金生山神社
(かなぶさんじんじゃ)


美濃国不破郡
岐阜県大垣市赤坂町4526
(「金生山化石館」Pに停め合わせて見学しました)

■旧社格
郷社

■祭神
安閑天皇


金生山(かなぶさん・きんしょうざん)」の中腹、斜面上に鎮座する社。
◎創建年代は不詳。当社は「金生山」山頂に建てられた明星輪寺という仏教施設の鎮守社であったと伝わります。この施設は役行者が開祖し、当社は大和吉野より勧請したというもの。
岐阜県神社庁が掲げる「赤坂古記録」というものに、「蔵王権現宮此の御社は虚空藏菩薩の鎮守なり」とあるとのこと。また「往古は六社なり (中略) 此の御嵩蔵王権現宮は赤坂惣社にして村中の惣社なり」と。
かつては「蔵王権現宮」と称されていたことが読み取れます。「往古は六社」というその内訳等は不明。以下の内容からいくつかは読みトルコことができますが。
◎岐阜県神社庁は続けて、「明治元年まで字虚空蔵に鎮座せられたが、明治二年三月現在の地に移転し、改めて安閑天皇を勧請した。伊雑宮神社(玉柱屋姫命)明治元年まで虚空蔵に鎮座。明治二年三月に当境内に移転した。同四年社殿を再建す。神明神社(天照大神)慶長五年(1600年)関ヶ原役の際村人が無事平穏を祈願の為勧請した。古来末社で、内宮社外宮社の両社があり、明治元年まで字口山に鎮座され、明治二年三月当境内に移転した」と。
現社地へは遷座されたとのこと。伊雑宮神社と神明神社(或いは内宮社・外宮社の2社か)といったところが六社に含まれるものと思います。
◎第27代安閑天皇は継体天皇の後を受けて高齢で即位、在位期間はわずか4年。全国に屯倉を設置した事績が見えるのみ。
蔵王権現とは役小角が大和吉野の「金峯山」で修行した際に示現。安閑天皇の和風諡号が「廣國押武金日命」と「金」の字があるため、後世に蔵王権現と習合したもの。明治の神仏分離令の際に蔵王権現が安閑天皇に祭神替えされています。
◎役小角は製鉄鍛冶氏族であった鴨氏の裔。鉱山で採掘に当たっていたことから山岳宗教を起こすことに繋がったとも。「金生山」で鉄が採れたことは無縁でないかもしれません。
◎明治に仏教施設から分離し新たに勧請したお社とは言え、社殿等は近代的な様式の影響を受けたように感じられます。


「金幣社」とは岐阜県独自の社格。最高位であり、県内に90社ほど指定を受けています。




不明の境内社が参道途中に隠れていました。

参道途中には「金生山」の化石研究の第一人者である熊野敏夫氏の銅像が建ちます。

境内には「金生山」の現在の主流、石灰岩が多く頃がっています。