◆ 火吹く人たちの神 ~10





早くも10本目の記事。
このペースでいくと、100本くらいの記事数になるんかな?


谷川健一氏が遺された偉大な成果は…

一文字ずつ丁寧に拾い吟味し、
そこに近年の考古学上の成果等を付け足すと、
みるみる鮮やかなものとして蘇ります。

個人的にはテンション爆上がり中↑↑↑


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■ 過去記事
~1 … 序
~2 … 耳と目の結婚(1)
~3 … 耳と目の結婚(2)
~4 … 耳と目の結婚(3)
~5 … 耳と目の結婚(4)
~6 … 耳と目の結婚(5)
◆第一部 第一章
~7 … 銅を吹く人(1)
~8 … 銅を吹く人(2)
~9 … 銅を吹く人(3)

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第一部 青銅の神々
第一章 銅を吹く人

■ 「和名抄」が記す六カ所の伊福郷と銅鐸出土の成否

「和名抄」(正式名称/「和名類聚抄」)とは、承平年間(931~938年)に源順(ミナモトノシタゴウ)が編纂した書。
現代で言うところの国語辞典、漢和辞典、百科事典を総括したような当時の万能書。律令制の行政区画である国・郡・郷も掲載されています。

「伊福部氏」と「銅(銅鐸)」の関係を証明していく作業を谷川健一氏は進めていきます。「和名抄」に掲載される「伊福郷」を抽出しています。

(1)大和国宇陀郡伊福郷
(2)遠江国引佐郡伊福郷
(3)尾張国海部郡伊福郷
(4)美濃国池田郡伊福郷
(5)備前国御野郡伊福郷
(6)安芸国佐伯郡伊福郷

「伊福」に通じるものとしてもう一つ
(7)長門国意福駅



◎大和国宇陀郡伊福郷

「大和志料」は現在の榛原「福西」であるとしています。八咫烏神社の西方。


続紀には、和銅六年(713年)に宇太郡(宇陀郡)「波坂郷」の役人が「長岡野」の地で銅鐸を得たとあります。

「波坂郷」も「長岡野」も所在地は不明。「大和志料」や「地名辞書」などが、岡田小秦命神社の「岡田」に推定しています。後の(現在の)宇陀市「小和田」。

谷川健一氏は、これらに「伊那佐山」を関連付けて考えることを留意する必要があると説いています。
━━イナサは東南風を指すが、それはまた溶銅とも関連がある地名と思われるからである━━

谷川健一氏が指摘していないものの、私の方から2点挙げておきます。

*刀匠「天国(アマクニ)
「伊那佐山」岡田小秦命神社との間の菟田野稲戸に八坂神社が鎮座。こちらは「日本刀剣の祖」とも言われる伝説の刀匠「天国(アマクニ)」所縁の地。「鉄」と「銅」とは異なるものですが付記しておきます。

「伊那佐山」を神の宿る霊峰として、その遥拝所、或いは「伊那佐山」に対して祭祀が行われたのが八咫烏神社ではないかとする説があります。「福西」はその隣村であり、こちらも関連付けられる可能性があります。


八咫烏神社境内から鳥居越しに「伊那佐山」を。



◎遠江国引佐郡伊福郷

現在の静岡県引佐郡(いなさぐん)細江町気賀。浜名湖の北東に位置します。

6~7年前の駿河・遠江遠征旅行の際はここは通っていないかも。「天竜川」沿いを一気に駿河灘まで下り、そのまま西の「浜名湖」へ移動した記憶が…。

現在も気賀内に「伊福」の地名が残っているとのこと(執筆当時のこと、現在は不明)。そこから昭和八年に銅鐸が出土。気賀駅の北側に「銅鐸の歴史民俗資料館」というのがあり、おそらくそちらであろうかと思います。

また東隣の細江町中川から銅鐸5体が出土。この辺りが古代の集落の中心地であったとみています。

この「細江町」は赤石山系の支脈と三方原台地とにはさまれたようなかっこう、間を「都田川」が流れています。つまり西南の風を誘い込むようにして湖の北東に位置していると。

遠州浜松の「凧上げ」は有名、細江町でも盛んに上げられるとのこと。この風が製銅、製鉄に生かされたとみています。

大和国宇陀郡の「伊那佐山」と、遠江国の「引佐郡」と、ともに「イナサ」。

柳田國男氏の「風位考」によると、「イナサは海の方角から吹く東南風というのが一般的」とする。細江町辺りでは春には東南風が強風、猛風になるとのこと。
また「野だたら」は山腹の東南斜面が多く、炉の焼土の残滓(ざんし)が東南向きになっているのが多いとのこと。

