岐多志太神社


大和国城下郡
奈良県磯城郡田原本町伊与戸143
(P無し、参道に続く道路に寄せて路駐か)

■延喜式神名帳
岐多志太神社 二座 靫鍬 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
天香語山命
天児屋根命


城下郡の至って平坦な田畑の真ん中に、こんもりとした小さな社叢にひっそりと佇む社。
◎社伝では天香語山神が石凝姥神(イシコリドメノカミ)と同一神とされ、当社で祀られているとしています。そして当地の祖である物部大木連の一族に鏡作連の祖である鍛治師連(キタシノムラジ)がおり、これらが奉斎する神社とされています。
◎これには問題が二点、まず天香語山神と石凝姥神とを同一神と見るにはあまりに突飛過ぎる発想であると言わざるを得ません。
もう一点は「鍛治師連」は「カヌチノムラジ」であって、「キタシノムラジ」と読ませるのはこちらもあまりに突飛過ぎる発想かと。
これは「大和志料」に基づく見解かと思われますが、少々無理があるかと思います。当地には「カヂヤカイト」という地名があったようで、鍛治師連が奉斎していたというのは異論が無いところ。その祖神二柱が祀られていたということでしょうか。
◎天香語山神が持ち出された背景は二点考えられます。まず一つは当社は明治に現社名に改称される前は「大根命」と呼ばれていましたが、弟神であるウマシマヂ神の孫神に「大祢命」というのがいます。これを同じものと考えてのこと。これについては、当地の旧地名「太鼓地(タイコウヂ、大根神とも記されている)」からきたものと思われます。
もう一つは当地が雅楽に関連のある地であり、笛吹連の祖神である天香語山神が当てられたものと思われます。「ふえのき」「つつみうち」「ひしょだ」といった地名があり、当時の芸能集団が拠点としていた痕跡があります。ここに葛木坐火雷神社の笛吹神社のご祭神である天香語山神が当てられたということ。
◎この芸能集団ということから、同じ城下郡ですぐ近くの村屋坐彌冨都比賣神社との関連が考えられます。この地は雅楽集団の拠点であり、平安の頃には舞楽などのエリート集団が住む「楽戸郷」があったとされ、室町には猿楽の座が起こったとされています。これはおそらく秦氏に関するもの。当社もその秦氏が関わる社であったのではないでしょうか。
◎まったく別の説として、村屋坐彌冨都比賣神社とあまりに近接するため、式内社比定そのものが間違っているのではないかというものも。

*写真は2018年9月と2021年3月、2022年3月撮影のものとが混在しています。