◆【続】 「飛鳥の甘奈備山」考




前回の記事の続きと補足を。

「飛鳥の甘奈備山」は「藤本山」ではないかという結論に達しました。

「飛鳥の甘奈備山」とは、
「出雲国神賀詞」に「加夜奈留美命加夜奈留美命の御魂を飛鳥の神奈備に坐て皇孫命の近守護と貢置き…」と記されるもの。

また飛鳥坐神社の旧社地でもあります。


「甘奈備(神奈備)」は多くは「山」を指すものの、そうでない場合もごく稀にあります。ここでは「甘奈備山(神奈備山)」であろうとして進めています。

「藤本山」とは明日香村東部に連なる山々の一つ。西から「岡寺山」「藤本山」「細川山」。




上の写真は冒頭写真を拡大し三山の輪郭を示したもの。

撮影場所は「飛鳥板蓋宮」伝承地。
山からは西北西の方角。

手前から「岡寺山」「藤本山」「細川山」。
「岡寺山」「藤本山」に関しては左側(北側)の稜線がほぼ一致しています。

この写真から見る限り「岡寺山」「藤本山」の二山に関しては、いわゆる「神奈備型」の山容と言えるかと思います。つまり美麗な三角錐型。

やはり当時の「都から見て」ということが重要であるように思います。

この二山は重なって見えるため、手前の「岡寺山」は背後の「藤本山」に溶け込んでしまいます。
したがって、「飛鳥の神奈備山」は「藤本山」であると考えた次第。

この方角というのは、北東から南へおよそ30度ほどの東南東。
この方角は冬至の日に朝日が昇る方角。あくまでも推測に過ぎませんが、宮を営んだのは皇極天皇であり即位は1月のこと、「飛鳥の神奈備山」山頂から朝日が昇るように見える地に宮を造ったのではないかと。


こちらは「稲渕」方面。

「神奈備」型の山は見当たりません。


上の写真は「岡寺山」「藤本山」「細川山」を南側から見たもの。気都和既神社の西方から。

ちょうど中央辺りが「藤本山」、左側が「岡寺山」、右側が「細川山」。


仮に「藤本山」を「飛鳥の神奈備」であるとすると、これを踏まえて飛鳥のさまざまな史跡を見直す必要があると思います。

上の写真は「蘇我入鹿首塚」から見た「藤本山」方面。首が飛び落ちたところに設けたとされますが、もちろんそれは説話として…。

邸宅が造られた甘樫丘の東麓にありますが、「飛鳥の神奈備」を美しく仰ぐことができる地でも。

これは考え過ぎでしょうか?


上の写真は「飛鳥水落遺跡」。

こちらも「飛鳥の神奈備」を意識した場所に造った?背景に入れて撮ってみました。


今後は飛鳥を巡る際には、
「飛鳥の神奈備」を意識しながら行いたいと思っています。