㊺男女共学化と女子枠入試、性教育

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

・男女別学問題と女子枠入試

どうなる? 埼玉の県立高校共学化 意見交換会で反対意見相次ぐ

    毎日新聞 2025.8.26

    なぜここまで県立高校の共学化に反対意見が埼玉県民から出てくるのか、理由がまったく分からない。高校では男女別の方が過ごしやすい、というのなら今後、大学や就職先においても男女別の居場所を設けるべきということなのか。男女共学化に反対する人は、これまで国や自治体が男女共同参画社会の実現を目指してきた流れを否定するつもりなのだろうか。

 黒人差別が今よりも激しかった時代ならば、白人と黒人とが学校や居住地域を分離していた方が様々な衝突や事件を避けられる可能性はそれなりにあっただろう。南アフリカのアパルトヘイト政策にもあの時代においては人種間の衝突を避けるという合理性が多少ともあったと思われる。

 男女分離教育に公立高校として自ら関与するという事は、地方自治体として学校における男女のアパルトヘイトを部分的にせよ認めるということに他ならない。仮に埼玉県では相変わらず社会全体で激しい男女差別が残存しており、男女間の激突を避けるためにも男女共学は時期尚早である、との認識が広くあるならば、反対意見にもそれなりの理はあるに違いない。しかしどう見ても埼玉県がそれほど男女間の仲が悪いローカルな伝統文化を根強く持っているとは思えまい。

 男女共同参画社会の推進を義務付けられている地方自治体の一つとして、埼玉県だけが高校における男女共学の流れに反旗を翻すわけはいくまい。

埼玉県立高の共学化方針 男女別学校の卒業生有志が「撤回と是正を」 意見書を県に

   提出 東京新聞 2025.2.26

 学校教育における男女隔離政策の悪影響が生徒たちの卒業後にまで及んでいるのだろうか。県教委の共学化方針に反対する勢力の動きは賛成派よりもかなり活発に見える。ならばなおさら、県は男女共学化を推進すべきだろう。

   おそらく多数の人は共学化に賛成か、どちらでも良い、という考えであろうが、意見書を県に提出するほどの強硬派は、実際には少数派と思われるが、いかがだろう。

25年前にさかのぼって調査指示、浦和高校の校歌指導に埼玉県教育長

   朝日新聞社 2025.2.14

   未だにこんな封建的な校歌指導が、あろうことか、県下随一の進学校で行われていたことに唖然とする。こうした旧態依然の、バンカラな男中心の校風が男子校の伝統校に生き残っているのは、ある意味で必然的ではあるまいか。男女共学化に対して執拗に抵抗してきた浦和高校の、真の体質が、人権や女性を軽視する前近代的な体質に依拠するものとして捉えられても仕方あるまい。この問題、かなり根深いものがありそうだ。

 授業ではなぜ浦和高校で、こんな前近代的風習が放置されてきたのか、その原因を生徒たちに探求させたら面白くなるだろう。

校歌指導問題 埼玉県教育長「大変重く受け止め」 保護者に謝罪も

    東京新聞 2025.5.22

 何と21世紀に入ってからこのような前近代的校歌指導が始まったというのだから驚きである。埼玉県の学校教育風土自体に非人権的側面が根深く残存していたと考えて良いのかもしれない。そうした前近代的要素はこの校歌指導が三校の男子校で行われていた事と何かしら関連してはいないのだろうか。少なくともこの点は多少とも疑ってかかった方が良いと思われるのだが…

公立の男子校・女子校は共学にすべきか? ジェンダー平等か伝統か、埼玉で巻き起

   こった議論の決着は― 47NEWS によるストーリー 2024.10.13

   これまでに出てきた議論がある程度、整理されていて議論のたたき台にするには資料としてかなり使い勝手が良い記事だろう。根強い反対論の存在を指摘するこの記事を読むと、どうやらこのテーマを扱う際には、ある程度、頑強な差別の残存を説明できるような本質論を意識していないと、たちまち議論百出し、収拾がつかなくなる危険性があることに注意が必要なように思えてくる。

 まず、なぜ日本の男女格差が世界最悪レベルのままなのかに関して、一体どこまでその原因追求の手を広げてきたのか、深く掘り下げてきたのか、によって意見はいくつかに分かれると考える。したがってこの議論で真っ先に必要なのは表面的なレベルで男女別学の是非についての賛否を問うといった議論ではなく、日本の男女格差の深刻さ、大きさについての私たちの認識の深さと広さへの関心の強さなのだろう。

「男女別学は否定しない」としながら共学化ゴリ押しの埼玉県教委が高校生との意

 見交換で放った"トンデモ主張" プレジデントオンライン 2024.9.20

 相変わらずピンボケ気味の意見が出されているが、多様性を尊重することとアパルトヘイト的側面を持ちかねない男女別学とを混同してはなるまい。もちろん現状においても別学に拘るならば私立高校に行けば良いだけである。別学の選択肢が完全に無くなるわけではなく、ちゃんと確保はされている。

 逆に男女共同参画社会を推進する立場にある県があからさまに管轄下にある公立高校での男女別学を認めるわけにはいくまい。男女別学を公立高校で認めている都道府県の数は現在、急速に少なくなってきており、埼玉県だけがそうした動きにいつまでも逆行することは立場上、もう許されないはずだ。

 埼玉県における男女別大学進学率で女性の進学率が男子よりも目立って低いのはなぜだろう。公立高校での男女別学が一つの原因となってはいないのだろうか。日本全体の男女格差がなかなか解消されない中で埼玉県だけが男女格差解消の取り組みをサボっているとの印象はやはり否めない。

 なお千葉県も少数ながら公立の女子高校が存在している。千葉県でも一刻も早く公立での完全共学化を実現すべきだろう。

賢い男子は「浦高」、女子は「一女」でなぜダメなのか…埼玉県でくすぶる「県立高校共

 学化」問題の迷走ぶり プレジデントオンライン 城山 ちょこ  2024.9.1

 一見するともっともらしい主張だが、なぜ埼玉県だけが突出して男女別学の公立高校が多いのか、歴史的経緯がきちんと説明されておらず、大きな疑問が残る論調である。もちろん男女共学の高校にも大きな問題があるが、それが男女別学を正当化する理由には決してならない。そもそも最大の問題は男女別学と男女共学との別を問わない、時代遅れとなった日本の学校教育全体の問題だからだ。その問題が日本社会全体を停滞させ、「人権後進国」と呼ばれる現状を創り出している最大の元凶の一つなのである。したがって男女共学化だけ実現しても、何一つ事態の改善は見られないだろう。とは言え、それは決して男女別学の残存を今後も許容する理由にはならない。

 男女平等度の低さもまた世界トップレベルの日本が、いまだに一部の県に限られるにせよ、公立高校で男女別学を維持している事の持つ意味は小さくあるまい。当然、学校教育全体の根本的見直しは急がれるが、同時に公立高校における男女共学化も急がれる、情けない状況に日本が置かれていることにいい加減、気付くべきであろう。

県立高校共学化、少子化が一つの理由 県教育局、別学校生徒に

 朝日新聞社 によるストーリー 2024.8.28

 共学化が「少子化」を大きな理由とした県教委の回答にはがっかりさせられた。少子化は小さな理由にはなるだろうが、それ自体は本質的な問題ではあるまい。日本社会に深く根付いている男女間格差の原因として一体何が考えられるのか…現在の日本社会が抱える問題の多くが学校教育の遅れに淵源する、と考える立場からすると、やはりこの問題も高校での男女別学を公立で戦後も数多く残存させてしまったことに起因する側面が多少とも存在するのは否めないと私は見る。

 授業ではまず高校生と教育局側とのやりとりに関して意見を募りたい。この問題は戦後の新制高校における三原則の意義を踏まえた歴史的経緯、及び学校教育や日本社

会の各所に巣くい続ける男女間格差への知識が必要不可欠になる。欧米など、男女平等度の高い国での男女別学の有無を調べさせることも作業としては欠かせまい。

【佐藤優コラム】「埼玉県立高校の共学化問題」の不可解 政治化したこと自体が深

 刻な問題 東スポWEB によるストーリー 2024.8.8

 佐藤氏の論考はまさに官僚的な模範回答であり、手続き上の瑕疵を表面的に批判しているだけのように見受けられるのだが、いかがか。この件では本来、男女共学の理念に基づいて出発したはずである日本の戦後の新制高校がなぜ、特定の自治体においてはいまだに公立の女子高、男子校が存在してしまっているのか、が問われているはず。つまり同じ中等教育段階でも前期中等教育にあたる公立中学校では男女共学がほぼ全国的に実現できているのに、なぜ後期中等教育段階ではいまだ実現できていない地域があるのか、そして現状における高校での男女別学に果たして合理的理由があるのかが、本質的には問われているはずである。

 この問題は大学進学率の性差にも及んでいる可能性が高い。たとえば理系学部への進学率や東大、京大など、いわゆる難関大学への進学率は日本の場合、明らかな性差が見られる。この性差を生じさせている原因は一体どこにあるのか…埼玉県のような地域でこの性差が全国と比べて有為に大きいとすれば、男女別学による効果の影響が性差発生の原因の一つとしてそれなりに疑われるだろう。つまり国際的に見てトップクラスに男女間の不平等度が高い日本社会の現状を考えた時、高校での男女別学の問題はむしろもっと強く「政治化」すべきであり、大きな論争が生じて当然のテーマであるとすら言えるのではあるまいか。

    ちなみにお茶の水女子大の高校別合格者数のランキングで川越女子と浦和第一女子の2校が常に上位を占めている。日本女子大も似たり寄ったりである。彼女たちが受験先に女子大を選びがちなのはなぜなのか…少しはその理由を考えた方が良いだろう。

埼玉県立高校の共学化論争、中学生の56%が「どちらでもよい」…高校生は別学

   維持が過半数 読売新聞 によるストーリー 2024.7.12

   高校生の別学維持の理由では「両方を選べるのがよい」「共学化すると伝統の尊重や校風の維持ができなくなる」「学校生活を安心して過ごせる友人ができる」といった意見が多かったらしい。

 また別学高の共学化について…中学生の56・2%が「どちらでもよい」とした。「共学化した方がよい」18・7%、「しない方がよい」19・3%と、別学維持の声が僅差で多かった。共学化に賛成する理由(複数回答)としては「性別によって入学できない高校があるのは公平ではない」、別学維持の理由では「(共学、別学の)両方を選べるのがよい」が最も多かった…という。

 日本の性教育の遅れがこんなアンケート結果となって表面化しているのかもしれない。いずれにせよ、生徒たちや保護者がそれぞれ対立する意見をどうすり合わせてお互いに納得感のある方向性を見出すのか、が問われる。議論の場を設けないまま、意見の多寡によって結論を急ぐことだけは避けるべきだろう。

高校の共学化加速、男女別学はピーク時の3分の1に…埼玉県では卒業生ら反対で

   存続議論 読売新聞 によるストーリー 2024.6.29

   授業で利用可能な事例やデータが紹介されており、男女共学化を巡る流れが分かりやすい。討論型の授業をするなら、この記事を最初に紹介してしまうとあまりにも早く同じ結論に誘導してしまう惧れがあるので、様々な意見が生徒たちから出尽くした段階で紹介すべきだろう。

「別学か共学か」 公立高校の男女共学化問題でジェンダー教育はどうなる

 AERA dot. 小長光哲郎 によるストーリー 2024.6.15

 論拠の一部とされるべきデータをほとんど示さないこの手の不毛な議論がまだ続いているのかと思うと、個人的には絶望的な気分に陥る。授業では一見もっともらしいこの記事の論調に漂う奇妙な違和感にハッキリと気付けるような資料と併せて具体的なデータを提示すると、刺激的な議論が展開できるかもしれない。

 ポイントの一つとして見逃せないのは、たとえ男女別学校の授業で十分なジェンダー教育が行われていたとしても、物言わぬ場の力学、環境の差異、「女子高・男子校」というフレームワークが果たす影響力を決して甘く見てはいけない…という常識的なこと。所詮、現状の授業程度では場の与える無言の影響力を上回ることが極めて難しい…違うだろうか。

「埼玉の県立高共学化」論争再燃、卒業生や保護者が反対署名…県は108万人対

 象にアンケート実施 読売新聞 によるストーリー 2024.6.10

 論点の整理に利用できる。

娘を通わせるべきは「女子校」か「共学」か?1000人のアンケートで判明した「女

 子校育ち」のある特徴

 ダイヤモンド・オンライン 城山ちょこ によるストーリー 2024.6.27

 女子高の数が戦前と比べて激減したのはアメリカの占領政策の影響が大きい。したがって女子高激減が男女共学化を推進する理由とはなるまい。女子高を巡る論点を列挙する上では役立つ記事。

共学校にも実社会にも潜む「男子校の亡霊」とは 男子校を潰しても男女平等にはなら

 ないワケ 東洋経済オンライン おおたとしまさ の意見 2024.6.7

 男子校を潰しても男女平等にはならない、というのは当たり前のことであろう。したがって男子校の存在を目の敵にしても男女平等には近づくまい。ただ、埼玉県のケースでは男子校の存在が男性優位の現状を創り出す要因の一つとなっている可能性を否定できないかもしれない。

男子校は女子差別? 共学化論争に欠けた「機会の平等」議論と「東大至上主義」へ

 の疑問 おおたとしまささん

 弁護士ドットコムニュース によるストーリー 2024.6.30

東大至上主義的教育競争が和らいで『どこの学校もいい学校だよね』となれば、多分男子校の人気も下がるんです。そうすればいずれ自然に男子進学校はなくなるでしょう。本当に変えていかなければいけない点は、東大至上主義的な教育観です。いま県民の支持を得ている学校をむりやり潰して遺恨を残すことは、優れた民主的判断とはいえないと思います。」というのがポイントとなる論拠だろう。

 「東大至上主義的教育競争が和らいで『どこの学校もいい学校だよね』となれば、多分男子校の人気もさがるんです。」などという趣旨の指摘は何十年も前から繰り返されてきた陳腐なものだが、日本の進学競争は残念ながら学力上位層においては相変わらず激しい。中高一貫校の人気を見れば一目瞭然だろう。したがって当分の間は「自然に男子進学校はなくなる」とは思えないし、「東大至上主義的な教育観」が日本からすぐになくなるとも思えない。

 これをなくすには学歴や学校歴、学習歴などと対等に技能をも重視するヨーロッパ風の職業観が日本でもしっかりと根付いてこなければならないだろう。労働者の採用条件では学歴と並んで技能重視の側面がこれまで以上に強まってこなければならないだろうし、中等教育における職業教育だって今以上に社会的に重視されていく必要がある。以上の変化が社会全体で進まない限り、「東大至上主義的な教育観」が変わる可能性などほとんどあるまい。

 当然、この変化には時間と労力が相当かかる。つまり今、何を変えるべきかだけではなく、今、何を変えられるのか、問う必要がある。当面の行程を念頭に置かない議論は現実味を欠くがゆえに不毛に見えるのだ。

 確かにフィンランドなどは日本と比べて名門高校や名門大学などはほぼ存在せず、世界的に見てもフィンランドのどの高校、どの大学もレベルが高いし、それぞれの教師は小学校も含めてほぼ全員が優秀と言える。日本と違ってフィンランドでは教師が最も尊敬される、憧れの存在になっているのだ。教師の力量の高さも手伝って、フィンランドでは学校間格差がほとんど存在しない。

 他方で職業教育も充実し、高校段階での職業実習では生徒に賃金まで支払われている。もちろん、フィンランドでは学費、通学費、文房具代まで原則、無料であり、進学を目指しても就職をめざしても、それだけでは将来的な収入の格差拡大につながらない。当然の事、学力低位層や職業高校を下に見るような偏見、差別はフィンランド社会にはほとんど無い。

 だとすれば、日本は本当にフィンランドのようになれるのだろうか、あるいは本当にフィンランドのようになりたいと願っているのだろうか…自問自答してみれば良かろう。20年ほど前に日本のPISAにおける順位が急落した際、教育関係者や文科省の役人たちが大勢、フィンランド(当時はトップクラスの成績を続けていた)に視察に行っているはずだ。20年経って何か、日本の教育界は変われたのだろうか。

 今、日本の官僚たちはPISAの順位を少しばかり上げただけで得意になっているだけだろう。つまり政府は本音では決して「東大至上主義的競争」を悪い事とは捉えていない。そもそもこの国には福祉国家フィンランドをお手本とするような、未来の設計図は一切存在しないのだ。

 「東大至上主義的教育競争が和らいで『どこの学校もいい学校だよね』となれば、多分男子校の人気も下がるんです。そうすればいずれ自然に男子進学校はなくなるでしょう」という、根拠の無い、無責任で非現実的楽観論に依拠して男女別学の存続を説く…何と甚だしくトンチンカンで滑稽な意見であろう。

 加えて…共学だろうが男女別学だろうが、性差別解消に必要なのは学校において異性に対する知識や理解を深める努力がなされているか、否か、である…?これってどういうこと?性差別に関してどんなに優れた教育が行われていようと、性差別が存続している限り、その教育は無意味ではないか。第一、男女別学を公教育として許容することと学校での授業の質とはまったく別次元の問題であろう。論点を少しずつずらしていきながら、持論を展開するこの手の論評に流されてはなるまい。

 仮に白人社会で黒人差別に対するそれなりの教育が行われていたとしても相変わらず アパルトヘイトが続いているのならば、黒人差別が十分に改善されたとは言い難い。アパルトヘイト自体が差別の主要な要素だからである。私たちは男女別学によってもたらされる無意識的な影響力を決して甘く見てはなるまい。

 東大の学生に占める女子学生の割合が2割程度に過ぎないのは中高一貫を問わず、男子校出身者が東大合格に占める割合の多さにも、その要因を求められるのではあるまいか。仮にその可能性を排除できないのならば、せめて公立校での男女別学程度は辞めるべきだと考えるが、いかがか。

埼玉県立高校共学化問題の動き活発に ネット上では反対署名

   産経新聞 2024.1.23

埼玉県立高校共学化問題大詰め 別学は差別的か、意見聴取ではほぼ「反対」

   産経新聞 2024.3.21

共学化勧告受け、埼玉県立浦和高生が意見表明 「別学通いたい 多様性無視」 約 

   85%の生徒が反対 東京新聞 2024.3.22

男女別学県立高の共学化を 市民団体が改めて早期実現訴え

 朝日新聞社 によるストーリー 2024.4.11

※参考動画

 【AI×教育最前線】教育分野の最新AI活用事例5選 / 「教育のAI活用は学力低下に繋がるのか?」

         問題【生成AI】安野貴博の自由研究チャンネル 2025/04/02 14:07

 この話題、議論のテーマにうってつけ。ぜひ、授業に取り上げていただきたい。

   私としては男女別学が「アパルトヘイト」と同種の効果をもって性差別を助長するおそれをはらむと思い、あまり好ましくないものと考えるが、いかがだろう。特にこれを公立学校で認めていること自体、間違っていないのだろうか。

 一見すると共学化反対の意見に合理性があるように思えるが、戦後教育の流れを考えた場合、共学化反対意見にはかなりモヤモヤする側面がある。GHQが打ち出した戦後の高校教育三原則(男女共学・小学区制・総合制)の中で日本が辛うじて実現できたのは男女共学のみ、とこれまでよく言われてきた。しかし実際には北関東などでGHQ内の組織の違いによって男女共学原則すら、まともに実現できなかったという過去があるのだ。このため茨城などでは上辺だけ男女共学の体裁をとっておきながら、学校内部では男女別の学級を編成する、といった男女共学方針への姑息な抵抗が長く続いていた。これは明らかに「男女七歳にして席を同じうすべからず」といった封建的で性差別的な考えが北関東では頑強に残り続けたからである。

 もちろん、私立高校ならば多様性を重んじ、学校独自の教育方針を打ち出す中で男子高、女子高の存在があっても問題は無い。しかし公立高校、しかも男女共学に頑強な抵抗を続けてきた北関東地区、という歴史的条件を考えると共学化反対意見には素直に従えなくなってくるだろう。そもそも、日本の男女平等度は極めて低く、先進国では最低の位置にあり、諸外国からも強く批判されている現状がある。

 たしかに公立高校であっても一部は男女別学を認めるケースが他の県では広く見られるので、男子校5校、女子校7校程度ならば数的に問題無いと思える。しかし男子校では浦和、春日部、川越、女子高では浦和第一女子高、川越女子といった県内トップレベルの進学校、伝統校が公立別学校12校中5校も含まれる点には強い疑念が生じるだろう。私立でも進学校で有名な明の星女子が存在することを考えると、どうやらこの状態はもはや確信犯的であるとさえ言えるのではあるまいか。

 実は東京都では男女とも四年制大学の進学率が7割を超えているというのに、東京の大学に自宅から通え、首都圏に所在する中高一貫校にも通学範囲内である埼玉県での女性の大学進学率がなぜか半数にも満たない、という驚きの統計(→文科省の学校基本調査参照)もあるのだ。

 2022年度の実績では全国平均が男54%、女49%に対して進学率トップの東京都はそれぞれ72%と73%であり、何と東京では女の進学率が男を上回っている。対して埼玉ではそれぞれ59%、48%であり、男は全国平均を5%も上回っているが、女は全国平均を1%下回ってしまっている。いわゆる「埼玉都民」が大勢、居住しているはずの埼玉において、この数字が意味することは極めて重大ではなかろうか。特に進学率の男女間格差は全国平均が5%ほどなのに対して埼玉では何と倍以上の11%も開いてしまっているのだ。

 これは首都圏においても突出した数字であり、北関東ですら、栃木県(男女比52:46)、群馬県(49:43)、茨城県(55:49)に比べても男女間格差が大きいという恐ろしい状況、もはや異常レベルの値なのだ。しかも埼玉同様に東京への依存度が高く大勢の「千葉都民」を抱えている、アノ、学校不祥事多発の千葉県における男58%と女49%の格差9%よりも埼玉は2%ほど上回ってしまっている。つまり昨年度の埼玉県での四年制大学進学率には男女格差の解消が叫ばれている現代において、全国レベルでも後ろ指をさされかねないほどの露骨な性差が浮上してしまっているのだ。

 まず授業では一般論として公立における男女別学のメリット、デメリットを挙げさせたい。次に埼玉県の問題としてはどうなのか、進学率のデータの背景にある埼玉県の問題点をじっくりと考えさせると有益で面白い議論が展開できるだろう。

県内エリート男子高で“性教育”の名の下セクハラにあった図書館司書46歳女性、教

   職員カーストで圧された声とは 女子SPA! の意見 2024.2.13

 学校での性差別問題の諸側面を垣間見ることの出来る、貴重な事例が紹介されている。エリート男子校、女子高の存在を学校の多様性、個性として擁護する意見があるが、事はそんなに単純ではない…等々、多くのことを考えるきっかけを与えてくれるだろう。

中学卒業式で不登校など6人、椅子への案内なく「平均台」に座る…さいたま市教

    委が校長を厳重注意 読売新聞 2025.4.17

 これだけのことをしておいて校長への厳重注意と保護者への謝罪で済まそうとするのは常識はずれにも程があるだろう。当該校長やさいたま市教委の良識が根本から疑われる対応であり、ネット上で炎上するのも無理はない。

 中学校側に、欠席を続ける生徒を隔離し、辱め、罰する意図があったことは終始、椅子ではなく平均台に座らせたことで既に明白。「本来ならば君たちには卒業式に参加する資格が無い…」という暗黙のメッセージは6人にしっかりと伝わったはずである。6人の心の傷が今後、どの程度の深さに達していくのかは、市教委と校長の対応次第であったが…残念というほかあるまい。

    なぜ、彼らが長欠を続けたのか、その原因を生徒本人と家庭側の問題にしか求めようとしない、的外れで頑なな姿勢がおそらくこの学校全体、さらにはさいたま市教委に行き渡っていたのだろう。6人が体育館の2階で終始、平均台に座らせられていたことを教員の誰一人として気付いていなかった…という言い訳を信じるお人好しは今時、皆無であるはずだ。衆人環視の下での組織的「犯罪」とみて良い。多くの教員はせいぜい「見て見ぬふり」をしていたのだろう。

    そもそも長欠の生徒たちをどのような形で式に参加させるかは事前に3学年会議や全体の職員会議で毎年、しっかりと検討されるべき議題であるべきだ。当然、イジメ等の関係で式に加われない不登校の生徒は少なくあるまい。ならば式当日も欠席したい生徒だって少なくないはずだ。式の参加を巡っては長欠生徒からの多様な意見が考えられるのだから、各生徒一人一人にどのような形の参加が良いのか、学年会議の前にクラス担任があらかじめ尋ねておくことは今やマストであるといって良い。でなければ卒業式における長欠生徒への対応をめぐる各種の会議はそもそも開けるわけがない。

    にもかかわらずこうした事件が発生してしまった…ということはこの中学校の職員のほとんどが長欠生徒のことを全くと言ってよいほどに視野に入れてこなかった…どの会議においても長欠生徒への個別対応はほとんど話題にもならず、誰もが真剣に考えていなかった、ということではないのか。

    これは一校長の資質の問題に限られるものではあるまい。この中学校全体、はてはさいたま市の学校教育風土全体の、組織的で幅広く、かつ根深い人権意識の低さをうかがわせる問題であるように思われるのだが、いかがか。

    いまだに男女別学という異性の隔離政策を頑なに続けている保守王国埼玉県のことである。こうした式における長欠生徒の隔離措置と見せしめ、辱めなど、学校現場では断固として意に介さない…ということなのかもしれない。

 

・2024年度学校基本調査(文科省)より男女格差を考える

    国立を除く公立で女子高が存在する都道府県は現状で12道県。ただし内5校は男女共学を謳っているにもかかわらず、在校生が女子ばかりとなっている高校である。入学段階で女子のみを対象としているのは9道県、24校に過ぎない。

 その内、埼玉6校,群馬5校,栃木4校と複数の公立女子高を有する都道府県は北関東に過半数が集中している。なお北関東以外では鹿児島3校、千葉2校と続く。また東北の山形と北関東の茨城では共学であるにもかかわらず、男の在校生が不在であり、それぞれ2校は事実上、女子高と化している。

    北海道、宮城、島根、福岡では各々1校ずつ女子高が残存しており、岩手も山形や茨城と同様に表向き共学ではありつつ女子のみ在校する、事実上の女子高が1校ある。こうして現状の公立女子高のデータを概観してみると、北海道、東北、関東、山陰、九州地方に女子高の残存が確認でき、特に関東は合計19校と、女子高の残存数が突出していることが分かる。

    以上のデータと2024年度の進学実績のデータを重ね合わせて公立高校における男女別学の問題点を検証してみたい。全国の大学進学率(短大を除く)は男女合わせて59.1%。性別の内訳で男は61.9%、女は56.2%である。いまだ男の方が2.6%ほど進学率は高いが、実は女の進学率が男より低い都道府県はわずか7道県に過ぎない。既に都道府県単位で見れば圧倒的に数多くの地域で女性の進学熱が男性を上回っているのだ。

    新潟は男女同率の大学進学率なので新潟以外をカウントしてみると、何と39都府県もの地域で女の進学率が男を上回っている。都道府県単位で見ると女の方が男を圧倒しているように感じるのだが、全国では逆に男の進学率が2.6%も高くなっているのは実に不思議なことに思えてくる。多少とも統計処理のミスが考えられなくはないが、今回、その可能性は不問に付しておくことにしよう。

    女の進学率が男を下回っている7道県を男女間の進学率格差が大きい順に挙げると以下のようになる。

    山梨(3.1%)、北海道(2.9%)、静岡(2.6%)、滋賀(1.9%)、神奈川(0.8%)、千葉(0.7%)、埼玉(0.4%)。

    太字は公立の女子高が残存している地域。やはり公立女子高の存在はその地域の教育界における男尊女卑の因習の残存をにおわせており、女の大学進学率を男よりも少しばかり低くさせる効果があるようだ。ただしその効果はさほど大きくはないようにも見受けられる。詳しく知るためには本来なら公立女子高の残存する地域の女子大への進学率をも調べる必要があるが、こちらもやや手間がかかるので深追いは諦める。

 以上、参考までに2024年度の文科省データから、かなり不十分ではあるが推測できる点を少しばかり考察してみた。

女性の「理系」進学率が圧倒的に低い日本。卒業生が母校に帰る「2時間」が女子生

   徒の可能性を広げる、その理由   ハフポスト日本版  2025.3.8

 埼玉県の公立高校における男女別学の残存問題と絡めて授業でこの問題を取り上げられればきっと生徒の食いつきがさらに良くなるだろう。企業の経営者、裁判官や国会議員に占める女性の割合の低さなど、日本における性別役割分業的な格差は現在でも多方面にわたって表面化している。その背景には埼玉県の様に性差の問題が学校教育においても解決不十分なまま残存しており、根深い差別的風土が学校社会にも広く横たわっているに違いあるまい。

<くらしの中から考える>女子枠 東京新聞 2023.5.3

 他国と比べて日本の理工系大学への進学者に女性の割合が極めて少ない、その理由をアンケートなどで問いたい。また女性進学者を増やすための「女子枠」について賛否を問いたい。いずれも討論の題材にうってつけのテーマだろう。

東大にはなぜ女性が少ないのか。入学式で総長が問いかけた「構造的差別」とは

 【式辞全文】 ハフポスト日本版 の意見 2024.4.16

 …特定の属性を持つひとが、等しい機会を得られずに排除され、あるいは人一倍の努力をせざるをえない状況を「構造的差別」といいます。この構造的差別から脱却すべく、経団連は、2030年までに役員に占める女性比率を30%以上にする目標を掲げました。東京大学も、2020年に30% Club Japanのメンバーとなり、UTokyo Compassにおいても、学生における女性比率を30%とすることや、新たに採用する研究者の女性の割合を30%以上とし、教員における女性比率を向上させるという目標を明記しています。

