◆ 火吹く人たちの神 ~1





新しい企画物記事をもう1本立ち上げます。

当ブログで最も引用している著書。
私にとっては永遠で最上の教科書。


偶然なのか、神の仕業なのか…。

日本古代史に興味を持ち始めた、
まだ右も左も分からない頃のこと。

古本屋でたまたま手に取った3番目の書が
「青銅の神々の足跡」(谷川健一著)でした。

1番目は「神々と天皇の間」(鳥越憲三郎著)
2番目は「水底の歌」(梅原猛著)

これらも今から思えば
奇跡でしかないのですが…
3番目は奇跡中の奇跡でした。


初版は今から34年前。
未だ一切色褪せることなく、多くの学者・研究者たちのバイブルであり続けています。

こんな本を、しかも早々に手に入れてしまったもんやから…一匹の古代史バカ、神社バカが爆誕したわけです。

読み進めていくと…震え上がりました。
後にも先にもこんな本には出会えないでしょう。


既に3回は通しで読んでいます。

断片的には擦りきれるほど読んでいます(物持ち良いので劣化してませんが)。

読む度に理解度が高まります。
自身の理解の追い付いていないところが多いため。また内容があまりに深くて重いため。


ここらでガッツリとこの書と向き合い、
隅々まですべてを吸収してやろうと意気込んでいます。

掘っても掘っても、
この書からはいくらでも勉強となるネタが詰まっています。



短期集中の企画物として、
2日に1本以上ペースで一気に上げていく予定。

お付き合い頂ける方がおられましたら、さいわいに思います。


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本題に入る前に、この書は何が凄いのかということについて。

「日本の原始国家において、金属器文化の側面に目を向けさせた書」
この書をこのように定義したいと思います。

━━日本民俗学は稲作文化を中心とした学問である。その民俗学が古代史とむすびつくときに、何もかも稲作文化の側面から眺めようとする偏った視覚の弱点が暴露されてくる。ふりかえってみれば、弥生時代とそれに先行する時代とを区分する二つの大きな指標は、稲作の開始と金属の登場であった。…(中略)… 日本民俗学は「藁の文化」すなわち稲作文化に固執し、金属器文化に注意を払わなかった。それは柳田国男のひきいる民俗学が、日本の常民の信仰を信仰一般としてとりあつかったという点にも問題がある━━

谷川健一氏は徹底的に、柳田国男氏の稲作文化に偏重した民俗学を批判します。

━━柳田の金属にかかわる姿勢は中途半端であり、徹底を欠くものであった。…(中略)… 銅や鉄を取り扱う職業の分野で論じなければならないものが、稲作の分野に置きかえられて、農民の視点から論じられていることが多い━━

この書の主題そのものが、柳田国男氏の「稲作文化偏重民俗学」への批判であるといっても過言ではないかと。

全国各地の神社等の史跡、伝承等をくまなく拾い上げ圧倒的な量の根拠を基に、本書では随所に、繰り返し、痛烈に柳田国男批判を行っています。

ところが柳田国男氏を最も尊敬し、最も柳田民俗学を吸収した一人であろうと思います。

谷川健一氏はこのように述べています。
━━私はいつか柳田に恩を返したいと思っていた。恩返しの方法は、師説を民俗学の内側から、内在的に批判し凌駕することであると私はかたくなに信じていた。そしてともかくも本書によってその恩返しの一端ができたことをうれしく思っている━━と。


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*フリー写真より



記事タイトルを「火吹く人たちの神」と名付けました。

ある程度この書のエッセンスを把握しているため、この書に対する自分なりのイメージが出来上がっており、タイトルにしました。著書のタイトル通りにするのも畏れ多くてどうかと…。


猛烈に燃え上がる「炎」の中で鍛冶製錬に従事した人たち。燃え盛る「炎」に眼をやられ片目になる人…鞴(ふいご)を踏み続け片足がやられる人…。

片目になった人は天目一箇神(アマノメヒトツノカミ)となり…
片足がやられた人(足痛し→穴師・アナシ)は曽富止神(ソホドノカミ、=久延毘古神)、つまり案山子(かかし)となり…
それぞれ神へと昇華するのだろうと谷川健一氏は推測します。

私自身に衝撃の「炎」が走りました。

谷川健一氏がこの事を知った時には、私など比較にならない遥かに大きな「炎」だったのでしょう。また氏の調査・研究はその燃え盛る「炎」のままに、情熱をかけて行われたのではないかと思うのです。

気の遠くなるような膨大で圧倒的な量の、全国各地の神社等の史跡、伝承等をくまなく拾い上げられたのです。

「民俗学」が難しくて敬遠されがちなのは、柳田国男氏や谷川健一氏のせいなのかもしれません。誰も太刀打ちできない…。


谷川健一氏の燃え盛る「炎」の、わずかな火の粉だけでも受け継ぎたい思いがあります。その「火」を起こしたのは「火吹く人々」。

また最初に私の心を惹き付けた銅鐸製作氏族「伊福部氏(イフクベノウジ)」は、「火吹く」を語源としているであろうと想像していることからも。
(谷川健一氏は「イ」を接頭語、「フク」を鞴とする)


彼等が崇めた神々(熟練従事者のなかには、その者自身が神になることもある)を、もっともっと深く知ろうというのが、このテーマ記事の主旨です。


和泉国 火走神社



今回はここまで。
次回より本題へと入っていきます。


*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。