宮中晩餐会で垣間見る日本の心意気 | 不思議戦隊★キンザザ

宮中晩餐会で垣間見る日本の心意気

明治記念館で「明治宮廷のダイニングホール」という面白げな展示をやっているというのでヨチヨチ行ってみた。

 

11月9日までやってます

 

どんだけ豪華な展示物があるんだろう!と期待したが、なんていうか、思ったより地味だった。否、地味っつーか、展示物が少なかったのである。まあ無料だからしゃーない。っつってつらつら見てると、これが結構面白く、なにが面白いかっつーと当時のメニューが面白いのである。メニューの面白さはあとで語るとして、展示物の一番の目玉は銀製のボンボニエールであった。

 

「諫鼓鶏形」大正10年

 

手前:「鳩に地球儀」大正10年、後ろ:「桶形」明治44年

 

ボンボニエールっつーのは、宮中晩餐会出席者に配られる土産、いわばお持たせってやつで、掌に乗るほどの小さな蓋付の器に金平糖を詰めたものである。ちなみにボンボニエールのお持たせは近代になって始まった慣例である。

 

「武家兜形」大正9年、どこに金平糖を入れるんだ!

 

精巧な意匠が凝らされた銀製のボンボニエールは、見れば見るほど小さな芸術品であった。

 

「冠形」昭和10年、金平糖は?

 

「兎置物形松鶴文」大正13年、箱型だから金平糖は入るね!

 

展示されているボンボニエールはほぼ明治・大正期のもので、まあ銀だから磨けば光るワケだけど、それにしても下賜されたばかりかと見紛うほどの保存の良さには驚いた。さらにこれらは全て個人蔵であった。うーん、素晴らしい。欲しい。

 

「入目籠形」大正4年、即位の礼に使用される祭器具にちなんだ意匠とのこと

 

「扇形竹文」昭和10年、伊達家にちなんだ竹文様があしらわれています

 

では当時の宮中晩餐会にはどのような料理が出されていたのだろうか?その期待に応えるべく、当時のメニュー表がいくつか展示されていた。宮中晩餐会はフランス料理と決まっている。当時は西洋料理と呼んでいたが、その西洋料理の日本語料理名が現代の我々にとっては難解なのである。例えば

 

さあ、みんなで考えよう!

 

上記は明治18年2月5日の晩餐会メニューである。フランス料理の名称を日本語に訳したのだろうと思うが、名称だけ見てもどんな料理か皆目分からない。2品目の付け合わせらしき「掛汁馬鈴薯」ってなんぞ?馬鈴薯がイモなのは分かる。しかし「掛汁」とは?イモになんらかの汁がかかってるのだろうということまでは想像できるが、汁がいったいどのような汁なのか分からない。更に5品目、「菌」。菌って。食べたらマタンゴ化しそうだ。そんなものを晩餐会に出したのか?では、これらの答えを確認してみよう。

 

明治十八年二月五日

晩餐献立

 

一品目、泥亀濁羹→すっぽんスープ

二品目、洋酒蒸鱒 掛汁馬鈴薯→サーモンの洋酒蒸し ジャガイモ添え

三品目、冷シ肉詰雉子 凝汁→きじのテリーヌ ゼリー添え

四品目、皿焼牛背肉 野菜→牛ロース肉のグラタン 野菜添え

五品目、牛乳煮仔牛肉 菌(出たぞ!菌だ!)→仔牛のクリーム煮 トリュフ風味

六品目、葡萄酒煮鴨 雁肝付麭包→シギのワイン煮とフォアグラのパイ包み

七品目、湯煮花菜 牛酪白汁→茹でカリフラワーのバター和え

 

ええっ、掛汁馬鈴薯ってただのイモの付け合わせだったのーーー!?汁なんか掛かってないじゃーーーん!あっ、でも実物は汁が掛かってたのかな。しかしそれでは付け合わせとしてはちょっとアレだよな。もしかしてピュレのことか?うーん、答えが分かっても謎は残るぞ。

そして「菌」はトリュフであった。なんだー、トリュフかあー。良かったー。っつか、それなら菌じゃなくて茸でいいじゃん!「菌」って書かれたメニューを読んだ日本人参加者はきっとドキドキしたに違いない。しかし不可解なのは他のメニューではちゃんと「茸」と表示されているものもあり、当時のフランス料理日本語訳の奮闘ぶりがうかがわれて微笑ましい。茸はマッシュルーム、トリュフを菌としたのだろうか。でもよく考えると明治期にトリュフってスゴイよなー。

泥亀濁羹の羹はあつもののことで、これが清羹(せいかん)となると澄んだコンソメスープになるらしい。なるほど!なぜか鱒(マス)がサーモンだったりグラタンが皿焼だったり花菜がカリフラワーだったり、非常にオリジナリティー溢れる(?)邦訳ではあるまいか。連想ゲームみたいで面白い。

そのほかの展示品は会食者に配られたメニューカード、献立表をまとめたノート、招いた賓客とその席順、赤坂仮皇居を描いた錦絵など。

 

レシピブックかな

 

招待者に配られたメニューカード

 

国際色溢れる晩餐

 

これでメニューは大体分かった(ことにする)。分からんのは、本当にちゃんとした西洋料理が提供されていたかどうかだ。ということで、当時のメニューを再現したレプリカがあった。明治20年5月13日「ドイツ国ヘッセン州公族 フリードリヒ・ヴィルヘルムとの午餐」でサーブされたコースである。

 

かなり腹一杯になるぞ

 

ブリオシュにフォアグラを詰めた前菜

 

澄み切った清羹が美しい!