 なぜ30%という数値目標なのかということですが、ハーバードビジネススクールのロザベス・モス・カンター教授は、ビジネスの場に関する研究において、女性が15%に満たない組織では、女性一人ひとりの能力や技能が、女性という集団的な属性に関係づけられる傾向があること、そして女性の比率が30%を超えるとそうした傾向が変わりうることを指摘しました。すなわち、女性個人としての能力や技能に応じた貢献が可能になり、意思決定プロセスに影響をあたえ、組織のさまざまな変革を推進できるようになるということです。

 であればこそ、その状況ゆえに活躍できない少数派の女性の割合を30%にまで上げることが、公正な社会実現に向けた最初の目標となるでしょう。…

 以上、藤井輝夫東京大学総長の入学式での式辞の一部を抜粋してみた。理系の大学や学部の入学試験において女性の合格枠を予め定めておく動きが近年、目立ってきている。そうした動きに対して「逆差別」との批判もあるが、それへの反論としてこうした考え方があることは知っておくべきだろう。

運動会の“ジェンダーレス徒競走”が物議 1位はほとんど男子「ジェンダーレスの

 履き違え」ENCOUNT の意見 2023.5.22

 どこの小学校のことなのだろうか?ジェンダーレスを「性差が無いこと」ときわめて単純に捉えてしまう、この浅はかさに仰天してしまう。しかし討論の題材としては刺激的で議論噴出、活気のある討論が期待できよう。

中学体育の「男女共習」から3年目 7割の学校が「全種目で実施」

 朝日新聞社 によるストーリー 2024.1.15

 身近なテーマなので性差別問題の導入部で使えそうな記事。高校体育での「男女共修」はどうなのか、ぜひ考えさせたい。

京都大学が入試で「女子枠」新設へ 理学部と工学部で26年度から

   朝日新聞デジタル 2024.3.21

 わざわざ女子枠を設けて女性を優遇する受験制度は果たして性差別と言えるのか、議論させると面白いだろう。もちろん高校段階までで性による進学格差がほぼ解消されている状況であるならばこれは女子優遇、男子冷遇の性差別であることは間違いない。しかし高校までの学校教育において性による格差が色濃く残存している…つまり女子生徒が学習や進路選択に際して不利な状況が続いているのならば、多少はやむを得ない、合理的措置とも判断できるだろう。したがって最も問われるべきは初等中等教育段階での性による格差問題解消の進み具合の確認なのではあるまいか。

 これについてはとりわけ高等教育の前段階である中等教育での性による格差残存の実態把握が必要不可欠だろう。しかし信頼できるようなきちんとした学校教育の実態把握は学校のブラック化、ブラックボックス化などによってどうせ困難を極めるに違いない。そうなれば勢い、「多様性の尊重」という美名に隠れて特定の偏ったプロパガンダに煽られた性差別を助長する政治的風潮に世論は根こそぎ押し流されてしまうかもしれない。実際、埼玉県の公立高校における男女共学化に反対する意見が某高校で大勢を占めてしまっているように…

社長になる人物はどこの出身者が多い?…社長輩出率で「42年連続1位」を獲得し

   ている「意外な地域」とは【帝国データバンク情報統括部が解説】

   THE GOLD ONLINE によるストーリー 2024.11.10

 都道府県別の社長輩出率や女性社長が占める割合のデータは非常に興味深い。生徒たちに社長輩出率上位3位までを当てさせてみると面白いだろう。また社長の中に女性の占める割合がいまだに1割にも満たない、という現状にもぜひ気づかせたい。これまでの政権が繰り返し女性活躍社会の創設を謳いながらも、さほどの成果を挙げてこられなかった理由について生徒たちにじっくりと考えさせたい。

 日本の女性差別が日本社会の随所にいかに根深く、広く根を張っているのか、日本の学校教育や民法、天皇制などに色濃く残存している男尊女卑のあり方を確認する中で時間をかけて理解していく必要があるだろう。

 

奨学金受給が与える、高等教育卒業後「結婚人生の落差」 女性だけが負の影響が大

   きいナゾ...慶応大学が驚きの研究   J-CASTニュース の意見  2024.3.11

   女性の貧困問題、少子化進展の背景に何があるのか、考えさせられるポイントに奨学金問題が挙げられるだろう。社会科学的なものの見方の一例として取り上げても役立つに違いない。特に上の記事(埼玉での公立高校における男女別学の残存)と併せて授業のネタにすると、学校教育と性差別の問題との複雑な絡みが見えてくるはず。

 

・日本の性教育の遅れ

参考記事

中学体育の「男女共習」から3年目 7割の学校が「全種目で実施」

   朝日新聞社 によるストーリー 2024.1.15

 身近なテーマなので性差別問題の導入部で使えそうな記事。高校体育での「男女共修」はどうなのか、ぜひ考えさせたい。

性別に基づく「アンコンシャス・バイアス」解消へ、教育現場で取り組み広がる

 読売新聞 によるストーリー 2024.6.6

「生理」の教員研修、男性に知ってほしいのに5% 産経新聞 2022.9.8

 なぜ日本の性教育が遅れているのか、その理由の一端が見えてくるだろう。

「教育が児童を同性愛へ誘導しかねない」 自民党区議、台東区議会で発言 当事者

 「差別や偏見に基づく非科学的な発言」東京新聞 2023.9.24

 性教育を否定的に評価する保守政治家の典型的な意見と思われ、議論のたたき台には有効だろう。

参考動画

【性教育ドラマ】ユースクリニックへようこそ - ここは、あなたのための病院です

  - 第一話「取り戻せるの?私の人生」

 【性教育YouTuber】シオリーヌ  2021/09/29 11:28

 実際には授業で視聴させていいのか、非常に判断に迷う内容。ただし教師必見の動画。この動画を授業で視聴しにくい現状こそが日本の学校における性教育の遅れを表しているだろう。しかし、高校生たちにとっては深刻な問題に発展しかねないことであり、できることなら視聴させたい。ドラマ仕立てなので理解しやすく、生徒たちの集中力はかなり高まることが期待できるだけに、見せないのはもったいないのだが…

【性教育】なぜ家庭や学校で教えない?小中学生が使う言葉で性を考える「性=秘

 めごと」は正しい?ひろゆき&紗倉まなと考える性教育|

 2021/11/29 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 14:41

【特集】セックスのこと話せますか?気になるイマドキの性教育 京都の中学数学

 教師が挑む新しい教育とは【報道ランナー】

 関西テレビNEWS  2023/02/15  12:22

 「臭い物に蓋をする」学習指導要領の大きな問題点が性教育における歯止め規定にあからさまに露呈してきている。SNS、ネットの普及によってとっくの昔に「臭いものに蓋」が出来なくなっている現状は無視できないだろう。勇気ある取り組み。

【17.3 about a sex1話フル】「私きめた。セックスのコト勉強する」女子高生の

 リアルな葛藤を描く話題作!彼を想う優しい気持ちが悲劇に?皆みたいにオトナに

 なれるはずだった。でもアベマ配信中

 2021/03/05 ABEMA ドラマ【公式】 30:15

 日本の性教育の遅れを正面からあぶり出したドラマ。やや長いが、もし視聴させれば生徒達の集中力をかなり高められるはず。本来ならばこの分野の導入としてイチオシの動画。視聴後、アンケートをとって男女別に集計してみたい。討論のテーマにもってこいの内容。しかし、実際、授業で使えるかどうかは微妙…

【性体験が早いことのリスク】童貞の卒業は遅い方が良い!?

 2021/05/22 夏山x瀧本の性知識アカデミー 13:56

 瀧本氏の観点は非常に重要だろう。高校生必見の動画。童貞や処女に対するイメージ調査をクラスで行っておくと授業で展開しやすくなるのでは。ただしこれも本当に授業で使えるかどうかは微妙な内容。自己責任でどうぞ。

【いくらか知ってる?】避妊にまつわる金額 何にどのくらいかかる?

 2022/07/20 夏山x瀧本の性知識アカデミー 2:23

 避妊、堕胎、出産に関わる費用の概算は知っておくにこしたことはない。こちらは授業でも視聴可能だろう。

【セックスとは?】性行為に罪悪感を抱かなくなるには?【性嫌悪】

 2021/12/11 夏山x瀧本の性知識アカデミー 7:40

 これほど性行為の意味を正面からズバリ、指摘できている動画は珍しい。こちらもできるなら授業で是非、視聴させたい。もちろん倫理や道徳でも使用できる内容。ただし自己責任でどうぞ。

【性知識を普及する人】改めまして!瀧本いち華です

 2022/07/01 夏山x瀧本の性知識アカデミー 17:15

 この分野を扱う際には教師として予め視聴しておきたい動画の一つ。

【大人の性教育】子供の作り方_妊娠編

 2022/07/08 夏山x瀧本の性知識アカデミー 22:41

 子供の作り方シリーズは教師必見の動画。日本が男女平等度の低い国である原因が学校での性教育の遅れにも由来する事がよく分かる貴重な動画。日本では長らく大人や青少年の性知識の不足や偏り、AVの悪影響が様々な悲劇を引き起してきた事に疑いはない。このテーマは保健体育や家庭科の授業だけではなく、社会科でも積極的に取り上げていくべきだろう。でなければこの分野における日本の圧倒的後進性は改善できないだろうし、性にまつわる悲劇を減らしていくことも不可能。

 特に性交編は本来ならば是非、社会科の授業で視聴させたいイチオシの動画。もちろん、自己責任の覚悟は必要。

【国際女性デー】成田悠輔「権力者が恥ずかしくなるような"見える化"を」企業の

 改革がカギに?日本の"男女格差"縮める方法とは|#アベヒル《アベマで放送中》 

 2022/03/10 ABEMAニュース【公式】 4:54

好意と性愛、男女の友情は成立するか?

   精神科医がこころの病気を解説する 2023/06/10 18:17

 視聴時間がやや長いが、参考となる点は多く、「男女の友情は成立するか」は議論のテーマとしても非常に面白いのではないか。保守的、慎重派の論理がよく分かる。

精神科医目線でメンタルによい職場とは?

 精神科医がこころの病気を解説する 2024.1.26 19:27

 女性が働きやすい職場こそ、メンタルに良い職場である、という指摘に納得。企業などの職場における女性の立場の弱さが男性をも含めたメンタルの問題を生み出している、とすれば性差別の問題をしっかりと考える必要性は自殺やうつ病、引きこもりの多い日本では極めて大きいだろう。

参考記事

トランスジェンダー当事者・サリー楓さんと考える 広がる学校でのジェンダーフリ

 ー 多様性を浸透させるために「大切」なこと【news23】

 TBS NEWS DIG の意見 2022.12.14

 学校の制服をめぐるジェンダーフリーの動きは生徒達にとっては身近なテーマであり、討論の材料として相応しいだろう。性の多様性を「善意で受け入れる」方向に民意を持って行くには何が必要なのか、議論させたい。

【ココがおかしい日本の性教育②】望まない妊娠や性暴力から子どもたちを守

 る FNNプライムオンライン フジテレビ解説委員 鈴木款 2022.11.25

 人権教育の一環としての性教育という捉え方が日本ではイマイチ根付いていないようだ。北欧の先進的な取り組みに学ぶことは多いだろう。

参考記事

性教育「10代の実態に合わず」 NPOが文科省に見直し求める署名

 毎日新聞 国本愛-2022.12.3

 中学校の学習指導要領にある「歯止め規定」によって避妊や性行為については授業で触れない事とされているが、2020年度の十代における人工妊娠中絶数は1万件を超えているという。しかも例の通り、「歯止め規定」が設けられた際の議事録が文科省に残されておらず、規定の意図が不明瞭。どう見ても問題だらけの学習指導要領であり、性教育の遅れが日本の男女平等度の低さを招いている原因の一部である事は最早疑いようがあるまい。上記の動画と合わせる形で配布資料にして生徒の討論に持ち込みたい。

「緊急避妊薬を薬局で買いたい」日本はなぜ世界で普通のことが叶わないのか 緊急

 避妊薬と日本 前編 現代ビジネス 福田 和子 の意見 2023.5.11

緊急避妊薬検討会議をリアタイで聞いて絶望した声…なぜ日本は前に進まないのか

  パブコメで97%が賛成なのに…現代ビジネス 福田 和子  2023.5.14

 2022年12月27日から2023年1月末日まで、「緊急避妊薬の薬局販売に関するパブリックコメント」が募集され、97%の人が緊急避妊薬の薬局販売に賛成したという。これだけ圧倒的多数が賛成しているにも関わらず、なぜ、緊急避妊薬の薬局販売が実現できないのだろう?

 ぜひ、生徒たちに討議させてみたい。

性の知識を具体的に教えずに子どもを性暴力から守れるか 「生命の安全教育」の実

 効性に疑問の声 東京新聞 2023.6.6

 日本の学校における性教育の遅れで一体誰が得をするのか?性差別、性加害に加担する、あるいは黙認する男性、それも中高年の男性であろう。それはすなわち国会議員の多くであり、特に政権与党のメンバーである…そう思いたくなるほどに、今の日本は学校での性教育に後ろ向きではないのか。

 他方で体育の授業や学校行事、部活動中の事故、事件が多発していても、一向に改善を見ない。一体、「生命の安全教育」というきれいごとは何の役に立っているのかすら疑問であろう。グランドの釘すら無関心な学校に安全だとか、衛生だとか、教育的だとかのきれいごとを並べる資格はあるのか…実に不思議である。

触って学べる性教育。「ポケット避妊教室」って知ってる?

 2022/10/04染矢 明日香 NPO法人ピルコン間野 麗

 避妊に対する知識不足が目立つ日本の現状を知っておきたい。

セクハラ・性加害の背景に不十分な性教育 中学校で「性交」を教えることができな

 い理由 AERAdot. 古田真梨子 2022.11.20

 日本の学習指導要領に「性交」を教えてはならないとしている理由とそうした規定の弊害について考えさせたい。活発な意見のやり取りが期待できるテーマだろう。 「学習指導要領」の意義、存在価値についても触れておきたい。

 

 

その1.修学旅行と沖縄観光(中編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

・うむかじ:現代沖縄民謡の「ウチナーグチ」の魅力とは

 

Lucy - ウムカジ (面影) -2011/04/14 kyatarin75 5:08

Q.Lucyさんはどこの生まれだと思う?

※この歌は30年余り前にネーネーズ(第一期)が唄っていたが、今、視聴できるものはやや音質と画像

 が悪い。youtubeでの動画としてはLucy(ペルー出身の三世。長嶺ルーシー)のものが丁

 寧な唄いぶりでオススメ。なおこの動画では4:32頃に出てくる人々の中に古謝美佐子(1954~:第

 一期ネーネーズのリーダー)さんがいる。

 この歌には別れた相手をいつまでも忘れられずにいる女性の心を描いた切ない歌詞の端々に「しまくとぅば」の魅力が感じられる。特に歌詞の冒頭で登場する「うりずん」という春から梅雨時を表す季節の言葉は一度聞いたら忘れられない魅力的な響きを持っているだろう。歌詞の意味が知りたくなれば視聴する価値あり。

 またウチナーグチにおける母音の発音における独特の規則性にも気付くことが出来る。「え」と「お」は「えー」、「おー」と伸ばす時以外はそれぞれ「い」と「う」に変化しがちなので、たとえば「かきくけこ」は「かきくきく」、「さしすせそ」は「さしすしす」と発音される傾向にある。ただしこれはあくまで原則であり、例外も実際には多いだろう。この曲、ウチナーグチへの関心を高める教材として大いに活用できると思うが、いかがだろう。

 なお日常会話でよく登場するウチナーグチを知りたいなら「okimami/オキマミ」の「うちなーぐち講座」【沖縄方言】日常で使われる『うちなーぐち』(#54)2020/05/25 3:58・)と【沖縄の方言】うちなーぐち 講座!(#46)2020/04/29 6:43)及び【 沖縄方言 】スラング系?!うちなーぐち講座🌺 ( #59 )2020/07/12 9:34)が親しみやすく分かりやすい。楽しく学ぶなら、しゃもじ『英語の授業』 2018/04/01 マセキ芸能社公式チャンネル 4:20もオススメ。本格的に学ぶなら「阿波根あずさの沖縄観光チャンネル」の「しまくとぅば講座」が48回分ある。

Q.なぜスペイン語で育ったペルー出身の長嶺さんがウチナーグチで唄っているのだろ

    う?前半の伴奏を三線ではなく、ギターを使っている理由は?

 「琉球学」(松島泰勝編 明石書店 2021)によると・・・沖縄からの移住は1868年のハワイ移住(さとうきびプランテーションでの労働が中心)からはじまり、北米に拡大。1899年からはペルー、1908年からはブラジルなど南米への移住も始まる。やがて南洋諸島やフィリピン、シンガポールにも移民先は拡大していった。第一次世界大戦後の砂糖価格暴落に始まる「ソテツ地獄」(大戦中はヨーロッパでの砂糖不足で黒糖価格が3倍以上も高騰し、沖縄は空前の好景気に沸いたが、大戦終結後、ヨーロッパでの甜菜生産が回復するなどしたため、黒糖価格は戦前の水準に暴落。1918年以降の砂糖不況は農民の7割を占めた零細農民を直撃した。中にはアク抜きに失敗すると死亡する虞のあったソテツの実を食べて飢えを凌ぐ者も出たという)は移民を加速させ、日本国内、特に関西方面への出稼ぎも急増した。

 沖縄から海外へ移住した沖縄の人は第二次世界大戦前には77万人、大戦後も26万人となり、合わせて100万人を超えたという。戦前の沖縄県の人口が60万人程度、現在でもおよそ147万人であることを考えると47都道府県で沖縄は突出した移民県であった事が分かる。ただし長嶺ルーシーさんのように移民2世、3世が沖縄に戻ることも多く、またアメリカ兵との間に生まれた人も大勢いて、沖縄では多様な人種、民族、文化が混在している。それが沖縄の国際性を支え、日本における異文化交流の中心としての開放性を沖縄にもたらしているのだと考えられよう。

「里心」は「ウミサトゥ」、「夕間暮」は「ユマングィ」と読む。なお「一人」は「フィチュイ」

   読み千鳥の鳴き声の「チョイチョイ」と掛けている。繰り返しになるが、多くの若者が就職先や進学

   先を求めて島を離れ、幼なじみと別れて不慣れな土地で暮らさなかければならない覚悟を背負ってき

   た沖縄の人々にとってネーネーズの「黄金の花」やBEGINの「島人ぬ宝」は心に響く唄の代表

   格。この唄もそうした沖縄の歴史と現状を踏まえて鑑賞したい一曲。

    この曲を作詞作曲した知名定男はプロデューサーとして1990年、古謝美佐子、吉田康子、宮里奈美

   子、比屋根幸乃の4人で初代ネーネーズを結成させ、全国的に話題を集めた。喜納昌吉、照屋林賢と

   並ぶウチナーポップの先駆者である。知名については「RBC NEWS「HOPE50 「バイバイ沖縄」

   込めた想い」2022/04/05 【琉球放送】RBC NEWS 7:20」を視聴すると良い。沖縄の伝統的な歌

   の世界が本土復帰を境に急速に衰退していく事に危機感を抱いた知名はチャンプルー文化の沖縄らし

   く島唄にポップやレゲェなどの要素を大胆に盛り込んで沖縄民謡に新しい命を吹き込み、若者達を惹

   きつける事で島唄の再生を期した。1994年にはネーネーズを擁してヨーロッパ公演を行い、世界に向

   けて沖縄民謡の魅力を発信している。

      また「島々清しゃ」や「うむかじ」といった郷愁を誘う、しかも新しい味わいの沖縄民謡を創り出

   し、沖縄以外の日本人をも惹きつける大きな役割を果たしてきた。

 

⑯高校野球の裏側

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

広陵高校野球部イジメ問題

参考動画

【広陵暴力事案・朝日新聞の大問題】広陵とジャニーズ問題との類似性|加害者擁

    護する保護者・OBの心理|一戦必勝・トーナメント制の是非|教育の場でのビール

    販売を考える【中野慧】  文藝春秋PLUS 公式チャンネル 2025/08/24  29:16

 確かに高体連と独立して高野連が存在している事の問題は極めて大きいだろう。とりわけ朝日や毎日、NHK(甲子園大会のテレビ放映)といった大手メディアとの密接な関係を持ち、莫大な金銭が動く高校野球の在り方を根本的に見直すべきであると考えるが、いかがか。

    世間の注目を浴びることの多い高校野球の裏側ではびこる部内での陰湿な暴力、イジメ…人権感覚の鈍い高校野球界全体の体質改善が急がれるだろう。

【広陵野球部の炎上を徹底分析】広陵だけの問題ではない|体罰をネタにする”

    ロ野球選手|問題は高野連の独立|野球を特別にしたのは何か|連帯責任からの

    緩和が悪い方向に|体育会系の問題とは【中野慧】

    文藝春秋PLUS 公式チャンネル 2025/08/24  24:59

    野球に限らずスポーツ強豪校が経営や金銭の絡む勝利至上主義のもとで抱えてきた構造的問題に注目しないと、特定の加害者や監督、学校の問題に矮小化してしまうのでは…という指摘は高校スポーツ界に留まらず、極めて重要な認識だろう。

参考記事

企業が体育会系の学生を欲しがる「本当の理由」… 広陵高校問題を機に浮上した

    「ハラスメント耐性がある」説に専門家の見解は

    集英社オンライン 2025.8.20

 ハラスメント耐性がある、ということはハラスメント体質がある、ということと完全に無関係ではいられないはずである。もちろん、ハラスメント耐性のある人物がすべてハラスメント体質というわけではない。しかしそうした体育会系教師たちは、少なからずの割合で年功序列型であり、管理主義的であり、同調圧力が強く、保守的であることはほぼ間違いない。

    そしてこうした体育会系が学校社会においては生徒指導部に数多く集まることも明白な事実である。だからこそブラック校則はなくならないのだ。そして残念なことに、千葉県ではそうした教師ほど学校の管理職となってきた経緯がある。

 つまり「教育委員会が体育会系の教師を欲しがる」本当の理由は明快である。各教育委員会にとっては、文科省の方針に常に忠実であり、変革を好まず、体制の保守管理にばかり精を出す人物が出来る限り多いにこしたことはないのだ。したがって文科省抜きで、教育委員会主導により学校の何かが良い方向に新しく変わっていくことを、学校現場は決して期待してはなるまい。

 すなわち仮にある程度のスピード感を持って学校教育を変える必要があるのならば、まずは体育会系の教師を出来る限り学校現場と教育委員会から、社会教育など、別の場所に異動していただく必要がある、ということだ。「改革を求める学校現場が体育会系の教師を欲しがらない」本当の理由はそこにあるだろう。

「まるで戦時下の報道だ」広陵高校の暴力問題→甲子園主催の朝日新聞は沈黙…見

    て見ぬふりをした新聞社の責任とは    文春オンライン プチ鹿島 2025.8.19

体罰はなぜなくならない? 「閉鎖空間と甲子園至上主義」が生む負の連鎖 元球児の

    教授が指摘 弁護士ドットコムニュース 2025.8.19

    甲子園大会について「たとえば、テレビ中継をやめてみたらどうでしょう。そうすれば、世間の関心は落ち着き、勝利至上主義も和らぐ可能性がある。結果として、選手の野球を楽しむ権利も、他の部活動と同程度に守られるのでは」と説明する…という渋倉教授の指摘には納得させられるだろう。裏を返せばこれまで甲子園大会を主催して野球熱を過剰なまでに煽ってきた朝日、毎日の罪深さを思わずにはいられない。

 

教職員の過労死、2015~23年度に38人 公立小中学校で    朝日新聞社 2025.6.28

 なぜ高校のデータが無いのか、高校のデータを除く事にどんな合理的理由があるのか、まずは朝日新聞に問いたい。教員の過労死問題を扱うにあたって小中学校のデータだけで語ろうとするのはあまりにも片手落ちではあるまいか。部活動の盛んな高校では他の職業からすれば常識ではあり得ないほどのサービス残業が特定の顧問に生じていたはずである。

 30年近く前に一年間365日、ただの一度も部活動を休まない高校の部活動(富山のハンドボール部)がテレビで紹介されたことがある。当時は野球部の多くがほとんど休み無しの指導で有名だった。個人的には学年の遠足を部員だけ早めに切り上げさせて強制的に学校に帰らせ、夜まで練習に費やしているバレーボール部顧問を見たことがある。どの高校であろうとも若い教師にとってこの時代、月に120~140時間程度の残業は通常のノルマですらあった。

 自分自身の記憶では20年ほど前も、部活指導で月に100時間近くの残業(休日での指導を含む)を続けていた時期があった。そうした経験からすれば…文部科学省が月ごとの時間外勤務に「45時間」という上限を設けた…と規定にあったとしても、この規定、本当に守られてきたのだろうか、怪しい限りである。おそらく管理職にバレないよう、学校外で密かに練習している部活が今も存在しているのではあるまいか。「部活命」は決して生徒だけではない。

 今や、部活好きな顧問には好きなだけやらせておけばよい、というわけにはいかないだろう。コンプライアンスが厳しく問われる現在、部活中の事件、事故は管理職の地位を脅かしかねないほどに大きな懸念材料となっており、管理職としては自己保身の面でも部活動による残業をそうやすやすと見逃すわけにはいくまい。

 残業問題の多くは保護者、生徒を巻き込んだ部活動の度を越えた過熱ぶりにあると考えるが、いかがか。保護者も含めて今の50代まではスポ根アニメや熱血教師のドラマの影響を多少、引き摺っている世代であろう。その世代ではもっぱら部活動の指導をしたいがために教師となった者すら、決して少なくはあるまい。

 しかし高校の場合、教師の本務はあくまで授業であるべきだろう。高校教師にとって部活動の過熱は本務を疎かにしかねない点で決して好ましくはない。他方で中学校では部活動の地域移管が進められつつあるが、なぜか高校では部活動問題があまり議論の俎上にのせられてこなかった。そしてこの記事の様に、教員の過労死統計からなぜか高校教師が除外されて報道されてしまっている。高校では野球部の顧問の過労死が疑われるケースはけっして少なくないはずなのに、これは一体、どういうことなのだろうか?地球温暖化によって開催時期に関しても問題の多い夏の甲子園大会を主催してきた朝日新聞の責任…この件でもきわめて重大であろう。

・「大谷のグラブ」対応から見える学校教育と日本の野球界の問題点

参考記事

大谷グローブ、それぞれの「今」を追った 校内野球大会のきっかけに、「キャッチ

 ボール禁止」の学校では… 東京新聞 2024.9.20

 案の定、大谷グローブを持て余している学校は少なからず存在している。ドジャースに移籍後の今年度はさらに大きな注目を集めている大谷選手だが、グローブの方は本人程の活躍が見られない。

 授業での論点は効果的な寄付のあり方に関するポイントと日本の野球界及び学校の抱える問題点の二つに分けて考えられるだろうか。生徒たちの興味をひきやすい話題であるが、論点を整理するのはかなり難しい。教師としては事前にそれなりの予備知識を蓄えてから議論に持ち込みたい。

「早くウチの子供に使わせろ!」“大谷グローブ”を巡って教育現場が頭を悩ませる

 ワケ 日刊SPA! の意見 2024.5.13

大谷選手の寄贈グラブの活用は難しい?「キャッチボールもしていません」 校庭で

 野球禁止の学校も AERA dot. 米倉昭仁 によるストーリー 2024.2.3

大谷翔平の小学校寄贈グローブが「10万円転売騒動」「屋外使用厳禁」剥き出しに

 なるオトナたちの醜態 アサ芸プラス によるストーリー  2024.1.23

大谷翔平の『寄贈グローブ』で全国の小学校に広がる混乱 使用ルール”決まらない

 なか、保護者からの要求がエスカレートすることも

 NEWSポストセブン の意見 2024.1.25

 こうした醜い状況が生まれてしまった原因はどこにあるのだろう。グローブを受け取った学校側の対応にはもちろん大きな問題が少しずつ露見してきている。相当程度ブラック化している小学校にとって12月から順次寄贈されるグローブへの対応は頭を抱えるレベルの難問であるはず。「10万円転売」問題は早くから予想できたことであり、そうならないためにはどうしたらよいのか…まさか校長室に飾るだけでは大谷選手の意向を無視することになりかねない。

 おそらく有効な活用方法は簡単には見いだせないだろう。寄贈されたグローブをどのように扱うのが理想的なのか、生徒たちに提案してもらうと議論がはずむかもしれないが、じつは学校長以下、ベテランの教師たちであっもこれはかなり難易度の高い課題。今は学校の繁忙期。こんな時に奇妙な難題を吹っ掛けられてしまった小学校の方こそ困惑するばかりで、学校によってはまさに「有難迷惑」そのものに違いない。

 当然、グローブを寄贈した大谷選手側にもかなり問題がありそうだ。日本での野球人気を少年野球の段階から盛り上げることが大谷選手の狙いのようだが、このやり方で本当に良かったのかどうかは疑念が残る。ただでさえ、大型の寄付は難しい。マイクロソフトの創設者ビル・ゲイツは寄付をするためだけの財団を立ち上げて大勢の検討のもとに寄付を行っている。大谷選手側にそうした熟慮があったとは思えない。

 大谷選手側のどこに問題があり、野球人気回復の方途はどうあるべきなのか、についても生徒から意見を募りたい。もちろん、野球人気の回復など学校側が特にする必要は無い、との意見が出るかもしれず、その場合はぜひ賛否を問いたい。

 

・野球離れの持つ意味

参考動画

【ゆっくり解説】ブラックすぎる…過酷な昭和の運動部の実態についてゆっくり解

 説! ゆっくり昭和の記憶  2021/10/31  11:14

 PL学園の野球部廃部に象徴されるブラック部活の問題は特に野球部の問題として注目された。部活動中の熱中症による死亡例の4分の1が野球部であることに示されるように、不合理な「しごき」が特訓とされてしまう風土がとりわけ野球界に蔓延していたのは間違いない。「ゆっくり解説」のシリーズは多少、うけ狙いの危うさが感じられるが、この動画は比較的バランス良く、偏りがあまり見られない点でオススメ。

 生徒たちには取っ付きやすい動画なので授業の導入として利用できるだろう。

【野球離れ】甲子園は高校生にとってベストなのか?20年で部員半減の厳しさも?

