(石見国 五十猛神社)





◆ 玉鋼(けら)の杜
 ~金屋子縁起と炎の伝承~ 11





体調が戻ってきました。
この記事を最後に明日から「1日2記事」へと戻します。


さて…

謎の「金屋子神」の正体とは
一体どの神なのでしょうか。

八幡神、天日槍神、卓素系神の各説に続き
今回は「素盞鳴命・韓国伊太氐神説」となります。


~*~*~*~*~*~*~*~*~*~
■過去記事
1 … 金屋子神社の概況(金屋子神祭文雲州非田伝)
2 … 金屋子神の信仰圏
3 … 「金屋子神」八幡神説(前編)
4 … 「金屋子神」八幡神説(中編 1)
5 … 「金屋子神」八幡神説(中編 2)
6 … 「金屋子神」八幡神説(後編)
7 … 「金屋子神」天日槍神説(前編)
8 … 「金屋子神」天日槍神説(中編)
9 … 「金屋子神」天日槍神説(後編)
10 … 「金屋子神」卓素系神説

~*~*~*~*~*~*~*~*~*~



■ 素盞鳴命・韓国伊太氐神説

◎磐船神社から素盞鳴尊の分身が現れる

金屋子神社から南方の「飯梨川」が流れる谷地を挟み、さらに南方に鎮座する磐船神社。金屋子神社からは南東2kmほど巨石の積み上がる磐座信仰の社。時間の関係から参拝を断念したのですが…

その磐船神社に「根本式」という創祀について書かれた書が宮司家に所蔵されます。この書の中に次のように記されます。
━━北に黒田村金屋子神あり。是の神というのは、黒見田葛城の森に、素盞鳴尊の分身現われ給う。けだしこの大神は、全徳(*)なり━━

磐船神社のご祭神は素盞鳴命・稲田姫・五十猛命の三座。つまり磐船神社から素盞鳴命の分霊が「金屋子神」であるとしています。
ただしこの書の作成年代は不明。

著者である安部正哉氏(金屋子神社の現宮司)が独自に調べられたところ、地元郵便局長の方が、「磐船神社の麓の滝で当社(金屋子神社)の宮司が代々身を清めた」という話しているとあり、また「村人が四十九日の忌明けにここで身を清めた」ともあるという話を掲載しています。

*この章では「全徳」としているが、原文では「金徳」となっています。どちらが正解なのか不明。前後の文脈から「全徳」が正解でしょうか。



◎「雲陽誌」が著す「金屋子神」

「雲陽誌」(1717年、享保二年)には金屋子神社のご祭神として、[左]金山彦命・[中]素盞鳴尊・[右]石凝女命とあるようです。

ところがそれより古い時代に書かれた「金屋子神祭文」にはこれらの神名が見えません(玉鋼の杜 ~1に全文掲載)。このことについては著者も、「享保時代に何らかの影響を受けて、そのように言われていたのだろうか」としています。



◎「倭鍛冶」と「韓鍛冶」

吉野裕氏の説に、著者である安部氏が私見を挟みつつ示しています。
━━オオナムチの神(大穴持命の穴は鉄穴を意味し、別名八千矛の神の矛は武器を表わす。「出雲風土記」に「五百津鉏鉏なお取り取らして天下造らしし大穴持神」とあるのは、この神の性格を如実に現している。農業神であったが、農業振興上鉄が必用であり、鉄穴がそのまま国作りとなった)は、在来の倭鍛冶(やまとかぬち)によって奉じられた神であり、スサノオノミコトは、帰化系技術者である韓鍛冶(からかぬち)の渡来によって、共同の祖神として構想され、オオナムチの神の祖として架上されたのであろう。
ともあれ、出雲国に韓鍛冶集団が渡来して、砂鉄を求めて斐伊川を遡り、山間部に入るとともに、その地に古くより土着するオオナムチの神を奉ずる氏族と混淆しつつ、平野部にも鉄文化を普及したことと思われる。韓鍛冶の奉じたのはイタテの神であるが、イタテ(伊太氐の神もまたスサノオノミコトの子神とされる━紀第四・第五の一書)云々とある。
新たに製鉄の神として、金山彦神が構想されたので鉄穴から発想されたオオナムチの神達の製鉄に関与したかつての性格は忘れ去られるのであった━━

前回の記事とは異なり、
「倭鍛冶」 … オオナムチ神を奉斎する氏族
「韓鍛冶」 … スサノオ神を奉斎する氏族
に宛てており、そしてまた両者が混淆し、
スサノオ神を「倭鍛冶」「韓鍛冶」共同の祖神として平野部にも鉄文化を普及させたとしています。

やはり大和と出雲とでは様相が少し異なるようです。

さらに金山彦神が構想されたので、オオナムチ神の鉄に関与していた性格が忘れ去られたと。



次回はその金山彦神説となります。






*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。