☆孝霊天皇 黒田廬宮跡
(くろだいほとのみやあと)



大和国城下郡
奈良県磯城郡田原本町字寺垣内
(P有、寺院の境内なので注意が必要)



第7代孝霊天皇の宮跡伝承地。
残念なことに、この聖蹟に法楽寺などという仏教施設が建てられてしまいました。中世に焼失したものの、現在も建造物が一つ残ってしまっています。

孝霊天皇の事績は記紀には記されておらず、系譜のみが存在。これが欠史八代とされる大きな所以になっています。

主だった系譜を挙げると、まず一皇后・三妃・八子女がいて、著名なところでは第8代孝元天皇、倭迹迹日百襲姫、彦五十狭芹彦(吉備津彦命)、稚武彦命あたりでしょうか。

倭迹迹日百襲姫は卑弥呼説が根強く、箸墓古墳に眠るとされる姫神。臺与説も。
彦五十狭芹彦は四道将軍の将軍の一人で、稚武彦神は遠征に従い活躍。

それまでの大和盆地の中南和地区に集中していた宮が、この天皇の御代に北へ移ります。
神武以降、地盤固めを行っていたのがこの代で勢力範囲を広げたのではないかと。しかも四道将軍の派遣も。

ちなみに皇后は磯城縣主系の細媛命(クワシヒメノミコト)。とにかくこの時代は磯城縣主系の皇后が多く、大和の地盤固めとは主にこのこと。

当地は弥生時代の黒田遺跡があり、南東300mほどには孝霊神社も鎮座。当地から遷座されたという言い伝えも。最有力候補地といったところでしょうか。

他にも候補地はいくつかあり、同じ田原本町内の「伊与戸」も有力な地の一つ。「いほと(いおと)」と「いよと」の訓が通じることから。
また式内社 岐多志太神社の他に、隣接して(境内が一部かかっている)式内大社 村屋坐彌冨都比賣神社が鎮座(境内に別の式内社三社も鎮座)。古代からの要衝地でした。

また当地は「桃太郎伝説発祥地」と「卑弥呼ゆかりの地」として謳っています。

鬼を退治し吉備国を平定したとされる、彦五十狭芹彦(吉備津彦命)の生誕地とされること。
また卑弥呼説が根強い倭迹迹日百襲姫の生誕地と考えられること。

桃太郎伝説はともかく、卑弥呼は…。

※写真は2017年11月撮影と2021年6月撮影のものとが混在しています。