諏訪大社 上社本宮
(かみしゃ ほんみや)


信濃国諏訪郡
長野県諏訪市大字中洲字宮山1
(P有)

■延喜式神名帳
南方刀美神社 二座 並名神大 の比定社

■社格等
[旧社格] 官弊大社
[現在] 別表神社
諏訪国一宮

■祭神
建御名方神


諏訪湖を取り囲むように鎮座する四社(上社本宮・上社前宮・下社春宮・下社秋宮)をもって、一くくりとされる社。概ね上社は諏訪湖南側に、下社は諏訪湖北側に鎮座します。「諏訪大社」に関してはあまりに奥が深いため、当記事においては概要のみにとどめおきます。
◎六年に一度執り行われ、古代の祭祀形態あるいは祭祀の観念が垣間見える「御柱祭(おんばしらまつり)」が有名。その御柱は各社境内に「一~四之御柱」までが、社殿を囲むように時計回りに立てられています。これに倣って諏訪地方には同様のものが多く見られます。
◎四社をもって建御名方神、妃の八坂刀売神を祀りますが、上社二社には弥生あるいは縄文以前からの「ミシャクジ神」への信仰が残ります。当社の深淵を探るのは非常に困難ながらも、大まかには「ミシャクジ神」信仰の上に建御名方神が被さったと考えられています。
◎「ミシャクジ神」については、古来より多くの研究がなされているものの未だ不明。「石神」に端を発するとするのが一般的ですが、これとて多説あるうちの一。分かっているのは上古からの信仰であろうということと、ほぼ中部地方にのみ見られることくらい。これも当社(あるいは当社付近)を発祥とするのかどうかも不明。
◎当社に関わるもう一柱の重要な神が「洩矢神(モレヤノカミ)」。この「洩矢神」を始祖とするのが洩矢氏であり、奉斎した神が「ミシャクジ神」であろうと考えられています。したがって建御名方神を奉斎する氏族(後に諏訪氏と名乗る)が当地に進出して来た際には、洩矢氏は抵抗したといいます。ところが争いに敗れ降伏、いわゆる「国譲り」に。統治権は譲ったものの、祭祀はその後も洩矢氏が引き継いだようです(現在も「守矢氏」として続く)。
「大祝」と称される最高位の神官(諏訪氏から即位)に建御名方神の神霊が「現人神(あらひとがみ)」として宿ります。つまりその神官が依り代と捉えられます。その即位式や、依り代に神霊を降ろしたりしたのが洩矢氏。ミシャクジ神への信仰も続いているようです。
◎四社のうち当社だけご本殿が無く、背後の守矢山を御神体としているとも。ところが社伝によると、上記の「大祝」が御神体であるとしています。つまり建御名方神の神霊が依り憑く生身の人体であると。
◎非常に複雑となっている祭祀形態ですが、「御柱祭」等も含め古代人の信仰の様子を探り得る数少ない社の一つかと思います。鹿の「御頭祭」などもあるようで、今後見識を深めて記事にしたいと思います。

※写真は2011年7月撮影のものです。
(前年に「御柱祭」が開催されました)








御柱は計四本(体)。








社前の向日葵畑。近頃こういうのを見なくなったな…と、撮ってみました。