香椎浜に二人の芥川賞作家が!

 

 「松本清張の『点と線』 ①

 「松本清張の『点と線』 ② 夜行寝台特急『あさかぜ』」 

 「③ 香椎浜の心中事件

 「④ 列車食堂と領収証の疑問

 「⑤ 国鉄香椎駅

 「⑥ 二つの香椎駅

 「⑦ 西鉄香椎駅へ

 「⑧ 香椎浜」 の続きです。

昭和53年(1978年)頃、テレビの人気シリーズに『刑事コロンボ』があった。 それまでの刑事番組と違って、番組の最初から犯人が分かっていた。 愚鈍そうなコロンボが、その事件のトリックを一つひとつ突き崩していく・・・とても面白く、毎回楽しんだ。

              刑事コロンボ (ピーター・フォーク)

                                

 

良く考えると「トリック崩し」と言う点では、それより20年前に発表された『点と線』の展開と同じだ。 福岡署の鳥飼重太郎コロンボは性格面で重なる部分がある。 「特急あさかぜ」の食堂車の領収証が「お一人さま」だったことに対して、鳥飼重太郎は、

 

御一人様? この男は一人で食堂で飯を食べたのですなあ。 しかし、女は同伴(つれ)が食べるときは何かつきあうものですよ。たとえば、プリンとかコーヒーとかですな

 

一枚の領収証から何でこんな発想が出てくるのか・・・この辺りは、コロンボも同じ発想になるのかな、って・・・。 殺人はともかく、仮にうっちゃんが犯罪を犯したとしましょう。 でも捜査担当刑事にコロンボや鳥飼はかんべんしてほしい・・・聞き取りが終わり、一度帰った後に、再びドアが開いて「あ~、あともう一つだけ質問・・・」だなんて、執拗な追い込み方で神経が参っちゃう。(笑) でも、これが本来の刑事なんでしょうね。 

 

                              新潮文庫           TOEI VIDEO

                                    

点と線」では、東京駅の4分間トリックを始め、安田夫婦が仕組んだ幾つものトリックを、警視庁の三原紀一福岡署鳥飼重太郎が切り崩していく。 読んでいて、それでワクワクするのだけど、そのトリックを考え出した松本清張には、改めて感心するばかりであります。

 

文芸評論家の平野  氏が言っている。

それまでの小説の殺人に於いては、犯行の動機は個人悪が多かった。『点と線』は初めて個人悪と組織悪がミックスされている。 社会派推理小説の新時代が来た

終戦から十二年、戦後の混乱を乗り越え、日本全体が高度成長に向かい始めた頃だった。 良い意味で、企業間の競争が高度成長の活力でもあったが、見えない所では行政官庁を巻き込んだドロドロの裏取引(汚職)もあったのだろう。 

 

点と線』では、安田商会(機械工具商)を経営する安田辰郎××省幹部との汚職取引が殺人事件につながった。 小説内では××省となっているが、東映映画ではスクリーン上の××は無理ですね。

↑ 東映映画では「産工省」となっている。 安田辰郎の会社が機械工具商なので、現在の〇〇省(当時の〇〇省)に当たることは想像できるが・・・なにしろ汚職事件として描かれていますから、小説でも映画でも実名はまずいのでしょう。

 

いずれにしても、生活環境が変わると言う事は、良いも悪いも、それまでには無かった社会問題が発生する。 今回の新型コロナ禍も、「新しい生活様式」が求められている・・・すると、今までは無かった社会問題が発生するのかもしれない。

 

さて、点と線』を書くに当たって、清張は、両刑事のように国鉄・西鉄香椎駅から御島橋を通って香椎浜の岩場まで歩いたのだろうと思う。 初めて香椎に来たのは、福岡市内に住んでいた時だから、二十数年ぶりだ。 うっちゃんも同じ道を歩いて、清張を追いかけた。

                           現在                                                                  昭和32年当時            

                         

 清張は香椎潟の岩場を見つめながら、頭の中で事件現場を描いている。ふっと頭を上げると博多湾が広がっていた。 彼はおもむろに煙草をとり出し、火をつけたにちがいない・・・清張のそんな姿が浮かんで来る。                                   

清張が現場を確認し、向きを変えて同じ道を帰ろうとした時・・・数十メートル先に大きな建物が目に入ったのではないかと思う。 それは、道路と海岸の間に建っていた。 

 

 昭和23年(『点と線』の10年前)に撮られた航空写真でも、その建物(〇印)が確認できる。 戦前から、博多の奥座敷として、多くの著名人が利用していた割烹旅館「香椎花壇」だ。

                             香椎花壇

  

 九州大学に、昭和4年に撮られた工学部親和会の写真が残っていた。 写真の前面に岩場が写っている。 『点と線』の連載が評判になった頃、当時のおかみ・古賀フジ子さんが「うちの前が『点と線』の海岸で、岩が残っています」とコメントしている。

 

松本清張が、この「香椎花壇」を知っていたのかどうかは分からない。 知っていれば、『点と線』に登場させられないか・・・検討したのではないかと思うのです。

 

点と線』が連載される3年前(昭和29年)、「香椎花壇」に火野葦平が泊まり、香椎海岸を散策したそうだ。 香椎高校の校歌の作詞を頼まれたのだった。 その時、火野葦平が暖簾に描いた詩と絵が残っている。         (ブログ:あじさいと石炭と葦平

 

お椀の中に、葦平のトレードマーク「カッパ」が描かれていて、右下に「あしへい」の文字が小さく見える。 うっちゃんがお世話になっている「香椎タウンストーリー」の管理人・柳瀬英明 氏の叔母が「香椎花壇」のおかみ・古賀フジ子さんだったことから、この写真を借りています。

 

昭和30年(1955年)、香椎高校に校歌が届きました。作詞は勿論、火野葦平・・・作曲はなんと、古関裕而(こせきゆうじ)。 

         火野葦平               古関裕而

              

いま、NHK朝ドラ「エール」の主人公・古山裕一のモデルとなっている有名な作曲家です。 火野葦平古関裕而はインパール戦に陸軍の報道員・慰問員として従軍した戦友でした。 ですからこのコンビによる校歌は戸畑高校直方高校など県内に何校かあります。 

後日10/12追記 NHK朝ドラ「エール」の中では、火野葦平=水野純平となってました。

 

香椎高校の某人(あるひと)が、古賀市に住む火野葦平の妹(中村秀子さん)と懇意だったそうで・・・その縁で、 火野葦平に校歌の依頼をしたそうだ。 ちなみに、中村秀子さんの息子(火野葦平の甥っ子)が、アフガニスタンで銃弾に倒れたペシャワール会中村 医師です。 無念・・・本当に無念です。 ご冥福をお祈り申し上げます。

                         故  中村哲 医師

           

 

昭和13年、火野葦平は「糞尿譚」で芥川賞を受賞。 昭和27年、松本清張は「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞。 時期は違うが、二人の芥川賞作家が香椎の同じ海岸に立って、博多湾を眺めている姿を想い浮かべると、感慨深いものがある。

 

)「香椎花壇」は、現在、道路の反対側に移動していますが、営業は休止中です。

                 香椎花壇 

       

  

松本清張の『点と線』 ⑩」 に続く。

* 航空写真・香椎花壇暖簾の画像は「香椎タウンストーリー」の柳瀬英昭 氏からお借りしました。

* 町地図はマピオンを借用しました。

 

香椎あれこれ

香椎浪漫

 

              新型コロナ もうひと踏ん張り!