「伊那佐山」の方は、海無し県であり、また東南方向は深い宇陀山地であるため、「東南」というのは当てはまりません。風向きは異なるものの、谷川健一氏が言う━━溶銅とも関連がある地名と思われる━━なのでしょう。


「銅鐸の歴史民俗資料館」の展示物 *画像はWikiより



◎尾張国海部郡伊福郷

現在の「あま市七宝町」に「伊福」という地名が残ります。伊福部神社も鎮座します。
「あま市」は旧「海部郡」の3町村が平成二十二年に合併してできた市。古代の海人部による地名とされます。

伊福部氏と同祖とされる尾張氏の祖、意富阿麻比売(オオアマヒメ)は海部郡の地名による神名と「地名辞書」はしています。
「新撰姓氏録」には複数箇所で、「火明命」または「火明命 子  天香山命」の後裔であると記載。

谷川健一氏はこの近辺から銅鐸は発見されていないとしています。ところが平成に入ってから出土しているのです。

北東5kmほどの清須市で銅鐸が出土。東海地方最大の弥生集落跡とされる「あいち朝日遺跡」内。現在、日本最古の銅鐸の鋳型が発見されています。

発見はまだご存命中のことだったかな?

意富阿麻比売は第10代崇神天皇は妃となり、八坂入日子命が生まれました。その娘は八坂入比売命(本書では八坂入日子命が意富阿麻比売を娶ったと間違っている)。その八坂入比売命は第12代景行天皇の皇后となり、五百木之入日子や五百木之入比売などを生んでいます。

その五百木之入比売の出生地と伝わるのが、葉栗郡若栗郷(現在の一宮市木津川町里小牧)に鎮座する宇夫須那神社。
「伊福部(五百木部)」が五百木之入日子の御名代(大王直属の職能集団)であったという説も。

こちらには火明命を祀る伊富利部神社が鎮座。「意富利」は「廬入」で「伊福」と同じ語。
ここから北へ5~6kmほどの岐阜市上加納から銅鐸が出土しています。

また付け足しとして、葉栗郡の南方に稲沢市「祖父江町(そぶえちょう)」があります。
「ソブ」は製鉄を表す「サビ」と関連する語。その北側に「祐久(ゆうく)」という地がありますが、これは「伊福」からの転訛ではないかと。


伊富利部神社 *画像はWikiより



◎美濃国池田郡伊福郷

現在の揖斐郡揖斐川町の「春日」各地。詳細地は不明。「伊吹山」北東の深い山合の山村に位置し、猛烈に風の強い地。また「金生山」の北方でも。

一年半ほど前にこの辺りを巡拝したばかりで、私自身の記憶は鮮やかなまま。「池田山」(広義の「伊吹山地」)を南東側から車で駆け上がりました。

銅鐸はまだ発見されていません。開発が進むどころか過疎化が進んでいそうな所でもあり、開発により発見される可能性は乏しそうに思います。

「伊吹山」の東側に聳える「池田山」(広義の「伊吹山地」)。かなりの高所に「伊福郷」があったと思われます。



◎備前国御野郡伊福郷

岡山市の「上伊福」と「下伊福」とのこと。北区の伊福町から津倉町にかけての辺りが「上伊福」、「下伊福本町」や「下伊福」にかけての辺りが「下伊福」に該当しそうです。

銅鐸は「下伊福」から出土しているとのこと。
岡山市内では他にも銅鐸が出土、平成五年~八年にかけても出土。こちらは本書の出版後。

この「伊福郷」内には尾針神社が鎮座。伊福部氏と尾張氏が同族であることが窺えるとしています。



◎安芸国佐伯郡伊福郷

現在の広島市安佐町久地辺りとのこと。どうやら第8回目の記事にて記した「過戸(あまるべ)」という地のようです。
これは安閑天皇元年、窃盗を働いた娘の罪を償うため、父の廬城部連枳莒喩(イホキベノムラジキコユ)が廬城部屯倉を差し出したというもの。





今回はここまで。

もう既に「伊福部氏」と「銅鐸」は切っても切れない関係にあることが、本書内でも事実化し始めています。

谷川健一氏はそれでも容赦なく、証拠となる素材を突きつけてきます。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。