気都和既神社
(きつわきじんじゃ)


大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村大字上字茂古の森172
(社前道路に路駐可)

■延喜式神名帳
氣都和既神社の比定社

■旧社格
村社

■祭神
気都和既命
天児屋根命


暗殺された蘇我入鹿の首に藤原鎌足が追われ、当地まで逃げ来て「もう来ぬだろう」と安堵した伝承に基づく「茂古の森(もうこのもり)」に鎮座する社。後世の付会でしょうか。鎌足が腰掛けた岩も座します。
創建については不明。鎌足の伝承自体が後世の付会と思われるので、それ以前から鎮座していたかどうかは決められないと思います。
ご祭神は元々、気都和既命の一座。明治に近隣の春日社と細川社(いずれも天児屋根命)を合祀したとのこと。気都和既命は「新撰姓氏録」に見える気津別命のようです。「真神田曽彌連 神饒速日命六世孫伊香我色乎命男気津別命之後也」とあり、真神田宿禰の祖ということに。当地は万葉集に唄われる「真神の原」と考えられています。
気都和既神の神格として、あるいは後世に付加されたものか、「水分神」という考えもあるようです。冬野川の上流、水分神を祀るのには絶好の地ですが、「みくまり」が「みこもり(身籠り)」に転化したのではないかというもの。社地の片隅に子安地蔵があるのはそのせいかもしれません。 


元々はこちらが参道であったと思われます。

その元参道の脇にある磐座らしきもの。

現在の参道。



鎌足が腰掛けた伝えられる岩。