河俣神社


大和国高市郡
奈良県橿原市雲梯町689
(P無し、いつも鳥居前に停めています)

■延喜式神名帳
高市御縣坐鴨事代主神社 大 月次新嘗 の比定社
川俣神社 三座 並大 月次新嘗 の論社

■旧社格
村社

■祭神
鴨八重事代主神


皇孫の守護神となった事代主神が鎮まる「宇奈提(うなて)」の社が当社、「橿原市雲梯町(うなてちょう)」に鎮座します。
◎「出雲国造神賀詞」に「大名持命が皇御孫命の鎮まります国を大倭国と申して、己の和魂を八咫の鏡に取り付けて、倭の大物主櫛甕玉命と名を称えて大御和の神奈備に鎮座させ、己の御子、阿遅須伎高孫根命の御魂を葛木の鴨の甘奈備に鎮座させ、事代主命の御魂を宇奈提に鎮座させ、賀夜奈流美命の御魂を飛鳥の甘奈備に鎮座させ、皇御孫命の守護神と貢りおいて、八百丹杵築宮鎮まり座しき」とあります。
・大名持神の和魂→大神神社
・阿遅須伎高孫根神の御魂→葛木鴨の甘奈備(高鴨神社)
・事代主神の御魂→宇奈提(当社に比定)
・賀夜奈流美神の御魂→飛鳥の甘奈備(不明、現在は加夜奈留美命神社飛鳥坐神社に座す)
大名持神と三貴子は以上のように鎮まりました。なお「杵築宮」とはもちろん出雲大社のこと(記事未作成)
「飛鳥の甘奈備」については以下の記事にて。

◎創建時期については不明。紀の天武天皇即位前期(672年)に「吾は高市社にいる事代主神である。また身狭社(牟佐坐神社)の生霊神である」とあり、また旧事本紀にも「都味歯八重事代主神 倭国高市郡高市社に坐す」とあります。この「高市社」が当社であり、飛鳥時代にはすでに鎮座していたことが分かります。
◎ところが「大和志」は高殿村にあった鴨公社(かもきみのやしろ)に比定しています。これは藤原京跡の大極殿付近にある鴨公神社跡(現在は社殿無し)のこと。当地への鴨族の移動があり祖神を祀っていたようですが、こちらを式内社に当てるのは難ありか。
◎「五郡神社記」には社家長柄首曰くとして「(事代主神は)八十万神を集めて天の高市に昇り、其の誠の至りを陳す。時に高皇産霊尊、天之事代主神命に、宜しく八万四千の邪鬼を統率する大将軍となり、皇孫の為に之を護り奉れと命じ… (以下略)」とあります。被征服者ではあるものの、すべての国津神を統率する神となったことが分かります。なおこの「天の高市」であると謳っているのが式内大社 天高市神社
◎そもそも事代主神をなぜ「宇奈提」に鎮める必要があったのかが謎。事代主神は鴨族が太古より斎祀っていた神。出雲国にはほとんど痕跡は無く、大和葛木地方の土着神と見なして問題無いかと思います。鴨都波神社が事代主神を祀る全国総本宮であろうかと。
◎また大名持神の和魂を大神神社に鎮めたとありますが、こちらも受け入れられるべきものではないかと(一般的には大國主命が大物主神のことであるとされています)
崇神天皇の御代には、鴨族の血を引く太田田根子に「三輪山」の祭祀を復活させていますが、この時に事代主神を「三輪山」の神霊に宛てたのではないかと考えています。神名は大物主神としてぼやかされたようにも取れますが。
◎共に事代主神を祀ると思われる葛木地方の山(「高天山」や「大和葛城山」)と「三輪山」に挟まれた、大和盆地の真ん中に飛鳥の都が営まれたわけですが、東西両サイドの守護では物足らずに都の側でも祀ろうとしたのか。
◎社名については式内大社 川俣神社(木葉神社に比定)との混乱から付いたものと考えられています。これほどの由緒を持つ神社でありながら、現在の荒廃ぶりは残念な限り。
◎なお山城国の賀茂御祖神社(下鴨神社)は当社と同緯度にあり、当社を基準に鎮座地が選ばれたことが分かります。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。



いつもこの前にギリギリに寄せて停め置きしています。

忘れ去られたように誰も見向きもされない社に。参道は近隣農家の通路ともなっており、目が合うといつも不審者の如くの眼差しを向けられるので要注意。