   スポーツ業界における野球の役割|《アベマで放送中》2022/05/14 12:43

【指導】「チームを強化するために」パワハラ解任の横浜高校元監督の失敗とは?

 安藤美姫が明かすコーチとの信頼関係と罵声?スポーツと体罰|2021/11/12 

 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 29:36

 安藤氏や夏野氏の意見に注目したい。頂点を目指すトップアスリートの世界では厳しい指導と暴言や体罰は紙一重であり、その場の状況や指導者と選手との信頼関係が問われてくる。必ずしも一律に外部から体罰や暴言が適用されるとなれば指導者側だけでなく選手側まで困惑しかねないだろう。しかし学校の部活動においては生徒達に退部の自由があるとは限らず、もはや指導者による暴言や体罰が許される余地はコンプライアンス重視の現在、ほぼなくなってきていると見て良いだろう。

参考記事

「どうか生徒たちへの誹謗中傷はお控え頂き」高校野球強豪校の監督が訴え、コー

 ルド敗退を受け投稿 まいどなニュース の意見 2024.9.17

 高校での討論型授業においては絶好の素材であろう。もちろんネット上での誹謗中傷の是非については今更生徒たちに訊くまでもあるまい。討論の議題とすべき課題はなぜ、今、甲子園球児への激しい誹謗中傷が起きてしまったのか、その原因追及の方であろう。

 おそらく甲子園という大舞台でテレビ放送され、都道府県の期待を一身に集めて行われるこの大会の意義、あるいは野球人気の低落の原因、部活動の意義、応援する側の過熱しがちな心理、マスコミによる煽り気味の報道のあり方、スポーツを含む日本の学校の勝利至上主義のあり方、プロ野球と高校野球との癒着構造…議論のテーマは広く拡散してしまうに違いない。

 しかし、今回はむしろ積極的に広く課題、問題発生の原因を探らせていくべきテーマとして取り上げても可。つまり一つの社会問題の背景に潜む、様々な課題を広い視野から逐次拾い上げていく練習を積むことの意義は決して小さくあるまい。これを授業目標のメインに据える時間があっても良いのではあるまいか。

 とすればここでそれぞれの課題を逐一深堀りする必要は必ずしも無く、後日、他のテーマの際にも同様の課題が指摘されたときにはあらためて深堀りする…といった展開でも良いと思うが、いかがか。

私立高校の野球部で監督らが暴言や暴行か…保護者会で謝罪 バドミントン部でも

 長崎市 日テレNEWS 2022.12.16

 スポーツ強豪校ではありがちな事件。1970年代に全盛期を迎えたスポ根アニメ、青春ドラマ、ホームドラマなどにつきものの体罰やしごきは今の60歳代の教師、さらにはその教え子の世代である50歳代、40歳代にも連綿として受け継がれている。結果を出さなければならないスポーツ強豪校にとっては極めて克服が難しい問題であろう。中学だけではなく高校でも運動部指導の民間委託を徹底させる方がこの問題をスピード解決するには最適なような気がするが、いかがだろう。

甲子園で長髪旋風! 非丸刈りチームの決勝進出が確定 「高校生らしくない」に著

 名人が反論「時代は常に変化」 ENCOUNT によるストーリー 2023.8.19

 この話題から入ると高野連や運動部の抱えてきた問題点を浮き彫りにしやすいだろ

う。まずは高校野球での「丸刈り」に対して賛否を問い、それぞれの理由を挙げさ

せてみたい。

高校生3人に1人、部活の大会で髪形注意された経験 「前髪上げろ」

 毎日新聞 によるストーリー 2023.12.15

 部活動の隠れた役割にも注目したい。

高校野球で「そんなの認めない」 ペッパーミルだけじゃない、審判の怒りを買っ

 た球児の行為  AERA dot. 2023.4.5

 討論のテーマとして格好の素材になるだろう。

球児よりヤバいのは審判・チアガール・吹奏楽・観客…夏の甲子園でバタバタ倒れ「熱

 中症死」が出る日 プレジデントオンライン 酒井 政人  2023.8.8

【甲子園】6回に土浦日大、上田西の両チームの選手が動けなくなりベンチに運ば

 れる 今大会から暑熱対策を実施 報知新聞社 によるストーリー 2023.8.6

もう夏の甲子園はやめませんか?高校野球を巡る諸問題はやめれば解決する

 Bpress 関 瑶子 によるストーリー 2023.8.5

 児童、生徒の野球離れに危機感を持つ野球関係者は多い。大リーグでの大谷翔平選

手の活躍はあるものの、ひと頃に比べれば日本の野球への関心は確かに低下しつつあるだろう。野球部員の人数がそろわずに他校との合同チームを組むことを余儀なくされ、ついには廃部に追い込まれる、などといった残念なケースが少子化の進展も手伝って徐々に数を増しているという。

 しかし高校教育における野球の問題点はそうした野球人気の陰りとは別の観点からもこれまで数多く指摘されてきた。高校にはスポーツ指導者の団体として体育科の教師を中核とする「高体連」があるが、なぜか野球だけは別格扱いで「高野連」という野球部顧問中心の教科枠を超えた組織が高校野球を仕切ってきた。

 そして野球部員たちにかつて丸刈りを事実上、強制してきた厳格な高野連ルールはこれまでも幾度か物議をかもしてきている。いわゆるブラック校則を側面から支えてきた高野連の体質には昔から多くの根深い問題があったとみられるのだ。

 実は高校教師の異動に際して高野連が介入する「高野連人事」がかつて普通に見られた。もちろん「高体連人事」もあるにはあったし、種目によってかなり事情は異なるだろうが、多くの場合、高野連ほど露骨ではなかったという個人的印象がある。皆さんの場合、いかがだろう。そこそこ有名な野球監督であるならば自ら望まない限り、野球部の存在しない女子高や定時制、通信制に異動することは私の記憶では一度も無かった。

 他方で私生活を犠牲にして野球指導に専心する顧問の負担は極めて過酷であり、自身の家庭生活や心身の破綻を招くことも少なからず見られた。すなわちブラック校則のみならず、職場としての学校のブラック化を側面から支えてきたのも実は高野連であったといえよう。

 ただの「野球バカ」が礼賛される時代はとっくの昔に終わっているのだ。野球人もまた「献身性の沼」にはまり続ける事の罪深さについて、少しは思いを巡らす時期に来ている。

 部活動過熱化の核として甲子園を頂点とする高校野球の勝利至上主義的あり方があったことは否めない。テレビ放映が地方大会レベルから行われ、高校野球の熱狂的なファンは全国に大勢ひしめいていた。

 野球人気が過熱する陰で根性論、鍛錬主義に基づく体罰や暴言、先輩による後輩へのしごきなどが当たり前のように繰り返されてきたのも間違いなく野球を始めとしたスポーツの世界である。50年以上前のアニメ「巨人の星」を見て育ったカッパたちはとりわけ、今となってはあまりにも行き過ぎた、アノ熱血指導をどうしても賛美しがちな世代であったと思われるが、皆さんはいかがだろう。

 夏の甲子園、春の選抜はそれぞれ朝日新聞と毎日新聞が高野連と共催し、ほとんどの試合は予選の地方大会も含めてNHKによってテレビ放映されている。予選を含めた試合での全校応援もまた多くの高校で見られた。まして甲子園出場ともなれば学校側は大規模な応援団を編成する必要に迫られる。当然、勝ち続ければ一千万単位の予算が必要となり、関係者は卒業生などに寄付を募るなど、甲子園大会は周囲の人々に様々な労力と金銭面での大きな負担をも強いてきた。

 他のスポーツではサッカーを除くと全国大会ですら学校が組織的に応援団を送ることは稀であり、テレビ放映もかなり限定的。高体連の各専門部の資金力も多くの種目では高野連とは比較にならないほど貧弱である。様々な面でのスポーツにおける種目間格差が、特に野球と比べた際の格差の大きさが教育における公平さを欠くのでは…などとかねてから学校現場では指摘されてきていた。近年は多少の改善が見られるものの、いまだに格差解消には程遠いのが実情である。

 マスコミ各社にはぜひこうした問題にも言及していただきたい。

53日間で休み1日だけ中学教諭の「過労死」 訴え認め約8300万円の支払い命

   じる 遺族の思いは 日テレNEWS によるストーリー 2023.7.6

日本の部活動は「滅私奉公」サラリーマンを育てる隠れカリキュラム

   ニューズウィーク日本版 によるストーリー 2024.5.30

 

 ふと気づくとそういえば一か月間、一日も休んでいなかった…若いころは疲れ気味の自分自身に対する思いやりなど持てず、有給休暇を一年間で一度もとっていないことを武勇伝であるかのように自慢する傾向が自分にもあったことは否めない。文化祭の準備でさえ午前様になることは珍しくなかった時代があったのだ。

   こうした先輩教師たちの武勇伝は美談化されることでおそらく後輩たちを相当追い詰めていただろう。無謀なまでの精神主義的根性論を柱とする心性は子供時代、「スポ根アニメ」の洗礼を浴び続けて育った、今や60代となっている元教師に多く見られたように思う。

   私などは間接的にではあるが、こうした過労死事件に心ならずも加担してしまった一員として深く反省しなければなるまい。


   

⑮指導死の裏側

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

“冠水”道路で駅伝開催も走り直しに 3連休に異例の大雨…各地で困惑【スーパーJ

   チャンネル】 ANNnewsCH  2024/11/04 2:19

   警報が出ていたのに大会を強行した大会運営組織の判断に大きな問題を感じてしまう。なぜ、この状況で競技中止の判断が素早くできなかったのか、運営側の責任が厳しく問われるだろう。生徒たちにはなぜ、中止の判断が遅れてしまったのか、こうした無理強いの大会運営が横行する背景に何があるのか、考えさせてみたい。

   ※参考記事

  大雨の中の高校駅伝…“もも”まで水没し激走 途中で異例の中止…3日後に再開催も「もう1回走

   るのはきつい」 原監督「今後への教訓に」 大阪市

   FNNプライムオンライン の意見 2024.11.7

   大雨警報が出されていたにもかかわらず、競技を中止しなかった大会運営側の責任は重い。膝ま

   でつかっている状態で走らせる指導者側の判断能力の低さにも呆れてしまう。大会運営側でなく

   ともあの場所にいた顧問らは、運営側に抗議する意味でも大会参加を辞退するべきではなかっ

   た。あれを観戦していた保護者がどう思うのか、運営側が想像できないはずはない。万が一、生

   徒たちに何らかの健康被害が生じてしまったとしたら、保護者たちにどう説明するつもりだった

   のだろう。

    夏の甲子園でもしも事前から落雷が予想され、稲妻が光り始める状態になった時、大会運営側

   ははたして競技中断をそれほど思い悩むだろうか。雷鳴が幾度も聞こえる中でなお中断を躊躇す

   るだろうか。おそらく躊躇はしないだろう。もちろん雨天等で競技を中断することの多い野球で

   は荒天による試合の中断や順延が多く、その後の対応も慣れたものであるに違いない。

    では駅伝大会では荒天による競技中断の判断が野球に比べてなぜ難しいのか、生徒に考えさせ

   たい。

【懐かしい昭和】昭和の子どもは暴力と理不尽に支配されていた…戦後最悪の水難

 事故、体罰横行、集団就職への激しい差別、全員坊主頭

 THEヤバイ昭和 2023/10/03  15:58

 一見、偏った視点による信用度の低い動画に思えるが、実は意外なほどにバランスのとれた堅実な内容の動画である。戦後日本の学校教育を要領よくかいつまんで知るにはうってつけの動画であろう。

【ゆっくり解説】今では考えられない「昭和時代の部活」の常識

 ゆっくり昭和ボンバイエイ  2022/11/08 15:01

 この動画でよく分かるように当時の部活動には全くと言って良いほど合理性に欠ける、行き過ぎた鍛錬主義がかなり浸透していた。なぜこのような指導が学校全体に行き渡っていたのか、その背景を知るべきだろう。

【アニメ】危険物多すぎ!昭和の持ち物検査がエグすぎた・・・

   転生したら昭和だった件  2022/07/05  2:41

【アニメ】生徒に厳しくしすぎて自分見失う昭和教師

   転生したら昭和だった件 2022/07/21  2:40

【アニメ】危険すぎるトレーニング強制してくる昭和教師

   転生したら昭和だった件 2022/09/27  1:55

 もちろんかなり歪曲されているが、当時の教育に過激な鍛錬主義的側面があったことは間違いない。その結果、確かに今考えれば「不適切にも程がある」点は数多くあったはずだが、学校教育がそもそも軍人教育との強い結びつきをもって成立してきた歴史的経緯からすれば当時の教育には歴史的流れの中での「不自然」さは、さほど無いとも言えよう。また当然のことながら日本の学校教育が伝統的に抱えてきたものがすべて「不適切」というわけでもあるまい。

 この動画の設定を逆にして国民学校の少国民が昭和40~50年代に転生したらどう感じるのか、想像させたら面白いだろう。また令和の時代から戦時中の児童生徒に転生した場合もぜひ想像させたい。

 戦時中の皇国民教育が戦後になって何がどのように変わったのか、変わらなかった点は何か、変えるべきではなかった点は何か、今の教育の長所、短所は何か…問われるべき疑問点は多い。短い動画なので授業の導入としては刺激的で利用しやすいだろうが、ある程度の見通しを持って視聴させないと利用する意味が無いだろう。

[サイエンスZERO] 体罰や暴言で傷つく子どもの脳 回復させる方法とは? | 子ど

 もの脳を守れ 脳科学が子育てを変える | 2021/08/11 NHK 4:47

 虐待やネグレクトが脳に大きなダメージを与えてしまう事は誰もが知っておかなければなるまい。

体罰95%から2%になったスウェーデン、体罰のないしつけに大事な3つ!| 北欧

 在住ゆるトーク Nord-Labo 北欧研究室 2022/09/17 21:11

 子供との粘り強い対話を重視するスウェーデンの子育てと学校教育の在り方が1970年代まではびこってきた体罰の根絶に大きな役割を果たしていたようだ。子供達の意見にしっかりと耳を傾ける大人達の姿勢が子供達の自己肯定感を支え、積極的な社会参加を促してきた側面にも注目したい。こうした大人社会の忍耐強い努力の積み重ねが他者と多様性を重んじる北欧の福祉社会存続の軸とされてきた事に畏敬の念を覚える。さて、日本はいかが…

【距離感】「本気の他人事が大切」教師と生徒、親と子の関わり方は?マルトリー

 トメントを考える 

 2022/07/29 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】19:33

 暴言や暴力が教育現場で繰り返される背景を探りたい。

戸塚ヨットスクール校長VS乙武洋匡 体罰と暴力の違いは?|AbemaPrime  12/13放送  2019/12/14 11:57

 言葉が分からない幼児には体罰という抑制が必要、とする塾講師の意見に対してどう思うか?体罰と暴力はどこが違うのか?戸塚スクールの校長の意見は「老害」に過ぎないのか?討論のたたき台にはなるだろう。

【体罰教員】生徒の背骨を折った柔道部顧問が逮捕 過去に3度処分もなぜ現場に?

 体罰・指導ではなく暴行事件とすべきの指摘も【教育】|#アベプラ《アベマで放

 送中》 2020/10/15 ABEMAニュース【公式】 19:04

 内田氏が指摘する体罰を容認する学校の体質とは何だろう。実際、どの学校でも生徒指導部主任に体罰容認派の教師がつくことが多いのは事実である。また生徒指導部の多くは運動部顧問であり、体育教師が多い傾向があるのも否めないだろう。特に剣道や柔道の顧問が生徒指導の中心となる率は極めて高い。敗戦後、GHQによって禁じられた武道が近年、中学校で必修化された歴史的経緯も探る必要がある。確かに夏野氏の体育教師に対する不信感と体育不要論は極論に聞こえるが、果たして公平に見て実際、どうなのだろう。討論の俎上に載せてみたいテーマである。

【指導】「チームを強化するために」パワハラ解任の横浜高校元監督の失敗とは? 

 安藤美姫が明かすコーチとの信頼関係と罵声?スポーツと体罰|2021/11/12 

 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 29:36

 安藤氏や夏野氏の意見に注目したい。頂点を目指すトップアスリートの世界では厳しい指導と暴言や体罰は紙一重であり、その場の状況や指導者と選手との信頼関係が問われてくる。必ずしも一律に外部から体罰や暴言が適用されるとなれば指導者側だけでなく選手側まで困惑しかねないだろう。しかし学校の部活動においては生徒達に退部の自由があるとは限らず、もはや指導者による暴言や体罰が許される余地は現在、ほぼなくなってきていると見て良いだろう。

【勝利至上主義】歪んだ思想を植え付ける?勝ち負けより大切な学びも?全国大会

 は必要なのか 2022/05/21 ABEMA 変わる報道番組#アベプラ【公式】 16:04

 スポーツや運動部、学校体育、運動会のあり方全体が問われている。勝負至上主義、根性主義、体罰体質、集団主義、同調圧力、管理主義、イジメの温床としての、これまでの日本におけるスポーツの負のあり方には反省が必要。ひろゆきの「甲子園大会は不要」という提案は議論のテーマとしてかなり刺激的ではあるが、問題提起としては非常に面白い。

ニコ生×BLOGOS 体罰・指導死・教師の鬱...どうする日本の教育現場!

 BLOGOSチャンネル  2013/02/01 1:21:16

 古い動画だが、体罰が教育的指導の一つとして成立し難くなってきた経緯を含め、現在の学校が直面している種々の問題をこれほど包括的に分かりやすく説明してくれる動画は意外に少なく思える。特に若い教師にとってこの動画は極めて貴重であろう。宮台氏と藤井氏の解説は10年近く経った現在もまったく色褪せない的確さに満ちているように思うが、いかがか。

 イジメの対応に関しても首長の積極的介入などが問われざるを得ないほどに学校教育村の自浄能力がほとんど失われている、という指摘は間違いなく現在にも当てはまる。これまで学校が自らの努力でほとんど何一つと言って良いほど変われて来なかった点に元教師として情けなさを強く感じないわけにはいかない。

 

 当然の事ではあるが、そんな学校に政治的介入を拒む資格も無ければ、「教育の中立性」を云々する資格も無い…と言われてしまったとしても致し方あるまい。学校の聖域化が進み、市民社会からかけ離れてすっかり自閉してしまった、まさに村社会としての教員社会における常識は、もはや完全な時代遅れの硬直化した因習の一つに過ぎないのだ。

 しかしそうした異常な事態に教師自身が一刻も早く気付けるだけの、大学でのまともで充実した実践的な教員養成教育を予め受けることもほとんどない。さらには教師となってからの時間的、精神的、身体的ゆとり自体がそもそも切実に欠損している。今の教師たちが置かれているそうした絶望的なまでの暗闇の世界…いつまでたっても光が見えてこない、今の教師たちの視界の昏さこそ、現代日本における最大の教育問題なのかもしれない。

 

参考記事

キケンな組体操を強制する学校に喝!元学長のツッコミがぐうの音も出ない正論

   だった ダイヤモンド・オンライン 出口治明 2024.12.6

   もちろん根性は何をやるにせよ、どの世界においても多少は必要になってくる。問題は科学的根拠が無く、かえって害悪な事すら、学校側が妙な根性論で一方的に強要することだろう。かつて学校ではうさぎ跳びによる筋トレや運動中の水分補給の禁止など、今では完全な間違いとされる練習やルールが根性論の下に強要されていた。組体操もその一つと言って良いだろう。とりわけ問題まみれの神戸市教委が頑なに組体操を許容しようとしてきたことは夙に有名である。

   こうした非科学的な指導を危険を省みずに許容してきた学校教育のあり方、教師集団の体質には間違いなく重大な欠陥が潜んでいる。それが何なのか、今後はより科学的に究明すべきである。特に教師集団が伝統的に抱えてきている組織風土への究明が必要不可欠のアプローチとなるだろう。そうした知識は本来、学校の管理職には必須の教養であるべきなのだが、実態はまったく異なっている。なぜ管理職として必要な教養に欠ける人物を教育委員会は管理職に登用し続けるのか…究明すべきポイントは数多あるだろう。

 出口氏の指摘は今や、さすがに当たり前すぎて陳腐であり、マスコミ側はもっと科学的なアプローチで学校の問題に取り組むべきだと思うが、いかがか。 

日本社会の「体育会系精神」は学校教育で養われてきた? 運動会「子どもの組体

   操」に感動する大人への“違和感” 弁護士JPニュース の意見 2024.11.3

   「感動」をねじ込んで言うことを聞かせている体育会系教師たちの危うさを外国人の観点から論じている面白い記事。…学校などの教育現場で「感動」が登場する数は圧倒的にニッポンが多いです。というよりも、いたるところに「感動」なるものをねじ込んで子どもに言うことを聞かせている印象です。小学校の読書感想文では「感動しました」と書くと大人に喜ばれる傾向がありますし、とにかく感動するのはいいことで、そのためにはなんでもありという印象を受けます。

   …子どもたちは、大人が感動したいがためにピラミッドを「やらされている」…日本人にはそうした「感動ポルノ」が抱えている危険性に気付けているのか、否かが問われているのだろう。…人の苦労を見て好き勝手に感動する前に、自分で頑張って自分に感動してみたい…これは日本の児童生徒たちの自己肯定感を上げていく上で、決して忘れてはならない名言ではあるまいか。

「ぜんたーい、止まれ!」その入場行進なんのため? 元体育主任が語る、運動会で

 廃止すべきこと3つ All About 坂田 聖一郎 2024.9.21

 近代以降の日本の学校教育は早くから軍隊の組織や制服、兵舎の作り、兵士たちへの訓練をモデルとして整備されてきたため、戦後になってもその伝統は随所に引き継がれて残っている。戦後しばらくの間、男子生徒は詰襟の制服に坊主頭、女子はセーラー服、小学生はランドセル…体育、運動会も軍事教練の要素を色濃く取り入れており、欧米のスポーツ大会とは長らく一線を画してきた。だからこそ中学校での体育祭は練習の半分近くを行進と整列で占めていたし、また競技も競争的種目が多く、順位、優劣を競うことを軸に児童生徒たちの勝負強さと我慢強さが称賛されてきた。

 日本の学校ではたとえ熱中症の危険があったとしても、炎天下での長時間に及ぶ整然とした行進やラジオ体操の練習が鍛錬の観点からむしろ積極的な意義を担って平然と繰り返されてきたのである。あたかも兵士が熱帯の戦場で熱中症となってしまっても鍛錬不足とされ、自己責任とされたように、戦後の学校でも昭和の終わりまでは鍛錬主義の体育、運動会が行われてきたことになる。

 歴史的に振り返ればこうした鍛錬主義の体育や行事のあり方は次第に問題視され始め、昭和の終焉とともに大きく見直されるようになった。しかし地域によっては、まだまだ体育の世界で競争主義、鍛錬主義は払しょくされておらず、体育関係を中心に現在も様々な場面でコンプラ違反を問われかねない状態を生み出してきている。

 大学での体育科教師養成教育のあり方が真っ先に問われるだろう。いまだに集団主義的一斉指導を柱とした鍛錬主義を称揚するような教育が各大学で続いているとしたら大きな問題である。

 甲子園大会を含む各種全国大会で行われる選手入場行進、開会式、閉会式のあり方もまた見直されるべき点は数多い。もちろんオリンピックの開会式のあり方も選手団が国家の代表として位置づけられるあまり、スポーツが国威発揚に政治利用される傾向はいまだに強い。こうした動きには強く歯止めをかけないと、SNS上での負けた選手や監督への誹謗中傷が酷くなる傾向を強めてしまうに違ない。

 スポーツには人々を熱狂させる面があり、大金が投じられているためもあってか、金銭面での不正を含め、スポーツの本来の目的(体力向上と健康維持、レクリエーション…)を蔑ろにする傾向が一部に見られがちである。また国家主義、商業主義が表に出過ぎてしまった結果、選手個人の人権が侵害されるような大会運営も散見されないわけではない。学校での授業、運動会、体育祭レベルから世界大会レベルまで含めて根本的にスポーツのあり方を考え直す必要があると思うが、いかがか。

教員による「体罰」調べる方法が自治体によってバラバラ…専門家「隠蔽体質と批

 判されても仕方なし」弁護士ドットコムニュース によるストーリー 2024.7.28

 この記事が示す教育行政の怠慢ぶりは相当深刻であろう。文科省は学校でのパワハラ、セクハラ、体罰、指導死の問題に対して真面目に取り組む姿勢が完全に欠如しているというほかあるまい。この件でもまともな全国調査すらできていない…という悲しい現実に打ちのめされる。これで現実を踏まえた教育改革など文科省にできるわけがない。文科省が行っている自殺やイジメ調査、不登校調査も極めていい加減なものであり、そのデータの多くはまったく信じるに値しない。そもそも隠蔽体質の強い学校現場に調査を丸投げしている文科省や教育委員会の現場理解の乏しさと怠慢が問われるのだ。

県教委の再発防止策案、外部識者ら注文続々 岡山操山高生徒自殺問題

 朝日新聞社 によるストーリー  2024.6.9

 指導死に関して岡山県教委にも認識不足がかなり存在することは明確であろう。しかし残念ながらこの議論に欠けているのは高校教育に部活動は不可欠なのか、という根本的な疑念が見られない点である。部活動の指導を一切疑うことなく前提としているような、低レベルの議論自体が今やまったくのナンセンスではあるまいか。

「以前に生徒をいじめた」骨折放置でも続投の顧問 桶川中バスケ部問題、教育長が

 議会で陳謝 東京新聞 2024.6.18

 どうやら生徒たちよりも職務上の部下である教師の方をかばう校長や教育委員会が多いようだ。イジメや教師による暴言・体罰、学校事故が後を絶たない背景に教員集団の過剰な仲間意識、庇い合い、馴れ合いがあると思われる。さらにはモンスターピアレンツや集団の和を乱す「KY」な児童生徒などと教師との敵対的関係性が近年、強まっているのかもしれない。

 加えて学校の管理職に児童生徒の人権に対する意識が薄く、かつ管理主義的体質を持つ教師が目立って多い傾向が背景に考えられるだろう。

 授業ではこのような事件が後を絶たない原因について生徒たちに列挙させ、その中核にある問題点を抽出させていきたい。

バスケの試合中にあご骨折、顧問が病院受診させず 埼玉・市立桶川中

 毎日新聞 によるストーリー 2024.6.9

なぜ体育会系の人間は「体罰」や「根性論」がやめられないのか…「体育」と「スポーツ」

   の決定的な違い プレジデントオンライン 大野 哲也 の意見  2024.4.25

   イギリスとアメリカとの違いは興味深い。日本の体育は武道、格技の影響も考える必要があると思うが、いかがだろう。

威圧的指導「自分たちで終わらせないと」 大人が学ぶべき、怒声なき子の教え合

 い Full-Count によるストーリー 2024.2.11

 体罰や暴言、シゴキの悪い点は既に周知されている。口先のきれいごとだけではこの問題の解決はおぼつかないだろう。一番の問題点はこれまでにさんざん批判されてきたにもかかわらず、なぜ今もなお指導者による体罰や暴言、シゴキがなくならないのか、について深く考えていく事だろう。その理由をできるだけ数多く、挙げていくことで問題の深層に迫れるかもしれない。子どもの養育、しつけのあり方から学校教育のあり方、スポーツ界のあり方、企業における人材育成のあり方、性差別や年齢差別の様相、人権意識の様相、政界のあり方…問題の根は予想以上に日本社会に深く、かつ広範囲に及んでしぶとく残存しているはずである。

「叱りづらい」風潮に苦悩する教育現場 真剣に思いを伝えたいのにハラスメント扱

   いも AERA dot. 大楽眞衣子,宮本さおり の意見 2024.2.12

 前の「威圧的指導…」の記事とあわせて利用すると議論が深まるだろう。

〈宮城・教師パワハラ自死問題〉「他人事ではない」と全国の教師たちが悲鳴「年

   上教師に『お前とは一生働きたくない』と言われた」「生徒の前で“無能”と罵倒さ

   れた」「注意をすれば自分が標的になる」 集英社オンライン 2024.2.6

 50代後半の教師たちの中にはいまだに昭和の価値観、教育観を抱えたままの人がかなりいるだろう。しかし30代以下ともなれば50代とはかなり考え方の違う世代になる。その差異,ギャップを埋める役割を中間層の40代が果たせているのかが、この手の

問題を考える上で問われてくる。

 しかし千葉県の場合、年齢別教員数からは重要な調整役を果たすべき40代の教員の少なさが際立っており、ベテランと若手の世代間のギャップを埋める人材の少なさが千葉県での学校問題の背景に横たわっていると考えられる。

