうど良いどころか腹パンパン。

 

わくわくわくく

 

きゃーーーー!

 

ええ感じやあああああ

 

わっしょい!わっしょい!

 

うっまそおおおおおお

 

美味し~~~い!

 

餅が入って贅沢だねえ

 

鍋の後はやっぱアイスよ

 

神楽坂鳥茶屋別邸でうどんすき。うどんの美味い季節だよねえ、マダムはうどんが大好きなんだよ。

 

超神楽坂っぽい

 

しつらえがゴージャース!

 

期待が高まります

 

刺身美味かったです

 

があああ!美味かったです!

 

うどんすきセッティング

 

三枚肉と里芋の炊いたん

 

しかし!ここのうどんはうどんというかきしめんのバケモノというか、とにかく「白い粉をめっちゃ頑張って練って反物状にしました!」という物体だった。お椀に取り分けたらもう布団。

 

太い紐状のなにかがあるんですけど

 

一般的なうどんとはかけ離れたビジュアル

 

食後はシャーベットですっきり

 

じゃあ不味かったのかというと全然不味くなく、上品な出汁に喰いごたえのある布団が激美味。さらに腹に優しく溜まり、腹一杯だけど罪悪感はない。うーむ、近所に欲しい一軒である。

 

さて今回の和食編のオオトリを飾るのはまんてん鮨日本橋店!もうね、鮨屋に予約いれる歳になっちまったんだな。ランチだけどな。メニューはおまかせのみ、シャリがデカいってんで最初に小さめをお願いしないと喰いきれない。そんだけネタが多いんだ。では行ってみよう!

 

鮨屋のカウンターに座るのは人生で2回目です

 

スパークリング頼んだら表面張力。これも板さんの見せ場っつーか、腕前?

 

張ってる張ってる

 

一発目はこれだ!といっても何だったのか忘れたというか覚えきれてないので次々と画像を載せる。

 

白身瞬殺

 

ヒカリモノ瞬殺

 

瞬殺

 

あ、これは覚えてるわ、ブリ大根。ブリ大根と聞いて思い浮かべるブリ大根じゃないけど。厚切りブリに大根おろしを載せたブリ大根。

 

厚く切ったブリがそりゃもう天国のようでしたよ

 

こりこりアワビ

 

瞬殺

 

茹でピーナツが意外な美味さ

 

エノキのおすし!

 

箸休めというか休憩というか、そういうアレの何かを途中に挟んで。

 

そろそろ終盤か

 

瞬殺できなくなってきた

 

焼きタラコで喝

 

奈良漬になんか載ってるけどなんだっけ

 

白魚のヅケかな

 

もうそろそろ終わりやろ、と思ってもまだまだ出てくる。

 

酢漬けのごぼうで爽やかに

 

甘エビが甘い

 

ふ~、そろそろ終わりやろ

 

手巻き巻いてるけど誰が食べるんだろう

 

まさかの!手巻き!中身はネギトロ

もうこのあたりでギブアップ寸前

 

シャリ少なめをお願いして良かった。これで普通のままだったらマダムの腹はとっくにはち切れていたであろう。

 

卵焼きなら喰う

 

やっとしじみ汁に辿り着いた

 

まだあるんか~~~い!

 

〆は干瓢

 

完食しました!満腹です!

 

は~~~喰った喰った。いやあ、贅沢な時間だった。ランチは満席、客が喰ってる間にも予約なしの客がガンガン来店、その都度断られてたのを見ると、早めの予約が必須の店だ。ここはまた来店したいので早めにスケジュールを決めて早めに予約しなければ。

 

以上、マダムの食い倒れ日記でした。もうマジ食い倒れてる場合じゃないんだけど・・・。崩壊してるんだけど・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あのときはどうかしてた」

田島享央己さんの個展に行ってきた。すごかった。

 

イカピエタ3Dと2D

 

色遣いがスゴイ

 

画そのものが発光してるんすよ!

