村屋坐彌冨都比賣神社
(むらやにますみふつひめじんじゃ)


大和国城下郡
奈良県磯城郡田原本町蔵堂426
(二の鳥居前にP有)

■延喜式神名帳
村屋坐彌冨都比賣神社 大 月次新嘗相嘗 の比定社
[境内摂社 服部神社] 服部神社 二座 鍬靫 の比定社
[境内摂社 村屋神社] 村屋神社 二座 の比定社
[境内摂社 久須須美神社] 久須々美神社の比定社

■旧社格
県社

■祭神
[配祀] 大物主命
[村屋神社] 経津主神 武甕槌神 室屋大連神 大伴建持大連神
[久須須美神社] 天之久之比命 事代主命
[服部神社] 天之御中主命 天之御鉾命


「初瀬川」西岸畔、川の両岸に広がる「蔵堂」の古い集落内に鎮座する社。忘れ去られたような古びた古社であるものの、式内大社でもあり古代史の復元においては重要な一社であるかと思われます。ただし謎である部分も多く、解明は非常に困難な社であるかと。
◎まずは「平成祭礼データ」をベースに置くことに(大意抜粋)。━━三穂津姫命(高皇産霊命の娘神)は大物主命が国譲りをしたときその功に報いるためと、大物主命のニ心の無いようにという願いから自分の娘を贈られたという神話に出てくる神。大物主命は大神神社の祭神であることから、その后神である当社にも大物主命を合祀し三輪の別宮とも称せられる━━と。
◎こちらでは彌冨都比賣命と三穂津姫命を同神としており、三穂津姫命を当社ご祭神として掲げ祀ると。彌冨都比賣命は記紀には登場せず不明。ひとまず同神であるとの仮定で以下を。
◎平成祭礼データは紀に見える、大物主命が国譲りの際に高皇産霊尊から、「汝が国つ神を娶るなら心より帰順したとは思えない、だから我が娘の三穂津姫命を妻とせよ(大意)」とあるのに基づいたものと思われます。
◎大物主命を大國主命と同神であるとみる向きもあり紀にもそのように記されていますが、別神であると考えています。
出雲国の美保神社三穂津姫命が鎮座します。ところが「出雲国風土記」にはその社は記されていても三穂津姫命の神名が記されていません。大國主命と奴奈川比売(高志国女王)との間の娘神である「御穂須須美姫」と混同したか、あえてすり替えたかによるものと考えます。
従って三穂津姫命は大和の神であり、また大物主命も大和の神であると考えています。つまり大國主命の国譲り神話とは別に、大和でも大物主命の国譲りがあったということに。
◎地元の伝承として大物主命は「三室の丘」に住むようになったとき、三穂津姫命は村屋に移り住んだというものがあります。「三室の丘」については、平群郡の「三室山(神丘神社が鎮座)」とする説もありますが、「三輪山」が妥当なところでしょうか。
◎また「平成祭礼データ」は続けて、━━天武天皇元年(673年)壬申の乱のとき、村屋神が神主にのりうつって軍の備えに対する助言があったという。壬申の乱の功を後世に伝えるために、このとき功のあった三神を回る渡御が例祭に行われていた。三神とは村屋神を祀る村屋神社(境内摂社)、事代主命を祀る久須須美神社(境内摂社)、生雷神を祀る森市神社である━━と。
◎これは紀の━━村屋神・高市の事代主神(飛鳥坐神社または河俣神社か)・身狭の生霊神(牟佐坐神社)から大友皇子軍来襲予告の神託があり、軍を備えさせた。そこで大海人皇子軍は上ツ道・中ツ道・下ツ道それぞれに軍を配備した━━
さらに━━村屋神が祝(神官)に神懸かって「我が社の中の道を防ぐように」と神託があった━━とあるのを受けてのものかと。
◎ここでいう「中の道」とは「中ツ道」のこと。往古は現在も遥かに広い境内で、当社の中を通っていたのであろうと思います。ところが当社の境内社 村屋神社の案内にもあるように、村屋神は村屋神社のことを指すのではないかと考えられています。この場合、経津主神と武甕槌神のニ神であるとも。
◎創建時期については、神武元年に媛蹈鞴五十鈴姫に村屋の神等を祭祀させたというもの。また崇神天皇七年には伊香色雄に命じて、村屋坐彌冨都比賣神に韴霊(ふつのみたま)を奉じたとあります(境内摂社 村屋神社か)。
大物主神が合祀されたのは垂仁天皇の御代とされています。
◎「三輪山」山頂から当社を結ぶ直線上に檜原神社が鎮座しています。春秋分の日に「二上山」の間に日が沈む位置で、かつ「太陽の道」上の位置を緯度上で檜原神社の鎮座地を選んだとするなら、経度は当社に合わせたのかもしれません。
◎近くに「伊与戸」という地名があり、「魏誌」倭人伝にある「壹与」との関連を指摘し、三穂津姫命のことではないかとする説もあります。
◎寂れきってはいるものの近年は少しずつですが境内は整備されてきており、ごく希に他の参拝者を見かけることもあります。もっと注目されるべき社かと思いますが。

◎以下、境内社の別記事
*境内摂社 村屋神社
*境内摂社 服部神社

*境内摂社 久須須美神社
*境内末社 物部神社


*写真は過去数年にわたる参拝時のものが混在しています。


一の鳥居

二の鳥居