金屋子神社 奥宮。金屋子神の原初の降臨地とみられるが、まだ先に降臨地があったのでしょうか。
◆ 玉鋼(けら)の杜
~金屋子縁起と炎の伝承~ 20
「金屋子神のまとめ」なる章が出てきました。
ん…
まだまとまってなかったのですか~(笑)
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■過去記事
2 … 金屋子神の信仰圏
3 … 「金屋子神」八幡神説(前編)
4 … 「金屋子神」八幡神説(中編 1)
5 … 「金屋子神」八幡神説(中編 2)
6 … 「金屋子神」八幡神説(後編)
10 … 「金屋子神」卓素系神説
11 … 「金屋子神」素盞鳴尊・韓国伊太氐神説
13 … 「金屋子神」その他諸々説
14 … 「金屋子神」の呼称(前編)
15 … 「金屋子神」の呼称(中編)
16 … 「金屋子神」の呼称(後編)
17 … 「金屋子神」古文書等からの考察(前編)
18 … 「金屋子神」古文書等からの考察(後編)
19 … 「金屋子神」にまつわる話
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■ 「金屋子神」についての補足
当書の表題については、「金屋子神についてのまとめ」となされています。ところが内容は、これまで記されてきたことに対しての「補足」と、著者の「課題」といったものになっています。
◎「八幡信仰」説について
まだ著者が精査されていないものとして、「瑞穂町誌」に「古代は鈩の守護神として八幡神を御祀りしていたようにも考えられる」という記述があるようです。
「瑞穂町」は平成十六年に「石見町」「羽須美村」とが合併し、現在は「邑南町(おおなんちょう)」に。島根県中部の広島県と接する山間部。
「瑞穂町誌」は現在閲覧可能なサイトが見当たらず、記述の詳細は分かりません。
◎天日槍神説について
金屋子神社近くの「奥田原」地区に「兵主大明神」があり、またその近くの「西谷」に、金屋子神が裏の木呂畑の竹を切れといわれたとされる「木呂畑」という地名があるとのこと。
鞴(ふいご)の送風管を「キロ」といい、竹製であるようです。
金屋子神社が鎮座する「西比田」より「奥田原」は北西側、「西谷」は北側。いずれも隣接地。
八幡神は初め兵主神と同一の神格であったとする説もあることを付記されています。
◎「金火護」
江津市(島根県西部)の波積公民館が発行する「波積のさと」には、波積町本郷の民家の横の山の頂に「金火護さん」と称され、たたらの守護神として祀った小さな祠があると書かれているようです。
◎金山彦命説 ~1
「金城村明治百年史」に、神楽舞の歌に「西方に建て奉る社殿には 西方金山彦命」云々とあるようです。また県教育文化課卜部主事を通じて、勝部正●氏の飯石地方に「金屋子尊姫」の神楽があるとのこと。さらに「瑞穂町誌」に、大元神をお祭りする大元神楽も古代製鉄から生まれたものではないかとし、大元神と鈩の関係が示されているようです。
「金城村」とは現在の島根県西部の浜田市金城町のこと。
「大元神」「大元神楽」について江津市のサイトには以下のように示されています。
━━「大元神楽」は古くから島根県の西部に広くあった大元信仰に由来し石見神楽の原型とされています。一種の農耕神的なものとして村々に祀られる集落の神「大元神」を祀って行う…━━
◎金山彦命説 ~2
金山彦命を祀る南宮神社(美濃国の南宮大社のことか)・津山の仲山神社(未参拝)には、長者の話、狩猟神事等関連があり、また児の宮・敢國神社(金山媛命をも祀る)は全国の阿部氏の祖とされ、また大彦命等と類似性が多いとも。
大彦命の後裔には安倍氏、阿閇氏等がいます(阿閇氏は安倍氏の旧姓とも)。
◎金山彦命説 ~3
室町期に書かれたとされる「金屋子神祭文」には、祭神は金山彦命とあります。「鉄山必要記事」に南宮の社の記事があり、また金屋子神社の明治の初めの「神社明細帳」にもわざわざ南宮の社のことが書かれていることを指摘しています。
◎「桂木安部の森」
牛尾三千夫氏の「菅谷鑪」の中の「たたら唄」に、「比田の神社はどこか、元は桂木安部の森。今は黒田の谷奥に」とあるようです。
この「桂木安部の森」について、今の安部家(宮司家)の本宅のところが「西比田安部」とあるので、この附近を「安部の森」と称したものと推測されると。
この屋敷前からは480年±50年とされる鉧(けら、=粗鋼、鉄素材)が出土しているとのこと。
「金屋子神祭文 雲州非田の傳」(訳文全文 → 第1回目の記事)に、金屋子神が白鷺に乗って出雲国能義郡黒田の奥非田の山林に着き、「桂の一樹の枝末に羽を休め坐す」という降臨神話があります。
安部家本宅の場所は示されておらず、詳細地は分かりません。遷座がなされていたことが分かります。
◎屋敷神
「元は桂木安部の森…」とあり、そこが安部家本宅のすぐそばとなると、元々比田の金屋子神なるものは安部家の「屋敷神」の如きものではなかったかと。
明治十二年の「神社明細帳」の金屋子神社の私邸の部に、「金屋子神社遥拝所、寛政六年建立」とあり、さらに武羅家神社(むらげじんじゃ)・鷺神社(さぎじんじゃ)・地奴志神社(じぬしじんじゃ)・都賀神社を祀っていたとあるとのこと。
現在この四社の由緒は不詳。現在は遥拝所は存在するも、四社は存在しないとのこと。著者が子供の頃には祠が存在し神事も行われていたと記しています。
*武羅家神社 … 天目一箇神
*鷺神社 …ニニギの命
*地奴志神社 … 天兒屋根命・宮中祭祀の神
*都賀神社 … 布刀玉命・宮中祭祀の神
「鉄の神」と「天孫の神」、祭祀の神が祀られており、ここに金屋子神があったとしても不思議ではないとしています。
なお、私邸の遥拝所の神殿や、金屋子神社のご本殿を宮司は未だ隅々まで拝しておらず、五年間奉仕すれば大神からもお許しを頂けるだろうと。五年経てば開かずのご本殿等を拝し、何らかの手がかりを求めたいとしています。
◎「金屋子」の「子」は「火」
最後に他社宮司より「金屋子」の「子」は「火」ではないかというご指導があったと記しています。
「漢字源」(学習研究社)によると、中国の唐の時代には「火」を「コ」と発音し、それが日本に伝わったとあるようです。
また「吹子(ふいご)祭り」は、「吹」が風を吹く、「子」は「火」のことであるとも。
金屋子神社 奥宮の祠。
*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。