神功皇后伝説  はじめに
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日本書紀古事記筑前国続風土記それに八幡愚童訓 など、福岡県内に残る皇后伝承を学術的に研究された歴史学者・研究者の著書などを参考にしました。 西区、糸島、唐津、その他にも沢山の言い伝えが残っていますが、今回の「神功皇后伝説」は東区香椎を中心にその近辺の話で組み立てています。 「うっちゃん」の勝手な仮説も含まれています。 素人が趣味の範囲で書いていますので、楽しんで頂く程度に留めておいて下さい。

   ●あとがき

 
■ 登場人物
読者が物語の登場人物をイメージし易いように俳優(うっちゃんの好み)を付けてみました。
 
 神功皇后     (じんぐうこうごう)  松 たか子
 仲哀天皇     (ちゅうあいてんのう) 真田 広之
 武内宿禰     (たけうちすくね)   渡 哲也
 中臣烏賊津    (なかとみいかつ)   中村 獅童
 阿曇磯良     (あずみいそら)    伊藤 英明
 応神天皇(皇子) (おうじんてんのう)  鈴木 福 君の幼児時期
 羽白熊鷲(熊襲) (はしろくまわし)   田中 邦衛
 玉依姫(声のみ) (たまよりひめ)    松坂 慶子
 天照大神(声のみ)(あまてらすおおかみ) 美輪 明宏
 
*神功・仲哀・応神は亡くなられた後の諡号(おくり名)ですが、物語の中では便宜上使用しております。
 

 

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■ 物語の年代
 
720年に編纂された「日本書紀」によると仲哀天皇がお亡くなりになったのは西暦200年となっています。しかし、この時代は邪馬台国の卑弥呼の時代です。 「日本書紀」では神功皇后卑弥呼としているようですが、これは歴史学的にもかなり無理があります。年代の枠組みに干支(かんし)の辛酉(しんゆう)年により、神武紀元を取り入れたところに大きなミスがあるのでしょう。倭国の朝鮮半島進出は4世紀後半から5世紀にかけてです。私(うっちゃん)は任那日本府が置かれた369年を起点にして「神功皇后伝説」を組み立てました。そうすると神功皇后の子供・孫・ひ孫達(中国の記録に残る倭の五王)と時代が合うのです。
間違いなく歴史的な事実が「日本書紀」、「古事記」のなかに隠れて埋もれています。神功皇后応神天皇は伝説と歴史のちょうど狭間です。伝承を辿っていけば、そこに歴史としての事実が潜んでいるのかもしれません。

 
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それでは、「神功皇后伝説」にご案内します
 
 
 
神功皇后伝説 第一話~第十話 参考にさせて頂いた著書・文献・ホームページ 
                                           
■ 神功皇后の謎を解く  河村哲夫  ■ 神功皇后伝承を歩く  綾杉るな
■ 神功皇后風土記    河村哲夫  ■ 福岡歴史探訪  柳 猛直
■ 福岡歴史がめ煮    空閑龍二  ■ 古代天皇列伝  学研パブリッシング
■ 日本の中の朝鮮文化  金 達寿  ■ 古代史を知る辞典  武光 誠
■ 日本の体質 天皇   三浦朱門    ■ 歴史散歩辞典  井上 光貞
■ 九州神社紀行   山下信弘    ■ 九州水軍国家の興亡  武光 誠
■ 古代史探訪  佐藤 章司     ■ 古代史を行く  朝日新聞西部本社
■ 電称倭国伝つくし伝説 H/P     ■ ひもろぎ逍遥 (綾杉るな)H/P
■ 日本神話の御殿 H/P        ■ 神社と神道  H/P
■ 古事記の神々  H/P        ■ 邪馬台国の会 (安本美典)H/P
 
平成24年7月    初投稿
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           飲酒運転したら神功皇后が怒るよ
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