 もちろん50代後半の教師が行ったパワハラは許せることではなく、今後、重い道義的責任と法的責任が問われなければなるまい。とはいえ、世代別教員数のアンバランスの問題が宮城県にもあるとすれば、県教委や市教委の人事にもそれなりの課題はあるだろうし、反省すべき点が多々あるはずだ。トカゲの尻尾切りのように末端の責任ばかり問うのは片手落ちだと思うが、いかがか。

不適切にもほどがある…校長と担任ら3人、修学旅行で生徒の前で缶ビール8本 

   読売新聞 によるストーリー 2024.1.30

 あくまで自分の記憶ではあるが、修学旅行中におけるこの手の行為がヤバイ、との認識は少なくとも20年前には当時の学校批判の風潮の下で教師間で共有されていたと思うが、いかがだろう。修学旅行中の飲酒は教育委員会からの指導が無くとも、そして生徒の面前ではなくとも今後は控えるべき…との感覚を抱いていた教師は少なからずいたように記憶している。

   もちろん地域差や高校と中学校との違いはあるだろうが、世間的に見て通用するはずのない行為を随所でコンプライアンスが叫ばれる現代、生徒たちの前で堂々と開陳してしまった責任はきわめて重大であり、一体教師たちが何を考えていたのか…校長を含めて教師としての適性が強く疑われる案件であろう。

『不適切にもほどがある』の視聴を脱落する若者がいる理由は「昭和ネタがわから

 ない」からではない 現代ビジネス 田幸 和歌子 によるストーリー 2024.2.23

昭和オヤジの発言は「時代錯誤でハラスメント」なのか?…笑いの『不適切』と感

   動の『おっパン』が令和のいま「支持を集める理由」

   現代ビジネス 木村 隆志 によるストーリー 2024.2.10

 令和という時代の息苦しさ、閉塞感はひたすら社会集団への同調を強いて集団内にイジメを蔓延らせ、弱者に集団への一方的な忖度を求めてくる日本社会のあり方に多くは由来するだろう。また過度のコンプラ重視の窮屈さにもよるところが大きいように思う。

 さらに少なからぬ若者の間に蔓延している、どう見ても根拠の薄い保守主義的政治姿勢は若者たちの自己肯定感、自己効力感の低さが背景に隠れていそうである。もちろんこの点では若者の自己肯定感、自己効力感を上手に育てることに失敗してきた学校教育や企業文化の責任が強く問われよう。

 バブル崩壊後の「失われた30年」余り、景気の低迷が続いて少子高齢化が進み、若者の発言力が一層低下する中で将来への不安と焦り、さらには諦めのような意識が今の若者たちの気分を覆いつつある…とすれば事は深刻。そうした閉塞感を暴力的に吹き飛ばすかのような昭和のおじさんの威勢の良さにある種の爽快感や懐かしさを抱く人々は老若を問わず多いに違いない。

 昭和のおじさんが持っていた、どちらかと言うと肉食系の、コンプラ軽視の過激な精神や将来への成長、発展していく日本社会への確信と自信に裏付けられた努力主義、根性主義はいまだ経済成長の途次にあった昭和時代後期の「24時間、働けますか」と平気で問えるような日本社会の勢いが背景にはあっただろう。

 しかし時代は令和となり、かつての勢いを日本は確実に失いつつある。盛んに「老害」が叫ばれる中で中高年の想像以上に若者は鬱屈しているのかもしれない。したがって昭和の行き過ぎた根性主義や努力主義はもはや過去のものであり、それを賛美してよみがえらせ、令和の若者に強要することは今や時代錯誤のパワハラ以外の何物でもあるまい。

 「おっパン」が描くように昭和のおじさんが自分の信念、価値観を時代の変化に合わせて多少アップデートする必要があるのは当然のことである。しかし他方で今の若者の多くはコンプラやコスパ、タイパといった言葉たちにあまりにも縛られ過ぎていはしまいか。

 令和の政治家たちを見てみよう。裏金作りに奔走するあまり、コンプラなどは蚊帳の外…品性が疑われるレベルの差別発言を何度繰り返しても議員の地位は安泰…実際、議会には国政、地方政治を問わず昭和の相当ヤバイおじいちゃん、おばあちゃん、おじさん、おばさんが何ら反省することも一切委縮することもなく堂々と胸を張って跋扈し、恐ろしく精力的に日本社会の変革・成長の足を引っ張り続けているではないか。

 しかも日本社会の改革・成長に欠かせない若者たちはなぜかヤバイおじいちゃんたちが大昔に作ったかもしれないような種々のコンプラに縛られてすっかり委縮し、残念なことに改革の意欲を失いつつある…他方で目ざとい若者は早くも日本脱出を試み、海外への雄飛を夢見る…日本社会の本当のヤバサはむしろそうした若者の中に胚胎し、根付きつつある意識のあり方なのでは…

「ふてほど」の流行語大賞にこうも納得できない訳 流行ってないうえに、世相を全く

   反映していない 東洋経済オンライン 真鍋 厚 の意見  2024.12.5

   平成時代を飛び越えた展開のドラマであり、平成時代の問題点をすっぽかした点を批判するのはお門違いではないか。また今、老害と呼ばれる世代がどのような価値観に基づいて行動してきたか、それが令和の時代とミスマッチしてしまう「老害」の側面だけではなく、令和に欠ける視点を補完する可能性があることまでは否定できないだろう。そもそも宮藤官九郎氏が流行語大賞獲得を目指してドラマの脚本を書いたわけでもあるまいし、間違いなく「失われた30年」を解説するためのドラマでもない。

 問題とされるのは今年の流行語大賞として「ふてほど」がふさわしいのか、否かという一点であり、個人的にはさほど流行語として多くの人に認知されていたとは感じられず、受賞には確かにふさわしくないと思う。ただしそれだけのことであろう。 

「不適切にもほどがある!」世代で生じる"温度差" 昭和世代からは共感も、Z世代には

   ファンタジー 東洋経済オンライン 武井 保之 の意見 2024.2.6

阿部サダヲ『不適切にもほどがある!』昭和を笑うコメディかと思いきや…令和を

   くさすキレキレぶりが新鮮 SmartFLASH によるストーリー 2024.2.2

 「表向きは昭和の異常性をコメディにして笑う物語だと見せかけて、実は令和の異常性も浮き彫りにしていく。昭和のヤバい要素が改善された令和がハッピーというわけではなく、令和は令和で別種のヤバさが蔓延している時代だと気づかされるわけだ。」という指摘に納得。特に学校論は大人の場合、郷愁や懐かしさに流されてしまいがちで客観的に評価することが難しい。主観的な印象論、感情論に流されることなく、それぞれの時代や学校教育を相対化し、分析する上で視聴しておいて損はあるまい。しかも大いに笑える展開なので授業での利用もありうる。

「おい起きろ、ブス!」阿部サダヲが「昭和の常識」を連発する「不適切にもほど

   がある」の秀逸感 アサ芸プラス によるストーリー 2024.1.29

大反響「不適切にも」最初5分で怒涛【ヤバい昭和一覧】職員室&バス喫煙、野球

   体罰、女性教師イジり、本没収→お断り2回に爆笑

   デイリースポーツ によるストーリー  2024.1.27

 視点、設定の面白さは群を抜いていて、学校問題を考える大きなきっかけとなりうる番組であり、まずはドラマの視聴をオススメしたい。この記事だけでも内容はほぼつかめるので、教師はドラマを視聴したうえでこの記事を授業の資料に使っても良いだろう。これならば討論のネタに事欠くなどありえないはず。

 年配の体育教師、運動部顧問の中には今も心の中でヤバイ昭和を引きずっている人が実際、少なくないはずだ。少なくとも自分はそうしたヤバイ年配者の一人である。もちろん心の内に秘めているだけで、表には出せないヤバイ思いはその内容の差異を問わなければ年配者に限らず、誰にでもあるはず。そうした各種のヤバイ思いを人前では心の中にそっとしまっておけるならば問題は表面化しない。だが、残念ながら現在の学校は酷くブラック化し、加えて年配者の自制心は加齢とともに少しずつもろくなっているはず。

 ブラック化した職場でひたすらストレスや疲労が蓄積していけば高齢者でなくとも次第に自制心が弱まってしまうのは自然の理であろう。そんな状態のときに何かがきっかけでつい感情の高ぶりが一定レベルを超えてしまえば、それまで何とか抑圧してきたヤバイ思いがヤバイ言動となって一気に表面化してしまうことは現実問題として誰の身にも起こりうることではないのか。そんな危険性を秘めた年配教師群が教師不足の中で大量に再任用され、今も学校現場に少なからず居て、その内の幾人かはひっそりとかなりヤバイレベルまでストレスをため込んでいるのかもしれない。そうした年配者の暴発、暴走を抑える上でもこの手の番組を視聴するのは実に理にかなったことであるだろう。

 あるいは別の視点から授業でドラマの一部を視聴させて昭和の一時代の風俗、文化を学ばせても良い。1986年から現代へタイムスリップした熱すぎる、敢えて「空気を読まない」昭和のおじさんが、持ち前のヤバイ言動で次々と騒動を引き起こす。しかし一見ただのポンコツと化したような昭和の熱血おじさんが執拗に妙な暴論、正論を吐き続けることで、令和と言う時代を相対化してとらえる新たな視点をも与えてくれる。同調圧力に屈し、各種コンプラに縛られた窮屈で草食化した現代人に、昭和のポンコツおじさんは令和を相対化してとらえる貴重なチャンスをも与えてくれるのだ。

 大切なのは学校がいつの時代においても善なる完璧な存在ではなく、時代の制約を大きく受けている、政治的、経済的、社会的存在に過ぎないという認識を持つことと考えるが、いかがだろう。このような番組や資料を通じて学校と社会を相対化し、根底から批判する心構えは生徒たち以上に教師たちにまず必要とされるはずだと私は考えている。

私立高校の野球部で監督らが暴言や暴行か…保護者会で謝罪 バドミントン部でも

 長崎市 日テレNEWS 2022.12.16

 スポーツ強豪校ではありがちな事件。1970年代に全盛期を迎えたスポ根アニメ、青春ドラマ、ホームドラマなどにつきものの体罰やしごきは今の60歳代の教師、さらにはその教え子の世代である50歳代、40歳代にも連綿として受け継がれている。結果を出さなければならないスポーツ強豪校にとっては極めて克服が難しい問題であろう。中学だけではなく高校でも運動部指導の民間委託を徹底させる方がこの問題をスピード解決するには最適なような気がするが、いかがだろう。

体罰処分の教員、大阪市が全国最多 市立学校で8年間798人

 毎日新聞 2022.12.22

 イジメ事件隠蔽で度々注目を集める大阪だが、教員の体罰処分全国最多を誇るのも同じ大阪市であるという。大阪市教育委員会の闇は深い。

遠足で小1女児の「お茶買いたい」認めず、熱中症で救急搬送 学校側を提訴

 産経新聞 2024.2.27

 校長の判断だったことに驚く。指導死に至らなかったにせよ、事件の経緯から見れば学校側の責任はかなり重大であり、通常ならば校長の管理職としての適格性が疑われ、降格処分は避けられないだろう。そもそも体調がすぐれなかった児童を担任が半強制的に遠足に参加させたこと自体、大きな問題をはらんでいる。しかも児童の訴えを校長が無視した結果、救急搬送される事態を招いた点は絶対に許容できるものではあるまい。同時に請求の棄却を求めた八尾市側の判断も明らかに常識に反したもの。

 やはり大阪府と兵庫県の教育風土は突出して異常であり、その背景に一体何が潜んでいるのかをマスコミはしっかりと追求し、報道すべきだろう。

中1自死 関連指摘の教諭を懲戒免職に 朝日新聞社 2022.12.3

 これも酷いケース。教育委員会や校長の責任は重い。2020年、市教委は40件もの体罰等の不適切な指導を認めておきながら2022年まで当該教諭を教壇に立たせてきた。2019年に被害生徒の一人が中学入学後に自殺しているにも関わらず、3年以上も放置してきたのだから当該教諭を懲戒免職にするだけでは済むまい。当時の校長や教育長への厳しい処罰も行うべきであろう。

学校単位の部活どころか高校そのものがなくなる? 先が見えない日本の少子化問題

 を考える Sportiva 鈴木雅光 2022.12.26

 一般的に「スポ根」の発祥となった作品や元祖と呼ばれる作品は『週刊少年マガジン』で1965年から1971年にかけて連載された『巨人の星』(原作:梶原一騎、作画:川崎のぼる)。スポ根とは、1960年代から1970年代の日本の高度経済成長期に一般大衆の人気を獲得したジャンルであり、メキシコ五輪が開催された1968年前後に人気のピークを迎えたと言われる。

 日本国内のスポーツ競技の集団主義や精神主義といった事情とスポ根を結びつける指摘があり、スポ根作品がそうした価値観を美化して描いた影響により学生スポーツにおいて過度の練習や体罰を後押しする結果となったという見方が生まれた。例えば1960年代から1970年代当時、部活動などの現場ではウサギ跳びやアヒル歩きのような半月板や膝関節に負担が掛かるばかりで実質的な効果の少ない運動法が全国的に推奨されていたが、これらは運動生理学を知らない指導者達が漫画やドラマの影響を受けて部員に対して課したものだとする指摘がある。

 スポ根ブームの渦中には学校の部活動において練習中の事故や、退部を申し出た生徒が部員から暴行を受けるなどの事件が多発したらしい。組織内の上下関係を背景とした指導や、ひたすら鍛錬を積み勝利のみを追求する価値観は第二次世界大戦後の民主化の流れの中でも温存され、とりわけスポ根作品が支持を得た1960年から1970年代当時の日本のスポーツ界では体罰も辞さない厳しい指導が常態化していたと思われる。

 1980年代以降、科学的な分析に基づく効率的なトレーニング方法の導入によりスポーツ界の内情もかなり変化してきたようだが、一部の学校現場では相変わらず「しごき」の強要といった古典的な指導法が残されているようだ。

なぜ部活動の暴力はなくならないのか? 背景に指導者個人の資質と過度な勝利至上

   主義 2022/08/01 07:00 AERAdot. 

   ※AERA 2022年8月1日号より抜粋

部活の体罰、なぜ絶えない? 専門家「悩ましいのは指導者の評価が競技成績という

   事実」 神戸新聞NEXT/神戸新聞社 2022/11/05 18:04

   学校教育をもっとオープンにすべきなのは当然であるが、牢固な隠蔽体質を持つ学校が多い中で掛け声だけではオープンにはなるまい。ではどうすべきなのか、生徒にも問いたい。おそらく本質的な問題は部活動に限定されず、伝統的な日本社会の体質、学校教育の深層領域にも潜んでいるのではあるまいか。

文春オンライン女子生徒を竹刀で強打、体当たりで押し倒す…福岡の高1女子を自殺

   まで追い詰めた“暴力顧問”の異様な指導「貴様、やる気あんのか?」

   文春オンライン 渋井 哲也 によるストーリー 2024.1.13

SNSに「部活が死にたい原因」高1女子自殺、遺族と剣道部元顧問の和解成立…

   不適切指導が原因と認める   読売新聞によるストーリー 2023.10.12

   竹刀で倒すどころか、突き飛ばしたり体を抱えて倒し、部員の上に乗っかって竹刀の柄部分で小突き回す、いわゆる「ぶつかり稽古」はかつて普通の練習メニューとして定着していたといって良かった。

   今、体罰とか暴言と批判されている「不適切指導」は50年ほど前にはむしろ真面目で熱心な練習の在り方の一つですらあった。そうした厳しい「指導」は通常の稽古の風景の中にきっちりと溶け込んでいるのが当たり前のものとして当時の剣道という武道、格技の世界は成り立っていたと言っても過言ではあるまい。西洋から入り込んだ「スポーツ」という概念とは明らかに異質の、伝統的な世界観が武道には存在してきたのである。

 道場には神棚があるのも普通で、公教育における宗教への中立性はそこだけ存在していなかったも同然。もちろん、部活以外でも教師による体罰や暴言は日常茶飯事だったので事は武道の世界にとどまるものではなかった。

 さらには運動会や卒業式などに地元選出の政治家が来賓に招かれるのも、なんら不思議なことではなかった。当時は公教育における政治的中立性すら平気で踏みにじられていたのである。

 戦後まもなく、GHQの指導もあって職員会議に生徒代表が出席するケースや教育委員会のメンバーの公選制が導入されるなど、教育の世界にも民主主義的風潮が見られた時期があるにはあったが、東西対立のあおりを受けたせいなのか、わずか数年で瞬く間に教育の新風は後退していく。

 漫画やアニメの世界で禁じられていたはずの武道や戦争がテーマとして続々と復活してきて、剣道もまたやや柔道に後れを取ったが、学校体育の世界に復活を遂げてい

く。そして50年ほど前には前述したとおりの光景がほぼ普遍的なものとして学校世界に浸透していったのである。

 この事件は今、ようやくにして武道の在り方が問われ始めてきた中での、残念な出来事の一つと言えよう。しかしこの50年ほどの日本の学校教育における復古的ともいえるほどの停滞ぶりが生み出した悲劇はいわゆる「指導死」事件だけにとどまるはずはない。不登校、イジメ、暴力…今、学校で急増しつつある問題の根源に断固たる決意をもって迫るべきであるとカッパは考える。

出勤停止級の顧問の体罰、高体連に報告せず 東海大福岡高2死亡

   毎日新聞 によるストーリー 2024.4.12

   これも剣道部での事件である。学校側としては厳しい指導をためらうほどに実績のある顧問なのだろう。部活動の実績が学校の評判と密接にかかわっている私立では顧問の勝利至上主義による暴言や体罰に歯止めをかけることはかなり難しいのではあるまいか。

 しかし高校はあくまで授業を通じて学習する場として位置づけるべきであろう。本来、放課後の活動に過ぎない部活動をも重視したいなら、高校の場合、放課時間を少し早め、部活指導は教師ではなく全面的に社会教育機関に委ねるべきだと思うがいかがだろう。教師の負担軽減とスポーツの競技力向上にもつながるはずである。

国が進める「部活動改革」を専門家は危惧 生徒にも影響「学校から活気なくなる」

  Full-Count  2022/10/18

 これでは本末転倒の議論になりかねまい。部活ではなく学校の授業にこそ活気を取り戻すべきではないのか。討論のたたき台としては利用価値がある。

体育で公開処刑…なぜ授業で、辱めを受けなくてはいけないのか。トラウマになり

   かねない現代の「体育事情」 集英社オンライン オピニオン 2023.12.22

 スクールカーストとイジメ発生のきっかけ作りに貢献しかねない体育の授業の在り方は大いに見直す必要があるだろう。討論の題材として活用できる記事。上の記事と併用すると対立点が見えてきて議論が弾むかもしれない。

「息子は教員の“指導”で死んだ」16年間訴え続ける父親 子どもの自殺「詳細調

   査」わずか4.6%しか行われず

   TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー  2023.12.29

その2.イジメ事件をめぐる学校の隠蔽体質(中編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。 

 

 以下、各種隠蔽事件などを扱います。

・名古屋市中一女子イジメ自殺

【衝撃の告白】隠ぺい不正の正体と真実。生音声公開!

 加藤秀視 2022/12/04 37:04

 自死から5年近く経ってもほとんど進展を見ない事件。マスコミへの露出度が高い名古屋市長の河村氏だが、この件に関しては神戸市と同様、市長の真剣さとリーダーシップがやや不足しているのは否めないだろう。このままではウヤムヤのままで終了しかねない状況。不誠実な対応しか出来なかった当時の教育委員会や校長の責任が問われないまま時間だけが過ぎていく。

名古屋市いじめ問題 遺族が激怒 一言で救えたかもしれない命

 2021/09/10 CBCニュース【CBCテレビ公式】 11:15

 イジメていた生徒達を「加害者」と呼ばないよう、教育委員会側が遺族の父親に対してお願いした時に父親が激怒した。にもかかわらず再度、執拗に父親が加害者と呼ぶことを否定し続けた教育委員会の頑なな姿勢をどう考えたら良いのか?是非、次の二つの動画も視聴させてから討論の議題にしたい。

中1女子自殺、3年以上して「いじめ」認定、市教委が『家庭の問題』という先入観

 をもち対応か 名古屋  2021/10/13 5:17

「娘を返せ!歯を食いしばってきょうまで来た」父の心の叫び‥それでも教育委員

 会は‥責任はどこに? 2022/06/27 CBCドキュメンタリー 10:18

 「お気持ちはよく分かりますが、イジメた生徒の事を加害者と呼ばないで欲しい」という教育委員会側の発言に対して遺族(父親)が激怒した理由を問いたい。

娘がいじめを苦に自殺…「学校に責任」両親が訴えた裁判で市が争う姿勢「いじめ

 認識は不可能又は著しく困難」 東海テレビ NEWS ONE  2022/11/16 1:06

・西宮市「集団いじめ」

クラス29人中26人が加担した「集団いじめ」 西宮市教育委が最終報告書 両親は

 「なぜ気付いてあげられなかったのか

 2022/03/16 関西テレビNEWS 4:14 

 あたかも教育委員会が隠蔽の中心であるかのような対応。

【集団いじめ隠ぺいか】『SNSで拡散とか対外的に開示しないように』集団いじ

 め報告書渡す際に市教委が発言...「最悪の対応」の数々を被害児童の両親が証言(2022年6月1日) MBS NEWS 2022/06/02 10:23

 学校や西宮市教育委員会の対応の悪さには呆れるしかない。関西テレビの放映後、慌てたように校長と担任が家庭訪問して作文や日記帳の存在を保護者に伝えるという、隠蔽工作の失敗が見え見えの大失態を演じている。にもかかわらず市教委はただの確認漏れに過ぎず、学校にはさほど大きな問題も無かったかのような対応ぶりで一層、驚かされた。

・川口市いじめ裁判

川口市いじめ裁判 なぜいじめ認めず?学校と闘う親子【news23】

 2021/12/15 TBS NEWS 8:36

川口市いじめ裁判 学校対応に「違法」判決で市長謝罪

 TBS NEWS DIG Powered by JNN 2021/12/25 0:45

 ※参考記事

  ◎川口いじめ自殺 学校側の対応「不適切」 調査委報告書 市教委、因果関係認める 

   東京新聞 2023.6.23

  「いじめ裁判」とは別件だが、こちらも重大事件。ほぼ間違いなく、川口市教育委員会が抱える深

   い闇が背景にあるだろう。

さいたま市の中学生自殺、報告書開示ミスに市長「重大な危機感」

 朝日新聞社 によるストーリー 2023.6.29

いじめ被害申告も「お互い様」 対応遅れ未解決のまま3年 埼玉

 毎日新聞 によるストーリー 2023.6.29

 これは川口市ではなく蓮田市での事件。さいたま市の件も重なり、埼玉県の教育風

土全体が怪しく見えてくる。

 ・佐賀県鳥栖市

学校がいじめ認めず不登校に・・・当時の校長らが被害少年に謝罪

 2022/01/07 TBS NEWS 1:18

[【ストーリーズ】事件の涙] 本当の自分を取り戻すために |

 NHK 2022/02/04 6:49

 佐賀県鳥栖市でのイジメ隠蔽事件。担任、校長、市教委の対応が不十分なだけでなく、裁判所まで市の責任を認めようとしない。正に負の連鎖であり、原告は大人社会を未だに信用できない状況に置かれている。最高裁の判決を待ちたい。

※参考記事:

 ・日本ばかり「いじめ加害者に甘い」のはなぜ?厳罰化の海外と広がる格差 

  DIAMOND online 吉岡 暁  2022/09/19 06:00

・神戸市教育委員会による隠蔽

【17年前のいじめ】元教育長が証言「都合いいように記録が書き直され、市教委

 が隠ぺい」被害児童への聞き取りが“なかった”ことに...(2022年4月27日)

 MBSNEWS 2022/04/28 10:55

「17年前の壮絶ないじめ記録」を独自入手【報道特集】

 2022/09/04 TBS NEWS DIG Powered by JNN 22:27

◎【独自】17年前いじめ『市教委が秘匿し続け、虚偽答弁重ねた悪質行為』第三者委

 の素案 MBS NEWS 2022/11/28 0:59

18年前のいじめで文書不開示「隠蔽との指摘仕方ない」 神戸市教委 隠蔽否定から

 一転、不適切な対応認める神戸新聞NEXT 2023.5.19

小5いじめ記録を神戸市教委が隠蔽、議会で虚偽答弁 18年経て第三者委が認定

 産経新聞 2023.5.11

【独自】17年前いじめ『市教委が秘匿し続け、虚偽答弁重ねた悪質行為』

 第三者委の素案 MBSニュース 2022.11.28

 ついに教育長の責任まで問われることになりそうだ。旭川とほぼ同じような状況であるが、この件での第三者委員会の動きに関してはかつての旭川よりも健全。

いじめ被害児童の父親が神戸市教委に怒り「あってはならないことをなかったこと

 に」 MBSニュース 2022.11.28

“18年前いじめ神戸市教委の隠ぺい問題 28歳被害者「市長主導の対策要望」市長

 「市教委主導で対応」関西テレビ によるストーリー 2023.5.23

 旭川の前例があるのにこれまで事態を傍観してきた神戸市長の責任は重い。教育委員会と市長との責任のなすり合いととられても仕方あるまい。

いじめ被害者の父が問い質す「隠蔽した?」「誰の指示で?」18年前のいじめ『教

 育長&当時の教頭』と面会 第三者委は「隠蔽」認定

 毎日放送 によるストーリー 2023.6.12

神戸市立小の18年前のいじめ 「不十分で不適切な行為あった」教育長ら被害男性に

 謝罪 記録不開示の「故意性」は否定

 神戸新聞NEXT/神戸新聞社 によるストーリー 2023.6.12

 数々の不祥事と悪質な隠ぺいを繰り返してきた神戸市教育委員会には最早、自浄能力を期待できないと判断するほかあるまい。ところが市長はそれでもなお教育員会が主導すべきだという。一体、どこまでお人好しなのか、いやどこまで間抜けなのか、傍からは想像がつかない。これでは神戸市民が隣の明石市に次々と転出していく動きは加速する一方であろう(→『減る神戸・増える明石』神戸市の悩みは「お隣への人口流出」今年150万人切る見通し MBS毎日放送 2023/05/23 19:20)。

 この期に及んでも自分たちの隠蔽工作を故意とは見なさずに「世間でいうところの隠蔽」と、あたかも第三者のような突き放した言い方でシラをきる。いつまでたっても自らの罪を認めようとしない無責任で頑なな姿勢には呆れるほかない。まさに教師の風上にもおけないような人たちがこともあろうに管理職となってしまう神戸市教育委員会の腐れ切った体質には何らの希望も見いだせまい。どう転んでもこの組織に期待できるものなぞ何一つあるわけがないのに…神戸市は動こうとしない。最早、絶望感だけが募ってくる。

 学校も加害児童側もイジメを認めたのに、神戸市教育委員会のみがイジメを認定しなかった、というにわかには信じられないような前代未聞のケース。神戸市における隠蔽体質の歴史はかなり古くまで遡れそうだ。学校よりも教育委員会の方が一層悪質であったという驚愕の事件である。自己保身に長けた教師ばかりが管理職に登用されるような体質が神戸市教育委員会にはあったと推察することもできるだろう。しかも自己保身のためには平気で嘘をつき、知らない振りをし続ける、教育者としてはあるまじき言動を教育長自らが率先してとっている。

 こんなことがまかり通る神戸市教育委員会の閉鎖的体質が2016年の女子中学生自殺事件における隠蔽やあの神戸市東須磨小学校教師イジメ事件発生の背景にも潜んでいるに違いない。

 ただし、これだけ酷い隠蔽事件の連鎖は神戸市だけのことであり、他に類を見ないのでは・・・神戸市だけの例外的特殊ケースに過ぎまい・・・という反論や疑問があるかもしれない。しかしそれは本当だろうか?生徒や保護者のプライバシー保護を楯に被害者の人権を踏みにじり、ひたすら自己保身を図り続ける教育行政側の根深い隠蔽体質はもちろん神戸市だけのものではないように思われるが・・・

足をかけられ転倒、高次脳機能障害に 3年前のいじめ、再調査求める 神戸の中学校

 で不登校、記憶障害も 神戸新聞NEXT/神戸新聞社 -2022.11.22

 校長を第三者委員会の委員長とする、などといったまるで世間を嘲笑するかのような厚顔無恥極まる人事。これまた神戸市教育委員会である。神戸市は一体、何をしているのか、本来ならば市長の責任までが厳しく問われるだろう。大津市と旭川市では市長が率先して動いている。ところが大きな財源と権限を持つ政令指定都市であるはずの神戸市の動きがまったく見えてこない点に強い不信感を覚える。どうやら市政自体の機能不全を疑うほかあるまい。また連発する学校の不祥事に対する市民の動きも奇妙なほどに静か。さらに言えば兵庫県の動きも見えてこない。この負の連鎖は一体どこで誰が断ち切るのだろう?

