天高市神社
(あめのたけちじんじゃ)


大和国高市郡
奈良県橿原市曽我町659
(参道脇Pの奥2台分が当社P)

■延喜式神名帳
天高市神社 大 月次新嘗 の比定社

■旧社格
村社

■祭神
事代主命
品陀別命 息長帯姫 比売神


「式内大社 天高市神社」の比定社とされているものの、創建由緒や祭神等も諸説分かれ不明となっている社。
◎天岩戸神話に「天照大神 天石窟に入りて磐戸を閉じて籠れるとき 八百万神天高市に会し対策を議せり」と紀にありますが、これを当地としたもの。あくまで神話とは言え、切り捨てるのもどうかと。当地になぞらえた可能性もあるのかと。
◎当地であるのなら、ほど近い「天香久山」を高天原と見立てたということにもつながります。頂には國常立神社、中腹には伊弉諾神社・伊弉冊神社、麓に天岩戸神社が鎮座。そして天児屋根命が「龜卜(きぼく)」を行ったとされる「波波迦の木」が植生する天香山神社も。
つまり天岩戸神話のあらゆる材料がここに揃っています。ここが神話の舞台であったのかどうかはともかく、藤原京の周辺に神話の題材を求めたとも言えそうです。
◎当地のすぐ側で発見された「曽我遺跡」。こちらは5世紀後半から6世紀前半の遺跡で、勾玉や管玉など80万点(資料により200万点)、トラック20台分というおびただしい量が出土。すぐ南には天太玉命神社が鎮座し、当地は忌部氏の本貫地。国家祭祀の中心を担っていたことがよく分かります。
◎ご祭神については諸説あり一定していませんが、「神名帳考証」に言う天津日子根神(高市県主の祖)が妥当なところでしょうか。素盞嗚神であったという説も根強くありますが。中世以降には曽我八幡神社と称され八幡神を祀っていました。また神像が四座あるらしく(いつ頃の作かは未確認)、ご祭神も四柱に合わせたものかと思われます。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。


子供の頃の通学路近くに鎮座。当時は鬱蒼とした林の中にあり近づくのも憚られましたが、現在は宮司さんの献身の賜物か清浄な社に。



扁額は「八幡宮」。地元では八幡宮でしか通用しません。