 

初日参戦しました

 

なぜ蛸は饅頭をふたつに割るのか

永遠の謎である

 

スマホ画面で見るのと、モノホンをナマで見るのでは全然違う。モノホンは迫力がスゴイ。お彫刻もお絵画もデカい。それでいて色遣いが繊細。いやあ、感動した。行ってよかった。面白かった。

 

墨飛沫シリーズ、贅沢!

 

右上と下の元ネタは野坂昭如と大島渚の

乱闘とのこと(爆笑)

再現度が高い!(爆笑)

 

ロバート・プラント猫が欲しかったけど

これ全部セット売りだそうで無理でした(なにが)

 

ピート・タウンゼント、キース・ムーン

キース・リチャーズ、ビル・ワイマン

 

ご本人さまが在廊されていたのでお彫刻本にサインをいただいた。一体どんなヒョットコ野郎なのかと思っていたが(失礼!)、非常に紳士な方だった。

 

とても丁寧に書いてくださいました

 

ついでにお絵画を一枚お買い上げ。って簡単に買ったみたいに聞こえるかもしれんがマダムとしては清水の舞台から飛び降りて全身骨折で内臓破裂、血涙を流しながらまた清水舞台上って飛び降りてってなことを100回くらい繰り返すほどのお買い物だよ。理性を停止させて手続きしたよ。ムッシューに「いくらしたの?」って聞かれてもスルーだよ。正月が越せるかどうか心配だよ。

 

いやマジで

 

正月の心配をしていると7月に予約注文した「お彫刻コレクション3」が到着したよ!

 

コレクションケース買わなきゃ!

 

ピエタブラザーズ

 

オマケのちくわがカワイイね!さあ、頑張って労働しないとな。地下で中央に軸のついた巨大な物体をグルグル回す仕事に戻るか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スタイルは時を超えて イヴ・サン・ローラン展

ファッション界の女王と言えば、ご存じココ・シャネル。ココは男性だらけの仕立屋業界で、男性デザイナーが提案するバストとウェストにメリハリを持たせた男性目線のスーツではなく、着用する女性自身が動きやすく疲れにくい女性の可能性を拡げるスーツを作り上げた。
女王をココ・シャネルだとすると、では帝王は?言うまでもなく「モードの帝王」と呼ばれたイヴ・サン=ローランである。

 

美の化身、イヴ


というわけでイヴ・サンローラン展に行ってきた。

 

凶器になりそうなカタログ(激重)

 

入場してまず目に飛び込んでくるのは1962年にイヴ・サン=ローランがデビューしたときのコレクションである。マネキンが並ぶランウェイを模した展示から始まる。先頭を飾るのはピーコートだ。現在こそピーコートは定番ファッションのひとつだが、もとは海軍の軍服だった。それを女性スタイルに取り入れたのがイヴである。

 

超スタンダード

 

イヴが定番化したスタイルはいくつもある。それまで男性のものだったタキシードを取り入れたル・スモーキング。

 

パンツなのに色気ある

 

スモーキングといえばこの写真

 

気品があってセクシー

 

アースカラーにベルテッドジャケットの狩猟スタイルを取り入れたサファリルック。

 

色褪せないデザイン

 

サファリジャケットを着たベルーシュカをヘルムート・ニュートンが撮ったこちらの一枚はあまりにも有名。

 

サファリと言えばこの写真

 

トレンチコートは軍服から、ジャンプスーツは落下傘部隊から取り入れて定番化。

 

レザーのトレンチ、カッコ良い!

 

エレガントなジャンプスーツ

 

定番化された作品に古臭さは微塵もない。なぜなら定番化しているからだ(禅問答)。もうこれだけで見ごたえがあった。来て良かったと思った。イヴの創造したナマの作品が並んでいるのだ。圧巻で、壮観だ。これだけのものをこんなに近くで観ることが出来て感無量である。

もちろん他にもたくさんあって、ビーズや羽を使用したドレス、歴史を反映したシリーズ、他国からインスピレーションを得て表現した旅シリーズなど。

 

 

モチーフは古代ローマ

 

中世の禁欲的な

 

ルネサンス

 

ロココ!

