清く正しくTRASH MOVIE! ベルサイユのばら
このブログで何度も表明しているので既にご承知の方もいると思うが、マダムはベルばらファンである。ベルばらというのは池田理代子の漫画「ベルサイユのばら」のことである。原作は漫画だが、スケールのデカさと繊細な人物設定で骨太な歴史大河とも言うべき作品は熱狂的ファンを生み出し、アニメ化され、宝塚でも上演され、オールフランスロケで映画化もされた。
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監督は「シェルブールの雨傘」を撮った奇才ジャック・ドゥミ。一応名の通った監督なので度々名画座で特集が組まれるが、マダムの知る範囲では一度も「ベルばら」が上映されたことはない。
巷では「幻の作品」と囁かれていた映画版ベルばら、今回のジャック・ドゥミ特集の一環として、たった一日だけのベルばら上映会が開催された。これを逃したらいつ見られるか分からない!
ということで、同じくベルばらファンの女神と一緒に行ってきた。
今更あらすじをくどくど説明しても仕方ないので、結論から言う。いろいろと酷い映画であった。この「酷さ」は、映画が始まってすぐ分かってしまうほどの酷さであった。
ベルばら映画についてある程度の悪い噂は聞いていたが、そこは百戦錬磨のマダムである。ちょっとやそっとで動じることはなかろうと鼻を括っていた。それを油断だと指摘するなら、マダムは素直に認めよう。マダムは油断していたのだ。
初っ端から想像を遥かに凌駕するB級臭に、マダムは「こんなはずではない!」と、大いにうろたえたのである。
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ベルばらだから当然フランス語だろうと思っていたら、なんと英語だったのであるでござる!!(←気が動転している)
冒頭は漫画に忠実に、ジャルジェ将軍が赤ん坊(オスカル)が生まれるのをソワソワと待っているシーンから始まる。将軍とばあやのマロン・グラッセ夫人が短い会話を交わすのだが、いきなり英語。
あれ?フランス語じゃない・・・え・・英語?舞台はフランスだし監督もフランス人なのに?なんで?なんで?
フランス語でないことに驚いたマダムは、英語だと理解するまでに多少の時間を要さなければならなかった。
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美しいフランス語を期待していたマダムは、もうここで憤懣やり方ない気持ちになり、早速眉間にシワを寄せてしまったが「いや、しかし」と思いとどまる。ソフィア・コッポラの「マリー・アントワネット」という好例もあるではないか。あれも破天荒な映画だが、自由奔放なアントワネットを軸足にしたブレなさ、開き直ったポップさにマダムは好感を持ったのだ。
フランスを舞台にした映画に、フランス語は必ずしも必要ではない。うん、そうだ。内容が素晴らしければ英語だろうが日本語だろうが、何だっていいんだよ。素晴らしくさえあれば。オスカルさえカッコ良ければ・・・。
カッコ良いはずのオスカルは、非常に女性的であった。化粧はしてるし線は細いし声も女声だし、何一つオスカルっぽい部分がない。いくら男装の麗人といえども、青いシャドーは如何なものか。
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アンドレがおっさん臭い。マダムが理想とするアンドレは、ワイルドで黒髪の痩身の青年である。しかし映画版アンドレは黒髪ではないし、精悍さもないし、ワイルドというよりただの下男のような華のなさである。アンドレ好きのマダムは盛大にガッカリだ。
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フェルゼンはあまり出番がなかったが、見た目の優男具合は、漫画のフェルゼンより史実のフェルゼンに近いのかもしれない。
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で、一番酷いのがマリー・アントワネットである。ベチャベチャと英語でしゃべるアントワネットに女王のオーラなど皆無、どこの芝居小屋の下級女優か?というほど酷い。脳味噌の軽さは仕方ないが、品のなさがダダ漏れしているのはいただけない。
