檜原神社


大和国城上郡
奈良県桜井市大字三輪字檜原
(P有、大神神社からは徒歩20~30分)

■延喜式神名帳
卷向坐若御魂神社 大 月次新嘗相嘗 の論社

■祭神
天照大神若御魂神
[配祀] 伊弉諾尊 伊弉册尊


大神神社摂社。「倭笠縫邑」の伝承地(元伊勢)の一つ、最有力候補地と言えるでしょうか。「三ツ鳥居」を有する希少な社でも。
◎崇神天皇の初め、国内に疫病が蔓延し人民が半分以下になるまで減るという非常事態に陥りました。「神淺茅原(かむあさぢがはら)」にて毎朝夕天神地祇に祈りました。ところが一向に収まる気配はなく、天照大御神と大和大國魂との「同床共殿」が原因ではないかと考えるに至ります。そこで崇神天皇六年、天照大御神の神霊を豊鋤入姫命(トヨスキイリヒメノミコト)に託し「倭笠縫邑」へ、大和大國魂の神霊を渟名城入姫命(ヌナキイリヒメノミコト)に託し大和神社へ遷すことになりました。
「倭笠縫邑」では33年間奉斎が続けられました。当社地はその候補地の一つ。
◎その「倭笠縫邑」の所在地についての議論は多種多様に展開され、永遠に決着しないのかもしれません。おそらくその候補地として挙げられているのは10箇所以上。それほど関心の高いテーマであり、いずれの候補地もそれに見合う由緒を持ち、祭祀の有り様を現在まで維持しているかと思います。
◎紀には、豊鋤入姫命が天照大御神の神霊を「磯城(しき)の厳橿(いつかし)の本」に祀り、「磯堅城の神籬(しかたきのひもろぎ)」を立てた、とあります。これがどのようなものであるのかは諸説ありますが、おそらくこれが神社の原型であろうかと。削ぎ落とした言い方をすれば「仮説の祭祀場」。社殿等の施設が設えられて、常設化する前のもの。
◎その「倭笠縫邑」で33年間奉斎された後、天照大御神は丹波(後の分割独立した丹後)「吉佐宮」、大和の「伊豆加志本宮」、紀伊の「奈久佐浜宮」、吉備(吉備国または紀伊国名草郡吉備)「名方浜宮」で計21年間奉斎された後、再び「倭笠縫邑」へ。そして倭姫命に託され各所を経て伊勢の神宮へ鎮まったとされます。
◎当社の信仰の対象は「三輪山」であり、御神体は磐座でしょうか。瑞垣で覆われており、遠目にしか拝することはできません。それほどのものかと思われます。
◎「檜原」は「日原」とも称されており、当地は日祀りの聖地でもあったとされます。春秋分の日には鳥居の真ん中に覗く二上山のちょうど間に日が沈みます。
◎境内には豊鋤入姫宮が鎮座。こちらは昭和六十一年に創祀されたもの。

*写真は過去数年に渡る参拝時のものが混在しています。



真ん中に小さく見えるのが「二上山」。春秋分の日には数多くの写真家が早くから陣取ってしまい、残念ながら日が沈む瞬間を見ることは叶いません。







可能な限り磐座を拡大してみました。




*誤字・脱字・誤記等無きよう努めますが、もし発見されました際はご指摘頂けますとさいわいです。