 

19世紀バッスル系

 

フラッパースタイル

 

羽でゴージャス

 

スペインがモチーフ

 

帯が日本風

 

イヴはあらゆるアーティストにオマージュを捧げている。ゴッホ、ブラック、マティス、ピカソ。そしてモンドリアン。イヴ自身がアーティストであった。

 

全面刺繍ジャケット

 

手仕事だよな~

 

撮影OKコーナー
どれが誰か分かるかな?

 

保存状態が素晴らしい

 

美しい

 

これもモンドリアンの一枚

 

モンドリアンといえばこの柄

 

バックスタイル

 

イヴは一気に世界へ躍り出て、その名声を確固たるものにした。ココ・シャネルが革命であるなら、イヴは革新である。新しい価値観、新しいスタイルの創造。イヴは「モードの帝王」となった。

 

75年、東京のコレクションにて

 

本展覧会のサブタイトルは「Across the Style」、つまり「時を超えるスタイル」である。

 

ファッションは時代遅れになるが、スタイルは永遠である。

 

イヴの残した言葉である。イヴは流行とスタイルの違いを理解していた。流行を作るのではなくスタイルを創った。スタイルは王道であり、王道は廃れることがない。なんという大事業をやってのけたのだろう。ピーコートもトレンチも、パンツスーツもベルテッドジャケットも、いまでは女性のクローゼットに欠かせない定番中の定番だ。

男性用の衣装に美を見出し女性用に革新する。そしてそれを定番にする。50年の時を超えるどころか、50年前に既にジェンダーを超えてしまっている。それも軽々と。

蛇足だが、ナオミ・キャンベルが1988年に黒人モデルとして初めてパリ版「VOGUE」の表紙を飾った。当時これは事件だった。なぜならそれまで白人モデルしか使わなかったからだ。VOGUEの表紙にナオミを使うようイヴが圧力をかけたことで実現した「事件」である。

イヴは性別や肌の色をスタイルの基準としなかった。彼が基準としたもの、それはただ「美」のみであった。

 

ウォーホル描くイヴ

 

さて、中年マダムがファッションの基本にしているのが「定番」である。定番ならなんとかなるからである。ところが!!最近定番がなかなか見つからないのだ。ボルドー色のVネックニットが欲しいのに、巷に溢れているのは前後で丈が違ったりドルマンスリーブだったりオーバーサイズだったりあるいは丈が短すぎたり形がボヨヨンな「流行もの」ばかりである。そもそもボルドー色がない。

どうなってんだよ!中年女を満足させるようなデザインはないんかい!!こんな変な丈のニットなんか着れるかあああああ!とデパートへ行く度に絶叫している。

デパートで絶叫している中年女がいたら、それがマダムである。

 

 

 

 

 

 

デタラメ映画批評 Vol.44 ※ウルトラマンいます

猫絵師目羅健嗣(めら けんじ)先生の個展を訪問したらウルトラマンが2体いた件を報告したい。初代ウルトラマンのスーツアクター古谷敏氏、帰ってきたウルトラマンのスーツアクターきくち栄一氏である。そこそこお年を召していらっしゃってもマジ超カッコいい!!

 

初代と帰ウルのポーズの違いが分かるね!

 

背が高いわ姿勢が良いいわシュッとしてるわオーラがあるわ、一目でタダモンじゃない感がある。レジェンドはやっぱスゲーわ。

以下の写真は左からきくち栄一さん、古谷敏さん、猫化した目羅先生、一番右の女性は鉄腕アトムの声優を担当した清水マリさんである。大御所大集合である。先生の個展なのに先生を差し置いて撮影会になったことは言うまでもなかろう。

 

撮影タイム

 

わーい!一緒にポーズしちゃった!