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ロザリーもダメだ。清純さも可憐さも持ち合わせていないうえ、年増の商売女のような外見である。本当にダメだ。何もかもダメだ。
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さて、まず役者陣を攻撃してみたが、映画で最も肝心なのはプロットである。いかな役者陣が大根であろうが、プロットさえしっかりしていれば大丈夫なはずである。なにより泣く子も黙るベルばらである。どこを切り取ってもドラマティック、捨てコマは一切ない。
ところが映画のベルばらは、原作の気高さや力強さが一切ないのだ!!素晴らしい原作を骨子にしたにも関わらず、なぜこんなに詰らない作品になってしまったのか?あの偉大なる原作から、こんなZ級(B級にも及ばない)の作品が生まれたなんて、ある意味奇跡ではなかろうか。マジックではなかろうか。ケミストリーではなかろうか。
では、とりあえずドラマの進行をダラダラ説明してみようと思う。
先ほども書いたが、オスカルの出生シーンから映画は始まり、アンドレと剣の練習をしながら大人になっていく。といっても、生まれてからアントワネットの護衛になるまで、ものの5分程度である。
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時代は18世紀後期、貴族たちはヴェルサイユで見栄を張り合い、民衆は腹を空かせていた。今日も今日とて、アントワネットはポリニャック夫人と一緒にドレスを選んだりカードゲーム賭博に勤しんでいる。貧民街では洗濯女のジャンヌが「貧乏はいやだ!」と叫んで家を飛び出し、妹のロザリーが道端で春を売ろうとしたところ、母親が馬車にはねられる。オスカルはド・ゲネメ公爵と決闘し、酒場で飲んだくれてたらロベスピエールに会って大乱闘、おっぱいを出したまま寝る。
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金持と結婚したジャンヌが首飾り詐欺を企み、オスカルは女装して舞踏会に出席、フェルゼンとダンスを踊ったあと、バルコニーで涼んでいたところをアンドレに襲われる。
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アントワネットは新しい財務長官のネッケルに金遣いの荒さを指摘されるも、王妃の庭園を建設することにうつつを抜かし、オスカルは辞職を願い出てフランス衛兵隊に異動、そんなときオスカルに結婚話が持ち上がる。結婚相手は美貌のジェローデル大佐。だが婚約発表当日、オスカルは軍服で現れた挙句、女性をダンスの相手にした挙句、なんとキスまでかまし、ジェローデルの求愛を退ける。
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(でもジェローデルはそんなオスカルにゾクゾクしたみたいなので、彼は少々Mっ気があるのかもしれない。というか、ある。確実に)
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そんな折、パレ・ロワイヤルでベルナール・シャトレがアジり、革命への機運が急激に高まる中、三部会が開かれる。警備についたオスカルだったが、同じく警備にあたっていたブイエ将軍に盾突いて投獄される。このことを知った父親のジャルジェ将軍は激怒、オスカルと剣で決闘してみるものの、途中参加のアンドレに負かされ、落ち込む将軍。
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オスカルはアンドレに愛を告白し、運命の日を向かえる。ふたりは連れ立ってバスティーユ(?)に向かった。さあ、問題はここからだ。
あちこちから民衆が現れ、狭い路地を埋め尽くす。民衆たちは手に手に武器を取って同じ方向を目指していることから、目的はバスティーユなのであろう。オスカルとアンドレも民衆の渦に合流する。が、ふたりはまるでデートを楽しんでいるかのような、明るい表情なのである!!
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ちょっと待て!!お前ら肩なんか組んでイチャついているが、この状況を理解しているのか?これは革命だぞ?
オスカル、お前は何もかも捨てて革命へ飛び込んだのではなかったか?それが何だ、この有様は!!遊びで革命をやってんじゃねえぞ!
