◆ 火吹く人たちの神 ~6






時が経つのは早いもので…

年明け早々に地震やら、航空機炎上やらと、
また自身も大晦日から新年に風邪をひいたり、持病の背中痛の悪化やらと、

気が付けばもう9日も過ぎてるし。
(1/9にこの記事を起こし始めました)


どんな一年になるのか…
まったく想像も付かず、
一年の目標とやらも立てようもないですが、

体調の問題でもうできなくなってしまったこと、その反面、変わりに新しくできるようになったことも出てくるでしょう。

「死と再生」をテーマに一年を過ごしてみようかと思います。


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■過去記事
~1 … 序
~2 … 耳と目の結婚(1)
~3 … 耳と目の結婚(2)
~4 … 耳と目の結婚(3)
~5 … 耳と目の結婚(4)

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■ 北方系征服族に先行する稲と金属の民

私自身がとても苦手にしている、中国大陸と朝鮮半島の古代史。この項ではそれが対象となっています。

どこかの時点でちゃんと勉強しないといけないのですが、まだまだ先のことかな…。
それまでに部分的に情報を蓄えて、来るその時に備えたいと考えています。



◎「耳族」がたどった経路

南方種族「耳族」の起源は、「揚子江沿岸から海南島にいたる中国南部」であると、これまでに書いてきました。

黒潮に乗ってそのまま東シナ海を横断、五島列島・有明海沿岸・薩摩半島へと上陸したとも考えられます。
ところが谷川健一氏は、「まず中国大陸を北上して、山東半島から朝鮮半島の西海岸にわたり、そこを経由して西北九州へ渡来したのが大筋ではないだろうか」としています。

理由は二つ挙げられています。

*「印文土器」
朝鮮半島南端近くの海辺の小都市、「固城(こじょう)」という地から「印文土器」が発掘されていること。
揚子江の下流から広東省まで分布する土器。「固城」は「伽耶(かや)」「任那(みまな)」といった、倭人が多く住み、日本に関係の深い地。

また土器と一緒に、炭化した稲籾と大麦も発見。さらに平形銅剣や鉄滓、フイゴロなども出土。揃っています!

他にも「全羅南道大黒山島」でも「印文土器」が発見されているようです。
つまり稲作と金属器の文化が、朝鮮半島を経由して日本へ伝わったことの裏付けに。

*貝塚茂樹氏の書より
中国の江蘇省丹徒県の「揚子江」岸の台地で、十数個の青銅器が出土。器の銘文に「宜候夨(ギコウソク)が周の康王(コウオウ)によってこの地に封ぜられた」とあるとのこと。

かつて呉国は太伯(タイハク)と虞仲(グチュウ)の二王子が、弟の季歴に王位を譲るため南へ奔走、蛮族中に身を投じて建てた国と伝承されていたと。しかしこれは伝説のものと思われていました。これを翻すことになったのが青銅器の銘文。

「魏略」という書には、「倭は自ら太伯の後なりという」とあります。
私自身も太伯の後裔である大日孁(オオヒルメ)・稚日孁(ワカヒルメ)姉妹が「呉越同舟」で渡来、大日孁は天照大神、稚日孁は丹生都比賣と称され倭人の祖となったのだろうと考えています。

呉国の人々は特に水銀の採掘に秀でていたとされ、この技術が日本にもたらされたものと考えています。もちろん水銀だけではなく銅や鉄、金・銀の採鉱・精練にまで関わっていたのではないかと。

この2つの理由を以て谷川健一氏は、
━━南中国系の金属文化が最初に日本列島へもちこまれた。それをもたらしたのは呉越の国の人たちであったか、あるいは南方文化の中継地としての朝鮮半島西南部の人たちであったか、いまは知る由もない。しかしいずれにしても南方系文化の一環としての金属文化に同伴するものが稲作文化であったと私はおもう━━としています。

この谷川健一氏の考えを比定せねばなりません。「金属文化に同伴するものが稲作文化…」としていますが、双方の日本へ流入された時代が異なるというのが現在の趨勢。

呉国(春秋戦国時代の国)が滅びたのは紀元前473年。つまり紀元前5世紀であり、「呉越同舟」もその頃のこと。
一方で稲作の伝来は現在、3000~4000年前頃とするのが趨勢。また鹿児島大学構内遺跡では火山灰の下層から1万2000年前のイネのプラントオパール(細胞壁に蓄積するもの、イネ科は特に残りやすい)が出土。これは稲作起源地とされる「揚子江(長江)」流域のものより古くなってしまいます。そしてこれはまだ確証できるものではなく今後の研究が待たれるところ。

いずれにしても谷川健一氏が論じた以降に、次々と考古学の新発見があり氏の説が成り立たなくなってしまいました。「同伴」ではなく先に稲作文化が流入、後れて金属文化が流入ということになります。


雲南省麗江市石鼓鎮の「金沙江」(「長江」の上流部分) *画像はWikiより



本書に戻ります。岡正雄氏の表現を引用し、
━━それは(北方系の支配種族の文化)鉄と馬と古墳とを伴うものであり、したがって紀元四世紀以降ということになる。それがタカミムスビ神話をもたらした人たちである━━としています。

また「北方系の支配種族」は「南方系の海人族」の酋長と婚姻関係が結ばれましたが、これは一度ではなく幾十回と繰り返されたこと。タカミムスビの「目」系とアマテラスの「耳」系の混合は、その代表例であり、象徴的な意味合いしかもたらさないとしています。

*画像はWikiより



今回はここまで。

これでようやく「序説」が終了。
次回からは「第一部」へと進みます。

まだここか…
先が思いやられる…。



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。