ミトコンドリアは細胞内でエネルギー(ATP)を産生する極めて重要な小器官であり、とくに卵子や初期胚の発育において中心的な役割を果たします。卵子の中には数十万コピーのミトコンドリアDNA(mtDNA)が存在し、その機能と量が適切でなければ、受精や着床、胚発生のすべてに悪影響を及ぼします。
年齢を重ねるごとに、卵子内のミトコンドリアは数が減り、構造的・機能的にも劣化することが知られています。近年では、ミトコンドリア機能の低下が、加齢に伴う卵子の質の低下や反復着床不全、受精障害、さらには胚の発育停止に関与することが明らかになってきました。
こうした背景をもとに、近年注目を集めているのがミトコンドリア置換技術(Mitochondrial Replacement Techniques: MRT)です。本来は母系遺伝するミトコンドリア病の予防を目的に開発された技術ですが、現在では不妊治療における卵子の機能改善法としても研究が進められています。
MRTは大きく分けて2つの方法に分類されます。一つは、健常な第三者ドナーからミトコンドリアを供給する「異種(heterologous)」アプローチ。もう一つは、患者自身の細胞から採取したミトコンドリアを用いる「自家(autologous)」アプローチです。
異種MRTには、母体紡錘体移植(MST)、前核移植(PNT)、極体移植(PB1T、PB2T)などがあり、すでに動物実験だけでなく、ヒトへの臨床応用も進んでいます。たとえば、英国では2015年にPNTが法的に認可され、2023年にはスペインでMSTを用いた臨床研究が行われ、19回の胚移植で6名の生児出生が報告されました。注目すべきは、そのほとんどでドナー由来mtDNAの混入率(ヘテロプラスミー)が1%未満であった点です。
一方、自家MRTは、倫理的な懸念や法規制を回避し得る利点があるものの、実用化には課題も残されています。たとえば、アメリカで開発されたAUGMENT法は、卵巣皮質から抽出した幹細胞(OSCs)由来のミトコンドリアをICSI時に卵子へ注入する方法ですが、無作為化比較試験(RCT)では明確な効果は示されませんでした。顆粒膜細胞や脂肪・骨髄・尿由来の幹細胞からミトコンドリアを抽出して補充する試みも行われていますが、臨床的な有効性や再現性にはばらつきがあります。
異種MRTの最大の課題は、わずかに混入する患者自身のmtDNA(ヘテロプラスミー)が将来的に何を引き起こすかという未確定要素です。特に一部の研究では、初期段階でドナー型mtDNAが優勢であっても、培養環境や発生過程で逆転(母体型mtDNAの優位化)する可能性が指摘されており、慎重な経過観察と長期的な追跡調査が求められています。
また、日本では現時点でMRTの臨床応用は認可されておらず、すべて研究段階にとどまっています。国内での臨床応用には、技術的課題だけでなく、倫理的・法的な整備も必要不可欠です。
卵子の質に起因する不妊症例において、卵子提供以外の選択肢が限られている現状において、MRTは将来的に「自分の遺伝情報を受け継ぐ子を持つための第三の選択肢」となる可能性を秘めています。しかしそのためには、臨床試験による十分なエビデンスの蓄積と、安全性を担保する制度的整備が不可欠です。
不妊治療において、今後もMRTに関する研究の進展と、その応用可能性について注視していく必要があります。
Subirá J, et al.
Mitochondrial replacement techniques to resolve mitochondrial dysfunction and ooplasmic deficiencies: where are we now?
Hum Reprod. 2025;40(4):585–600.
https://doi.org/10.1093/humrep/deaf034