鴨都波神社
(かもつばじんじゃ)


大和国葛上郡
奈良県御所市宮前町514
(P有)

■延喜式神名帳
鴨都波八重事代主命神社 二座 並名神大 の比定社

■旧社格
県社

■祭神
積羽八重事代主命
下照姫命
[配祀] 建御名方命


鴨族による事代主神を祀る社。高鴨神社を上鴨社、葛木御歳神社を中鴨社、当社を下鴨社とも呼び、鴨族が「大和葛城山」・「高天山(金剛山)」から農耕を行うため、麓に移住してきた様子が見てとれます。
◎事代主神は田の神ともされ、大歳神が稲穂の神であるのに対して、事代主神は土地としての田の神ともいえるでしょうか。
鴨族は鍛治技術に長けており、主に農具の開発・革新を行い、またその技術を全国に広めたとも想像できます。
◎神格としてもっとも顕著なのは「託宣の神」であるということ。古代においては「事」と「言」の区別は無かったと考えられ、つまり神の「言」を「代(代わりに申し上げる)」する主。その対象となる「神」は鴨大神(アヂシキタカヒコネ神)なのか、高木の神なのか、それとも特定の神ではなくさまざまな神のことなのか。もちろん大國主神ではないことは明白、記紀編纂者により意図的に結び付けられました。
◎諸説あるものの事代主神は紛れもなく鴨族の神であり、後の時代のさまざまな潤色を取り除けば、当社がこの神の総本宮という見方ができると思います。当社由緒にも「当社が事代主信仰の本源である」と明記されています。高市郡(橿原市)に鎮座する「式内大社 河俣神社」(比定社は河俣神社)も、大和朝廷の意思により神霊が鎮められたとも言えそうです。
◎実在についてはともかく、神武天皇には長女の媛蹈鞴五十鈴媛が妃に、第2代綏靖天皇には次女の五十鈴依媛が妃に、第3代安寧天皇には孫娘の渟名底仲媛(ヌナソコナカツヒメ)が妃になり、外祖父として君臨しました。現在でも皇室の守護神である宮中八神の一柱として手厚く祀られる神。鴨族は事代主神の時代に最高の権勢を誇りました。
◎その事代主神、「神名帳」には「鴨都波八重事代主命」と記されていますが、他の古書には「鴨都味波八重事代主命」または「鴨味都波八重事代主命」ともあります。
◎後者を分解すると「鴨」「味都波」「八重」「事代主命」。「八重」は数多くといった意味でしょうか。残りのうち「味都波」を「水端(ミズハ)」と捉えるなら、事代主神が水神としての神格を有していたのか、もしくは水神(ミヅハノメ神)と事代主神の二柱を祀る社であったとも考えられます。その場合、ミヅハノメ神が後の時代に下照姫に取って変わったということでしょうか。
また前者を分解すると「鴨」「都」「味波」「八重」「事代主命」に。すると「都(接続詞=の)」「神(ミワ)」、つまり「鴨の神」となります。
◎「神名帳」に挙げられる二座のもう一柱は不詳とせざるを得ないのでしょうか。現在のもう一柱は下照姫命とされますが、本来は高照姫命であったのではないかと考えます。下照姫命と高照姫命は同神とみる向きが趨勢であるものの、別神であろうと。下照姫命は高鴨神社に鎮まる味耜高彦根命の妹、高照姫命は事代主神の妹。

◎当社周辺には弥生時代中期(西暦前後)から古墳時代にかけての遺跡が広がることから、創祀はその頃からであろうと考えられています。
また創建については、大田田根子神の孫神である大賀茂祇命(オオカモツミノミコト)が奉祭したのが始まりとされ、大神神社の別宮とも言われています。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。









拝殿が部分的に回収中(2021年3月)

2021年3月、ご本殿の左右両脇に祠が建てられました。これはかつてあったものを再建したもの。大国主命の荒御魂(右殿、向かって左側)と和御魂(左殿、向かって右側)を祀るとのこと。

格子の隙間から少しだけ荒御魂を祀る祠が見えます。

新装された境内社の少彦名神を祀る社。事代主神が大國主神の御子神として結び付けられたことによるものでしょうか。鴨族は後裔に役小角(エンノオヅヌ)ら修験道の祖を輩出、陀羅尼助(だらにすけ)という薬も作っていたことから医薬技術にも長けていたと考えられます。

鎮守の杜


素戔嗚命を祀る八坂神社。

市杵島比売命を祀る笹神社。