「明日香村上居(じょうご)」から見た「ミハ山」




◆ 「飛鳥の甘奈備山」考




「飛鳥の甘奈備山」とは、飛鳥の都「飛鳥板蓋宮」から見ての「甘奈備山(神奈備山)」のこと。


「日本紀略」には、「大和国高市郡賀美郷甘南備山の飛鳥社を同郡同郷鳥形山に遷す」と記されています。
「飛鳥社」とは式内名神大社 飛鳥坐神社のこと。「鳥形山」とは現社地の山のこと。

つまり「飛鳥の甘奈備山」にはかつて、飛鳥坐神社が鎮座していたことが分かります。


この「飛鳥の甘奈備山」が行方不明となっています。候補地は以下の通り。

◆ 「南淵山」
◆ 「岡寺山」
◆ 「藤本山」
◆ 「細川山」
知り得る限り以上7ヶ所。



◆まず「ミハ山」について。
この山の北方に「ミハ山」の小字があることから命名されたとか。

◎「ミハ」は「神(ミワ)」に通ずると考えられます。つまり「ミワ山」とは「神山」というもの。
◎また地名の「祝戸(いわいど)」というのも何やら意味ありげ。「祝(はふり)」という神官名もあることですし。
◎中世の資料に、当地東側の石舞台古墳周辺の百姓の姓に「イワヤト」という名が見られます。「祝戸(いわいど)」はかつて「いわやと」と読まれていたのではないかというもの。
「ミハ山」が「中ツ道」の最南端になると推定されてたこと。
◎「飛鳥川」に多武峰(とうのみね)や「くつな石」がある2つの川が合流していること。
◎そして最後に磐座群が座すこと。

磐座群が座すという強力な武器があり最有力説ではあるものの、否定的な意見も。
◎残念ながら「甘奈備山」型ではない、いわゆる美しい三角錐の山容を成していません。
◎「中ツ道」は明日香村まで通っていなかったことが近年の調査で判明しました。

「中ツ道」に関しては通っていようが通っていまいが、南方へ向かって歩くとその真南に「ミハ山」があったということ。現在の地図を見る限り遮るものは見当たりません。したがってこの説を覆すほどのものではないと考えます。

ところが「甘奈備山」型を成していないというのは、決定的な落ち度かと。


「飛鳥稲淵宮殿跡」から「ミハ山」



◆次に「雷丘」について。
標高110mほどの丘。ちょっと大きい古墳くらいの大きさ。

そもそも「甘奈備山」とするにはあまりに低すぎるかと。


写真中央やや右下が「甘樫丘」から見た「雷丘」。暗くて見えにくいですが。



◆続いて「甘樫丘」について。
こちらも標高150mほど。名前通りの山というよりもいわゆる「丘」。

飛鳥坐神社に関わりの深い折口信夫氏などはこの説を。

こちらも「甘奈備山」とするにはあまりに低すぎるかと。





◆次に「南淵山」について。
紀の天武天皇五年(676年)の条に「南淵山・細川山を禁めて(いさめて)並びに蒭薪こと莫かれ(なかれ)」と勅を発しています。これは南淵山と細川山を禁則地として草木等の伐採を禁じたというもの。聖なる山と考えたと見受けられます。「細川山」は「藤本山」の項に含めます。

「飛鳥川」の上流(川上)であり、「奥飛鳥」などとも言われます。神寂びた飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社加夜奈留美命神社(瀧本神社)大仁保神社などが鎮座します。また「妹峠(芋峠)」を越えて吉野へ抜けるルートは、聖なる道として考えられていたようです(大仁保神社葛上白石神社の記事参照)。

非常に興味深い説があります。「飛鳥川」の川下である「ミハ山」を「禊場」と捉え、「南淵山」こそが「飛鳥の甘奈備山」とするというもの。これは卓見に値する説と考えています。

ところが残念ながら、こちらも山容は「甘奈備山」型とは言い難いもの。山容ばかりに気を取られ過ぎてはいけないのでしょうか。



写真中央が「南淵山」でしょうか(大仁保神社境内より)。



◆続いて「岡寺山」「藤本山」「細川山」について一気に。
この三山は東西に並んでいます。西から東へと順に並べました。

「岡寺山」は美しい「神奈備山」型の山容。「藤本山」はその背後に隠れつつも概ね「甘奈備山」型の山容、「藤本山」に関してはほとんど見えません。これは「飛鳥板蓋宮」から見てのこと。

「出雲国神賀詞(いずもこくかむよごと)」に「賀夜奈留美命(カヤナルミノミコト)の御魂を飛鳥の神奈備に坐て皇孫命の近守護と貢置」とあります。これは飛鳥坐神社が、大國主神が賀夜奈留美姫の神霊を「飛鳥の甘奈備山」に奉祭した社であるということ。

また「旧事本紀」には「都見歯八重事代主神 坐倭國高市郡高市社 亦云 甘南備飛鳥社」とあり、ここでは事代主神が祀られていることも記されています。概ね賀夜奈留美姫が祀られているところに兄神の事代主神も祀った、後に二柱が合祀され四座となったということでしょうか。

つまり飛鳥坐神社の旧社地には、加夜奈留美命或いは事代主を加えた二座と、高皇産霊命と大物主神の二座を加えた計四座が鎮まり、名神大社として列したということかと。

現在の加夜奈留美命神社は「奥飛鳥」、「南淵山」の南西麓に鎮座しますが、これは行方不明となっていたものを「栢森(かやのもり)」集落に鎮座してた葛神社に「かや」繋がりで宛てたもの。

この旧社地の有力候補地が存在します(加夜奈留美命神社古社地として記事を上げています)。ここには全部で10体ほどの巨石が密集しており、いわゆる磐座群と解していいのかと考えています。

この場所が正確には確認できないものの、おおよそ「藤本山」の辺りと推されます。

「飛鳥板蓋宮」伝承地から見て美しい「甘奈備山」型の山容
「飛鳥板蓋宮」伝承地から見て東方にあり(真東ではない)、朝日が昇る方向と捉えられる
◎加夜奈留美命神社古社地の伝承がある
◎磐座群が座す

以上4点から、個人的見解として「藤本山」の加夜奈留美命神社古社地(推定地)、或いは近辺を「飛鳥の甘奈備」ひいては飛鳥坐神社の古社地と考えます。

当時においては社殿は存在しない社であり、磐座群に向かって奉斎を捧げるという原始的な神社であったとも考えています。

加夜奈留美命神社古社地(推定地)の記事と重複はしますが、こちらでもあらためて以下に磐座群の写真を掲載しておきます。