山津照神社
(やまつてるじんじゃ)


近江国坂田郡
滋賀県米原市能登瀬390
(P有)

■延喜式神名帳
山津照神社の比定社

■旧社格
県社

■祭神
國常立尊


鈴鹿山脈の北西末端、「天野川」北岸の小高い丘陵上に鎮座する社。
◎創建年代は不詳。当地は古代より息長氏が拠点としていたとされ、息長宿禰王の居住地であり、境内にある古墳(山津照神社古墳)も息長宿禰王のものであろうと考えられています。息長氏が奉斎したとされる日撫神社は北西2kmほど。

◎社伝によると第40代天武天皇の御代に勧請と。一方で「近江坂田郡志」は「興福寺官務蝶疏」という書を引き、「(第28代)宣化天皇三戌午年 影向勧請」と。
天武天皇の御代には奉幣を受けていることから、創建はそれよりも前ということは明らか。宣化天皇は息長氏の血を引く継体天皇(意富富杼王)の御子であり、この時に創建されたのかもしれません。
創祀という点ではやはり、当地に居住したという息長宿禰王が祖神を祭祀したものかと。
◎また神功皇后が朝鮮出兵の際に、朝鮮国王の鉞を奉納したといい、これは社宝として現存するとのこと。「鉞」とは青銅製の大斧のことで、王権の象徴であったと思われます。皇后は征伐し帰国後に奉納したと思われます。
◎中世には青木神社、または青木大明神と称されていたようです。現在も南麓に青木神社が鎮座。現社殿は明治時代にその青木神社の場所からの遷座。
これは青木氏が現社殿の場所に仏教施設を造っていたもの。明治の神仏分離令に伴い、麓から
遷座されています。ご祭神の國常立尊は青木氏が勧請したものでしょうか。原初は息長氏の祖神が祀られていたものと考えます。
◎現社殿の場所に遷座される際に参道を整備していたところ、発見されたのが山津照神社古墳。豪奢な遺物が出土しており、息長氏の首長墓と見られます。神功皇后の陵墓とする説もありますが、息長宿禰王の墳墓とみるのが有力。
◎あまり話題にならないものの非常に気になるのが、青木氏が仏教施設を拵えてしまう前の現社殿の状況。息長宿禰王が祭祀を行っていた場所ではないかという想像もしています。
拝殿近くには巨大な露出岩盤(磐座の前に可能性も)が見られます。信仰の対象かと思われ、この辺りで祭祀が行われていたのかもしれません。










山津照神社古墳の前に設けられた、若宮八幡神社。

以下が露出岩盤。



この写真と下の写真を見ると磐座の可能性を否定できません。