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と、突然銃声が響く。国王の軍隊が民衆に向けて引鉄を引いたのだ!民衆の群れは突然の発砲に騒然となり、オスカルとアンドレははぐれてしまう。アンドレを見失ったオスカルは、革命そっちのけでアンドレを探す。しかしアンドレは背中に銃弾を受け、ひとり道端で倒れていたのだった。
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オスカルが半泣きになりながらアンドレを探している間に、バスティーユが陥落し塔に白旗が翻る。だがアンドレ探しで忙しいオスカルは白旗にも気付かない。
路地で勝利を祝う民衆とは対照的に、相変わらずアンドレの名を呼びながら探し続けるオスカルであった。
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-完-
もう・・・・・なんと言っていいか・・・・。どうしましょうかね、これ・・・・・。
振り上げた拳を、何処に、誰に向かって振り下ろせばいいのでしょうか。
とにかくいろんなエピソードが詰め込んであるので、状況描写が大雑把。まあ、漫画の9巻分(外伝は除外、最近新刊が出たので全11巻になった)を2時間そこそこにまとめなければならないので、ある程度は仕方がないがエピソードの取捨選択が出来ていない。また、一番大切な時代背景や登場人物の関係性が分かり難い。最初から最後までやっつけ仕事なんだろうなあ、と思わせる酷さである。
マダムが筋を理解できたのは、漫画を読んでいるからだ。ベルばらを知らないひとにとっては、一体なんの話なのか、誰が主人公なのか、オスカルが何者なのか、一切分からないであろう。
そしてなにより、クライマックスのバスティーユ襲撃がショボい。っつーか、バスティーユじゃねえだろ!っつーか、その前にベルナール・シャトレがアジってんのもパレ・ロワイヤルなどではなく、どうみても「町内の曲がり角」である。
(ロケ地はサンリス とのこと)
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バスティーユ牢獄においては、全体像を写すことなく、一部のそれっぽい塔を「バスティーユ」としてゴリ押しでお茶を濁す。
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しかし、パレ・ロワイヤルが町内であろうが、バスティーユ広場が村の広場サイズであろうが、牢獄がハリボテであろうが、オスカルの最期さえ原作に忠実であれば、起死回生満塁ホームランで気持ち良く終わったであろう。なぜ、このような終わり方にしたのか理解に苦しむ。
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本当のオスカルはテュイルリー広場の暴動で愛するアンドレを失っても、革命を諦めたりしない。バスティーユ襲撃で狙撃され重傷を負っても、命令を辞めたりしない。
そして白旗を確認してから、心おきなく死んで行くのだ。それがオスカルなんだよ!
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オスカルの最期
この映画は「ベルサイユのばら」というタイトルを冠していても、ベルばらの精神を全く継承していない。羊頭狗肉とはこのことだ!
ベルばらがなぜ素晴らしいのか?40年前の漫画がなぜ今でも人気が衰えることなく語り継がれているのか?ファンはベルばらの何に熱狂しているのか?
制作側は、そんなことが一切分からなかったのだろう。というか、ベルばらを読んだことはないのだろう。池田理代子もよくオッケーしたもんだ。ベルばらファンが暴動を起こすほどの出来だぞ。
そんな映画「ベルサイユのばら」、フィルムセンターに所蔵するため新しくプリントしたらしいので、もしかしたらこれからちょくちょく上映されるかも知れないぞ!
ところで、まさかベルばらで欲求不満を感じるとは思っていなかったマダムは、このままでは精神の均衡を崩してしまうだろうと憂慮し、帰宅してすぐにツヴァイクの「マリー・アントワネット(中野京子訳)」を服用した。これが原因であろうか、妙な夢を見た。
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水道の水が止まらなくなり困っていたところ、祖母が「ここに電話しろ」と寄こした番号へ電話をかけた。相手はなかなか電話へ出ず、電話は延々と相手を呼び続けている。どこに掛けているのだろうと思ったマダムは、祖母が手渡した電話番号の氏名欄を確認した。そこには「ルイ16世」と記してあった。
祖母がなぜルイ16世の電話番号を知っているのか?そもそも祖母は施設へ入っているのではなかったか?いつの間に帰って来たのだろう?という疑問は夢なので更々持たず、「錠前作りが得意な16世だから、水道管の工事も得意なんだろうなあ」と考えながら、なかなか電話にでないルイ16世を待ち続けたのであった。
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