鴨公神社跡
(かもきみじんじゃあと)


大和国高市郡
奈良県橿原市高殿町鴨公
(藤原京Pを利用)

■延喜式神名帳
高市御縣坐鴨事代主神社 大 月次新嘗の論社

■祭神
事代主命


かつて「藤原宮」の大極殿跡に鎮座したとされる社。現在は写真の通り、植樹された1本が御神体代わりに瑞垣で囲まれたもの。「鴨公森」を再現した樹叢で覆われています。
◎この社を式内大社 高市御縣坐鴨事代主神社に宛てるのは「大和志料」。「高殿村に在り今大宮と称す 又の名鴨公森(かもきみのもり)」とありますが、当地がまさしくそれ。
◎式内大社の比定社は「雲梯町(うなてちょう)」に鎮座する河俣神社。「出雲国造神賀詞」には「事代主命の御魂を宇奈提に鎮座させ…(→ 詳細は河俣神社参照)」とあり、この「宇奈堤(うなて)」が現在の「雲梯町」に対応します。
◎また紀の天武天皇即位前期(672年)に、「吾は高市社にいる事代主神である。また身狭社(牟佐坐神社)の生霊神である」とあり、さらに「旧事本紀」にも「都味歯八重事代主神 倭国高市郡高市社に坐す」とあります。
なおこの「高市社」については、河俣神社のことであろうと思われますが、曽我町に鎮座する天高市神社(式内大社 比定社)であるとも考えられます。

◎鴨公神社は藤原宮大極殿跡に創建されていますが、「藤原京」は和銅三年(710年)に平城京に遷都されるまで宮殿として存在していました。つまり鴨公神社が創建されたのは710年以降。紀や「旧事本紀」の記述を正しいとするなら、「高市社」は当社のことではないと言えます。
◎当社を奉斎したのは鴨君の後裔と考えてよいかと思われます。高鴨神社葛木御歳神社鴨都波神社を本貫とした氏族で、いわゆる地祇系の鴨族。大田田根子(大物主神の子または後裔)の孫である大鴨積命(大賀茂都美命)を始祖とします。その大鴨積命が鴨都波神社を創建した際に「鴨君」姓を賜り、後に壬申の乱で功のあった鴨蝦夷の時に「鴨朝臣」姓を賜っています。
「新撰姓氏録」には「大和国 神別 地祇 賀茂朝臣 大神朝臣同祖 大国主神之後也 大田田祢古命孫大賀茂都美命(一名 大賀茂足尼)奉斎賀茂神社也」とあります。賀茂神社とは高鴨神社のこと。
これとは別に「摂津国 皇別 鴨君 彦坐之命之後也」とあります。これは大阪市鶴見区放出東の阿遅速雄神社を奉斎した氏族であろうと思われます。大和の鴨君から分派したと考えられますが、彦坐命に系譜を繋げた理由は不明。

◎なぜこの大極殿跡に鴨族の末裔たちが奉斎する社を建てたのか、いろいろと想像してみたくなるところではあります。大和の西に高鴨神社葛木御歳神社鴨都波神社、東に大神神社、そして真ん中に河俣神社天高市神社・当社(鴨公神社)と整然と配されているのは偶然ではないと思われます。


*写真は2019年2月と2022年8月撮影のものとが混在しています。


「鴨公森」が再現されています。






「鴨公神社」と刻印。

左は天香久山、右は甘樫丘か。