大仁保神社 (明日香村入谷)


大和国高市郡
奈良県高市郡明日香村大字入谷字マンゾ
(400~500mほど麓に駐車スペース有)
(近年道路整備されたらしく、そこまでの道は通行困難な箇所は一切無し、「天空の里」を目指して進めば着きます)

■祭神
仁徳天皇


「奥飛鳥」の最深部、標高450mの山頂付近、「入谷(にゅうだに)」集落の頂に鎮座する社。
◎「入谷」はもちろん「丹生谷(にゅうだに)」からの転訛であろうと、また社名の「仁保(にほ)」も「丹生(にふ)」からの転訛であろうと推されます。
◎当社は丹生都姫命巡行の候補地の一。丹生都比賣神社に伝わる「天野告門(あまののりと)」という平安時代の書に、紀伊国伊都郡「奄太村石口(いわくち)」に降臨、次いで「川上水分ノ峯ニ上リ坐シテ」とあり、さらに「下リ坐シテ十市ノ郡布々支丹生ニ忌杖刺シ給ヒ 下リ坐シテ巨勢ノ丹生ニ忌杖刺シ給ヒ 下リ坐シテ宇智ノ郡布々支丹生ニ忌杖刺シ給ヒ」とあります。
◎「川上水分ノ峯ニ上リ坐シテ」というのが丹生川上神社 中社に比定。「十市ノ郡布々支丹生」が明日香村「入谷(にゅうだに)」が当社に比定。そして「巨勢ノ丹生」が大仁保神社(高取町丹生谷)に比定。さらに「宇智ノ郡布々支丹生」が丹生川神社に比定されています。
◎また紀の皇極天皇三年(644年)の条に「蘇我大臣蝦夷は長直(ナガノアタヒ)を大丹穂山に遣はして桙削寺(ほこのきでら)を造らせた」とあり、「大丹穂山」の候補地の一つが当地。「大和志料」は大仁保神社(高取町丹生谷)の方を宛てていますが。
◎おそらくは当地にて水銀採掘が行われていたことかと思います。地元民に伺ったところでは水質は至って良いとのこと。したがって創建はともかく、創祀レベルであれば弥生時代または古墳時代に遡るかもしれません。
◎当地までの道のりは、都から「奥飛鳥」とも称される「稲渕」「栢森」(かやのもり)集落を抜けてくるもの。さらにこの先は吉野へ。古代からの幹線道路でした。「妹峠」または「苧峠」(いずれも「いもとうげ」)、あるいは「苧峠」で「からむしとうげ」とも称されます。県道15線に取って変わられていますが、古代は険しい杣道。この峠の最も高いところが「入谷」集落。現在は草むらに覆われているものの、その後が微かに残っているようです。
◎この峠は大海人皇子(天武天皇)が大津宮から飛鳥を経て、吉野へ脱出した際に越えたルートであろうとも。犬養孝氏は丹生族が大海人皇子を支持したと考えています。また天武即位後、そして崩御後に妻の持統天皇が何度も吉野宮へ巡行した際には、この峠を越えるのが自然であろうという考えも(吉野郡の葛上白石神社の記事参照)










おそらく真ん中辺りが高取城のあったところ。

「天空の里」と呼ばれているようです。

地元のおばあちゃんはしきりに「阿倍野ハルカス」が見えると強調されていましたが。