飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社
(あすかかわかみにますうすたきひめのみことじんじゃ)


大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村稲渕698
(P無し、鳥居前は駐車できるように社前道路が少し広くなっています)

■延喜式神名帳
飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社の比定社

■旧社格
県社

■祭神
宇須多伎比賣命
神功皇后
応神天皇


正史に表される日本で初めて雨乞いが行われた社。また式内社のうちもっとも長い社名を持つことや、河瀬直美監督の映画のロケ地となった神社でも知られます。
◎「飛鳥川」の上流、「奥飛鳥」と呼ばれる地のしかも「南淵山」中腹に鎮座。200段ほどはあろうかという急な石段を登り、コンクリ舗装の坂道をさらに登った先にある社殿。まるで忘れ去られたようにひっそりと佇む様が、映画のロケ地となったのも納得。
◎雨乞いについては、紀の皇極天皇元年(642年)の条に見らあれます。
━━(即位元年)八月朔日、天皇は南淵の河上に行幸した。跪き四方を拝み天を仰ぎ祈った。するとすぐに雷雨となった。雨は五日続き天下を潤した。或る本が言うには九穀が成熟したと。天下の百姓は大喜びし、徳のある天皇だと言った━━(大意)
◎これはこの年の六月から始まった日照りに対してのもの。牛馬を殺して神前に供えるも効果無し。蘇我蝦夷が勧めるがままに読経をしても、小雨が降った程度で効果無し。これを受けて皇極天皇自らが雨乞いを行っています。歴史的な干魃だったように思います。
「南淵の河上」とありますが、当社は「南淵山」を御神体山とし、「飛鳥川」の上流に鎮座していることから、皇極天皇が祈りを捧げた地は当社地とみてよさそうです。またこの由縁を以て式内社たらしめたとも考えられます。
◎ご祭神は社名から宇須多伎比賣命であることが分かります。紀記等その他文献には表されない神。「飛鳥川上」に坐す「宇須=臼(女性器)」「多伎=滝」姫、つまり「飛鳥川」上流に坐する水神と考えられます。
◎「奈良県史」は宗像三女神の一、タギツヒメ神を宛てています。これは雨乞いを行う対象の神として相応しいもの。
タギツヒメ神は「先代旧事本紀」に於いては、大国主命の妻となり八重事代主命や高照光姫を生んだとあります。高照光姫とは下照姫と同神ではないかとされる神。記では事代主命の母を神矢楯姫としていますが、「先代旧事本紀」の記述を正しいとするなら「神矢楯姫=高照光姫=下照姫」となります。また高照光姫はカヤナルミ神と同神ではないかという説もあります。
◎一方で社家は当社ご祭神を下照姫命(高照姫命)としています。
「和州五郡神社神名帳大略注解」には、式内名神大社 飛鳥坐神社について「飛鳥坐六箇処神社四座」という記述があります。飛鳥坐神社は「出雲国造神賀詞(いずもくにのみやつこのかむよごと)」に「賀夜奈留美命(カヤナルミノミコト)の御魂を飛鳥の神奈備に坐て皇孫命の近守護と貢置」とあり、大國主神が賀夜奈留美命の神霊を神奈備に奉祭した社。
またこの「和州五郡神社神名帳大略注解」には、飛鳥坐神社の後南方にある「磐石神窟」が「飛鳥山前神奈備」で高照姫命を祀る「茅鳴身(かやなるみ)神社」としています。そして東北東にある「滝瀬神窟」が「飛鳥川辺神奈備」で臼滝姫命(高照姫命)を祀るとしています。つまり「滝瀬神窟」が当社であると。
この「茅鳴身神社」と当社を飛鳥坐神社に加えて、「飛鳥坐六箇処神社四座」であるということになっています。
飛鳥坐神社は遷座されており旧社地については諸説有り、定説無し。また加夜奈流美命神社は所在不明になっていたものを明治に半ば強引に比定したもので、真相は不明。以下に個人的思料を行った記事を掲げておきます。

◎勇壮な拝殿はあたかもご本殿が如くのもの。ご本殿は存在せず背後の「南淵山」を御神体とする原始的信仰を受け継ぐ社。その拝殿から渡しがあり神域とは瑞垣と扉で仕切られています。神社にはいろんな形態がありますが、こういったものは記憶が無く現代のものとの過渡期のもののようです。

◎境内写真集 … *神の庭* 


*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。





拝殿の裏側。

御神体となる神域を隙間より。

「飛鳥川」に渡される「男綱」(「稲渕」集落入口)


「女綱」(「栢森」集落の入口)



*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。