 旭川と同様に県外から本当の第三者を呼ぶほかに当面の打開策は見いだせないのだろうか。最早それ程に神戸市政と神戸市教育界の病巣は深部に達しているのかもしれない。

中3自殺『いじめなどが原因』第三者委が結論 学校も『加害生徒を同じクラスに編

 成』 毎日放送 2022.12.9

 おなじみの神戸市である。一体、どれだけの事件が起これば気が済むのだろう。なぜ市民は沈黙しているのだろう。「再発防止に真摯に取り組んで参ります」という市教委のコメントがこれほど軽く響いてくる所は他に無い。

いじめ「重大事態」認定しながら兵庫・加東市教委の調査「不十分」 被害生徒の両

 親、県教委に指導求める要望書

 神戸新聞NEXT/神戸新聞社 によるストーリー 2023.4.19

 くどいようだがこれもまた兵庫県での出来事。今回もどうやら行政側の動きが悪かったようだ。こうした隠蔽まがいの事件が兵庫県で連発する背景には何らかの地域性が隠れている、と疑わざるをえまい。

「まさか教師が暴力とは」 被害児童2人の父親、学校に不信感あらわ

 毎日新聞 によるストーリー  2023.12.18

 またまた、またまた兵庫県の不祥事。最早、凄い、凄すぎる!と言うほかないレベルなのだが、ここに至ってもなお兵庫の住民の間に市や県に対して強く働きかけようとする動きがあまり見られないのはとても残念。兵庫教育大学という教師養成専門の国立大学を擁する兵庫県で多発する学校教育での不祥事を大学関係者はどう思っているのか、どう責任を感じているのか、厳しく問いただす必要もあるはず。

神戸の小中学校に「チーム担任制」導入へ いじめや不登校に対応「利点大きい」

  23年度から一部で試行 神戸新聞NEXT/神戸新聞社 2022.12.17

 様々な問題を噴出させてきた神戸市教育委員会がついに改革へ向けて動いたようである。とは言え、今回の取り組み、どこからどう見てもピント外れではないだろうか。まず、改革されるべきは悪質な隠蔽を繰り返し、危険な組み体操を長らく放置してきた神戸市教育委員会の組織的腐敗や怠慢そのものであろう。にもかかわらず学校に改革の矛先を向けて現場に責任転嫁し、試行段階とは言え、一方的に学校へ改革を求めるとは一体何事なのだろう。

 しかも「チーム学校」というスローガンの持つ危険性を一顧だにせず、文科省が並べたきれい事を鵜呑みにしてただ反復しているに過ぎない。もしかしたら神戸市教育委員会の本当の狙いは一層教職員間での同調圧力を強化する為にこのスローガンを利用して学校の不祥事に関する内部告発を完封し、鉄壁の隠蔽体質を完成させることではあるまいか。そもそも不祥事の隠蔽のみならず、教師間の陰湿なイジメや管理職の悪質なパワハラが横行してしまうような暗黒の教育体質であるにもかかわらず、偉そうに「チーム学校」をスローガンとして掲げる事自体、端から見れば「狂気の沙汰」と思えるのだが。

 複数担任制の欠点としては梶田氏が指摘されているように、生徒と担任との信頼関係が形成されにくい点や各教師に責任が分散しがちになり、取り組みに甘さが生じてしまいがちである点が挙げられよう。もちろん、生徒を見る視点が複眼的、多角的になるメリットはあるものの、デメリットも少なくあるまい。この取り組み、どう見ても深く検討したとは思えず、ただの付け焼き刃に過ぎないようだ。神戸市教育委員会は連発してきたこれまでの不祥事を覆い隠すべく、遅ればせながら「改善」に向けての取り組みをとってつけたようにちらつかせ、いかにも率先垂範、「やってる」感だけでも派手に演出したかったのではないか。

 本来、神戸市の教育委員会に求められているのは教育行政に対する市民の信頼回復であったはず。そちらに対する取り組みが何一つ示されていないとは呆れるばかり。ここにも神戸市教育委員会の「自浄能力」の欠如が恥ずかしげも無く露呈しているようだ。おそらく「チーム組み体操」が孕む全体主義的精神が一切反省されることなく、神戸では未だに健在なのだろう。いっそのこと神戸市教育委員会のスローガンを「チーム隠蔽・鉄壁の守り」としてみたらいかがだろう。

泉南市中学生イジメ自殺問題

参考動画

中1男子が自殺『4か月経っても市は調査せず放置』第三者機関は改善促す報書...

 しかし市長は受け取りを拒否 MBS NEWS 2022/07/15 4:21

いじめ訴えた中1男子生徒の自殺 教育委員会は詳細な調査行わず「市教委は機能不

 全」第三者機関が異例の会見 大阪・泉南市

 関西テレビNEWS 2022/07/20 4:54

『尊い命が失われているんです』中1男子自殺を調査せず放置…議員が“市の対

 応”批判(2022年7月21日) MBS NEWS 1:21

中1男子自殺『受け取り拒否』の報告書を市が受け取り 調査は“事実上放置”

 泉南市 MBS NEWS  2022/08/03 1:04

【独自】「学校が信用できない」生前に不信感を複数窓口に訴え…泉南市中1男子

 自死 MBS NEWS 2022/08/25 0:55

 小学校の時からイジメの件を訴えてきたが具体的な対応は見られなかったらしい。しかも市教委の保護者への報告書ではイジメの実態は確認できず、イジメは当人の主観(=妄想)に過ぎないと受け取れる表現を用いていたらしい。神戸市と同様にお近くの泉南市教育委員会の闇もまた深そうだ。

【独自】「学校が信用できない」生前に不信感を複数窓口に訴え…泉南市中1男子

 自死 MBS NEWS  2022/08/25 1:30

13歳中学生の"いじめ自殺"問題 「教育長の対応は明らかに条例に反している」

 泉南市の第三者機関が指摘 関西テレビNEWS 2022/11/17 1:24

『学校が信用できない』と訴えた中1男子が自死…“市長直轄の第三者委員会”設置

 決定 毎日放送 2022.9.26 17:35

参考記事

中1自殺で兄が証言「先生は信用できないと」…暴力相談にも学校側は『スキンシ

 ップ』 毎日放送 によるストーリー 2023.7.13

大阪・泉南市でいじめ受けた中1生徒が自殺、市長が報告書「受け取り拒否」の怪

 DIAMONDonline 池上正樹:ジャーナリスト 2022.7.12 4:12

「教師らにいじめられた」 自殺の男子生徒が相談か、大阪

 2022.8/.5 23:07配信 共同通信

〈大阪府泉南市・中1いじめ自殺〉被害を訴えてもムダ母親は「学校への不信感が

 要因ではないか」半年以上が経ち、ようやく学校側は松波翔さんの「自殺」を保護

 者らに公表 文春オンライン 渋井 哲也 2022.10.27

 これも大阪府の事件。母親は市教委に個人情報開示請求をしたが、該当する箇所は140ページ分ほぼすべてが「黒塗り」だったという。また第三者機関による報告書を市長や教育長が受け取らないと表明し、問題化。そもそも教育委員会は半年以上もの間、母親との連絡が取れないことを理由にして自ら詳細な調査すらしてこなかった。学校もまた自殺の件を保護者に長く公表してこなかった。凄まじいほどの責任回避と隠蔽のつるべ打ちである。もしかしたら大阪府全体に共通する陰湿で伝統的な学校風土の問題があるのかもしれない。

・尼崎双星高校:ユーチューバーが介入

【いじめ】高校2年いじめ被害者の悲痛な告白。直接学校に行ってきました【学校

 の実態】前編 2022/01/14 天才むかたん 34:09

《兵庫県尼崎双星高校》いじめ被害者と教員の直接対談ー学校側の対応が酷すぎる

 ので録音データ全て晒します【いじめ】後編 

 2022/01/19 天才むかたん 49:42

【ご報告】いじめ動画投稿後の出来事。政治家や校長先生が動き出しました。

 【とあの本音】 2022/01/21 天才むかたん 26:08

学校の対応遅い…高校生が『ユーチューバーにいじめ相談』反響を呼び第三者委が

 調査へ(2022年3月29日) 2022/03/29 MBS NEWS 2:44

いじめ受けユーチューバーに相談→市教委が重大事案と認定 なぜ投稿?「支える

 人いると知ってほしくて」 2022/03/29 関西テレビNEWS 4:18

【完結】いじめ問題を隠蔽し続けてた尼崎双星高校の総まとめ

 【天才むかたん切り抜き】 2022/04/30 ひななぁTV【超無課金公認】18:20

参考資料

口コミサイト「みんなの高校情報:尼崎市立尼崎双星高等学校の口コミ

 話題になったユーチューバー「天才むかたん」の高校への突撃取材。多くの高校生も知っているはずのこの件で学校側がとった不自然で異様に見える対応は学校の部外者からすれば理解に苦しむものかもしれない。本来、不登校生徒やイジメ問題の直接的対応をすべきクラス担任や学年主任の顔や動きがまったく見えてこない点にもこの異様さは感じられるだろう。撮影当日、対応したのは直接の当事者を排除し、二人の教頭となった。管理職が表に出て対応するケースとは大抵、教師、学校側の不祥事が発覚し、マスコミからの取材が予想されるケースが多い。つまり何らかの厳しい情報統制を行って学校が「悪目立ち」しないよう、慎重な対応を行おうとしているケースである。この場合、背後で教育委員会の意向や校長の判断が働いているものと考えてほぼ間違いは無い。

 とは言え不登校の生徒が最も切実に求めているのは当事者同士の話し合いであった。このためカメラの前での不用意、不穏当な当事者達の発言を極端に恐れる管理職との話し合いは平行線を辿るしか無かった。管理する側の本音からすれば、必ずしも信用できず、統制も難しい当事者(平教師や生徒、保護者)同士の話し合いは感情的な言動の応酬に発展するかもしれず、不測の事態を招きかねない。特にその結果として学校や管理職の評判、評価が悪化する事を彼らは最も恐れているからである。確かに校長が臨席する場でそのような事態に発展した場合には校長の地位、身分をも揺るがすことになるかもしれない。

 従って「教師や生徒達を世間の好奇の目から守る」、「イジメを行う者も含めた自校の生徒達や保護者、あるいは部下である教師を無責任なマスコミ取材から庇う」という口実のもとに、多くの管理職はなるべく本当の当事者を表に出そうとはしない。良く言えば教職員のみならず、イジメを行った側の当事者をも世間による猛烈なバッシングから「匿っている」のである。

 当然、石田氏の指摘した通り、それらの対応は教師や管理職の自己保身に基づく学校の隠蔽工作に過ぎないと見えるだろう。しかしこうした対応はほぼ間違いなく教育委員会のマニュアル通りなのであり、学校独自の判断によるものとは限らない。この件に関して、教頭への個人攻撃はおそらく的外れであろう。

 むしろ驚くのは校内では最も激務で知られる教頭が毎週、不登校生徒宅を訪問して授業課題を渡していたこと。これは学校の実態からすると、極めて仕事熱心で誠実な対応に見える。学校現場のブラックさを知る者からすればむしろ驚愕の行為である。私は教頭Aが過労死する可能性まで感じてしまった。しかし残念ながら(と言うか、当然ながら)その教頭や背後にいる校長の思いと不登校生徒やその保護者との思いとは完全にずれている。但し完全にずれているのは教頭達よりも表に出てこない校長の方ではないか・・・と勘ぐりたくなるケースではある。

 そのズレが一体どこから生じているのか、なぜ双方の溝が埋まらないのか、学校側は気付くことができない、ないしは気付いていても気付かない振りを余儀なくされている。この動画は学校を管理する側の論理と世間の価値観との大きなズレを非常に分かりやすく可視化している点で極めて貴重なものと思う。

 なお石田氏の願いも虚しく・・・と言うか、当然の結末として尼崎双星高校の口コミは現在、最悪の状況となっている。SNSの怖さを管理職はこの際、思い知るべきであろう。特に取材時、表に出るべきだった校長とクラス担任が最後まで登場しなかった。この事の重大さを学校側は是非、問い直していただきたい。

・東京都町田市小学校タブレットイジメ事件

「学校配布タブレットでいじめ」 小6女児自殺で両親が訴え

 2021/09/13 TBS NEWS 1:24

東京・町田 小6女児自殺 文科省が市の教育委に指導

 2021/09/15 TBS NEWS 0:43

東京・町田市 いじめ訴え女児死亡 遺族「教育委の調査は一方的」

 2021/11/04 TBS NEWS 2:17

・山形13歳女児イジメ飛び降り自殺

《山形13歳女児イジメ飛び降り自殺》「救える命だったんだよ!」保護者会音声公

 開 2021/10/09 「文春オンライン」公式チャンネル 25:42

文春オンラインTV #101 両親が涙の告白「娘の後頭部は割れていた」13歳の少女

 が登校生徒の前で校舎4階から飛び降り自殺 2021/10/01 にライブ配信 「文春

 オンライン」公式チャンネル 1:16:39

 S記者の話が非常に聴き取りにくい。

文春オンラインTV #110《山形中1女児イジメ自殺》発見された新たな遺書と「自

 殺について」と題された読書感想文 2022/01/29 にライブ配信 「文春オンラ

 イン」公式チャンネル 48:00

 S記者の話が相変わらず非常に聴き取りにくい。

【市が再調査を決定】《山形中1女児イジメ自殺》「うれしくてガッツポーズする人

 もいるかもね」発見された新たな遺書と「自殺について」と題された読書感想文 

 「文春オンライン」特集班 2022/07/31 16:40

・富山中3女子生徒イジメ自殺

中3女子生徒が死亡 遺族はいじめ訴え 富山

 NHK NEWSWEB 2022年11月21日 20時57分

「いじめではなく人間関係のトラブル」中3女子生徒自殺で学校側が説明 

 富山 TBS NEWS DIG 2022.11.22

・浜松女子中学生イジメ事件

いじめを訴えた少女 再調査委が学校や教育委員会が不十分な対応を認定(静岡県)

 2022/03/22 SBSnews6 7:06

浜松の女子中学生 学校側が調査報告書公表(静岡県)

 2021/06/14 SBSnews6 1:07

・堺市女子中学生イジメ自殺事件

堺市で中2女子生徒自殺 いじめも市教委は因果関係を認めず 保護者「解せな

 い。声を拾って」 2022/03/17 関西テレビNEWS 2:29

【スタジオ解説あり】女子中学生の自殺 市教委は「いじめと自殺の因果関係は認

 められない」 義務付けられた調査せずに結論 

 2022/03/18 関西テレビNEWS 8:41

母親は「黒塗りでは何も伝わらない」 いじめ受けた女子中学生の自殺 調査報告

 書の”黒塗り”は適切か 堺市 2022/03/23 関西テレビNEWS 2:26

その1.沖縄観光の光と影…ジャングリアの挑戦

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

・首里城の火災とコロナ禍における沖縄観光の現状

 

ア.首里城の火災

 2019年10月31日:沖縄観光の目玉の一つ、首里城、火災により正殿等が焼失。沖縄観光に大打撃。再建は10年越しの大事業となる。

新紙幣発行の影で忘れられてる「2000円札」 実は流通量5倍に増えてる県も 人気

 の理由は? 東京新聞 2024.6.24

 2000円札発行の背景と首里城が持つ意味について生徒たちに考えさせたい。

海の向こうの首里城 (沖縄テレビ放送/2020年)

   OTV沖縄テレビ  2023/10/06 47:20

   ハワイをはじめとする世界中に存在する沖縄出身の移民たちにとっても首里城は大切な存在だったことが再確認される。またそれを知った沖縄の若者が沖縄の伝統と文化の大切さに目覚めていく…首里城の火災が何かの終わりではなく、何かの始まりであってほしい。

首里城包む猛火に崩れ落ちる正殿 未明の衝撃に混乱の現場 (2019年放送/沖縄テ

   レビ放送)OTV沖縄テレビ 2023/10/20 4:16

阿波根あずさの沖縄観光チャンネル:2019年10月31日、首里城焼失。この日を忘

 れない。2019/11/02

再建急ぐ首里城の地下に眠るのは…「第32軍司令部壕」最新映像が炙り出す沖縄戦

 の実相 【琉球放送】RBC NEWS  2024/05/23 6:17

 首里城にはなぜ古いものがほとんど残っていないのか、生徒たちが見学する前にその理由を問いたい。本来ならば地下壕もまた見学すべき場所であるはず。なぜ、豊見城の海軍地下壕と違ってここが見学先としてポピュラーなポイントになってこなかったのか、その理由についても問うべきだろう。

 

 

 

 

イ.コロナ禍での沖縄観光

 観光収入に産業の中心を置く沖縄にとってコロナ禍は経済的な打撃が極めて大きい。今後しばらくは貧困問題の悪化も避けられないだろう。

 また中国政府による香港への支配強化の動きと台湾への干渉は沖縄への観光客数の減少を長期化させかねない。特に日中間の尖閣諸島を巡る領有問題が先鋭化すれば中国からの観光客が皆無となる可能性まであるだろう。

新型コロナ 沖縄観光業界に残した爪痕深く【ニュース2021】(沖縄テレビ)

 2021/12/20 6:38

修学旅行キャンセル 沖縄観光の先行き見えず(沖縄テレビ)2022/2/21

 2022/02/22 OTV沖縄テレビ 5:21

ハンセン病の負の歴史が刻まれた島 フォトジャーナリストが伝えたい思い(沖縄

   テレビ OTV)  2023/09/15 8:10

 沖縄における差別問題を指摘した貴重な番組。

「メタバース」で沖縄の魅力を体感!(沖縄テレビ)2022/4/22

 OTV沖縄テレビ 5:02

参考記事

沖縄で急増する外国人労働者…でも短期間で県外に脱出するのはなぜか

 アサ芸プラス 2025.2.12

 観光業中心に労働生産性を向上させる施策が必要だろう。外国の富裕層向けサービスの充実と低価格戦略の見直しは必須である。

修学旅行はリピーターにつながらない? ポストコロナの沖縄観光の課題とは 

 2022/2/23 真栄城 潤一 HUB沖縄

 沖縄振興開発金融公庫と日本交通公社の調査研究によると、旅行牽引世代(若い世代)の車離れが明らかになり、そのことによって沖縄旅行への意向が低下している傾向が指摘された。また、修学旅行のみで沖縄を訪れた場合には、修学旅行生がリピーターとなる割合が低いことも示されている。

 これらの結果を受けて公庫は、「車(レンタカー)に依存しないで移動できる交通体系を構築」することや、「沖縄を深く知り、興味・関心を高めるための修学旅行の内容の創意工夫の必要性」などを指摘している。また移動時間が長く交通費が高くても行きたくなるような魅力の磨き上げと「旅行牽引世代が活用している媒体を通じた情報発信の強化」などを提言としてまとめている。今後の沖縄観光のあり方を検討する上で非常に有益なポイントが列挙されているだろう。

 

ウ.「沖縄ジャングリア」森岡毅氏の挑戦

参考動画

海洋博がもたらした光と影(沖縄テレビ)2025/8/06

    沖縄ニュースOTV 2025/08/07 8:27

    1973年の第一次オイルショックによる狂乱物価の影響で開催が140日も遅れてしまい、その成果を疑う向きもあった沖縄海洋博から50年。当時は石油危機による世界不況も加わったため、結果的には予想の来客数を100万人以上も下回ってしまった。さらに「海洋博不況」と呼ばれた反動が博覧会の閉幕後、会場だった本部町を襲い、倒産、夜逃げが相次いだ時期がしばらく続いたという。

 しかし海洋博は内外に観光地としての沖縄のイメージを広く植え付ける大きなきっかけとなり、博覧会に備えた道路を中心とするインフラの整備も手伝って、中長期的に見れば本部町の観光業を発展させ、高齢化と人口流出を食い止めていく。2002年、海洋博公園の一画に美ら海水族館が出来たことによる経済効果も手伝い、今や本部町は経済的遅れが目立つ本島北部ヤンバルの中にあって大きな観光の目玉として中核的地位を築いていると言える。

 国家的プロジェクトであった海洋博とは違い、現段階ではジャングリアの開園が大きなインフラの整備を生み出したわけではない。それに地元住民の雇用拡大や観光業の発展に与える影響は今のところ未知数と言うほかあるまい。アトラクションの内容にもいくつかの課題はありそうだ。その行く末には若干の不安が現地を含む国内で早くも漂い始めている。

 とは言え、多くの観光客はこれまで美ら海水族館の見学を終えると本部などでは宿泊せず、ただちに本島中部、南部に戻るだけであった。美ら海に加えてジャングリアにも立ち寄るとなれば大抵は北部での宿泊を伴うだろう。宿泊者の増大は現地の観光収入の増大に直結し、北部の経済的活性化を促すはず。さすれば海洋博後と同様、若者の流出にも多少の歯止めがかかるだろう。

 ヤンバルの発展にジャンガリアがどこまで貢献できるのか、これからの創意工夫を長い目で見守っていきたい。

「ジャングリア沖縄」オープン!最強マーケター・森岡毅が挫折を乗り越えて到達

    した境地【森岡毅×入山章栄 70分対談(後編)】

    ダイヤモンド公式チャンネル 2025/06/15  20:22

沖縄北部テーマパーク「JUNGLIA(ジャングリア)」のイメージ映像

   沖縄タイムス公式動画チャンネル  2023/11/27 1:41

  まずはこのPVを視聴させて生徒たちに感想を書かせたい。次に下の「せやろがいおじさん」の動画を視聴して討論へつなげていきたい。

『JUNGLIA』から滲み出る植民地主義の感じどないかして成功させて欲しい件につ

   いて  せやろがいおじさん 2023/12/01 15:51

 確かに日本人がまったく登場せず、沖縄の伝統文化よりもハワイ風の味付けが強いPVである。これは「ヒドイ」と批判されて当然の内容。この映像ではヤンバルの自然ではなく、東南アジアや南太平洋のどこかをイメージさせてしまう。しかもこれは完全に欧米からの観点に基づいて作られている。日本やアジアからの観光客の視点は全く感じられないし、沖縄の人々を完全に無視して作られたと言っても過言ではあるまい。なぜこのような動画を作ったのか、解せない。

テーマパーク「ジャングリア沖縄」の開業日は2025年7月25日 入場料金も発表

   (25/01/28 18:09)   沖縄ニュースOTV  2025/01/28 2:35

 いよいよジャングリアの開園日が決まった。今後、15年間で6兆円を超える巨額の経済効果と約88万人分の雇用を創出すると予想する学者もいるようで、すでに名護市では地価がかなり上昇してきているらしい。

  まずこの動画をみせてから「せやろがいおじさん」の批判に応えたような映像となっていることに気付かせたい。視聴後、簡単なアンケート(あなたはこのテーマパークに行きたい?」…)をとって、その結果をもとに沖縄の南北問題、貧困問題について討論させてみたい。沖縄経済を発展させるために観光面でどのような工夫、アイディアがあるのか、生徒たちにできるだけ数多く提案させてみよう。それから以下の動画を通じて森岡氏の目の付け所を紹介していくと興味深く、分かりやすい展開になるだろう。

 少子高齢化による人口減が懸念され、中部、南部に比べると観光面でかなり後れを取ってきたヤンバルの活性化がどこまで実現できるのか、ジャングリアが地域社会,沖縄にもたらす影響を見守っていきたい。

ジャングリア沖縄 気になる渋滞対策その進み具合は?

   沖縄ニュースOTV 2025/02/05 10:26

 名護市及びその周辺の道路が大混雑する可能性は高い。那覇から直通の高速バス、フェリーの増発だけではなく、道路の拡幅などの工事や病院、救急車の手配も早めに考えておく必要があるだろう。10年ほど前、修学旅行で本部のホテルに宿泊した際、生徒が食べ物によるアレルギーを起こし、名護市まで救急搬送されたことがあった。夜中だったので混雑は無く、さほど移動時間を要しなかったが、開園後の救急搬送がどうなってしまうのか、懸念は残るだろう。

   結果的に地元住民の住み心地が向上する方向でジャングリアが沖縄経済に貢献できるよう、願うばかりである。

【森岡毅の野望:前編】USJを辞めてどうしてもやりたかったこと/沖縄に人生を

   賭ける理由/モデルはフロリダ/2000人を採用/観光のプロ人材/観光を学ぶなら

   沖縄/観光業の平均所得を上げる/勝負の分かれ目

   PIVOT 公式チャンネル 2023/12/25  36:06

 沖縄の人々が決して受け身になることなく、名護のテーマパーク構想へ自分事として積極的にかかわっていく体制づくりに時間をかけていくことがまず必要。そのためには沖縄企業の出資や協賛を増やし、沖縄の人たちとしっかり議論を尽くして地元のアイディアを取り込んでいく…

 高度な観光人材の養成と海外富裕層の取り込みこそが観光業の収益増大を実現する上でのカギとなる。まずは高度な観光人材を名桜大学などとの連携により現地で養成することを通じていずれ日本における観光学のメッカとしての沖縄、という名声を確立していく…

 同時に沖縄以外からも人材をリクルートし、ゆくゆくは数千人規模の人材確保を実現していく。そしてジャングリアの成功を通じて沖縄で育った観光人材がやがて日本各地に飛び出していき、日本全体の観光業を革新していく中心的戦力となっていく…

 加えて人口減、少子高齢化で疲弊する沖縄北部の活性化に貢献するには鉄道の敷設、高速道に整備等、北部への移動手段の充実が不可欠。さらにディズニーやユニバーサルのようにアニメ、漫画、映画など世界に誇れる日本のコンテンツを生かした第二のテーマパークを実現させてハワイやフロリダをしのぐような観光地に沖縄、日本全体を仕立て上げていく…

 森岡氏の構想力は止まるところを知らないようだ。科学技術力の低下、国力の衰退、少子高齢化の進展…日本の将来像にはやたら暗さが目立つ中で、森岡氏の話に勇気づけられる人は多いに違いない。

【森岡毅の野望:中編】アジアの富裕層が求めているもの/一流マーケターの条件

   /とにかく人が足りない/観光産業の3つのメリット/若い人こそ新天地に/日本の

   IPを軸にしたテーマパーク/AIにポジティブな理由

   PIVOT 公式チャンネル2023/12/26  40:13

  観光業を軸に置けば日本の未来は決して暗くない…日本の若者が目指すべき最大のブルーオーシャンは観光業である…多くの富裕層を抱えるアジアのヘソに位置する沖縄観光のポテンシャルは極めて大きい…アニメを中心に日本のもつコンテンツは世界のどこにも負けない競争力がある…AIがどのような進歩を遂げようとも人だけが与えられる喜びにむしろスポットライトが強くあてられるようになり、そうした喜びを提供できるものの一つがまさに観光業なのである…森岡氏の話を聞いているうちに多くの人は沖縄や日本の将来が光り輝いて見えてくるだろう。将来に不安を抱える若者こそ耳を傾けるべきイチオシ動画である。

【森岡毅の野望:後編】経営者とマーケターの唯一の違い/昔より臆病になった/

   700億円調達と修羅場/メガバンクが逃げていった/最後に地銀が貸してくれた/

   日本復活のために日本人を強くする/10年後の森岡毅

   PIVOT 公式チャンネル 2023/12/27  38:16

   森岡氏は沖縄の成長、人材の育成、日本のブランディングという三大目標を掲げている。やはり企業にとっても人をリクルートし、育てることが企業の命運を左右する最大のポイントであろう。これはすなわち日本の学校教育の停滞が現在の日本経済の停滞を招いている最大の原因であるということではないのか。

 森岡氏と名桜大学とのコラボが何を生み出すのか、注目していきたい。 

【ジャングリア】巨大テーマパーク沖縄北部に再来年誕生へ 期待と不安の声も… 

   日テレNEWS 2023/11/27  6:16

刀・森岡毅氏が右腕と認めたマーケター加藤氏「これからは沖縄が日本をリードす

 る」(沖縄テレビ) 2022/6/10 OTV沖縄テレビ 5:49

沖縄の新テーマパーク「JUNGLIA(ジャングリア)」について私の考えや気持ちを

 話します。 阿波根あずさの沖縄観光チャンネル 2023/11/29  7:40

 沖縄の人としてこのテーマパーク構想をどう受け止めているのか、非常に気になる点であろう。阿波根氏の胸中にわだかまる複雑な思いをぜひ重く受け止めたい。

 ただかつて修学旅行で本部に宿泊した際、夜間の急患で病院まで生徒に付き添ったことがあった。驚いたことに美ら海水族館のある本部町には救急外来を受け入れる総合病院が無く、名護市民病院まで行くハメになった。かつて海洋博が行われた本部ですらそんな有様であったのだ。

 鉄道の無い沖縄を考えた時、たとえ人口が少なくとも本島北部、やんばる地域にも総合病院が一つは必要であるし、本格的な観光ホテルももう少し必要だろう。

 少子高齢化が急速に進む北部の経済的窮状を少しでも改善するには観光業を軸とした開発が地域の発展を促し、雇用を創出して若者の北部からの流出を堰き止めるためにも一番、有効であると考えるがいかがか。

最強マーケター森岡毅「観光が日本一の産業になる理由」ホリエモンと沖縄PR戦略

 を徹底議論 2022/04/25 NewsPicks /ニューズピックス 9:40

【大好評につき再配信!】この人の話を聞け!最強の戦略家!森岡毅

 2021/11/14 日曜日の初耳学【公式】 33:36

大好評!続編!USJ業績をV字回復!現代最強のマーケター・森岡毅の熱血授業

 ★森岡毅流「自分を売り込む最高の極意」を公開‼︎

 2022/06/19 日曜日の初耳学【公式】 28:50

 沖縄の観光振興策に止まらず、どんな発想が事業の成功に導くのか、自分の活かし方も含めて森岡氏の慧眼と情熱には大いに刺激されるだろう。視聴時間は長いが、時間が許せば授業で視聴させたいイチオシの動画。きっと多くの人が「目から鱗が落ちる」貴重な時間を共有出来るはず。

【森岡毅】沖縄を南国リゾート地へホリエモンと考える観光事業を考える。ダイジ

 ェスト版 2022/06/30 教えますホリエモンch【ホリエモン 堀江貴文 ホリ

 エモンチャンネル】 41:05

 ハワイを遙かに上回る観光地としての沖縄のポテンシャルをいかにひきだしていくか、をめぐる森岡氏の戦略に学ぶことは多いだろう。

県内企業も熱い視線 「北部テーマパーク」本格的に開発始まる(沖縄テレビ)

 2023/2/7 OTV沖縄テレビ 2:45

参考記事

「ジャングリア沖縄」はなぜ叩かれるのか? 大自然と人工恐竜の没入感ギャップ

  ITmedia ビジネスONLiNE 2025.7.30

 この指摘はかなり重要なポイントを突いていると思うが、いかがか。確かにヘゴの木を見ると多少、「恐竜の時代」感が出てくるが、沖縄には既にいくつもの観光地で恐竜が登場するアトラクションがある。そんな沖縄観光において恐竜自体には特に目新しさが無いだろう。ジップラインもしかり。

    またPR動画に白人ばかり登場させ、あたかももう一つのハワイであるかのような南国のパラダイス感、あるいは未開のジャングル感を打ち出す反面、いわゆる沖縄らしさのまったく欠ける演出が厳しく批判されたこともあった。動画は早速、日本人を登用することで修正されたが、USJやディズニーランドのような、人工的アトラクションに漂う不自然なまでの「作り物」感や白人向けの借り物的「南国パラダイス」感がさほど抜けていない…とすれば課題は決して小さくないだろう。なぜ、自然豊かなヤンバルの地で大金を投じてまでして敢えてテーマパークを開園したのか、当初の構想の妥当性自体がひどく揺らいで見えてくる。

 確かに沖縄の伝統文化を下手に取り入れてしまえば沖縄ワールドや琉球村など、既存の観光施設と悪い意味で競合してしまう。とは言え場合によってはジャングリアの存在自体が沖縄全体の観光業を活性化する上でマイナスとなりかねない瀬戸際に来ているのかもしれない。自然保護とアトラクションの魅力を同居させつつ、沖縄やヤンバル独自の個性とアトラクション自体の目新しさをも創出し続ける工夫とは一体…果たして森岡氏、この先、どんな奇抜なアイディアで乗り切っていくのだろう。

ジャングリア開業、沖縄「ザル経済」反転なるか 地元企業が株主7割占め連携を模

    索 産経新聞 2025.7.25

「日曜日の初耳学」で話題の森岡毅が語る「沖縄テーマパーク」の夢とは?

