『点と線』列車食堂と領収証の疑問!

 

松本清張の『点と線』 ①」  「松本清張の『点と線』 ②

松本清張の『点と線』 ③」の続きです。

 

                 

福岡警察署映画は東福岡警察署では、香椎浜で心中した死体の検視が始まっていた。死亡した男(佐山)のポケットから、列車食堂の受取証(領収証)が見つかった。

小説では「受取証」、東映の映画では「領収証」となっている。

 

 日付の昭和33年10月14日は東映映画であり、小説では前年の昭和32年1月14日となる。 どちらとも特急「あさかぜ」が東京駅を出発した日であり、物語のスタートになる。

 

小説の連載終了後に東映での映画化が決定し、撮影開始・・・その年の昭和33年、「あさかぜ」の東京駅出発(10/14)に合わせ、10月の公開予定だったが、実際は1ヶ月遅れた。 昭和33年10月の映画公開予定は、「あさかざ」にとっても大切な月なので、後で触れる。 

 

この食堂車の受取証(領収証)から、少し浪漫を広げてみたいと思う。 

                  

最初に疑問を一つ・・・我々が普通に言葉にしている「領収証」が、松本清張の小説の中では、何故「受取証」なのか?  受け取った物が金銭の場合は「領収証」、物品のときが「受取証」・・・これが一般的な我々の認識だと思っていたが?  間違いではないが、法律上で言えば、どちらとも「受取証(書)」が正しいのだそうだ。 さすがは松本清張

 

小説(新潮文庫 29P)では、「受取証」について、福岡警察署の係長が次のように説明している。

日付は1月14日、列車番号は7、人数は御一人様、合計金額は340円。東京日本食堂の発行だ。何を食べたかわからん

 

小説も映画も列車番号は「7」です。 これは分かりますね。 小説と映画で異なる訳にはいきません。 特急あさかざ」のことで、時刻表の印の場所に記されている。

 

 

」は昔から縁起ナンバー(番号)でした。 「北斗七星」、「七人の侍」、「七草かゆ」、「ウルトラセブン」、野球の「ラッキーセブン」などなど。 野球と言えば、西鉄ライオンズ黄金時代を築いた豊田泰光選手の背番号が「7」でした。 そんな意味から「あさかぜ=7」は、現在でも最高のステータスを感じる。 また、当時の時刻表には、現在では見ることのできないマークが入っている。 印のナイフとフォークをクロスしたマークは「食堂車」が連結されていることを示している。 今では懐かしい。

 

もう一つ気になる点は、食堂車の運営を担当した企業です。 松本清張は小説の中で「日本食堂」と実在企業を明確にしているが、東映映画では単に名称としての「列車食堂」となっている。 「日本食堂」の親会社は、明治時代に創業した神戸市の「ミカドホテル」。 ホテル内の洋食レストランは超一流の評判だったようだ。 大正3年(1914年)、門司港駅の開業と同時に、駅舎2階で高級洋食店「みかど食堂」を出店している。 昨年(2019年)、レトロな門司港駅の保存修理工事の完了に合わせて、「みかど食堂」も復活した。

        門司港駅2019)       みかど食堂2019)

        

 

食堂車のことですが・・・明治時代後期には既に食堂車が走っていて、「ミカドホテル」は「日本食堂」の名で各食堂車の運営を担っていた。 松本清張は小倉に住んでいたので、門司港の「みかど食堂」のことは知っていたであろうし・・・鉄道ファンとして、「点と線」に食堂車を登場させる構想だったので、「日本食堂」は頭のなかにインプットされていたのだと思う。 東映映画が「列車食堂」としたのは、劇場の中で、特定の企業の実名を観客に表せない事情からだろう。

 

映画の領収証の左上に「門司」の字が見える。 東京/博多間を走る「特急あさかぜ」には関係ないように思えるが・・・当時、国鉄の九州地域を統括する「鉄道管理局」が門司港にあったからだ。

 

さて、映画の中の領収証に記されている日付・・・昭和33年10月14日ですが・・・2週間前の10月1日のダイヤ改正で出発した東京発「特急あさかぜ」は、20系で統一された冷暖房完備車両で、初のブルートレインとして輝きながら新登場した。

    

 

初めて「特急あさかぜ」が走り始めた昭和31年(1956年)11月19日の列車編成図では食堂車を示す車両記号は「マシ35系」でした。 新「特急あさかぜ」は「ナシ20系」です。

      マシ35系              ナシ20系

        

つまり死亡した男(佐山)は、小説では「マシ35系」の食堂車、映画では新しい「ナシ20系」の食堂車両で夕食を食べたことになる。 更に興味を引くことは、この時、食堂車を運営する会社も替わっていたのだった。 

 

ブルートレイン運行開始に伴い、食堂車のレストランにも新しい風を吹き込もう、との狙いがあったようだ。 東京の「帝国ホテル」と京都の「都ホテル」が新しく採用された。 昭和33年10月1日から「特急あさかぜ」の食堂車(上記写真 ナシ20系車両)は「都ホテル」が担当した。 東映映画の場合、佐山は「都ホテル」の領収証を持っていたことになる。

       

                

ナシ20系の厨房は完全電化され、それまでの氷冷蔵庫、石炭コンロから電気冷蔵庫、電気コンロが導入され、「都ホテル」は自慢する料理を乗客に提供した。

 

領収証の金額は、小説では「合計金額340円」、東映の映画は「350円+飲食税35円=385円」となっている。 戦後の昭和の時代には、遊興飲食税10%)があった。 小説内では、合計金額で良かったが・・・映画となると領収証現物が画面に現れるので、正確に撮ったのだと思う。 金額が違うのは、1年半の間に値上げになったのか?

 

何を食べたかわからん」と言っている。 昭和31年~33年頃、うっちゃんは子供だったので当時の物価が分からない。 調べてみると、国鉄の初乗りが10円、うどんが20円位だったようだ。 それからすると、結構高級な夕食を食べたことになる。 「ミカドホテル(日本食堂)」や「都ホテル」のステーキやビーフシチュウを注文したのだろうか・・・でも「御一人様?」で有名ホテルのビーフシチュウ食べても、楽しくないと思う ???。

 

松本清張の『点と線』 ⑤に続く。そろそろ西鉄・国鉄両香椎駅付近の話に移ります。

          新潮文庫             TOEI-VIDEO

               

       

* 食堂車両画像と都ホテル列車食堂部の画像は「関西乗車券研究会」から借りています。

* 時刻表画像は「松本清張記念館」から借りています。

 

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