入院1日目~7日目(子宮全摘手術)
3/18(手術前日) 入院今回は4人部屋の窓側希望ですが、デスクもあり、綺麗で満足。がんの手術をした病院はがん専門の病院なので、別の病院です。この日は手術に向けてオリエンテーションや処置。(処置:臍掃除・下を剃毛・浣腸)看護師さんがハズレ(ハズレさん)でね、剃毛する際、下着とか脱ぐときにずっとこっち見てんの。患者にも羞恥心ってあるんですよ。置いてあるバスタオルを渡すでもなく、こちらから「これ使っていいですか?」って聞きました。ハズレさん、この日からたまに担当になるんだけど、本当にヤバい。術後にロキソプロフェンの飲むタイミングを相談した時に「この薬は胃に負担がかかりませんか? それを踏まえると食後がいいんでしょうか?」と問うと「好みだと思います」と返事が返ってきました。「胃に負担がかかるか聞いてるのに 好みってことはないでしょう?」と、さすがに言いましたw3/19(手術)昼12:00過ぎ~手術室に移動。麻酔等色々施されて意識がなくなった。術後に目が覚めたのが17:30頃。目が覚めて回復室に向かってる途中、腰から足先にかけて鈍痛と息苦しさ。周りの方々にそのことを伝えるも返事すらなし。息苦しさが限界が来たので「無視しないでください。本当に苦しい」と訴えました。すると、年配の看護師さんが「痛いですねぇ~。そうですねぇ~」と幼児に語り掛けるような口調で返事。・・・・これはキレるw「バカにしてるんですか?」「あなたたちが信用出来ないから すぐにでも退院したい!」と暴言を吐きましたよ。それでも何もしてくれないので、体勢を変えようと立ち上がると、主治医に「立ち上がらないでください」と怒られました。「そんなことは理解しています。 それでも立ち上がるぐらい苦しいんです」と応戦。この時点では不信感しかないので、何を言われても「身を守れるのは自分だけだ」って感覚でした。命に影響がない手術なはずなのに死を感じましたwwんー、がんの手術の時はこんな事なかったのになぁ・・・。入院中、スタッフの方々には感謝こそすれど、不信感なんて全くなかった。ま、すぐに退院出来るわけもなく、しょうがなくベッドに寝ますよ。結局、原因は…硬膜外カテーテルが神経に接触していたとのことでカテーテルを外してもらったら楽になった。原因はしょうがないとしても、対応には本当に怒り心頭ですよ。更に回復室で苦しんでいる時に、全然知らない面会者を入室させて、間違ったことが判明した時に笑ってました。「私は何も面白くないです」とまたもや怒りがフツフツと。3/20(手術翌日)回復室には昼頃までいました。摘出した子宮が1kgもあったせいか、手術時に1.5L近く出血していて400mLの自己血輸血だけでは足りずに、追加で800mL輸血されました。ここまでの貧血となると本当にフラフラするんですね。その他諸々■食事手術翌日の3/20昼~流動食(おもゆ、ポタージュ、ヤクルト)3/21朝~五分粥、3/21夕~全粥、3/22昼~通常食■検査手術翌日~3日目まで毎日採血。輸血をしてなかったら翌日と3日目だけで良いらしい。抗がん剤の影響がまだあるのか、血管がなかなか見つからなくて、両腕が穏やかではない状況ww■お風呂尿のカテーテルは術後2日目で抜去されていましたが、ずっと点滴をしていたので、3/22~シャワー可。シャワーが浴びれるようになるまでは看護師さんが背中を拭いてくれる。ただ、ハズレさんが担当だったので、「少ししたら来ますので、 先に前面を拭き始めてくださいね」って言われても嫌な予感しかしない。自分で何とか背中も拭いてパジャマを着ました。すごく時間が経ってからハズレさんが来たので、「もう全身拭きました。 あのまま待ってたら風邪引きました」と嫌味を言っておきました。謝罪も何もないんで、嫌味って分かってないか、分かってても患者の文句。ぐらいに思ってるんだろうな。■尿・便尿のカテーテルを抜いてから術後5日目までは尿量測定が出来る便器でのみ排尿。便とガスはなかなか出ないが、酸化マグネシウムを飲んでいるので、術後3日目からは少しずつ出た。かなり順調。■運動足腰が弱ることを異常に恐れているので、なるべく動きました。・歩行許可~点滴が繋がっていた3/21までは 病棟をウロウロ・術後3日目の3/22~ スクワットとか足腰の運動を1日3回、 階段を3~7階まで往復する。 ※基本、入院棟の階段は患者は立ち入れないので、 外来棟の侵入しても良い階段を見つけて 往復してましたw