 DIAMOND online 2022.5.29

日本経済の「V字復活」、じつは「沖縄」がものすごい起爆剤になるワケ! 

 2022.6/13(月) 8:02 現代ビジネス

「ジャングリア沖縄」オープン前の県民感情の実態(前・後編)

    東洋経済オンライン 長濱 良起 の意見 2025.8.25

 開園して一か月段階での状況がよく分かる。課題と希望の二側面がバランスよく語られれていると感じる。授業ではジャンブリアが解決すべき課題とその解決法について生徒たちに考えさせたい。

 

エ.沖縄観光の現在

入域観光客数 昨年度327万4300人で3年ぶりに増加

 2022/04/29 【琉球放送】RBC NEWS 0:49

3年ぶり制限なしのGW 沖縄の観光事業者は

 2022/05/09 【琉球放送】RBC NEWS 1:48

解説】日本"観光世界1位" 交通インフラなど評価 課題は"デジタル化"の遅れ?

 2022/05/25 日テレNEWS 9:48

【外国人 感動】外国人 元観光ガイド解説!観光魅力度ランキング日本1位の理由

【kai tube カイチューブ】ー日本のイスラエル人ー2022/06/04 19:02

 観光面での魅力度で日本が初めて1位となったという。特に交通インフラの充実度の高さが注目されている。さらにアニメやオタク文化の聖地としての魅力、治安の良さ、行き届いたサービス、和食の魅力、若者のニート率の低さ(→治安の良さ)、独特の個性的な伝統文化なども日本の好感度を高めている。しかし気候変動への対応の遅れ、ビザの取りにくさ、デジタル化の遅れ(現金主義等)が問題視されている。改善の余地はまだまだ多いだろう。加えて日本の経済的低迷による円安が海外旅行客の増加に貢献している点は見逃せない。

観光一位は無意味、円安が追い風は妄想…アトキンソン氏らが日本の観光に物申

 す。「観光は日本再生の切り札になるのか?」について徹底討論!

 2022/07/13 NewsPicks /ニューズピックス 10:42

 高級ホテルの少なさが日本の観光業の収益率を低くしている可能性はあるだろう。沖縄への観光客の平均的な宿泊日数が2泊3日程度では少なすぎる。世界中からそこそこの金持ちを数多く長期的に呼び寄せる魅力は日本に十分にあるのに、彼らを長期的に留めるだけのインフラがなさ過ぎる…アトキンソン氏と森岡氏の指摘はかなり似通っている。

【観光立国】橋下徹×デービッド・アトキンソン「日本の自然は多様性が凄い」“観

 光魅力度“1位は意味なし? 2022/07/24 ABEMAニュース【公式】 10:04

外国人で溢れるニセコ。2400円のカレー実食。外国人の数に対して飲食店が足りな

   い キッドマン北海道探索  2024/01/10 19:42

 ニセコでは外国人向けにほぼ特化したレストランがスキー場にあって価格設定がごく普通のハンバーガーやラーメンでも2000円前後となっている。それでも外国人観光客であふれかえっている現状は沖縄の観光収入アップを図る上では大いに参考となるだろう。生徒たちにカレーライスやラーメンの値段を予想させてからレストランのメニューと値段を紹介した動画のごく一部だけを視聴させると良いだろう。全部、視聴させる必要は無い。

湿地はなぜ守らないといけないのか?つなごう沖縄 漫湖水鳥・湿地センタ

 ー2022/05/10 【琉球放送】RBC NEWS 7:24

 貴重なマングローブ林のある湿地が多いという沖縄の特色に気付く。

沖縄経済 ものづくりで新たな成長~本土復帰50年の歩みと未来~【Bizスクエア】

 2022/05/14 TBS NEWS DIG Powered by JNN 13:58

 観光業以外での沖縄経済振興策の今後を考えてみると、製造業の弱さを克服する必要性が見えてくる。

【OIST】日本人は、沖縄に集まる「秘密の科学者たち」を知らない

 2019/08/26 NewsPicks /ニューズピックス 1:33

OISTオンラインキャンパスツアー 2021/01/30 Okinawa Institute of  Science  and Technology Graduate University (OIST) 9:51

OIST サイエンスフェスタ「研究者の日常」編2021/01/30 Okinawa  Institute 

    of Science and Technology Graduate University (OIST)    5:36

 沖縄の製造業発展のカギとなる高度な科学技術を支えていく、世界トップレベルの研究機関が沖縄にあることの意義に注目したい。

“安い日本”で“爆買い”過熱 アメ横、かっぱ橋に外国人続々 2022/10/12  

 ANNnewsCH 8:37

外国人観光客 “アキバ”殺到 “爆買い”復活…日本の味も堪能「文化学ぶ方法は

 食」【もっと知りたい!】 2022/10/13 ANNnewsCH 3:45

“爆買い客”様変わり「120万円使った」中国から減少も インバウンド回復に光

 明【もっと知りたい!】 2022/10/14 ANNnewsCH 4:33

盛岡に外国人観光客急増…魅力は“B面の隠れた名曲日本人も知らない「大事な宝

 物」【Jの追跡】【スーパーJチャンネル】(2024年2月3日)

 ANNnewsCH  2024/02/03 14:20

 地方独自の魅力をいかに発信するか、「不便」、「遠い」を武器にする観光のあり方を模索する上で盛岡の状況は大きなヒントとなるだろう。

参考記事

「ニューヨークタイムズ紙」が「2024年に行くべき52ヶ所」で第3位に選んだ「意

   外な日本の地方都市」現代ビジネス山口 由美 の意見 2024.4.15

   沖縄の離島観光の可能性も視野に入れて地方経済の発展を観光業を軸に考えてみたい。「不便、遠い」が観光の武器になる、という観点に注目。

「円安ニッポン」の救世主・超富裕層がやってくる…!ロンドンの超高級ホテルに

 泊まってみて分かった!本物のセレブのおカネの使い方

 現代ビジネス 岡村 聡 の意見 2023.5.29

質は高いのに生産性が低すぎる日本のサービス業、コロナ明けの賃上げにつなげる

 には? 弁護士ドットコムニュース によるストーリー 2023.5.14

沖縄の経済がコロナで大打撃を受けたわけは?

  毎日新聞 2022/09/04 08:00

女性に関するデータ 沖縄タイムス社 2021/02/10 18:28

 沖縄県がまとめた男女共同参画に関するデータ「2020年度 沖縄県の男女共同参画の状況について」の中から、県内の女性の状況を反映するデータを紹介。

40年あまり沖縄観光を支えた『ミス沖縄』が休止 次の沖縄観光のシンボルは⁇ 

 琉球放送 によるストーリー 2023.4.21

 ミスコンの廃止が相次ぎ、ルッキズムへの批判が高まる中、ミスコンが盛んな沖縄でもついに「ミス沖縄」の選出を休止する決定がなされた。ある意味、それは時代の流れであり、当然の帰結ではあるが、一方で「ミス沖縄」の功績も大きかった。特に第39代による連日のYouTube発信はコロナ禍の逆風の中で沖縄観光を大いに盛り上げていく重責を見事に果たしたと評価しても良いだろう。

 注目すべきはさらなる沖縄観光発展のために「ミス沖縄」なきあと、次の策がどうなるのか…。また阿波根氏のように、ミス沖縄経験者による沖縄観光情報の配信を継続する動きが今後一層、拡大進化していくことも期待していきたい。

 

その4.欧米の学校と日本

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

江戸の子育て事情~イクメンが当たり前!「子供の楽園」と外国人が讃えた育児の

 実態~ ほーりーとお江戸、いいね!  2023/02/24  12:41

江戸の教育〜現代人も学びたい教育方針〜

 ほーりーとお江戸、いいね!  2021/04/09  9:01

 江戸時代の子育て、しつけ、教育が明治以降とはかなり異なっていたことは予めぜひ、理解しておきたい。日本の伝統とは多少ズレた方向で近代以降の日本の学校教育が発展してきた側面もあった点を踏まえて現今の教育問題を捉えるべきであろう。幕末から維新期にかけては欧米からは「子供の天国」「子供の楽園」と絶賛され、子供への教育の普及に関しても世界で先頭を走っていた日本…このあたりの歴史を振り返ると、かえって日本の現状の悲惨さが浮き彫りになると思うがいかがだろう。

 ちなみに「ほーりーとお江戸、いいね」は話題がほぼ江戸時代の民衆史、風俗史の部門に限定されるが、わかりやすくて興味深い内容であり、短時間でまとめられていて日本史、特に郷土史のお勉強には大いに役立つ、カッパイチ押しの番組。

 ※参考記事

  「学年なし」「時間割なし」だった江戸時代の教育 識字率世界一は「多様性」が支えていた

    AERA dot. 2023.6.12

    寺子屋で使用された江戸時代の教科書は往来物と総称されていた。往来物は現在、7000近くの

    種類が確認されているらしい。仮名文字の崩し字、旧国名、人名、方角、暦、各種銭貨の単位

    と換算、重さ・長さ・面積・容積などの単位、手紙の模範文例集、といった万人向けの内容か

    ら農民向け、職人向け、商人向け、漁村向け、山村向けなど職業、職種に応じたものなど、多

    種多様な教科書が存在し、それらは子供たちの状況に応じて臨機応変に使われていたらしい。

     もちろん学年は無く、様々な年齢層で出自も異なる雑多な子供たちが集まってくる。すなわ

    ち子供一人一人の需要と適性・能力に合わせて寺子屋の師匠は個別指導していたということに

    なろう。当然、授業形態も一斉講義形式ではなく、原則、自学自習を基本として学習のペース

    も子供の適性・能力に応じたマイペースなものだった。

     こうした柔軟性に富み、かつ安価な寺子屋教育は江戸時代の行政が文書主義をとったことも

    あり、急速に普及した。初等教育が画一的で息苦しい義務教育ではなかった、近代以前の時代

    のことである。幕末には全国に15000を超える数の寺子屋が存在していたと推測されている。

    19世紀中ごろの識字率は日本が世界一と言われるほど初等教育は一気に普及し、寺子屋での個

    別指導はそれなりの成果を収めてきた。明治期、日本の急速な近代化が成し遂げられた背景に

    は江戸時代の寺子屋教育の存在が大きい。

     他方で昨今の日本における教育事情の行き詰まり感、閉塞感の強さを思う時、柔軟性、多様

    性を欠いた学校教育の見直しが急がれるのはいうまでもないことだろう。特に「公平、公正」

    という美名に隠れた「国民国家」形成のための、半強制的・画一的洗脳教育はすでに時代的な

    役割を一定程度終えており、最早、弊害ばかりが目立ってきていると考えられないか。

[驚愕] 日本人の子供が他国とは全く違う理由

 2022.10.14 BrooklynTokyo 9:09

 もちろん日本の学校教育の良さも把握しておく必要がある。児童生徒自ら教室などを掃除する日本の学校風土を欧米はどう見ているのか、けっこう興味深い。

子どもの権利を考える| 🇸🇪🇯🇵の現場の違いや具体例 | 専門家へのインタビューも |

  北欧在住ゆるトーク Nord-Labo 北欧研究室  2022/11/19 19:27

 この動画と下の動画は「その1」で既に紹介している。北欧と日本との比較をする上で教育問題以外の話題においても大変役立つ番組。二人の歯切れ良い会話が聞き取りやすく、内容も分かりやすく整理されていてカッパ一押しの番組。

体罰95%から2%になったスウェーデン、体罰のないしつけに大事な3つ!| 北欧

 在住ゆるトーク Nord-Labo 北欧研究室 2022/09/17 21:11

 子供との粘り強い対話を重視するスウェーデンの子育てと学校教育の在り方が1970年代まではびこってきた体罰の根絶に大きな役割を果たしていたようだ。子供達の意見にしっかりと耳を傾ける大人達の姿勢が子供達の自己肯定感を支え、積極的な社会参加を促してきた側面にも注目したい。こうした大人社会の忍耐強い努力の積み重ねが他者と多様性を重んじる北欧の福祉社会存続の軸とされてきた事に畏敬の念を覚える。さて、日本はいかが…

結婚しないスウェーデン人、どうして?恋バナ#1【Eng subs】Why do Swedes

   not get married? 2021/12/11 Nord Labo -北欧研究室- 17:18

 「世帯」を前提にする日本と「個人」を前提にする北欧の差異が興味深い.

同調圧力を考えるinスウェーデン | Peer pressure in Japan, what is it? | Eng

   subs 2021/11/27 Nord Labo -北欧研究室- 17:04

北欧子育て7つの鉄則!自己肯定感を高める育児とは?| 北欧在住ゆるトーク

   2022/04/02 Nord Labo -北欧研究室- 19:00

・・・ほめない、比較しない、見た目について評価しない。「走るのが速いね」ではなく「走るのが好きなんだね」と話しかける・・・非常に参考となる話。ぜひ、生徒に視聴させたい。

 1970年代までフィンランドの教育はアメリカと同程度の低いレベルにあったという。しかし1980年代、フィンランドは独自の視点から学校教育の大胆な見直しを進めていく。教科書検定制度の廃止や教員資格制度の改正(教師養成教育の充実化、教員の大学院卒義務づけ等)、宿題の廃止、テストの削減、授業時数の削減。これらは保護者の労働環境の改善を伴い、子供達が家で両親と過ごす時間を劇的に増やした。しかも授業時数を減らす一方で体育や芸術関係は減らさず、知育に偏る事を避けたバランスの良いカリキュラムを作り上げている。にもかかわらずPISAの得点は世界トップクラスとなった。

 一方、アメリカは人種、民族、信仰の異なる雑多な移民から形成された国家の土台を基に、多様性を前提とした多彩なカリキュラムを用意して個性を尊重する学校教育を作り上げていた。しかし1970年代から中等教育を中心に非行少年の荒れが目立ち始め、生徒の学力低下が話題となったことを契機に学校教育の見直しが進む。その際、低予算でありながら国際比較で常に学力がトップレベルであり、治安も良かった日本の学校教育を参考にした改革が進んだ。このため学力向上、知育中心に偏った教育がアメリカに浸透していった。

 ここ50年近くの間にアメリカ、フィンランド両国の学校教育がその方向性において完全に乖離してきたのである。これは常にアメリカの後を追いかけてきた日本の学校教育に対しても深い反省を迫る点であろう。今や、学校教育に関しては日本とアメリカとの違いは微々たるものであるが、フィンランドとの違いは驚くばかり。それでも社会の同質性に守られて日本の児童生徒の学力は国際的には高い方であるが、児童生徒の幸福感、自己肯定感は先進国で最低の部類に属する。北欧の動きを踏まえて、日本の抜本的な見直しが待たれるところである。

【驚愕】外国人に『自分に自信ありますか?』と聞いた結果...

 2021/10/27 タロサックの海外生活ダイアリーTAROSAC 20:06

 日本と外国との違いを扱うyoutube動画は非常に数が多く、どれを教材にするか迷うほどである。この番組もカッパが良く利用するオススメ動画。タロサック氏のスピード感あふれる英会話力に引き込まれる。英会話力向上にも役立つだろう。

 よく言われる日本人の自己肯定感の低さと外国人の自己肯定感の高さ、この違いがどこから生まれてくるのか、生徒たちには考えさせたい。伝統的な日本人の謙虚さに加えて、他に何が考えられるだろう。

 テストの得点などで序列化され、将来の収入まで左右されかねない学歴社会、学校歴社会、競争社会の日本は学校教育を通じて圧倒的な数の負け組を量産してきた…そんな側面が見えてこないだろうか。

ケン・ロビンソンのスピーチTED

 ユーモアを交えた講演はたいへん分かりやすく、興味深い。イギリス出身のロビンソン氏は以下のTEDでの演説で面白おかしくアメリカの学校教育を批判している。しかしその批判の多くは日本の学校教育への批判と通じていて参考になるだろう。なかなかの名演説であり、古い動画ではあるが今の生徒に視聴させても十分、魅力的。

「学校教育は創造性を殺してしまっている」 2007/01/07 20:03

 画一性・公正・公平・同質性vs.個性・多様性の尊重

「教育の死の谷を脱するには」 2013/05/11 19:11

 教師や学校の裁量権を拡大

 教師の社会的地位の向上

 教育の個性化と多様性の尊重:「伝達」から個の好奇心に応じた個別対応へ

 画一性と同調を強要する一斉講義形式を中心とした管理統制式の、作業としての教育から多様で各自の「学び」を通じた個別到達度を重視した教育への転換。理数系や語学の習得を中心としテストの点数を重視した授業から、テストで計ることの難しい教科をも重視した、多様な生徒の好奇心を軸とする、学習意欲の向上を目的とする授業へ。

※STEM(科学・技術・工学・数学)偏重の弊害

 教育は効率性を重視した工業モデルで発想するのではなく、農業モデルで発想せよ。生徒が持つ学習意欲の喚起こそが教師の目指すべき最大の目標。デスバレー(死の谷)と化しているアメリカの学校をフィンランドなどの取組を参考にして生き生きとした学びの場として甦らせよう。

 

・デンマークと日本:10年以上前にカッパが作成した授業のプリント資料より

 ただし幸福度ランキングの部分は2021年のものに変えている

 どういう国が住み心地良いのか…いろいろな観点から考察できるだろうが、やはり単刀直入にそれぞれの国民に対して「幸福度」「満足度」を尋ねたアンケート結果を最初に検討してみよう。いずれも北欧諸国が上位を独占、日本は経済大国の割にはあまり芳しくない順位に甘んじている。とりわけ先進国の子供対象の幸福度調査(ユニセフ:2007年)ではオランダが一位で日本はデータ不足のため総合評価のランク対象外となってはいるが「孤独を感じる」という15歳の比率が約30%で他の平均6~7%を大きく引き離している(オランダは2.9%)。

 また別の調査(QOL調査:自尊感情の高さを測る質問紙調査)では日本の場合、学校段階が上がれば上がるほど自尊感情が低下する傾向も指摘されている(高校生を対象とした他の調査では教育困難校の場合、60%の生徒が「親に期待されていない」と回答しており、70%が期待されていると答えた進学校との格差も問題視できる)。ドイツやオランダとの比較でも日本の児童生徒の自尊感情はすべての項目(身体的健康、気分、自尊心、家族、友人、学校)に関して低くなっている。たしかに多くの日本人は謙虚で控え目…だとすれば主観的な内容のアンケートにも控え目の結果が出るのは仕方ない。ただ自殺率が世界で上位にある日本の現状も考慮すれば「自分が自分を大切に思えない」傾向はきわめて憂慮すべきことであろう。

 世界銀行が行った国家統治に対する調査ではフィンランドなどいわゆる北欧の福祉国家が上位を占め、日本は治安等の項目で高得点を稼いでいるものの、残念ながら「民主主義」の観点ではイタリアよりも下位にある。社会保障や教育への財政支出が先進国に於いて最低レベルにある日本の行く末が心配される昨今、日本の若者中心に将来に対する不安が暗雲のように垂れこめてきている。ここはひとまず国民の幸福度の最も高いデンマークに注目(この順位は10年以上前のデータによる)して社会保障や教育システム、政治の在り方などにおける日本との違いを浮かび上がらせ、日本の今後を考える材料としてみたい。

※なおこのプリントは20年近く前に作ったものを土台にしているので幸福度1位の国をデンマーク

 とし、日本との違いを論じている。近年、一位を続けているフィンランドに関しては後で紹介するプ

 リント資料で触れているので悪しからず。

1.デンマークの概要

 歴史は中世のバイキング時代にさかのぼる。強国に囲まれ、長く国土の保全に苦しんできた歴史から現在、18~32歳の男に兵役の義務(4ヶ月間)が課されている。

 ユトランド半島と約400の島からなる、海に囲まれた海洋国家。面積はグリーンランドなどを除くと九州とほぼ同じで、200mを超える山が無く、平地ばかり(海抜173mが最高地点)。牧畜業が盛んで食料自給率は100%を超える。特に食肉と酪農が盛ん。風力発電の先進的な取り組みと北海油田の開発によりエネルギー自給率も120%を超えている。

 人口は553万人ほどで兵庫県とほぼ同じ。首都はコペンハーゲン。デンマーク語を話し、国教は福音ルーテル派(教会は公営で牧師は公務員と同じ扱い。葬式代無料。但し墓石代等は有料)。小さな国なので経済発展のために海外での活躍を期し、英語(小学校3年から)、ドイツ語、フランス語(中学校から)、スペイン語、ロシア語(高校から)など会話中心に外国語の学習が課されている。少なくとも英語に関しては国民の成人のほとんどが日常会話程度なら困らない。語学力の国際比較調査では世界一位(58か国中日本は55位)。

 王国なので立憲君主制をとる点は日本に類似。しかし市会議員は給与無しのボランティアで国会議員の給与も750万円程度。首相でも年収2300万円ほどに過ぎない。

 一人当たりのGDPは日本の約1.4倍。国民負担率は70%ほどで世界一位(日本は40%ほどで先進国ではアメリカ、韓国に次いで低い)。国家予算の40%を社会福祉につぎ込む福祉国家お金の使い道の自由度が低い分、格差を生みだしにくい。公正な負担を実現するため(脱税等を防ぐため)、いわゆる国民総背番号制(個人登録番号制度)を取っている(スウェーデン、フィンランドも同様)。銀行は年末にはすべての口座所有者の預金残高や株などの債券所有額を税務署に報告しなければならず、お金の流れは極めて透明

 消費税は25%で自動車などは日本の3倍近くの値段となる。従ってデンマークでの自家用車の平均使用年数は14年とも言われている。ただし食品価格は安く、贅沢をしなければ「エコ」で快適な生活ができる。

 問題点としては北欧諸国に共通の離婚率の高さ(45%:日本は35%)で、働く既婚女性が多いため、家事育児の分担を巡って夫婦仲が悪くなるケースが目立つという。また離婚後、子供の親権は母親が握ることが多いので夫の世話をしなくて済む分、楽になるとの判断から女性から離婚話が進められることが多いようだ。

2.福祉・育児

 医療面ではまず「家庭医制度」があり、国民一人一人に必ず主治医として家庭医が存在するため、長期的な健康管理が可能となっている。診療費は歯医者を除くと無料で、薬代だけ有料。家庭医の場合、診療費がタダなので気楽に健康チェックができ、病気予防にも一役買っているという。また多くの場合、最初の診察は家庭医が行い、軽症患者は家庭医で治療を受ける。このため大病院(ほとんどが国立か公営)の混雑を防ぎ、医療の無駄も省けるという。

 家庭医段階では風邪程度ならば薬は処方されずに追い返されることも多いらしい(患者が薬を要求しても医者の判断が優先される)。ちなみに歯科治療は家庭医が担当せず、治療費も極めて高額なため、海外で治療する場合もあるらしい。つまり命にかかわらないケースでは医療費の支出抑制の為、意外なほどに厳しい面があるという。逆に重症の場合、格安の費用で最大限の治療を受けることが可能。本人の入院治療費(海外での治療も含む)だけでなく、付き添う両親の渡航費、滞在費すべて無料、さらに休業補償も手厚くなされる。また海外(但し欧州に限る)で病気や怪我をした場合も国が治療費を支払ってくれるという。

 妊婦の検診や病院での出産は無料で出産後の女性の職場復帰を容易にするための保育サービスも極めて充実している。人口の少ない国としては女性の就労を進めてそこからの税収にも頼らなければ充実した福祉政策は実現不可能と考えており、育児支援は経済支援と保育サービスの二本立てで行われている。

 日本で始まった「子ども手当」は育児支援を伴わない、人気取りの「バラマキ」政策に過ぎないとの批判がある一方で、デンマークでは育児支援も手厚い。そもそも日本の場合には産休や育児休暇は有給休暇扱いとはならずに給与は減額されるが、デンマークでは有給休暇扱い(ちなみに日本の有給休暇は年間三週間程度だがデンマークでは倍の六週間)。

 育児サービスは有料だが年収300万円以下は無料となるなど保護者の年収によって負担額に差がある。保育園以外に保育ママやベビーシッターの利用率も高く、ほぼ半々の割合。後者の方が預ける時間帯に融通がきき、料金の75%が助成されるため、働く母親に好評らしい。3~5歳児の親の97%がこれら育児サービスを利用しており、それが女性の就業率76%という高さ(日本は67%)につながっているとのこと。

 日本と同様「子ども手当」も支給され、0歳から17歳までが対象となっている。金額としては育児サービスの自己負担25%分にほぼ相当する(月額13000~21000円ほど)。なお保育ママの年収は5人預かったとして522万円ほどになり、十分生活できる職種となっている。育児サービスの充実は女性の職域拡大にもつながっているのだ。

 少子高齢化のため、デンマークでも1983年に出生率が1.38まで低下したがこうした支援策によって2009年には1.9まで回復(日本は1.26→1.37)している。

3.学校教育と就職システム

 幼稚園から大学まですべて無料。高校や大学に進学する時には入試が無く、学校間格差もほとんど無い

 学校で取得される資格が就職に必要不可欠で事務職にも資格がある。義務教育は10年(日本は9年)で、1年間の幼稚園も義務教育に入っている。

 日本と比較すると主な教育方針の違いは3点ある。一つは外国語教育の充実(既述)。二点目は政治に対する意識を高める努力。特に選挙に関しては小学校のうちから模擬選挙や討論を通じて理解を深め、自分なりの意見を持てるよう指導されているらしい。デンマークの成人年齢は18歳であり、参政権も早く与えられるため、早期に政治への関心を高める指導が行われているようだ。実際、国政選挙における投票率はこれまで85%を切ったことが無いという。

 ※参考動画

  【フランス大統領選】選挙になぜいく?誰にいれる?これがフランスの民主主義の実態だ!  

