[備中国] 吉備津神社 
*写真は2012年5月に撮影したもの



*紀に記される「吉備津彦命」についての記事とします。記に記される「吉備津彦命(稚武彦命)」は別神とします。


■表記

紀では彦五十狭芹彦命(ヒコイサセリヒコノミコト)、五十狭芹彦命、吉備津彦命。記では毘古伊佐勢理毘古命、大吉備津彦命。他に吉備都彦命など。

記においては、吉備津彦命は紀では弟神となっている稚武彦命であり、系譜の混乱か意図したものか。また彦五十狭芹彦命と五十狭芹彦命を別神とする考えもあります。
さらに奈良豆比古神を同神とする考えも。


■概要
第七代 孝霊天皇の御子、四道将軍の一人として山陽方面に派遣されました。桃太郎のモデルとなったとも言われています。
◎鬼は温羅(ウラ)と呼ばれ百済国の王子であったとも。吉備津彦神は「吉備の中山」に陣を張り戦ったとされています。平定後はその中山で吉備国を治め(茅葺宮)、墓所(中山茶臼山古墳)もそこに設けられました。吉備津神社は住居跡とも考えられています。
◎この温羅との戦いは鉄を巡る覇権争いであったとも。鉄資源の確保を大きな課題とした大和朝廷と、吉備国との激しい戦いであったと考えられています。
◎また他の登場場面として武埴安彦の謀反(詳細は → 前編後編にて)があります。武埴安彦の妻である吾田姫を討ったものですが、9月9日に吉備国へ派遣され9月27日に大和へ逆戻り。吉備国へ派遣されたのは彦五十狭芹彦命で、吾田姫を討つのは五十狭芹彦命で、このことが別神という考えが起こる原因です。

◎「温羅」の伝承


■系譜
孝霊天皇と倭国香媛との間の御子神。
同母兄弟の中には姉として倭迹迹日百襲姫命と稚武彦命が、稚異母兄弟の中には第8代 孝元天皇。
紀では稚武彦命は吉備氏の祖となりました。(記では吉備津彦命が祖とされています。なお子に関しては記紀ともに記述はありません。


■祀られる神社(参拝済み社のみ)
[大和国添上郡] 奈良豆比古神社

[大和国添上郡] 楢神社

[備前国] 吉備津彦神社
[備中国] 吉備津神社

*関連史跡や主な境内社等
[山城国 相楽郡] 祝園神社 … 武埴安彦の悪霊を鎮める社

[大和国城下郡] 孝霊天皇 黒田廬宮跡 … 吉備津彦神の出生地伝承有り
[備後国] 天別豊姫神社 … 配祀


*墓所



[備前国] 吉備津彦神社
*写真は2012年5月に撮影したもの