『点と線』 国鉄香椎駅前と果物屋
「④ 列車食堂と領収証の疑問」 の続きです。
新潮文庫 TOEI-VIDEO
『点と線』の構想を書き上げる段階で、清張は若き日に訪れた記憶を確認するために、福岡市香椎を訪れ、筋書きをチェックしているに違いない。 今、私たちは、当時の情景の中にタイムスリップし、その時の松本清張の気持ちに近づきながら、町中を歩き、立ち止まり、昭和32年当時の香椎を感じたい。
福岡警察署の刑事・鳥飼重太郎は、香椎浜での心中に疑問を抱き、香椎の町で独自の聞き込みを行っていた。 一方、心中した男・佐山憲一が属していた××省(東映映画では「産工省」)は汚職事件が進行中で、新聞は大騒ぎだった。 その重要参考人だった課長補佐・佐山が心中で死亡したことを、警視庁の警部補・三原紀一は不審に思い、福岡まで調べに来た。 福岡警察署の鳥飼重太郎は三原紀一を現場に案内すべく香椎に向かった。
二人は、小説では西鉄電車を利用していますが・・・↑ 東映映画では、国鉄に乗っています。 車内での喫煙は当たり前の時代でした。
↓ 蒸気機関車が牽引する列車でした。 香椎駅1番ホームに着いた場面です。
↓ 1番ホームの駅標識板です。これはロケ用なのですが、当時の現物と同じものを制作したそうです。
↓ 昭和34年当時(小説発表2年後・映画封切り翌年)の香椎駅です。香椎駅の全般については、ブログ「JR香椎駅」を参照下さい。
↑ 東映映画で二人の刑事が国鉄香椎駅を降りて来た場面。 駅舎を良く見て下さい。 雰囲気は似てますが・・・。 映画『点と線』のロケ撮影は、全て関東で行われたそうです。 千葉県総武線の佐倉駅を国鉄香椎駅に見立てて・・・屋根に駅名板を掛け、香椎宮の灯篭などを置いて、当時の香椎駅前を再現しました。
駅から歩き始めると、鳥飼は三原に、以前に聞き込みをした駅前の果物屋の話を報告した。
果物屋の店主は、心中があった日の前の晩に、男女二人が国鉄の列車から降りてきたのを見たらしい。 ただし、(新潮文庫 61P)「何しろここからは距離がありましてね。それに駅の明るい電灯で逆光線になっているものですから、人間は黒い影みたいなのもので、顔がわかりませんでした」と店主は答えている。
↑小説では果物屋は駅前の左右どちらか分からないが・・・映画では左側の角になっている。 ↓ この場所には、『点と線』の当時は、「大衆食堂」(昭和34年撮影)があった。
松本清張は、この「大衆食堂」の前に立ったのだと思う。 理由は、果物屋の店主が話した「駅との距離感、駅の電灯による逆光線」の話があまりにもピッタリ一致するからである。
大衆食堂(果物屋)から見た現在の香椎駅
時代が変わって「大衆食堂」は「タバコ屋」になったが、その「タバコ屋」は最近まであった。
↑ そのタバコ屋 ①から、真っ直ぐ西鉄線に向かう道路の両側(緑線)には、割烹料理の「よし本 ②」、「博多王将」、「アイノ写真館 ③」、「マクドナルド」など等、懐かしい店が並んでいた。
現在の駅3階から
↑ 緑線の両側にあったそれらの店も、都市区画整理事業によって、一片の面影も残さずに消えてしまった。
駅前道路両側(緑線)にあった「よし本 ②」と「アイノ写真館 ③」の店主は、『点と線』の時代は二人とも小学生だった。 「駅前の小さな広場でよく三角ベースの野球をしていて、列車が着いて人が降りて来た時だけ遊びを止めた」と、懐かしい話をしている。
新潮文庫57Pでは、鳥飼重太郎が国鉄香椎駅前でぼんやりと廻りを眺めている。「変化のない駅前の風景である。お休み所と書いた飲食店がある。小さい雑貨屋がある。果物屋がある。広場にはトラックがとまり、子供が二・三人遊んでいる。あかるい陽ざしがその上にあった」
これは、松本清張自身が駅前で設定した光景だと思う。「あかるい陽ざしがその上にあった」は、彼がその時に感じた陽の温かさが、まだ記憶に残っていた。 そして、「子供が二・三人遊んでいる」とは、「よし本」と「アイノ写真館」の店主のことだろう。
「松本清張の『点と線』 ⑥」に続く。
*香椎町中の懐かしい写真・及び話は「香椎タウンストーリー」からお借りしてます。
* 町地図はマピオンを借用しています。
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