 

もちろん目羅先生も猫絵界の実力者であり重鎮である。猫化した容貌に似合わず色鉛筆で素晴らしく繊細な画を描く画家さんだ。

 

色鉛筆でコレ

 

超写実

 

降臨

 

魚の髪飾りの少女と猫

 

全国の猫展で常連の猫絵師先生なので、もし諸兄姉の地元で猫展が開催された際には、是非目羅健嗣先生のブースを探してアイテムをゲットして欲しい。商品はポストカードやクリアファイルなので買いやすいよ。マダムはランタンとかウチワをゲットしたぞ。カレンダーも2部購入済み。

 

ソーラーランタンです

 

マダムが目羅先生を知ったのは何年か前の「猫と怪獣」展である。先生は重篤な特撮ファンなので、まあ、そういうアレで個展にウルトラマンが現れたのであろう。とにかくラッキーであった。

 

 

今年の運はこれで使い果たしたが、もう今年も残り少ないので構わない。B級映画でも見て大人しくしておこうと思う。それではデタラメ一言感想。

 

ワルキューレ

 

ヒトラー暗殺計画「ワルキューレ作戦」を映画化した作品。ヒトラー暗殺計画はいくつもあるが、当計画は国防軍の高級将校らが中心となって進められた暗殺計画であり、それだけヒトラーの独裁政権に危機感を持っていた軍人が内部にいたワケだ。しかしナチス敗戦の空気が濃くなってくるにつれ、ヒトラー自身が暗殺を恐れて身辺の警護を固めていく。暗殺計画は何度も延期され計画は練り直される。果たして計画は実行できるのであろうか?

 

トム様の軍服姿必見

 

面白かった!!歴史を振り返れば分かる通り計画は失敗しているが、そこに辿り着くまでの群像劇が秀逸。ここぞというときに決断できない、保身を考えて天秤にかける、騙す、知らないふりをする。暗殺計画を失敗足らしめた原因は、人間のズルさと弱さだったのではないか。まあそれが独裁政権を許してしまった原因でもあるかもしれない。

 

13時間 ベンガジの秘密の兵士

 

リビアで起こった「2012年アメリカ在外公館襲撃事件」を映画化した作品。このあたりのリビア国内情勢や経緯はちょっと分からんけれども、この事件でメリケン大使が実際に殺されている。これはもう大事件である。

 

地味

 

どうもメリケンがリビアに内密で作ったCIA拠点が襲われたっぽいのだが、CIA拠点と職員を守るために派遣された軍人どもがみんなヒゲを生やしてて見分けがつかない、地元の組織団が敵なのか味方なのか見分けがつかない、襲撃中や逃走中に出てくる地元民が敵なのか味方なのか分からない。体裁を整えられた映画見ててこれなのだから、当時の当事者たちはそれ以上に混乱していただろうな~と謎の説得力ある混乱具合。

メリケンの力が弱ってきていることを外部に示してしまった事件のひとつになったんだなあ、と思った。

 

ミセス・ハリス、パリへ行く

 

家政婦のハリスさんは仕事先でディオールのドレスに一目惚れ。欲しい!と思ったハリスさん、頑張って金を貯める。一攫千金を夢見てドッグレースで全額スッたりしたものの、ようやく目標額に達したので満を持してパリへ飛ぶ。空港で夜を明かし徒歩でやっと夢のディオールブティックに到着。さあ、これで憧れのドレスを買うわよ!と意気込むもののブティックのスノッブな店員に笑われ、嫌みな客に見下される。ハリスさんはドレスをゲットできるか!?