   2022/07/19 たかまつななチャンネル 6:25

 三点目は職業教育の充実。小学校一年生の段階で職業教育が始まり、高校の選択時点(15歳)で将来の希望職種に応じて普通高校、工業高校、商業高校、職業教育高校のいずれかを選ぶ。

 ただし義務教育8年生の段階で国家試験として1教科当たり3~4時間の論文式の筆記試験があり、何枚ものレポートを提出しなければならない。他に20分程度の口頭試問形式の暗記試験(500ページほどの教科書の内容を説明させるなどかなりの難問)もあり、深い理解と自分なりの意見が無いと高得点は望めないという。この国家試験の成績に応じて理系、文系の選択なども行われる。さらに高校入学後の進路変更も可能で、入学試験、入学金、授業料一切無しなので転学はいつでも自由にできる。大学でも学部変更や転校は自由(ただし医学部は例外)。

 職業高校系では実習訓練が重視され、実習では見習いとしての給料まで支払われる。授業は無料であり、かつ教わる身でありながら給料をもらえて資格まで取得できる。至れり尽くせりの職業教育への偏見は日本とは違ってまったく無い。

 普通高校では大学進学を目指す。大学入試は存在しないが、高等学校卒業資格をとるために3年間で最低10科目の筆記及び口頭試験に合格し、卒業論文を提出しなければならない。得点が低ければ留年となるが高得点者は大学で選べる学部の数が多くなる。試験は不正を防ぐために他校の試験官があたる。

 一定の点数をクリアできればその点数に応じて進学先の大学(短期・中期・長期に分かれる)・学部が決まるが、高校卒業後、すぐに進学する生徒は少ないらしい。伝統的慣行(「サバドー」という)として卒業後の半年から一年間は学校から離れて国内外でアルバイトし、そのお金で旅行するなどして社会見聞を重ねるのが通例となっている。

 大学進学後は生活費まで国から支給される(年間92万円相当)。不足分は国から低金利で借りることができる(上限は月4万円程度)。返済は大学卒業後でよく、親は仕送りを一切しない(日本では仕送り額月平均10万円弱)。

 大学の授業はハード(数百冊の教材を読破。しかも半分は英文。大学生の自宅学習時間は週平均40時間以上)でアルバイトする暇は無い。卒業すること自体難しく、正規の年数で卒業できるのは3割程度、ほとんどの学生は留年を余儀なくされる。

 卒業の際、資格別に結成された労働組合(法学・経済学士組合etc。加入率は68%)に加入することができ、すぐに就職できなくとも失業保険を受けることができる(日本の場合は企業別の組合となっていることが多いため、基本的には就職先が決まらなければ労働組合に入れない)。給料はどの企業に勤めても資格=職種が同じならば同額(労使交渉は職種単位で行われる)。どの大学を卒業しようが、どの企業に就職しようが、取得した資格こそがすべてとなる。

 どんな職種、資格を目指すのか…が問われるのであって出身の大学名や所属する企業名はほとんど無関係。より高い給与を求めるならば大学等に進学してより高い資格を取る必要がある。そこで多くの人は一つの職場に拘らず、次々と転職する。同じ職場での勤続年数は平均8年程度に過ぎない。大臣には塗装工だった人もおり、多くの人が多彩な経歴を持っている。

4.独特の国民性

ジャンテ・ロウ:1933年、作家のアクセル・サンダモセ氏が提唱したコンセプトで広く国民の間に浸透した。

 1.自らを特別であると思うな

 2.私たちと同等の地位であると思うな

 3.私たちよりも賢いと思うな

 4.私たちよりも優れていると思い上がるな

 5.私たちよりも多くを知っていると思うな

 6.私たちよりも自らを重要であると思うな

 7.何かが得意であると思うな

 8.私たちを笑うな

 9.私たちの誰かがお前を気に掛けていると思うな

 10.私たちに何かを教えることが出来ると思うな

 11.私たちがお前について知らないことがあると思うな

 ⇒徹底的に「思い上がり」「優越感」「傲慢さ」「甘え」を否定。福祉政策の根底に横たわる価値観の一つ。

ヒュッゲ:「居心地の良い時間や空間」のこと

 「成功」とは「幸せでいられること」である。「必死さ」は不要であり、むしろストレスのもと。だから「ベスト」は尽くさない、ストレスフリーな生き方を求める。自分の好きな仕事につくことが大きな目標となっていて、自分の好きな仕事に就いていられれば「100万ドルの宝くじが当たったとしても仕事は続ける」と国民の8割がこたえる。また家族や友人といかにして楽しい時間を過ごせるかが、最大の関心事。暗く長い冬を「ホッコリ」と過ごす工夫(暖炉やローソク、手作りの料理、癒やし系の家具、さわり心地の良いソファーや毛布、映画・音楽鑑賞、絵本の読み聞かせ・・・)が発達。

   ※参考動画

  ヒュッゲとは?デンマーク人に学ぶ北欧幸せなヒケツ  2021/08/28北欧研究室

・オランダの教育

オランダのイエナプラン教育 :2015/01/26 リヒテルズ直子

※イエナプラン教育とは、ドイツのイエナ大学の教育学教授だったペーター・ペーターゼン(Peter

     Petersen, 1884 - 1952年)が 1924年に同大学の実験校で創始した学校教育。 子どもたちを『根幹グル

    ープ(英語ではファミリー・グループと訳されることが多い)』と呼ばれる異年齢のグループにしてクラ

 スを編制したことに大きな特徴がある。現在はドイツよりもオランダで広く普及している。

 オランダでは小学生でも本人の要望があれば留年できる。日本のような「形式卒業」(日本では最低限の学力等の保障もなく、一定の年齢に達すると無条件で卒業させてしまうため、大学生でも四則演算ができない、といった学生が存在。就職時になってから大きな困難に直面してしまうことも多い)の悲劇は起きない。

 なおオランダは2020年の最新調査(ユニセフ)でも子供の幸福度世界一である。ユニセフが9月3日に公表した最新報告書では、「精神的幸福」、「身体的健康」、学問や社会的な「スキル」の3つの分類で幸福度を算出。結果、日本の子どもの幸福度は38カ国中、20位だった。

 日本の順位で特徴的なのは、子どもの肥満や過体重の割合、死亡率から算出する「身体的健康」では1位だったにも関わらず、15歳〜19歳の自殺率や生活の満足度からランク付けした「精神的幸福度」は最低レベルの37位だった、という点だ。「スキル」では、日本のランクは27位。読解力と数学の基礎的学力では上位に入ったが、「新しい友達を作る」などの社会的なスキルの調査ではワースト2位だった。

 

日米比較とフィンランド、そしてフィジー

 ~20年以上前にカッパが作成した授業のプリント資料より~

データが古いのでそのままでは利用できませんので、悪しからず。また後半部分は

 しばらく経ってから付け足したものなので前半とはデータの古さが違います。

はじめに

 1872年の学制に始まる欧米の学校制度の導入以降、戦後のアメリカ流自由主義と平和主義を理念とする新教育にいたるまで日本の近代学校教育は欧米からの決定的ともいえる影響を受けて成り立ってきた。しかしながら欧米の学校と比べると画一主義的、管理主義的な教育体制といった点で日本の学校には際立った個性があるといわれて久しい。他のジャンルと同様、学校教育という分野においても欧米からの受容過程で、学校は様々な日本的変容を経ているのである。

 そこで今回はまず文化人類学の立場からアメリカの高校と日本の高校を比較した「日本の高校―成功と代償―」(トーマス・ローレン著、1988年サイマル出版)をもとに日本の学校、特に高校の特色を浮かび上がらせてみたい。なおローレンは1974年から翌年の1975年まで、神戸市内5校の高校(この5校は学校間格差を考慮して選ばれている)を対象に調査して日本の高校の特色を捉え、内外に大きな反響を呼んだ。かなり古い著作であるが日米の高校の差異を知る上でいまだにこの著作を超える研究は無いであろう。

1.本書の歴史的背景とねらい

 1970年代から1980年代にかけてアメリカでは高校の荒廃が叫ばれ、高校生の学力低下が問題視されていた。そして世界的にみても学力の高かった当時の日本の高校生との比較から「日本に学べ」という気運がアメリカに強まってきた頃でもあった。一方、日本では受験戦争の過熱によるとされた教育の歪みが声高に叫ばれ、学歴社会への批判が高まっていた。そして自由とゆとりの感じられるアメリカの高校教育への憧憬から「アメリカに学べ」という気運が高まっていた。つまりこの頃両国において高校改革のベクトルは奇妙にも真っ向からスレ違っていたのである。

 そもそも日本の戦後における新制高校はアメリカの高校をモデルにして発足したはずであった。新制高校の三大理念とはアメリカの高校でほぼ実現されていた「総合制」、「小学区制」、「男女共学」の三つであった。このうち現在までに日本で何とか実現できたのは「男女共学」だけである。このことを考えると、日本の高校はアメリカの高校を志向しながらも現実が追いつかず、結局は日本独自の歴史的文脈のなかで妥協と変容を繰り返してきたことがうかがえよう。そしておよそ30年後、両国の高校はまったく逆の方向を向いて動いてきたかのような錯覚を覚えるほどにその問題意識は食い違ってしまったのである。その原因は一体どこにあるのか、歴史的経緯だけでなく両国の高校の現状を踏まえて検討しようとしたのが著者ローレンのねらいである。

2.ローレンの捉えた日米の高校と教育(抜粋)

 

日 本 

ア メ リ カ 

受験体制

受験過熱気味(有名進学校の存在、発達した受験産業等)

大学間格差明確 「受験地獄」

一部のみ競争(無名進学校、高卒者は全員、短大か大学に進学可能) 大学間格差不明確

大学教育と就職

企業は学歴、学校歴(入試歴)重視(大学での成績軽視)→成績評価甘い→レジャーランド化

終身雇用→18,9歳の一発勝負(→受験戦争過熱)

企業内教育の充実

企業は大学での成績重視→成績評価厳しい→留年、中退多い

 

転職多い→敗者復活のチャンス多い

即戦力重視(ヘッドハンティング横行)

生徒、学生の特色

規律正しく基礎学力高いが社会性に欠ける傾向あり

「学びて思わざれば即ち(くら)し」

自己主張できるが放恣に流れ基礎学力低い→中退率25%

「思いて学ばざれば即ち(あやう)し」

入試

学力重視でペーパーテストの比重大、公平で客観的

(→受験戦争)

高校の成績、課外活動、性格、特別な技能、面接、進学適性検査等

多様な尺度で選抜

教育内容

と学習スタイル

画一的(学習指導要領で規定)

→教育の平等実現

知識詰め込み型、暗記中心

背景に国民の社会的同質性の高さ;単一民族的、集団主義的等

→高い効率性(低コスト)

個性重視で多様(教師個人にも教科書選択権)→教育の自由実現

思考、表現、体験重視

背景に国民の社会的同質性の低さ;多人種多民族国家、所得格差大、個人主義的等

→非効率的(高コスト)

授業形態

多人数で一斉講義形式中心

生徒受け身

少人数で討論中心

生徒参加型

時間割

5教科週25時間前後で必修科目ばかり

通学日数もアメリカと比べ年2か月分多い

必修は半分以下で年間約200科目もの選択科目

アメリカの大卒者は通算で日本の高卒者と同じ授業数

※参考動画

 ◎アメリカの小学校は5年生までしかないの!?日本とアメリカでは学校の仕組みが全然違う 

  2022/02/13 Kevin's English Room / 掛山ケビ志郎 20:28

 [衝撃] アメリカの子供は時計が読めなくなった!?

  2022.10.1 BrooklynTokyo 5:09

 

3.フィンランドの教育

 同じような枠組みで作られた学校でも国が異なればやがて似ても似つかぬものに変質してしまう。特に国民の同質性の高低、企業社会の成り立ちの違いは学校のあり方に大きな影響を与えていることがわかろう。ただし近年は日米の歩み寄りが続いたため、現在、これほどの格差はなくなってきている。今の問題は日本が導入した自由主義的アメリカスタイルが学校の混乱を拡大し、学力の低下を招いていると指摘される状況にある。

 そこで次はOECD(経済協力開発機構)の国際的な学力調査(PISA)で3回連続世界一に輝き、一躍注目を浴びるようになった北欧の教育先進国フィンランドの教育事情を紹介し、比較検討するなかで日本の学校が抱える問題点を考えてみよう。なお日本は2003年度の調査で41カ国中、読解力の順位が14位(2000年は8位)、数学6位(同1位)と急落し、学力低下への危機感が高まったため、2010年代に入り、急速に「ゆとり教育」の見直しが進められていった経緯がある。

※2015年度のデータによると70の国・地域の中で日本は読解力8位、数学5位、科学2位となっており、

 話題となった2003年度と比べると学力の点ではかなり順位を挽回してきている。

 人口わずか500万人超のフィンランドでは7歳から9年間、無償の義務教育が課され、公立学校がほとんどである点までは日本と同じだが、決定的に異なる点も数多く見られる。以下、その長所を中心に列挙してみよう。

・福祉国家だけあって大学まで無償で、教科書、通学、文房具もすべて無償。

・学校間格差がほとんどない。習熟度別指導やランキングは否定され、非選別的発想

 が中心。学校の自由裁量の幅が広く、学校の個性は多様である。

・学校や教師の自由裁量の幅が広い。1992年に検定教科書制度が廃止され、授業時数

 の配分も弾力化。年間総授業時数はOECD諸国では最低レベル。

・1クラスの人数は30人程度で語学やパソコン、算数などの授業はさらにその半分の

 少人数編成。

・教師教育の充実。1978年以降、教師になるには修士号の取得が義務付けられ、最低

 5~6年をかけて理論を学び、実務を経験する必要がある。教師はフィンランドの

 高校生にとって最もあこがれる職業であり、社会的地位も高い。教師本人の希望が

 なければ異動はない。

・高校段階では大学進学を前提とする単位制の普通高校と職業学校とに分かれる。普

 通高校は大学並みのアカデミックでハードな勉強が課されるが、職業学校では企業

 と連携しながら実務的訓練を積む。

 ただし問題も抱えている。フィンランドの失業率は8%に上り、離婚率は何と50%を超える(もっともこれは一人暮らしや母子家庭でも一切、生活に困ることのないフィンランドならではの現象。母子家庭の貧困率が50%を超える日本の貧弱な福祉政策のもとでは考えられない現象なのである)。家庭の問題を抱え、悩む生徒も多い。しかしそうした生徒をフォローするチームワークがきわめて充実している。「生徒サービスチーム」と呼ばれるチームにはスクールサイコロジスト、スクールカウンセラー、スクールナース、ガイダンスカウンセラー(進路指導の専門家)といった専門家に加え、校長や担任が参加して手厚い対応を実践している。

 世界経済フォーラムが発表する国際経済競争力調査でも2001年から2006年までフィンランドは首位または二位の座を維持していた。厳しい自然と少ない人口を考慮すればたしかにフィンランドの健闘ぶりには目を見張るものがある。

 一方、日本の学校事情は先進国としてはお寒いばかりである。1970年代半ば以降、日本政府は残念ながら国家予算の伸び率に比例するようには教育費を伸ばしてこなかった。その結果、国家予算やGDPを基準に見た教育費は先進国中最低の部類に属している。2014年の対GDP費ではOECD34か国中24位。しかも国家財政中に占める教育予算の割合は31か国中30位。学校教育費に占める公的負担の比率も28か国中26位である。

 つまり教育における私費負担の割合が非常に高い。しかも学校教育費には個人的な通信教材費や塾代、家庭教師代、予備校代は含まれていない。日本の場合、こうした学校教育費以外の教育費の支出が異常に高いと言われている。つまり総じて日本は国や自治体が教育予算を大胆なまでにケチっており、家計に大きく依存した教育が行われているといえる。この結果、日本では家庭の経済力の格差がそのまま学歴、学校歴格差につながりやすい社会となっているともいえよう。日本が格差社会であるといわれて既に久しい。かつて「国家100年の大計」といわれ、最重要視されてきた教育政策の現状が今、いかにお寒いものとなっているのか、私たちはきっちりと確認すべきだろう。

 一学級あたりの児童生徒数は2013年、小学校で27.9人(OECDの平均値は21.2人)、中学校で32.7人(同23.3人)であり、日本より悪条件なのはOECD加盟国では韓国だけという有様である。教員一人当たりの児童生徒数もまったく同じ傾向がみられ、韓国とともに日本ではOECDの中で最も劣悪な環境のもとに初等・中等教育が行われていることになる。

 世界では少人数のクラス、小規模の学校ほど教育効果が高いというのはもはや常識となっており、WHO(世界保健機関)も生徒総数100人を上回らない学校規模を勧告している。確かに日本はかつて国民の同質性が高く、集団主義が広く社会全体に行きわたっていたため、クラスや学校規模が大きくとも児童生徒は極めて学力が高く、規律正しいといわれてきた。

 しかし地域社会の崩壊(隣近所の助け合い減少)、家庭教育力の低下(核家族化、共働き…)、格差の拡大、個人主義の蔓延と外国人の増加(=同質性の低下)などが進んできた現在、かつてのような高い教育の効率性が維持できるとは思えない。本来、10年以上前に騒がれたPISAの順位の低下が示していたのは日本社会のこうした激変とそれに対応できなくなった日本の学校教育の遅れた姿であったはずである。

 しかし今の日本は1000兆円を超える国家全体の負債を教育予算や福祉予算を削ることで賄おうとしている。現在、日本の各地で小中学校だけでなく、高校もまたすさまじい統廃合の危機にさらされていることを知っているだろうか。日本では世界の趨勢である小規模の学校が望ましいとする流れに完全に逆行する動きが今、加速しているのである。急速に進んだ小中学校の統廃合によって170億円の「効率化」が進められたと財務省はむしろ学校の統廃合を手放しで絶賛している。しかしその陰で自宅から遠く不便な大規模校に通学することを余儀なくされた児童生徒が大勢いることを忘れてはならないのである。

 以下、学校基本調査をもとに学校数の変化を表示してみる。

 

平成20年

平成29年

増減

小学校

22476

20095

―2381

中学校

10915

10325

―590

高等学校

5242

4907

―335

※参考記事

 年500校が消える 求められる廃校活用の知恵 2022/08/06 07:00 産経新聞

  少人数ではだめなのか 県立高校再編を考えるシンポジウム

   朝日新聞社 2022/08/05 10:15

 ◎フィンランドが「学力世界一」から陥落しても詰め込み教育をしない理由

  集英社オンライン 2022.9.20

 ◎国立大学と私立大学の「授業料」はどう推移している?昔は今じゃ考えられないくらい安すぎるっ

  て本当? ファイナンシャルフィールド 2023.5.16

 少子化によっていずれは小規模学校や少人数学級の実現が苦も無く実現できるという楽観論も統廃合の強行によって完全に消え去った。ただでさえ教育予算をケチってきた日本がさらに教育予算をケチり、正教諭の数を急速に減らして非正規雇用の講師を急増させ、教育条件をいっそう悪化させている。公立小中学校の教員に占める講師の割合をみると1980年には全体の2.6%に過ぎなかった講師率が2007年には8.9%に達している。3倍に増えたわけである。不安定な雇用の下で低賃金、過重労働を強いることのできる講師を増やすことは教師全体の労働環境を悪化させることでもある。

 2013年、OECDは34の国、地域の中学校に当たる学校の教員に勤務実態調査を行っている。その結果は日本の学校教育が衝撃的に劣化している深刻な状況をあからさまに示した。まず日本の教員の仕事時間は週に約54時間でOECD平均の約38時間を大幅に上回った。部活動や事務活動などに費やされる時間が飛びぬけて多いからである。週当たりの部活動に費やされる時間はOECD平均が2.1時間に対して日本は7.7時間、事務作業はOECD平均が2.9時間なのに対して日本は5.5時間。ところが肝心の授業に費やす時間はOECD平均が19.3時間に対して日本は17.7時間でやや平均を下回っている。

 また校外で行われる研修への日本の参加率は極めて低く、参加しない理由の8割が仕事のスケジュールを理由にしている。多忙感で教師として必要とされる知識や技能の習得がおろそかになっているという事態は日本の場合、将来にわたって致命的な結果を招くはずである。

 日本はかつての師範学校による専門的な教師養成教育が戦時中の全体主義的教育を支えてしまったとの反省から専門的な教師養成教育自体を否定的にとらえられる傾向を戦後強めてしまい、師範学校が廃止されるとともに教員免許は極めて容易に取得できる(この事態は教員免許の「開放性」と呼ばれるが、その実態は教員免許が専門的な教育を受けずとも取得できる安易な資格に堕してしまったことを意味するに過ぎない)ようになってしまった。

 したがって教員になりたての若者は学校教育が一体どんなものなのかをほとんど学習せずに現場で教えることになる。当然、教員になってからの研修で教師としての知識・技量不足を補っていかなければならないはず。実際、かつて日本の教師の自発的な研修は極めて盛んで、参加率も高かったはずである。ところが現在、その肝心の研修が不足してきているということは日本の教師が多忙の中でどんどん劣化してきていることを意味する。教師の不祥事が相次いで報道される背景にこうした事態が急速に進行していたのである。

 当然のことながら日本の教師の自己評価は世界の中でダントツに低い。「学級内の秩序を乱す行動を抑えられるか」という質問に対し、日本はおおむね「できている」と答えたのが52.7%でOECDの平均87.0%を大幅に下回る。「生徒に勉強ができる、と自信が持たせられる」に対し、おおむね「できている」と答えたのが日本はわずか17.6%、OECDの平均は85.8%。「勉強にあまり関心を示さない生徒に動機づけできている」に対し、おおむね「できている」は日本が21.9%でOECDの平均よりもやはり50%あまり低い。

 かつて日本の教室は世界のどこよりも秩序が保たれていると絶賛されてきた。しかしそれは遠い昔のことになりつつある。特に教師にとって最も大切なはずの授業に対する自信の欠如は、授業や学級経営といった本務をないがしろにしてはびこる部活指導や事務仕事に大きな原因が求められる。研修不足の教師は自信を欠いたまま保護者からのクレーム対応にも追われる。教師の間にうつが蔓延するのも当然である。

 2002年、精神疾患で休職した公立小中学校の教師は2700人近くだったが2009年には瞬く間に倍増しており、現在は年間5000人前後で高止まりしている。その数は当然、部活指導に追われる中学校が一番多い。2013年のOECD調査で「もう一度仕事を選べるとしたら教員になりたい」と回答した日本の教師の割合は下から二番目という実に痛ましい状況も、日本の教師が直面しているこれらの問題点を知れば十分納得できる結果なのである。

 自信に欠けたまま学校教育への理解も進まず、技能を向上させるチャンスを奪われ、ひたすら雑務に追われる日々。若い教師はただ自分の所属する学校現場しか知らず、酷い視野狭窄に陥っている。海外まで視野を広げれば日本の学校の異常さや自分の多忙さの背景を知ることができるのに、そうした自己研修の機会も奪われている。

 若者が理想に燃えて保守的なベテラン教師を批判するという風景は完全に過去のものとなってしまった。今や若手はストレスをためこんだまま、眼前の職務を果たすことで精いっぱいになっている。現状を批判し、変えようとする意欲を持つ若手は極めて希少。むしろベテランよりも保守的であるのが今の若手教員の実態といえよう。これでは現場からの変革は絶望的である。

 自殺する教員、精神を病んで休職に追い込まれる教員の数は2000年に入って急速に増えた。サービス残業を強いる部活動の盛んな中学校や高校の顧問は過労死の危機にさらされ、ストレスをため込んで暴発し、体罰事件などを引き起こしたり、離婚や過労死、家庭崩壊の危険にまでさらされている。そして批判の矛先は常に教師個人の資質に向けられる。ひたすら予算を減らし、教育現場を荒廃させ多忙に追い込んでいる張本人に責任を求める声は小さい。日本の学校はもはや世界でも最悪レベルのブラック企業に近づいているのである。

 こうして日本では予算の後ろ盾もない中で多人数の学級という悪条件が放置されたまま、無謀にも「自ら学び、考える力」を養成するための手厚い教育が学校・教師に求められてきた。ごく一部の恵まれた家庭の子供たちは「お受験」を経て私学での充実した教育を受けられ、優良企業への就職まで可能となってくる反面、過半数の他の児童生徒は「安かろう 悪かろう」の公教育を受け続けることになる。そして進路の結果がたとえ無残なものになったとしても、責任を負うのは生徒や家族であり、国ではないとするのがまさに「自己責任」の国、日本の学校事情なのだと思われる。

 技術の高度化が進み、技術革新の担い手は一握りのエリートで十分な時代となってきており、企業の多くが正社員を大幅に減らして使い勝手のよい安価な非正規採用でコスト削減と人手不足の解消を図っている。多数の国民が今後、十分な教育を受けられずに学力を低下させたとしても、国家としては一定数のエリート層が健在ならばさほどの国家的損失は生じないと高をくくっているのだろうか。もしもそうだとしたら…諸君の将来も、この国の将来も相当危ういだろう。

 確かに日本の自殺者数は統計上(警察と厚生労働省がそれぞれ統計を出している)はかつての年間3万人台からここ数年で2万人台にまで減少してきている。これは景気回復に伴い、特に中高年の自殺者数が減少してきたからである。しかし実は15~24歳の若者の自殺者数はこの間も増え続け、ついに世界一位になっていることはあまり知られていない。今や日本の若者の死因の一位は自殺なのである。

 若者の自殺は将来を悲観してのものが多いと考えられる。つまり若者にとって今の日本は「出口無き絶望社会」となっているようである。若者に将来への夢や希望を持たすことに失敗した社会になっている日本という国と、若者を相手とする日本の学校の疲弊ぶりとはまったく無関係とは言えまい。もういい加減、なんとかしなければいけないのである。

 ではどうしたらよいのか?日本の若者の危機を救う手立てはあるのか?他の国を参考にして考えてみよう。ここ数年、国連が3月に世界幸福度ランキングを発表している。2017年3月20日に発表された最新のランキングトップ10を見てみよう。1位ノルウェー、2位デンマーク、3位アイスランド、4位スイス、5位フィンランド、6位オランダ、7位カナダ、8位ニュージーランド、9位オーストラリア、10位スウェーデンの順である。北欧を中心に白人系の常連国が並んでいる。日本はというと51位。やはり教育と福祉が充実している国々が上位にきている。日本が目指すべき方向は教育・福祉の充実であることは明白である。

 しかしどうみてもこの目標達成には時間がかかる。今、現在を苦しむ日本の若者を救出するには別の観点も必要である。教育と福祉の充実は中長期的目標として取り組むにしても、短期的目標は別途に掲げておく必要があるだろう。そもそも国連の幸福度調査の観点は一人当たりのGDP、社会的支援、健康な平均寿命、人生の選択をする自由、性の平等性、社会の腐敗度などであり、どうみても先進国に有利な観点に偏っている。私たちは別の観点から幸福を捉えなおす必要もあるのだ。

 先進国からは貧しくて自由度も低く、客観的には幸福に見えなくとも、主観的に国民が幸福感を強く感じている国々がある。フィジーやコロンビアである。幸福はやはり主観的な要素が大きい。どんなに豊かで健康であっても本人が幸福を感じられていないならば意味がない。そこで最後にフィジーの人々の幸福感を支えている考え方を紹介しよう。

 フィジーは330ほどの島々からなる南国の楽園。四国ほどの総面積に85万人が住む。平均寿命は世界119位、一人当たりのGDPは102位、民主主義指数は119位、報道の自由度は107位となっており、先進国の価値観からすれば幸福度は中の下。しかしフィジーの人々の満足度、幸福感はダントツの世界1位。物質的には恵まれなくともハッピーになれる秘訣はフィジーの人々の独特の価値観に潜んでいる。絶望的な日本の若者でもフィジーの価値観の中になら光を見いだせるかもしれない。

 フィジーの人々の独特の価値観はまず物事を共有し、シェアする精神が豊かである点。彼らには私有の概念が極めて薄く、お金も土地も家族までも共有する。豊かな人が困っている人に金品を贈るのは常識である。

 また過去を振り返らず、未来を案じない。くよくよしないのだ。そのかわり今、この瞬間への注力度が極めて高い。悪く言えば刹那的、享楽的。必然的に貯金はしないし、肥満も気にしない。細かいことは気にせず、実におおざっぱ。レストランや役場でも間違いだらけ。仕事はスローで効率は悪いがその分ストレスフリー。しかし人間関係をつくるスピードは光速で、瞬く間に友人となれるフレンドリーな国民性…

 日本人の生真面目さ、律義さが悪いのではない。ただ少しだけ肩の力を抜いてみるべきなのかもしれない。般若心経が説くように物事は容易には変わらなくとも、それを受け止める私たちの主観が変わることで案外、楽になれるのかもしれない。まずは自分の心をリラックスさせることから始めよう。

 

参考記事

日本とフィンランド、実は「体育の授業」に決定的な違いがあった…! 「運動」の

 位置付けがまるで異なる 現代ビジネス 岩竹 美加子 の意見 2022.11.23

 これも既に紹介した記事だが、あらためて日本の教育の特異性に注目したい。運動部や体育、運動会(体育祭)の在り方を根本から見直す上で非常に参考となる資料。フィンランドと日本の学校教育の決定的な違いに注目したい。

その「しつけ」グローバルとは真逆かも! 世界から見て「日本の子育て」ココが 

 変!コクリコ編集部 の意見 2023.4.20

 日本の学校教育の異質性は家庭における子供のしつけの在り方とも深く関わっているだろう。子供のしつけという観点からも学校を考えておきたい。

日本はなぜ幸福度が低いのか? キーワードは「寛容さ」

  世界経済フォーラム  ForbesJAPAN 2022/10/20 09:30

 人生における選択の自由度の低さ他者への寛容性の低さが日本人の主観的幸福度を先進国最低のレベルとしている原因・・・だとすればその原因に大きく関わってしてしまっているのが多様な価値観を認めようとしない日本の画一的学校教育であろう。

日本の教育、「"真の改善点"は3つある」世界に学べ 世界一革新的な「ミネルバ大学」と

 比べると 東洋経済オンライン ムーギー・キム 2022/10/16 08:01

「ハーバード大学」での体験に基づいた教育論が日本では参考にならない「納得の

 理由」現代ビジネス 畠山 勝太 の意見 2023.6.12

 この考え方は欧米との比較から日本の学校改革を唱える立場への反論としてよく登場するものと考えるが、いかがか。もちろん安易な外国の物真似が失敗に終わりがちなのは文明開化時の日本が経験してきたことで、今更、言うまでもない。しかし「…日本の教育の平等さを支える大きな柱の一つが義務教育費国庫負担金制度である。教員給与の3分の1は中央から、残りの3分の2は都道府県から支出されるだけでなく、教科書も国が支出し、施設費も国が半額負担をしている。また、広域教育行政が敷かれているために、遠隔地で極端な教員不足が発生することもない。日本の教育システムには、このような、豊かな地域や富裕層からの税収を貧しい地域や貧困層の教育に充てるシステムが存在する。」という指摘には素直に頷けぬものを感じてしまう。

 むしろ教育の平等を重視するあまり、国家予算の配分を通じて行政の中央集権的な学校支配が強く及んでしまったデメリットにも着目する必要があるだろう。国家の統制力は教育内容への過剰な介入となって行き過ぎたレベルの画一的、管理的指導を蔓延させてしまっているのではあるまいか。平等を重んじるあまり、学校は生徒の多様性や個性を蔑ろにしてはいないか。そしてITの発展によって実現可能性がせっかく高まってきた個別学習の進展を、旧来の平等、公平の理念の強調によって台無しにしてしまう虞はないのか。

