◆ 玉鋼(けら)の杜
~金屋子縁起と炎の伝承~ 16
間を空けることなく…
「金屋子神」の呼称についての諸説の(後編)をお届けします。
「日本古代祭祀と鉄」の中で真弓忠常氏は、
━━「梁塵秘抄」巻第二の二六三番歌に、
南宮の本山は 信濃国とぞ承る さぞ申す 美濃国には中の宮 伊賀国には稚き(おさなき)児の宮
続けて…
━━「南宮」とは「金屋子祭文」に、高殿の四本の押立柱の東の方は句句廼馳ノ命、南の方は金山彦ノ尊自ら護りたまふ、とある。五行思想では、南は火の神の座であって、金の神は西に配されるが、製鉄の場合は火を用いて熔金を司るため、金の神は火の神と融合して、火の神の座である南に座するものと考えられる。つまり南宮とは、製鉄の神の座としての南の宮を意味するものである━━と。
さらに…
━━「信濃国」とは諏訪大社のことであり、南宮とも称した。「延喜式」には「南方刀美神社」とあり、「続日本後紀」承和九年五月条にも、「南方刀美神」とあって、「ミナカタ」は祭神タケミナカタ神とも関係あり。製鉄神である。同社の七年毎に行われる「御柱祭」はタタラの高殿の四本柱(押立柱)に由来する、とある。
「伊賀の児の宮」とは、伊賀の敢國神社で大彦命・金山毘売神・少彦名神を祀る。この上野市一の宮鎮座の敢國神社を奉祀したのは、伊賀国を支配した阿閇(アベ)氏である。…(中略)…又、阿部氏は、金屋子神の祭祀に預かり、鉄山を管理した氏族であることは近世の文献である「鉄山必要記事」にも窺われる。(以下略)━━
著者であり、社家でもある安部正哉氏。
その姓から「ひょっとして?」と思ったのは私だけではないようです。「アベ」の変換に「安部・安倍・阿部・阿倍」などと候補が多く、否が応でも「アベ」を意識するので。
また伊賀国においてもそうですが、大和の十市郡にはそのアベ氏の本貫地があり(→ 文殊院西古墳・文殊院東古墳)、さまざまな表記がなされています。記事を作成する際には、その場面においての表記に、常に敏感になっているので。
◎総括
━━以上の諸説をみるに、そのいずれによるものか、又は、その習合によるものか、断定しがたい━━
このように締め括られています。
何とか(後編)までたどり着き、記事を書き終えることができました。
どうしてもテーマ記事は負荷が大きく、どこかで参拝活動を中断するか、縮小しないといけません。
少しだけ間を空けて、また次のお題へと進みます。
*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。