 

元気をもらう系

 

面白かった!!ドレスのためならエンヤコラ、苦労を苦労とも思わず仕事に精を出すハリスさんがチャーミング。ハリスさんを取り巻く登場人物も個性的で素晴らしい。スノッブな店員も実は良いひとだったりして誰も損をしない。ディオールが全面協力してるのでドレスが全力で素敵。ちょっとした事故があるけど、それでもディオールのドレスを着てダンスするラストが完璧。映画館で観とけば良かったわ・・・。

 

ガンパウダー・ミルクシェイク

 

サムは単独で依頼を受ける一匹狼の殺し屋。失敗したことはない。だって一流の殺し屋だったママの血を引いてるんですもの。しかし依頼を受けたある案件で深みにハマっていく。

 

アクションが良かった

 

ガールズ版ジョン・ウィック。テンポ良くてカッコいい。観てて気持ちよかった。サム、昔馴染みの武器屋、人質の少女など、まあ全員女性。いわゆるポリコレ系かも知れんがプロットとアクションの筋が良いのでポリコレが全然鼻につかない良作。面白かった。

 

ラ・ジュテ

 

第3次世界大戦で廃墟となった近未来のパリ。ある青年は過去の記憶に縛られていた。空港、女性、銃弾に倒れる男性。どこの空港なのか女性が誰なのか分からない。いつの記憶なのか、本当に自分の記憶なのか分からない。そんな記憶を持つ青年が「過去へ遡る」実験の被験者となる。時空を超える実験はレジスタンス組織が行っているもので、実体そのものを別の時間軸に送るので命の保証はない。

青年は過去でひとりの女性と出会って恋に堕ちた。そう、ずっと不思議な思い出として記憶の中に残っていた女性である。過去に戻るたびに逢瀬を重ねる。青年は過去と未来を行き来し、レジスタンスから依頼されたミッションに成功する。そこは未来であった。実験は終わった。もう時空を超えることは禁止される。しかし青年は禁止を破って過去へ戻る。禁を破ったからにはレジスタンスに追われるだろう。青年は女性と一緒にどこかへ逃げようと思った。

空港、女性、銃弾に倒れる男性。ああ、あれは自分だったのか・・・・。青年は愛しい女性と懐かしい思い出の中で倒れた。

 

特におすすめはしない

 

1962年制作、30分に満たない短編、モノクロのスライドショー。つまり動画ではなく静止画で進む。そしてナレーションのみでセリフなしである。登場人物の名前もない。実験映画的で不思議な作品であった。

 

アオラレ

 

寝坊して息子が学校に遅刻しそうになる、時間が守れず仕事をキャンセルされる、渋滞にハマってイラつく、信号待ちで前の車を煽る、諭されてキレる。といった具合に全般的にだらしのない女、レイチェル。煽ってキレ散らかした相手が殺人犯だったから、さあ大変。根に持たれて執拗に付け狙われ、弁護士が殺される、弟夫婦が殺される、全然関係ない男性が殺される、息子の学校にも不穏を持ちこむ。これ全部だらしのないレイチェルのせいである。そりゃこんな女離婚されて当然だわ。警察に頼らずひとり行動してしまうところにオツムの弱さが透けて見える。

 

観賞中ずっと腹立ちっぱなし

 

だらしのない女より殺人犯の方が上手なので、いかな殺人犯といえどもつい応援してしまう。お前はもう何人も殺してるんだからレイチェルぐらいサクッと殺ってくれ。自分を顧みず八つ当たりしかしない女を早く殺れ!と応援するものの、生き残ったのはだらしのない女レイチェル。納得いかない。

 

ゴーストライター

 

元英国首相の自叙伝を請け負っていたゴーストライターが事故死したため、他のゴーストにバトンタッチされた。締め切りが近いため新しいゴーストは元英国首相の別荘で仕事部屋を与えられる。元首相にインタビューしたり経歴を調べたり前ゴーストが途中まで書いた叩き台を読むうち、ちょっとしたエピソードが事実に反することに気付く。

元首相はなにか隠してないか?前ゴーストは本当に事故死だったのか?元首相が就任中なぜメリケンを利する政策ばかりだったのか?前首相はどこと繋がっているのか?黒幕は誰だ?

ゴーストライターが真実に近づけば近づくほど、その身に危険が近づいていた。

 

地味

 

ゴーストライダーだと思い込んだムッシューが録画していた作品。ゴーストもライダーもファイヤーも登場せず、ムッシューはあからさまにガッカリしていた。監督がポランスキーってとこで気づけや!

