ずいぶん寂しい所ね!

 

 「松本清張の『点と線』 ①

 「松本清張の『点と線』 ② 夜行寝台特急『あさかぜ』」 

 「③ 香椎浜の心中事件

 「④ 列車食堂と領収証の疑問

 「⑤ 国鉄香椎駅

 「⑥ 二つの香椎駅

 「⑦ 西鉄香椎駅への続きです。

                             (新潮文庫)                     (東映DVD)

                                                          

21時24分着で国鉄香椎駅を降りた安田涼子佐山憲一の二人は、歩いて西鉄香椎駅前を通り過ぎて、海岸の方へ向かった。 数分後の21時35分、西鉄香椎駅で降りて来た安田辰郎

お時が同じ道を後から歩いて行った。 特急あさかぜ」に一緒に乗った佐山憲一お時は、お互いが数分間の距離を置いて歩いている事を知らない。 

 

 西鉄香椎駅前は、踏切方向から来ると突き当りになっていて、西鉄バスがUターン出来るほどの狭い広場になっていた。

               西鉄香椎駅  (昭和30年)

 写真左に桜の木が写っています。 現在の新駅舎前に移植され「清張桜」と呼ばれ親しまれています。   うっちゃんのブログ 西鉄香椎駅『点と線』の清張桜

 

 土地区画整理事業が始まる直前は、正面に「香椎商工連盟」の建物があり、その左手にラーメン屋(食堂?)があった。 「点と線」の時代も、周りにはそれなりの建物が建っていたのではないかと思うが、もう少し寂しい場所だったのだろう。

                     西鉄香椎駅前正面

           

 ラーメン屋の横から浜の方へ行く道があって、安田辰郎お時はその道を20メートルほど進んで(ピンク線)右に曲がり、御島橋の方へ歩いて行った。

西鉄電車から降りて来た地元の会社員が、自分を追い越して行く安田辰郎お時を見たのはこの道だった。 会社員は鳥飼重太郎に証言している。

(新潮文庫66p)「知らない男女の一組が、後から来て、かなり急ぎ足で先に行きました

私の傍を通り抜けるとき、女が男に『ずいぶん寂しい所ね』と言ったのです

         東映映画でお時が「ずいぶん寂しい所ね」と言った場面。

 

お時が「ずいぶん寂しい所ね」と言った場所は、駅からの距離を考えて、ラーメン屋横の道の印辺りになる。 鳥飼重太郎は、「ずいぶん寂しい所ね」の短い言葉から幾つかの要素を考えた。 ① 言葉の調子から博多弁ではないので、土地の者ではない。 ② 言葉の意味から、女にとっては、初めて来た土地だ。 ③ これは、男に同感を求める意味ではなく、この土地を知っている者に、自分が受けた最初の印象をもらした口ぶりだ。 

 

小説の組み立ての中で、「ずいぶん寂しい所ね」の一言だけで、読者に推理の幅と興味を大きく広げさせる感性と言うか・・・松本清張の凄さを感じる。

 

 現在の地図・・・香椎潟は周りを香椎浜照葉の町で囲まれている。 三つの橋(片男佐橋・かたらい橋・あいたか橋)によって、一周約3kmのウォーキングコースを楽しむことが出来る。

 昭和32年(1957年)の「点と線」の頃は、香椎潟が博多湾に向かって大きく広がっていた。

               「点と線」時代の海岸線    

 西鉄香椎駅から青点線のように事件現場までを辿って行きたいが・・・西鉄香椎駅から御島橋印)の間は、区画整理事業によって全てが一度更地になり、再区画された。 よって、当時の道路は消滅して辿れない。 香椎公民館の前から緑点線の様に北に歩き、セブンイレブンから左折して御島橋印)に向かうと良い。

 セブンイレブンから国道3号線の御島橋交差点を撮る。御島橋交差点を渡るには、右側の信号か左側の陸橋を利用する。

 御島橋印)交差点から先は、道幅が狭くなるので歩行者は注意して歩く。 「点と線」の時代、道路の左側は、美しい海岸線だった、と言う。 現在は、その左側に沿って桜の木が植えられ、住宅や小規模のマンションが建ち並び、海岸線だった面影はない。

 「点と線」時代の海岸線地図の中で・・・から印の方向を撮った写真が下です。 時期が不明ですが、昭和30年代後半~40年代前半頃ではないかと思っている。 印の御島橋交差点から、事件現場に至る途中の海岸線が写っている。 後に、この前面の海は埋め立てられてしまう。

 

御島橋印)交差点から事件現場までは、約400メートル・・・約5分ほど歩くと、海岸に沿って走る道路(印付近)にぶつかる。 岩肌の現場はこの手前半径50mの辺りだと思うが、現在はURの大型団地に埋もれて、当時の情景を探し出すことは難しい。

 

 印付近の岩肌の海岸で男女(佐山お時)の死体が見つかり、福岡署から刑事・警察医・鑑識係が来た。 警察医が言った。「男も女も青酸カリを飲んでいますな」 

係長は「無理心中じゃないね。着衣の乱れはもないし、格闘した形跡もない」と言った。

事件現場のことについて、後に、警視庁の三原紀一福岡署鳥飼重太郎に手紙に書いている。(新潮文庫246p)「あなたのご案内で見た現場は、岩肌だらけの海岸です。 少々、重いものを抱いて運んでも、足あとが残りません。犯人にとってはどこまでも計算ずくめです。 おそらく、安田は香椎の海岸を前から知っていて、殺人の場所はそこにしようと考えたにちがいありません

 

安田辰郎が殺人の場所に考えた、と言うことは、松本清張が二つの香椎駅を中心に探し回って見つけた、大変重要な要素(岩肌の場所)になる。 東映映画での香椎海岸岩場シーンの撮影は神奈川県三浦海岸の岩場で行われた。 

 昭和37年の撮影ですから、「点と線」とほぼ同時期の印辺りから撮った香椎潟の写真です。

 左奥に名島の妙見島が見える。 右奥に海の中に立つ御島神社(みしまじんじゃ)の鳥居も見えます。 霞んでなければ、正面が能古島だ。 松本清張もこの地に立って、手前のゴツゴツした岩肌を見た瞬間、「ここだ!」と決めたのだろう。

 整備された現在の片男佐海岸から、同じ方向を撮ってみた。 妙見島は当然の如く、香椎浜のマンション群に遮られて見えない。 の場所に御島神社の鳥居が立っている。 祭神の綿津見大神(海の神様)は、何も語ってはくれないが・・・ 香椎の町の発展をじっと見守っていることでしょう。 

 

松本清張の『点と線』  に続く。

 

 

昭和の町の画像は「香椎タウンストーリー(管理者:柳瀬英昭氏)」からお借りしています。

* 町地図はマピオンを借用しています。

 

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