加夜奈留美命神社


大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村栢森358
(P無し、「栢森」集落からの道と県道15線が当社より南西の方角で合流するところで道が広がっており、いつもそこに停め置きしています)


■延喜式神名帳
加夜奈留美命神社の論社
[境内末社 葛神社] 瀧本神社の論社、氣吹雷響雷吉野大國栖御魂神社の論社

■旧社格
村社

■祭神



「飛鳥の神奈備」に鎮まったとされる加夜奈留美命を祀るとする社。「奥飛鳥」とも称される「飛鳥川」上流の山中の集落、「栢森(かやもり)」内に鎮座しています。
◎「出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)」に、「大穴持神の和魂は大御和の神奈備に、阿遅須伎高孫根神は葛木の鴨の神奈備に、事代主神は宇奈提に、賀夜奈流美神は飛鳥の神奈備に鎮座させて皇御孫命の守護神とさせた」とあります。
もう少し詳しくすると「賀夜奈留美命(カヤナルミノミコト)等の御魂を飛鳥の神奈備に坐て皇孫命の近守護と貢置」と。大穴持神が賀夜奈留美命の神霊を神奈備に奉祭したとある社。
◎なお「飛鳥」という地名が用いられていることから鑑みて、「出雲国造神賀詞」は天武朝の時代のものと察せられます。
そして「日本紀略」(11~12世紀頃)には、「賀美郷の甘南備山飛鳥社を同郷鳥形山に遷す」とあります。この「鳥形山」とは飛鳥坐神社のある山のこと。現在はそちらで賀夜奈留美命が奉斎されています。
◎ところがこの「飛鳥の神奈備」は所在不明となっていたため、哀れに感じた当時石上神宮の宮司であった富岡鉄斎氏のはたらきにより、当社に鎮めるということになりました。これは「大和志」が、「栢森(かや)」が「カヤナルミ神」に通ずるということから、当社に宛てていたのを受けてのもの。
◎しかしながら当社はそもそも「葛神社」であり、九頭龍神を祀っていた神社。加夜奈留美命が龍神と化したと考えられなくはないものの、やはり無関係であったとするべきでしょうか。龍神とつながりが深そうな式内社である瀧本神社の方が、可能性は高いと思われます。
◎その九頭龍神は境内社として追いやられ、細々と祀られています。それが「式内社 瀧本神社」の論社として挙げられ、また「式内社 氣吹雷響雷吉野大國栖御魂神社」の後継社ではないかとされます。
◎その「式内社 加夜奈留美命神社」(飛鳥の神奈備)があったと考えられるのは多数挙げられています。一つは明日香村の葛神社(現在記事改定作業中、リンクには飛びません)。もう一つは明日香村の東方、談山神社(未参拝)のある「御破裂山」の西方、当社からは5kmほど北の山中にあった天神社跡。さらにミハ山・雷丘甘樫丘・南淵山・岡寺山・天神山(酒船石のある辺り)、藤本山・細川山なども挙げられています。
◎当ブログにおいてはその「飛鳥の神奈備」を天神社跡(藤本山)であったと考えています。詳細は以下の記事において。


*写真は2018年8月、2020年9月、2022年5月撮影のものとが混在しています。


昭和の良き面影が残る「栢森」集落。当社はこの先に鎮座します。




新緑よりも晩秋が似合う社であるとも思っています。

これまで多くのお社を拝してきた中で、もっともお気に入りの扁額かもしれません。





こちらが境内社 葛神社。


このお社との関連が見出だせませんが…。飛鳥坐神社にも同じ句碑があったと思います。