☆ 「金生山」
(かなぶやま・きんしょうざん)



美濃国不破郡
岐阜県大垣市赤坂町・揖斐郡池田町



正式名「かなぶやま」、通称「きんしょうざん」。標高は217m(掘削されて現在は低くなっている)。「伊吹山地」の南東端。

先ずは大まかなことを。

◎石灰岩に覆われ、石灰の産出量は日本一。周辺には生コン関連の工場が密集、ミキサー車が頻繁に行き交います。石灰岩の掘削は江戸時代から始まり、現在は山の原形を留めないほどになっているとか。

◎かつては鉄が多く産出、なかでも「赤鉄鉱」が産出していたとのこと。地名「赤坂町」はその名残ではないかと思われます。往時は九州の八幡鉄工所に鉄が供給されていたようです。

◎美濃国西部には南宮大社伊富岐神社といった鍛冶神を祀る社が多く見られますが、その源はこの「金生山」であった可能性も。

◎同様に鉄が産出された「伊吹山」ですが、現在のところ近江国側でしか鉄の産出跡が発見されていないとのこと。

◎現在は掘削でほとんど消失している北側では、かつては銅が産出されたと見ているのは谷川健一氏。

◎化石の宝庫として知られます(この記事では触れません)
*詳細は → 「金生山化石館」の記事にて


当ブログでは「銅」「鉄」について、もう少しだけ詳しく記しておきます。

◎古代の鍛冶製鉄を担っていた一大氏族は伊福部氏。全国各地に広がっていますが、当地は古代において有数の産出地であったようです。
*伊福部氏は → 伊富岐神社の記事にて

◎察するに…
「伊吹山」の鉄 → 息長氏
「金生山」の鉄 → 伊福部氏
このように棲み分けができていたのかもしれません(自説による)。鉄が産出された「伊吹山」の西側は息長氏の根拠地とされます。
(参照記事 → 山津照神社日撫神社)

◎伊福部氏は天火明命を始祖とする尾張氏の系譜に組み込まれた氏族ですが、息長氏も同族の海部氏に組み込まれています。彦坐王と息長水依姫が結ばれています。したがってそもそもは、親戚筋に当たるような氏族同士であったと思われます。
(参照記事 → 息長氏系譜)

◎谷川健一氏は、伊福部氏は始め銅を採掘し鍛冶を行う氏族だったとし、鉄製品の需要とともに製銅技術を生かして製鉄に取り組んだとみています。
「金生山」の南方には金山彦神社が鎮座(未参拝)し、周辺から銅鐸が出土しています。

◎氏はまた「青」という地名が製銅に関連すると謳っており、当地に「青墓」という地名が残ることを挙げています。ところが当地周辺の精密な調査は行っていないようで、他にも「青木」「青柳」「青野」など「青」が付される地名が多く見られます。

◎日本史上最大の「天下分け目の戦い」であったとも言える壬申の乱。
大海人皇子(後の天武天皇)が遥々大和吉野から進軍しこの地を拠点としたのは、この鉄が狙いだったのではないかとも言われています。この鉄を制したからこそ圧倒的不利な形勢から、勝利を収めたとも。

◎中腹に鎮座する金生山神社は、山頂にある明星輪寺という仏教施設の鎮守社ですが、その施設は持統天皇の勅命によるものと伝わっています。

◎中世には秀吉や信玄が佩刀した刀を打ったという孫六兼元(関の孫六)の先代が、当地で刀鍛冶を行っていたと伝わります。

「伊吹山」の鉱毒が原因で失命した日本武尊の神話があまりに有名で、そちらにばかり注目されますが、実は「金生山」も古代において大変に重要な「銅山」「鉄山」であったということです。

今後も引き続き「金生山」と、その周辺の探索、そして「鉄の神」「銅の神」への敬神活動を行っていきたいと思います。


この「赤鉄鉱」が鉄の原料となったらしく、既に採り尽くされています。

「金生山」は化石の宝庫として知られます。

現在はこの「方解石」による石灰岩のみが産出。