ゴーストもライダーもファイヤーも登場しないが面白くないこともない。

 

DUNE 砂の惑星

 

映画館で観そびれた作品。もう次が始まるってんでアマプラで急いで観賞。155分の長編だったが、全く中弛みなく飽きさせない壮大な内容だった。

 

監督の力量によるのかな

 

スペースオペラの基本が全て詰まっている当作品は、1965年に発表されたSF小説を原作としている。スター・ウォーズのパクリに見えるかも知れんが、スペースオペラの概念を形作ったのはこちらが先である。世界観、歴史、背景に隙がなく、映画化が困難であったことが理解できる。70年代にホドロフスキーが映画化を断念し、80年代にデヴィッド・リンチがかろうじて制作したものの不出来であったため原作者から怒られた曰くつきの物件。当作品は、そんな曰く付き物件を原作に相応しい作品に仕上げた。逆に言えば2021年まで待たなければ映画化できなかったといえる。

第二部が楽しみである。ちゃんと映画館で観なければ。

 

カムイ外伝

 

スローモーションとワイヤーアクションを多用して無駄にスタイリッシュ、青空が青すぎる。悪者が分かりやすく大笑いする。いちいちキメ顔する。そのうえ重要人物が全員辛気臭い。特に小雪。なにこれ?学芸会??

 

チープ

 

カムイ伝もカムイ外伝も読んだことないけど、ちゃんと原作に忠実なの?原作はもっと泥臭いんじゃない?読んだことないからアレだけど、これは違う気がする。なんかもういろいろ酷い作品。

 

どら平太

 

江戸から派遣された町奉行が藩の上役と無法者の癒着を暴く痛快時代劇コメディ。

 

豪華

 

役所広司、片岡鶴太郎、宇崎竜童が主役を務め、更に大滝秀治、菅原文太、石倉三郎、石橋蓮司らの大物俳優が脇を固める。2000年公開当時この配役は画期的だったと思われる。ちゃんと地に足が着いた感じがあり、どっしりとしているけれども軽快にテンポ良く進む。登場人物は多いがベテランとプロットのスジの良さで分かりやすい。大変上質で贅沢な邦画である。良作。

 

ヴァチカンのエクソシスト

 

アモルト神父は信心深いが狂信的ではないヴァチカン公認上級エクソシスト、症状によってはカウンセリングを主として悪魔祓いする常識的な人物であった。悪魔憑きはほとんどが心的ストレスを原因としている。ところがマジモンの悪魔憑きが現れた。しかも質の悪い悪魔である。神父は少年に取り憑いた悪魔を祓うことが出来るか?

 

娯楽映画!

 

オカルトだから全然興味を持たなかったが、オカルトではなく少年ジャンプだから見た方がいいよ、と勧められて見てみた。オカルトっぽく始まって悪魔が姿を現したと思ったら神父とその弟子が悪魔と本気で戦うアクションへ突入。悪魔が現れた!よーし十字架だ!爆殺ドカーーン!ふたりで力を合わせて悪魔を退治!また悪魔が現れてもふたりで退治!とバディ映画に着地した。終わってみれば大好物な物件だった。

 

ジョン・ウィック コンセクエンス

 

延々ガンアクション。ずーーーーっとガンアクション。呆れるほどにガンアクション。ガンアクション以外のなにものでもなく、ガンアクション以外にはなにもない。キアヌが「もう辛い」と言ってシリーズに終止符を打ったが、これを観ればキアヌの気持ちが分かる。マダムも途中で飽きた。

 

ちょっと疲れが出てきた娯楽映画

 

目羅先生の個展続き。先生の紙芝居や歌も終わって(どーでもいいけど先生はゼットンのモノマネが超上手い、声も無駄に良い)、気が付いてみると正座をした先生が大御所に囲まれていた。マダムは見なかったことにした。

 

これは良いショット!

 

※先生は怒られているわけではありません。なごやかに会話しているのであります。