『点と線』 何故、香椎が舞台に?
「⑤ 国鉄香椎駅」
「⑥ 二つの香椎駅」
「⑦ 西鉄香椎駅へ」
「⑧ 香椎浜」
「⑨ トリック崩し」
「(番外)西鉄香椎駅の清張桜」 に続く。
↓ 西鉄香椎駅前の「清張桜(正式名称は=清張ゆかりの桜)」は満開です。
例年どおりだと、この「清張桜」の下で「第3回『点と線』香椎桜まつり」が開かれる予定だった。 今年はコロナ感染予防のために中止です。
* 2018年「第1回『点と線』香椎桜まつり」 (西鉄香椎駅の清張桜)
松本清張の『点と線』は昭和32年(1957年)、雑誌「旅」への連載から始まった。 翌年刊行されるとベストセラーとなり、推理小説ブームを起こしたのです。 終戦後の混乱から抜け出し、高度経済成長に突き進み出した時代。 うっちゃんが、この推理小説を読んで映画(TVでの再放送)を見たのは、作品の発表から20数年後の30歳代の頃です。 時は経っていたが・・・犯罪の動機とか、裏に隠れたトリックには、面白さを感じた。 物語の主要な舞台の一つとして香椎の町が登場するので・・・福岡の住人としては、興味も持っていたのです。
松本清張 (東京駅13番ホームにて)
しかしながら、何故、香椎が舞台に? 『点と線』のブログ(シリーズ)の中で、その辺のところに触れて行きたいと思う。 ブームを起こして60年以上経っています・・・また、松本清張が没して28年・・・『点と線』を知らない、という方もおられるでしょう。 本とDVDを紹介しておきます。
新潮文庫 TOEI-VIDEO
新潮文庫は260ページ・・・一日あれば、読んでDVD(90分)も見れる。 面白いです・・・但し、交通機関に関して、現在とは違う時代であることを頭に置いて下さい。 小説の展開と映画の脚本は異なっている。 また、映画の中の旧国鉄香椎駅、旧西鉄香椎駅、西鉄踏切は懐かしいけど、ちょっと違う、など・・・面白い発見もあるかも。 そんな話を今後のブログ(シリーズ)で紹介して行きます。
さて、『点と線』の物語の展開は、東京・福岡・北海道と幅広い。 以前から思っていたのだが・・・その福岡のなかで、何故、香椎なんだろう?、って。
新潮文庫(22p)の第2章は「香椎」の紹介から始まる。
鹿児島本線で門司方面から行くと、博多につく三つ手前に香椎という小さな駅がある。 この駅をおりて山のほうへ行くと、もとの官幣大社香椎宮、海の方に行くと博多湾を見わたす海岸に出る。 前面には「海の中道」が帯のように伸びて、その端に志賀島の山が海に浮かび、その左の方には残の島がかすむ眺望のきれいなところである。 この海岸を香椎潟といった。 昔の「橿日(かしい)の浦」である。 太宰帥(だざいのそち)であった大伴旅人(おおとものたびと)はここに遊んで、「いざ児ども 香椎の潟に白妙(しろたえ)の 袖さへぬれて朝菜摘みてむ」と詠んだ
*(三つ手前=千早駅は未だ無い 残の島=能古島)
当時のブームを起こした小説の中で、これほど香椎を宣伝してくれたことは、香椎の住人として大変うれしい。 でも、この香椎の紹介を読みながら、情景が浮かんで来る人も少なくなった。 今は、海の方に行っても博多湾を見わたす海岸はないのだ。
↓ 現在の地図と昭和32年頃の地図の海岸線を見比べて下さい。
↓ 現在の地図
↓ 当時の海岸線
赤点線は事件現場までの経路
松本清張は北九州市で生まれ育っている。 朝日新聞西部支社の勤めから、昭和29年(1954年)の46歳の時に東京本社へ転勤。 朝日新聞を退社して、昭和32年(1957年)に『点と線』を書き始めます。 香椎を紹介するくだりは、東京で執筆しているのです。 事件現場となる香椎海岸に似た場所は、生まれ育った北九州市の若松辺りに沢山あるのに・・・何故、香椎なんだろう? どうして、こんなに香椎の事に詳しいのだろう?
家が貧しかった清張は、小学校卒業後に小さな電気会社の給仕をしたり、印刷会社に勤めて家計を助けていた。 その間も、芥川龍之介・夏目漱石・菊池寛などを読みあさっていたようだ。 また、歴史が好きで、近くの史跡や遺跡にも足を運んでいた。
昭和6年(1931年)清張22歳の時に、勤めていた印刷会社から、半年間だけ福岡市にある嶋井印刷所(博多豪商三傑の一人・嶋井宗室の末裔が経営)に見習いに出されているが・・・うっちゃんは、この半年間の福岡市での生活が重要なポイントだと思っている。
当時の国鉄香椎駅
古事記・日本書紀に登場する神功皇后は、明治から昭和20年(1945年)の敗戦までは、学校教育の場で実在の人物(朝鮮出征を成功させたヒロイン)と教えられていた。 歴史が好きな清張は、皇后が祀られている香椎宮と歴史の舞台である香椎の町に、何度も足を運んでいる筈です。 歴史に触れる内に、香椎潟の美しい自然が脳裏に焼き付いたのだと思う。 小さな町なのに、国鉄と西鉄の駅が僅かな距離を置いて存在している・・・これも、この時、清張がどう思ったのか・・・後日のブログで触れます。
神功皇后
推理小説『点と線』の香椎の紹介で、官幣大社香椎宮・香椎潟・大伴旅人は登場しているけれど・・・では、どうして神功皇后が現れないのか? それは、戦後の日本で占領政策を実施したGHQ(連合国軍最高総司令部)が「天皇中心国家体制」の解体を目指したからです。 昭和32年当時、ヒロインであった神功皇后の名を出すことは難しかったのでしょう。
もう一つ大事なことは、『点と線』は「旅」という雑誌の連載でスタートしたこと・・・「旅」の編集担当者が読者の旅行気分をそそるような文面を求めたことは十分に考えられる。 それでも松本清張が「香椎」を選んでくれたことには、ただただ感謝ですが・・・香椎の事件現場の場面をよくよく読んでみると、もっともっと大切な要素があったことが分かる。 そんな事も『点と線』のブログシリーズで取り上げていきたいと思う。
「松本清張の『点と線』 ② 夜行寝台特急『あさかぜ』」に続く。
*清張氏の写真は清張記念館より借りました。
*町地図はマピオンを借用しました。
香椎あれこれ
飲酒運転撲滅!