 

おおおおわあああああああ!ちゃんとしてるやんけ!ある意味スゲーぜ!黄金色に澄んだコンソメスープ、美しく盛り付けられた魚、羊のコトレットなどなどなど。メインは「トリュフ入り七面鳥のロースト、ウズラのローストとともに サラダ添え」、デザートも数種あり、立派なフランス料理のコースである。外国の賓客が出席する晩餐会に挑む料理人の心意気が伝わってくるようだ。

 

ウズラを乗せたバスケットがモダン

 


ツートンカラーのアイスクリーム

 

この堂々としたフランス料理を提供したのはフランス人シェフではなく、秋山徳蔵という立派な日本人であった。宮内庁の主厨長を長らく務めた人物である。

 

すんごく面白い

 

秋山氏が西洋料理と初めて出会ったのは、福井県鯖江市に駐屯していた歩兵第36連隊の炊事場であった。見たこともない美しい料理から、なんとも言えぬ滋味溢れる香りがただよっている。兵隊さんに教えてもらって、それが西洋料理であることを知った秋山くんは、そのときの衝撃をこう語る。

 

その料理を作っているのは一人の兵隊さんなのだ。これは何というものだときくと、西洋料理だという。西洋料理というものは、きれいなものだなア、いい匂いのするものだなア―――、それが私の心に灼きついてしまった。
あんなものをつくるんだから、えらいんだなア―――

 

秋山氏のこの素直な感動に、マダムは強く首肯する。美味しい料理を作るひとは問答無用にエライのである。

 

欧州での修行話、料理に対する熱い情熱、3代の天皇にお仕えした料理人らしく、そのあたりの小話が滅法面白い。歯切れがよくて磊落な文章も読みやすい。一流の料理人は、一流の文章家でもあった。

 

さて現在でも外国から国賓を迎えると必ず晩餐会が催される。これを無駄だと説く者がいる。晩餐会は既に形骸化しており意味を持たない。それなのに多大な税金を使って贅沢な飯にウツツを抜かすなど言語道断、宮中晩餐会は不必要である、と。本当に無駄なのだろうか?無意味で不必要なものだろうか。必要だとすれば、どういった意味で必要なのだろうか。そもそも晩餐会はどのように位置づけられているのだろうか。そんな疑問に明快に答えてくれるのがこちら。

 

フォーサイトの連載でおなじみ

 

タイトルが「知られざる皇室外交」とあるように、日本にいるからこそ分らない皇室外交について理解の深まる一冊である。著者の西川氏は国際政治を専門としながら皇室外交をフォローしている毎日新聞(!)の元編集委員で、記者時代は長らく外信部に在籍していたことから、日本の外側から皇室を眺めることが出来たのであろう。

 

さて、宮中晩餐会でサーブされるワインはフランスの最高級のものだという。ここに意味がある。どんな相手でも最高級のワインを提供されるのだ。「そんなの当たり前じゃん」と思うだろう?ところがこれが世界の非常識なのである。非常識っつーのはちょっと語弊があるな。えーと、まあ、差をつけないというか、相手によって提供するワインを選ぶことはないのだそうだ。どういうことかというと、公平ってやつだ。
外交に政治的駆け引きは不可欠である。それは各国の晩餐会で当たり前のことである。今日の相手は重要だから高いワイン、明日の相手はあんまり重要じゃないから2級品でいいやっつって格付けするのが普通なのだ。それは英国宮廷でも変わらないという。
しかし皇室に至っては、相手が米国大統領であろうがアフリカの小さな国の大統領であろうが全力で最高級ワインをサーブする。我々はあなた方を計ったりしませんよ、というサインである。もちろん陛下が政治的に計ったりすることは絶対にないのだが、ワインはそれを相手に伝える手段になっているのだ。なんというエレガンスだろう。

宮中晩餐会を無駄だと説く輩に、このエレガンスっぷりは分らんだろう。

西川氏は本著の中で「皇室外交は最高の外交資産」と述べている。戦前だったら不敬罪かも知れん。だが、本書を読み終えたいま、マダムもそう思う。日本はとんでもねー切り札を持ってんだなーと改めて思ったのである。

あと、国内でもそうだが海外に出られたときも、出来るだけ一般のひとたちと触れ合おうとなさる。それも天皇というお立場からではなく、ひとつの個人として、お互いを分かち合おうとなさるのである。その姿勢にマダムは何かに似てるな、と思った。そうだ!草の根運動だ!

陛下が動くと世界が動くまでの陛下が、そりゃもう地道に草の根運動をなさっているのである。ということは、宮中晩餐会も草の根運動の一環だと言える。この草の根運動を、我々は支えていかなければいかんなあ、と思った。

ところで諸兄姉は陛下を目の前にしたことがあろうか?マダムは、ない。まあ、さほど皇室ファンってほどでもないし、早起きしてわざわざバンザイしに行こうとも思わない。しかし一度だけ、その幸運に与りそうになったことがある。
以前働いていた組織で100周年記念行事を開催することになり、なんと両陛下がご臨席されるというのだ。興奮したね。他にも当時首相だった小泉さんとか官房長官の福田さんとか各国大使とか来るってんで、盆と正月が一緒に来たみたいに盛り上がったね。
そんで、職員ひとりひとりに当日の仕事っつーか、現地での役割が割り当てられた。マダムに割り当てられた仕事は「電話番として事務所に待機」であった。当日、マダムを含む3名の電話番は、支給されたちょっと豪華な弁当を食べながら「何を基準に電話番にさせられたのか」を延々と語り合った。たぶん、遅刻かな・・・。

後日、同僚に両陛下のご様子を聞いてみると「すごく白かった」という返答であった。白かった・・・か・・。

 

 

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