ありのまま輝くあなたへ
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こんにちは
パーソナルスタイリスト
森川恵子です
新元号 令和
に決まりましたね
昨日
人生初の号外をもらいに行こう!
と思い立って出掛けた私です
向かったのは新橋SL広場
結果
間に合わずもらえませんでした
でもね
間に合っていても
もらえなかったと思います
それどころか怪我していたかも
そう思うのは
このとき私
反対方向へ向かう電車に乗り間違えたり
乗り換える駅を乗り過ごしたり
行き慣れている新橋なのに
普段ならあり得ないことが起こったのです
それで約15分のタイムロス!
新橋SL広場に着いたときには
片手に靴を持って掲げている人
片足しか履いていない
ボロボロの号外を持って
しゃがみ込んで具合悪そうにしている人
見たこともない凄い状況がありました
これは きっと
私は守ってもらったんだ
そう思いました
ところで
はい!今日の本題です
[昭和のファッションを振り返る]
昭和36年 1961年生まれの私
昭和を27年半生きてまいりました
私にとって昭和は
ファッションに目覚め
もっともファッションに興味を持ち
ファッションに触れた時代でした
私のファッションの原点はこれ
ananです
1970年創刊なんですね
この頃
家の近くにジーンズショップができて
母とベルボトムのジーンズを
買いに行ったことを覚えています
私が実際にananを読みはじめたのは
それから4年後 13歳の頃でした
歌手の雪村いずみさんのお嬢さんが
特集されていて
そのスタイルの良さと豪華な暮らしぶりに
驚いた中学1年の私でした
中学生時代のことで記憶に残っているのが
中学2年だったかな
アメフトシャツにスリムなカラージーンズが
地元で流行っていて
お友達4人で
「遠足にお揃いで着よう!」ってことになり
ジーンズショップにお年玉を持って
初めてお友達と買い物に行き
メンズサイズのアメフトシャツを
買いました
その時の嬉しさったら
ですが!
家に帰って母にそれを見せたら
「そんな不良が着る服!
返して来なさい〜!」って
凄い剣幕で怒られてしまったのです
なんて理解のないつまらない母親だろう
そう思いました
で
私のお年玉で買ったものだもの
返さずに隠し持っていて
遠足当日
母が買ってくれた
そこそこフィットしているサイズ感の
ダサいアメフトシャツにを着て
赤のスリムのカラージーンズを履いて
リュックの中に
私が買ったメンズサイズの
イケてるアメフトシャツを忍ばせて
家を出ようとしたその時
「リュックの中のもの出しなさい!」
って
ウソでしょーーーな鬼の一言
母は見逃さなかったのです
お友達3人は
イケてる色違いのアメフトシャツ
この日の遠足が楽しくなかったこと
今も覚えています
そしてその頃から
50s フィフティーズというファッションが
原宿で流行りました
時事通信社より
時事通信社より
まだラフォーレ原宿がない時代
原宿プラザだったと思うにあった
赤富士という古着屋さんがカッコよかった!
ボーリングシャツに
サーキュラースカートかデニム
靴はサドルシューズ
リーガルのサドルシューズを買うのに
お年玉を貯めました
雑誌はMCシスターを愛読
発売日が楽しみでした
草刈正雄さんの奥様が
この雑誌のモデルさんで
大好きでした
50s フィフティーズに夢中な一方で
今も人気のPapas パパスのオーナー
荒牧太郎さんのショップ
マドモアゼルノンノンという
路面店が大好きでした
細長い店内 に
色々な太さ、カラーのボーダーTシャツが
ずらりと棚に並べられていて
パリっぽくて行ったことないけど
素敵でした
因みに
マドモアゼルノンノンができたのは
1964年です
当時原宿に住んでいた
私の叔父叔母もよく通っていました
↓これね ポラロイドで画質スゴイけど
胸のマドモアゼルノンノンのロゴが
見えないけど
これは高校2年かな
珍しくオーバーサイズです
この頃の原宿
ドラマにもなったりして浅田美代子さん主演
ファッション 美容 アート
大好きな人たちが集まっていて
ものすごく夢がありました
それは今も変わらないのでしょうね
さて
この後に流行るのがDCブランド
そしてカラス族
ラフォーレ原宿でできたのもこの頃
1978年2月です
私としては
この頃からファッションシーンが
ガラリと変わった感覚があります
次の記事に書いていきます
私と同じ時代の方は
懐かしいと思ってもらえたら
嬉しいです
ずっと若い方は
もしかしたらお母さんが
同じようなファッションを
していたかもしれないですね
へぇ〜 面白い!と思ってもらえたら
嬉しです
それにしても
あの当時の服や雑誌
少しでも取っておけばよかったな
なんて断捨離好きな私が
今思っています
1980年代へと続きます
よろしかったらお付き合いくださいませ