 確かに義務教育レベルでは平等と公正は相変わらず重視すべき概念であることに異論は無い。問題は個性・多様性の尊重がより一層求められている現在、これまでのような片方ばかりの偏重を改め、平等・公正と自由・多様性尊重との間で両者のバランスをどう考えていくか、であろう。この問題は決して二者択一の単純な選択ではなく、複雑な対立、競合をはらむはず。

 しかし実態は義務教育ではない高校教育ですら、教科書の検定制度が適用されてしまっていることに表れているように、今も「平等・公正」への偏重が顕著である。しかも平等・公正の確保を盾にして予算や人事での国家統制が強まったことにより、表向きの「平等・公正」の陰でかなり前から社会科の検定教科書では「政治的中立性」すら危うくなっている。つまり、実際にはある意味において「平等・公平」ですらない。また上っ面の「平等・公平」による入試がかえって人々の格差拡大という不平等を正当化していないだろうか。

 他方で受験競争や共通テストの導入を通じて教育内容は「入試に出る」内容に収斂されていき、教科書も多様性を徐々に失ってきた。しかも政府の意向を「忖度」できないと大手の教科書会社であっても瞬く間に倒産しかねないのが日本の現状である。

もう一つ、この論考には重大な欠陥があると考える。「…もう一つ重要なのは、教育の成果物は多様であるという点である。教育経済学の文脈で分析されるものだけでも、知識やスキル・社会性など主に個人に帰するものもあるが、国民統合・市民性・平等性など主に社会に帰するものもある。」という指摘である。確かに太字にした箇所などはいち早く封建制を脱して近代的、中央集権的国民国家創出を急ぐ明治政府にとっては学校教育の目的の大きな要素であった。しかし他方で近代日本の重要な設計者であった伊藤博文らは殖産興業をも強力に推進すべく、「立身出世の学」として「個人に帰する」モチベーションを煽ることで学校への就学率を高めようとしたのは周知のことである。

 しかし「国民統合」に関しては学制頒布から150年以上経った今も同じように強調されるべき理念なのか、がまず問われよう。今や外国人観光客の来日急増は観光業の発展を招いており、日本経済の停滞を乗り越える上で重要な産業の一つとしてさらなる発展が期待されている。また労働力不足の解消のため、多くの外国人が国内で働くようになってきた。日本語を母語としない人々がすさまじい勢いで国内に殺到してきており、学校の児童生徒として数多く教室に迎え入れている現状がある。当然、外国籍のままの児童生徒も多くなってきている。もはや「国民」ではない児童生徒を目の前にして「国民統合」を理念とする画一的学校教育がふさわしいのかどうか、これまで通りの指導体制で良いのか、真剣に問い直す必要はあるだろう。

 そもそも日本の学校は戦後、家庭や地域社会の教育力低下に伴い、国民としての人材の「選別・配分・社会化」機能をほぼ一身に背負わされてきた。そのため教師たちは授業だけではなく各種学校行事、部活動等にも全力を注ぐようになった。他方でそれは学校の職場としてのブラック化をも招き、直近では深刻な教員不足と教育の質の低下を全国規模でもたらしてもいる。「選抜・配分」機能はともかくとして、せめて「社会化」機能の役割は一部、地域社会に返還すべきだろう。それは実際、部活動の地域移行によって徐々に進展しているが、いまだ不十分というほかあるまい。

 またこれまで学校が担ってきた「社会化」機能は既存の社会にひたすら適応を迫る保守的側面があったのも否めない。「ブラック校則」と揶揄された管理主義的生徒指導が生じてきた背景には大勢の生徒たちを少ない教師で管理し、一斉指導する体制があった。工場における規格化された単純労働が主体であった高度成長期にはその教育体制がむしろ時代に適合的だったかもしれない。

 しかし少子化社会の進展はようやくにしてクラスの定員を減らす方向に働いている。児童生徒の個性、多様性に向き合える条件も少しは整ってきた面がないわけではない。さらに社会の進展、変化のスピードが増している現在、特定の鋳型にはめるような、既存の社会に適応させることを主な眼目とする指導体制はあまりにも保守的過ぎて技術的革新が相次ぐ現代社会には適合的とは言えまい。今の児童生徒たちに求められる力は時代の激動に対応できる柔軟性と人々の多様性を受け入れられるマインドセットの方ではあるまいか。

 従って今、日本の学校教育に切実に求められているのは個性や多様性に十分配慮した限りにおける平等や公正さであろう。そうした点では一歩も二歩も前を行く欧米の学校教育制度に日本が素直に学ぶべき点は決して少なくないと思うが、いかがか。

 

 

⑲北欧の教育と日本

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

・「小学校 それは小さな社会」が持つ盲点

「集団行動が全て」給食・掃除当番が生み出す、規律重視の日本型教育。世界

   今、必要とするワケとは?【山崎エマ・蓑手章吾/加藤浩次】2Sides

   NewsPicks /ニューズピックス  2025/03/11 16:10

「不登校になるのは学校のせい?」自主性を育むオルタナティブ教育とは?公立の

   特別活動の意義について議論【山崎エマ・蓑手章吾/加藤浩次】2Sides

   NewsPicks /ニューズピックス  2025/03/17  14:01

Instruments of a Beating Heart | An Oscar-Nominated Op-Doc

   The New York Times  2024/11/24 23:23

【ノンストップ!サミット】アカデミー賞ノミネート監督生出演!日本の小学校教

 育「ココがスゴイ」フジテレビドキュメンタリー  2025/03/14 34:38

【日本の小学校の映画が世界で大反響】ドキュメンタリー監督・山崎エマ/公立小

   学校が「日本をつくる」/“個性重視”教育の北欧が日本の小学校を再評価したワケ

  【CROSS DIG 1on1】

   TBS CROSS DIG with Bloomberg  2025/02/04 28:05

【異例の快挙】小学校 それは小さな社会〈監督〉山崎エマ/日本人は小学校で作ら

   れる?/フィンランドで大ヒット!日本でも口コミ拡大

    IMAGINE イマジン大学 2025/02/04 34:30

 山崎氏が様々な動画内で繰り返し指摘してきた小学校での学級会における合意形成の訓練は、本当に民主主義的な意義を持つ合意形成だったのか…それは蓑手氏が暗に示唆した通り、極めて疑問というほかあるまい。中学校や高校のホームルームでの実態を見れば明らかである。生徒たちの多くが今も何かを決める際、合意形成の作法を全くと言って良いほどに身についていないことを随所で露呈させているではないか。たとえば多くの高校でクラスの文化祭の出し物を決める際、生徒たちに任せておくと多数決という最悪の方法に頼るケースが圧倒的になってしまう。そうした現実が義務教育段階における児童生徒の合意形成の訓練の欠如をむしろ雄弁に物語っていると私は感じてきたのだが、いかがだろう。

  ※この辺りは工藤勇一氏の安易な多数決を否定した民主主義を巡る議論を参照していただきたい。こ

  れは工藤氏が自主性(空気を読み、忖度して相手の期待に応えることも自主性に入る)と主体性

  (自主性と異なり、自分で考え、判断することを最優先する)との根本的な違いを強調しているこ

  とと深いつながりがあるだろう。

   また山崎氏のドキュメンタリーには学校行事や給食、清掃に重点を置く一方で、授業風景が意図的に多くカットされている点にも疑問がある。日本の小学校における一斉講義形式中心の授業の問題点が個別最適化からは程遠く、無視できないほどに低劣なレベルであるとすれば、授業をカットした点は日本の学校教育のリアルな姿を伝えるドキュメンタリーとしてかなり片手落ちと言えるだろう。とりわけ蓑手氏の様に不登校に注目しているフリースクールの立場からは、日本の小学校教育の良さを再評価することに重点を置くような映像の切り取りに強い警戒心を抱くのは当然であろう。

 他方で山崎氏が日本の教育の欠点ばかりを上げ連ねて欧米の教育を持ち上げる風潮に警鐘を鳴らしたい気持ちも分からなくはない。当たり前のことではあるが、日本の学校教育には清掃や給食当番など、大きな社会的意義があり、かつユニークな取り組みが数多くある。日本人の規律正しさ、きれい好きといった長所の多くは学校教育に由来する側面もかなり大きいに違いない。それらを犠牲にしてまで日本が欧米の教育を見習う必要はもちろん無い。

 ただし蓑手氏が指摘したように、日本の児童生徒の幸福度、自己肯定感は国際調査の比較では極めて低く、山崎氏が指摘する小学校での行事などを通じて得られる達成感が、実は多くの児童には必ずしも共有されていない、厳しい現実がある。撮影する側に、日本の児童生徒の自己肯定感の欠如が一体、何に由来するのかといった批判的視点を当初からイマイチ欠いている点で、やはりこの作品はドキュメンタリーとして片手落ちの感は否めない。

 一年間もの長期取材を行い、膨大な撮影量で出来上がった力作ではある。しかしこうした本格的な撮影を従来、許可しないはずの教育委員会や校長らが珍しく許可したのは、その学校の負の側面をできるだけ映像化しないという前提条件があったからではないのか…疑り深い私としてはそう勘繰ってしまう。だからこそ、結果的には「片手落ち」の作品となっているのではないのか。

参考記事

「世界一幸福な国」フィンランドに行って分かった「なぜ彼らは幸せなのか」 住み

 たいまち、を調べてわかったこと

 現代ビジネス FRaU編集部 によるストーリー 2024.1.10

 なぜ北欧は政策として教育を重視し、日本は重視しないのか、この記事を通じて生徒に考えさせたい。

 

参考動画

【財務省】授業で四則演算やbe動詞義務教育の内容?大学側は?教育の質”は検

    証可能?中室牧子氏「人に投資・リターンの確認を」|アベヒル

    ABEMAニュース【公式】  2025/04/23  26:58

    財務省の学校に対する古臭い認識、無知さ加減には呆れるばかりだ。義務教育における「落ちこぼれ」の大量発生が有効な救済措置もとられないまま高校教育に引き継がれ、高校でもほとんどが救済されないまま大学にまで引き継がれている。大学進学率が50%に達した現在、大学生でアルファベットや割合、分数が理解できない者は決して少なくあるまい。

    学力どころか出席をも軽視する形式進級、形式卒業を当たり前とする義務教育の在り方が変わらない限り、日本の高校教育や大学教育を変えることはできないだろう。にもかかわらず、トップダウン的発想から高等教育、大学教育を変えるだけで教育の質の向上を図ろうとするのはまったくのナンセンスであり、教育全体を見渡すことの出来ない偏頗な発想に過ぎない。

 いわゆるFラン大学の存在は、大卒という学歴を偏重する日本企業の、あからさまな手抜き採用人事のあり方にも起因するのであり、「営利追及に走っている」とばかりに難癖をつけて一方的に大学側の責任を問うのは的外れであり、余りにも片手落ちだろう。たんに需要があるから供給が生じているだけではないのか。

 財務官僚のようなエリート進学校の卒業生たちに、日本におけるFラン大学の社会的な存在意義への理解がイマイチ足りないのは当然と言えば当然ではある。しかし自分たちのエリート主義的認識に大きな偏りがある事への自覚が不十分であることは認めるべきであろう。そして98%の進学率に達した日本の高校に存在する数多くの教育困難校もまた、それなりの存在意義はあるのだ。

    仮にFラン大学が日本から消えてしまうと、一体どんな不都合な事態が発生してしまうのか、少しでも想像してみればよい。若者の失業率と犯罪発生率、貧困率は急激に高まり、いわゆる「無敵の人」が急増してしまうに違いない。

    40年近く前に高校における教育困難校を「未成年失業者収容所」と表現した方(「当節定時制高校事情」佐々木賢 有斐閣新書 1987)がいたが、Fラン大学の存在意義もまたしかり、である。下手をすれば犯罪予備軍たりうる社会的弱者の若者たちを収容する「予防拘禁施設」という社会的機能の側面から見れば、Fラン大学の存在価値を現状のままでプラスに評価することも可能なはずなのだ。

 確かに日本の場合、「高校」とか「大学」とはあくまでも名ばかりで、実態としては一部、義務教育のやり直し施設、果ては一部、少年院、鑑別所兼職業訓練施設と化している学校も無いわけではあるまい。

 西欧や北欧のように高校レベルでの職業教育が発達していて、職人、技術者の社会的地位がさほど低くない社会では、大学に進学しない若者が路頭に迷い、犯罪に走る危険性は日本ほど高くはあるまい。リカレント教育が一般化した西欧や北欧ではいったん就職した後で大学進学する者が決して珍しくはない。

 しかし日本では職業高校が低迷しがちであり、職人の社会的地位も決して高くはない。中卒や高校中退の学歴で就職した若者が社会的地位を高めていく方途は、プロスポーツや芸能界などを除くと日本では極めて限られている。この問題を放置しておいて、特定の学校教育ばかりに責任を転嫁するのはいかがか。

北欧子育て7つの鉄則!自己肯定感を高める育児とは?| 北欧在住ゆるトーク 

 2022/04/02 Nord Labo -北欧研究室- 19:00

 ほめない、比較しない、見た目について評価しない。「走るのが速いね」ではなく「走るのが好きなんだね」と話しかける・・・非常に参考となる話。やや視聴時間が長いが、ぜひ、生徒に視聴させたい。

 1970年代までフィンランドの教育はアメリカと同程度のかなり低いレベルにあったという。しかし1980年代、フィンランドは独自の視点から学校教育の大胆な見直しを進めていく。教科書検定制度の廃止や教員資格制度の改正(教師養成教育の充実化、教員の大学院卒義務づけ等)、宿題の廃止、テストの削減、授業時数の削減。これらは保護者の労働環境の改善を伴い、子供達が家で両親と過ごす時間を劇的に増やした。しかも授業時数を減らす一方で体育や芸術関係は減らさず、知育に偏る事を避けたバランスの良いカリキュラムを作り上げている。にもかかわらずPISAの得点は世界トップクラスとなった。

 一方、アメリカは人種、民族、信仰の異なる雑多な移民から形成された国家の土台を基に、多様性を前提とした多彩なカリキュラムを用意して個性を尊重する学校教育を作り上げていた。しかし1970年代から中等教育を中心に非行少年の荒れが目立ち始め、生徒の学力低下が話題となったことを契機に学校教育の見直しが進む。その際、低予算でありながら国際比較で常に学力がトップレベルであり、治安も良かった日本の学校教育を参考にした改革が進んだ。このため学力向上、知育中心に偏った教育がアメリカに浸透していった。

 ここ50年近くの間にアメリカ、フィンランド両国の学校教育が目指すその方向は完全に乖離してきたのである。このことは常にアメリカの後を追いかけてきた日本の学校教育に対しても深い反省を迫る点であろう。

 今や、学校教育に関しては自由や個性・多様性の尊重という観点を除けば、日本とアメリカとの違いは意外にもその差が縮まってきているという。しかしフィンランドと日本との違いは驚くばかり。それでも社会の同質性の高さに守られて日本の児童生徒の学力は国際的には高い方であるが、児童生徒の幸福感、自己肯定感は先進国で最低の部類に属する。

 北欧の動きを踏まえた、日本の教育への抜本的な見直しが待たれるところである。

【日本の中学教育は世界的に超優秀】日本の高校までの学力は世界トップクラス/

   「掃除」「給食」「部活」に日本教育の特徴がある/大学は海外に行った方が良い

   理由 PIVOT 公式チャンネル  2024/03/09 37:31

 松田氏が上意下達式の教育行政の効率性や日本の初等中等教育の優秀さを持ちあげすぎている側面はやや気になるが、日本の学校教育を世界の中でバランス良く位置づけるためには有効な動画だろう。フィンランド、アメリカ、韓国の学校教育と比較できる点でも貴重な動画。

 

オランダのイエナプラン教育 :2015/01/26 リヒテルズ直子

 イエナプラン教育(イエナプランきょういく、ドイツ語 Jena-Plan)とは、ドイツのイエナ大学の教育学教授だったペーター・ペーターゼン(1884 - 1952年)が 1924年に同大学の実験校で創始した学校教育。 子どもたちを『根幹グループ(英語ではファミリー・グループを訳されることが多い)』と呼ばれる異年齢のグループにしてクラスを編制したことに大きな特徴がある。現在はドイツよりもオランダで広く普及している。

※ちなみにオランダでは小学生でも本人の要望があれば留年できる。日本のような「形式卒業」の悲劇

 は起きない。

 

 なおオランダは2020年の最新調査(ユニセフ)でも子供の幸福度世界一である。ユニセフが9月3日に公表した最新報告書では、「精神的幸福」、「身体的健康」、学問や社会的な「スキル」の3つの分類で幸福度を算出。結果、日本の子どもの幸福度は38カ国中、20位だった。

 日本の順位で特徴的なのは、子どもの肥満や過体重の割合、死亡率から算出する「身体的健康」では1位だったにも関わらず、15歳〜19歳の自殺率や生活の満足度からランク付けした「精神的幸福度」は最低レベルの37位だった、という点だ。「スキル」では、日本のランクは27位。読解力と数学の基礎的学力では上位に入ったが、「新しい友達を作る」などの社会的なスキルの調査ではワースト2位だった。

 

参考動画

 個人情報丸見え社会のスウェーデン|どこまでマイナンバー管理?犯罪は?| 北欧

 在住ゆるトーク Nord-Labo 北欧研究室  2023/09/23  16:52

 やや視聴時間は長いが、考えさせられる場面が多く、討論にもっていくにはうって

つけの動画。情報公開の原則、知る権利の保障と個人情報保護、プライバシーの保護との調整は難しい問題だが、スウェーデンでは200年以上も昔から取り組んできた大きなテーマの一つだったことに驚かされる。政府や政治家、学校などでの各種隠蔽、改ざん、金銭面での不透明さ…が目立ってきた、閉塞的な日本社会を変えるには参考とすべき部分が多いと感じた。

なぜアフリカの子供は「自殺」しないのか?【日本と比較して考える】

 原貫太・フリーランス国際協力師 2024/01/12  22:30

 同学年でも異年齢が同じ学年、クラスに数多くいるアフリカではたとえイジメが生じても逃げ場が多く、歯止めも効きやすい。児童生徒が所属している集団は学校でのクラスだけではなく、親類や地域の集団もある。学校が嫌ならば行かなければよいだけで、実際、学校に来なくなる児童生徒は少なくない。したがってアフリカでは学校でのイジメが児童生徒の自殺を引き起こすことはほとんどない。

 子どもたちの居場所を学校や家庭、塾以外にも設けていく工夫が日本には必要なのだろう。そのためには子どもたちが学校にいる時間を少し減らすことも考えてよいだろう。フィンランドの授業時数は日本よりもずっと少ないという。長時間、子どもたちを退屈で窮屈な学校に閉じ込めておきながらイジメや不適応、学習障害を野放しにするしかできない日本の学校の無力ぶりを真っ当に評価すれば、学校以外の居場所確保こそ、学校改革そのものなのではあるまいか。不当な長時間労働から教師たちを解放するためにも大胆な時間割の見直しは必要不可欠の改革であろう。

 

 

㉟高校社会科の授業

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

参考動画

【解明】面白い人の正体、●●を考えれる人は"おもしろい"

 山田玲司のご機嫌解説集 切り抜き 2024/03/22  9:59

 ここで強調されていることのほとんどは授業を面白くする上で必要なこととかなり重なるのではないかと思う。社会科の授業を面白くするにはとりあえず授業で強調したいことへの解像度を徹底的に高めていく、つまり教師たちは教材研究に「どハマリ」するのが一番だということではないか。

 学習者として優れている教師の授業は面白くなる可能性を多分に秘めているはず。教科書的な知識への浅い理解と正解の暗記に走る授業に終始するのではなく、浅い理解や正解とされる知識の奥に潜むもの、表層的な知識、常識のベールを剥いで事の真相やウソを暴き出す…いったん正解というものを否定して深く探索するうちにいつの間にか深い森に入り込んで彷徨ってしまう…そうした先の見えないスリリングな授業展開の方が面白いに決まっている。

 もちろん、授業の最後まで真っ暗な闇を彷徨ったままでは生徒たちを不安にさせただけで終わってしまい、学習の後味が悪くなる。教師としては一見、真っ暗な木陰の向こうに小さく遠くではあるが少しだけ明るさが垣間見える…といった、最低限の解像度、見通しは予め確保しておく必要があるに違いない。

原貫太に向けられている批判について話します。

 原貫太・フリーランス国際協力師  2024/08/19  11:24

 ジャーナリストが「伝える」ことの重要性を説く原氏の動画はそのまま社会問題を授業で扱う教師の立場をも説明するものであるだろう。「一人で出来ることは限られている」という認識と「魚ではなく、魚の釣り方を教えよ」という教訓は教師にとっても必要不可欠。

 社会科授業を担当する教師としてもこの動画はぜひ視聴しておきたいが、授業で差別問題、貧困問題などを扱う際にあらかじめ視聴させておくと、生徒たちもすんなりとこのテーマに入っていけるだろう。時間的な余裕があれば視聴を途中で停止して原氏の考え方を生徒たちに予想させる、などの工夫を加えたい。

 

参考記事

トランプ政権によってアメリカ合衆国憲法修正第1条が攻撃を受けている

   GIGAZINE 2025.4.2

 アメリカで生じているこれらの事ははたして日本にとって「対岸の火事」なのだろうか…生徒にぜひ議論させたい。この記事で問題視されている内容とそれに対応する日本の現状とを比較検討させて、日本の現状が日本国憲法の精神を十分に反映できているのかは大いに議論の余地がありそうだ。

 日本国民はトランプ政権の暴走に眉を顰める以上に、日本の現状に危機感を抱くべきなのかもしれない。まさに「人の振り見て我が振り直せ」ではあるまいか。この記事を上手く政治分野の導入として使えば、今後の学習を現代社会と意識的に結び付け、具体的なイメージを持って展開しやすくなるかもしれない。

未成年の選挙運動禁止は「憲法違反」と提訴 高校生「法律に怒り」

   朝日新聞社  2025.2.28

 ようやく未成年者の政治運動への関与に対する様々な制約への反発が日本でも表面化してきたようだ。かつての学園紛争の時代への過剰な警戒心からか、1970年代以降、日本では学校教育においても政治的主題から遠く距離を置こうとする傾向が異常なまでに強くなっていた。今、ここで問われている生臭い政治的な話題を授業で扱わない、深く追及しない…そうした社会科授業の弊害は決して小さくはあるまい。

 学校のガラパゴス化は日本社会全体のガラパゴス化を招き、いたずらに老害を社会の隅々まで蔓延らせてきた…そうした側面があったのではあるまいか。

 若者たちの政治への関心を高めるための取り組みを抜きにしたまま、形だけ選挙権を18歳から与えられても、日本の若者が適切かつ積極的に選挙権を行使できるようになるわけではない。それは2024年の都知事選、兵庫県知事選の際の、マスコミやSNSによる不確かな情報に踊らされてきた有権者の動きを見れば明らかだろう。

 若者の政治参加に関して学校教育が果たすべき役割は大きいはずだ。しかし、肝心の学校教育、とりわけ政治教育のお粗末さが若者の政治参加の足を引っ張り、鈍らせてきた。今回の動きはそうした日本において大きな転機をもたらすきっかけの一つになりうると考えるが、いかがか。

「御上先生」で考える"教科書の記述"を巡る問題 実際に教科書を作る難しさはどこに

   あるのか? 東洋経済オンライン 西岡 壱誠  2025.2.10

 教科書検定に携わってきたA氏の、「思想の偏りを是正するために教科書検定があると言ってもいいのではないか」との意見には呆れてしまう。A氏はあくまでも厳正中立な立場で教科書の作成が行われているように見せかけようとしているようだが、一方で教科書の検定に際しては「基本的には、政府見解に沿っていれば揉めることはない…」と言い放つ。これってかなり自己矛盾してはいないか。

   そもそも政府見解自体、基本的には自国の立場を優先しようとする政府の政治的判断、思想に基づくものであり、決して厳正中立で学問的な厳しい吟味を経た上で表明されたものではあるまい。そして多くの国の政府が多少の偏りを孕んだ、自国優先の見解を表明していることくらい、むしろ常識的と言っても良いのではあるまいか。そうした自国優先の、多少の偏りが不可避となる「政府見解」に沿っていれば、教科書検定の際、確かに自国政府と揉めることはあるまいが、領土問題の記述に関してはこれまで度々、隣国政府などと揉めていた事実がある。

 …「竹島と北方領土に関しては領土問題だが、尖閣諸島は領有権の問題は存在しない」というのが国の立場です。「領土をめぐる問題」として尖閣諸島を扱うのはOKだけれど、「領有権が日本にあるのは確実なものであって、尖閣諸島については勝手に中国が主張している」というのが国としての立場なので、そのように記述しないとそこは指摘されます。…

 日本政府が尖閣諸島に領有権の問題は存在しない、と主張すること自体に問題はさほど無いだろうが、中国政府としては日本の主張に大きな問題があると考えている。もちろん中国の主張をかなり自分勝手なものと日本が判断すること自体も特に問題無いだろう。しかし、だからといって日本の主張がどこからみてもまったく完璧であり、一つとして偏ったものではない、と言い張る根拠の方は果たして万全であると言い切れるだろうか。その根拠にどこまで合理性、正当性があるのかはある程度、議論の余地が残るはずである。

 実際、かつての琉球王国は日本の元号を使用するよりももっぱら明や清の元号を用いていたのだから、江戸時代以前まで遡れば、歴史的に見て日本の沖縄領有自体、完璧なものとは言い切れない側面がある。とりわけ中世において琉球王国は独立国であったのだから、日本の領有の根拠はあくまでも近代以降の歴史の中に求めるほかあるまい。そして近代以降の歴史を振り返ってみても、琉球処分以降、日本政府の沖縄支配にはかなりの問題があったことも事実と言える。

 日本政府の公式見解ばかりを重視し、沖縄住民の意向を無視しがちであったこれまでの歴史を振り返る時、A氏の意見には明らかに承服しがたい面が多々あると思うが、いかがか。授業では政府の公式見解よりももっと遥かに大切な見方、考え方がこの世には存在しうることにぜひ気付かせたい。また教科書検定制度が生み出す各種の問題点についても各自で調べさせたい。

国立大学法人法改正案に教職員、学生らから怒りの声 「学問の自由」を殺すな

   AERA dot. 石田かおる によるストーリー 2023.11.30

 学での学問の自由が政府から侵害されてきている現在、高校での教育内容がこれまでどれほど政治的統制を強く受けてきたのかに関して、高校教師としても自覚的であらなければなるまい。経済的利益と軍事に結び付く学問分野への集中的予算配分が大学の自治と学問の自由を揺るがす大問題に発展していくことは日本の戦前の歩みを振り返れば明らかだろう。とりわけ高校社会科の授業内容は大学における学問の自由度をも左右する側面を持っていると考えるが、いかがだろう。

 生徒たちにほとんど学ぶ自由を認めない、狭量で硬直化したカリキュラムを押し付ける公立高校の存在こそが、結果的に大学における学問の自由をいつの間にか侵害してしまう側面を持つ可能性について一度しっかりと考えてみるべきではないか。

 

・理科と社会科の下位文化と責務

 そもそも理科は教科準備室が少人数の科目ごとに置かれているために集団的な同調圧力からほぼ免れている点で教師の個性的な在り方が担保されており、授業での自由度は極めて高い。しかも教科書以外の教材選択の幅が広く、どれをどの程度まで扱うかも個々の教師の判断に相当程度、委ねられている。各科目はせいぜい2~3人程度の小集団に過ぎず、考査が共通問題となったとしてもそれなりに授業における教師個人の自由度は保障されている。芸術科目と同様、他教科に比べて教師の専門性が重視されており、専門外の科目を担当することは極めて稀である。

 ただしその反面、生徒指導などで足並みそろえてチーメワークで臨む必要が高い、荒れた教育困難校では身勝手な言動によってチームワークを乱し、非協力的な姿勢に傾く教員が出てしまうのもこれらの教科であったりする。学年室常駐に加わらず、教科準備室に籠もってしまって当番の時間にも中々姿を見せない…これでは生徒指導の成果は不十分になるだろう。

 学校全体の課題と個人的な課題とをバランス良く把握し、対応していくのは誰であっても難しいが、学校教育を俯瞰できるだけの視野の広さが少しでもあれば妥当な落としどころが見つかるはずである。問題はその教科、科目に視野の広さを持つ教員がいるかいないか、であろう。

 

 社会科は国数英などとほぼ同規模の集団になるが、共通テストを行う高校は稀であり、授業や考査における教師個々人の自由度はそこそこ高い。また公民科の場合、教える内容や方法まで含めた自由度の高い科目が存在するため、教科内での同調圧力はかなり弱いと言えよう。教科準備室において稀に同じ科目の教員からアドバイスを受けることはあっても、授業内容やテスト問題に深く介入されることは滅多にないといってよい。

 ただし芸術科や理科と比べて社会科の場合、科目の専門性はあまり重視されず、専門外どころか複数の科目を担当することもなぜか多い。おそらく2単位ものの選択科目群に設定されやすいからだろう。結果的にはおそらく授業準備に最も苦労を強いられる教科となっている。

 

 ただし、一度、授業用に作成したノートを何年も使いまわして安易な一斉講義形式の授業を繰り返す、手抜きの教師の存在を一定数生み出してしまう教科でもある。こうした授業が少なからず残存するため、残念ながら生徒から最も嫌われがちな教科の一つとなってしまうことがままある。

 たとえ地理歴史と比べて多少、自由度の高い公民科であっても下手に受験を意識し過ぎたため、暗記中心の一斉講義形式を続けてしまう教師が散見される。この場合には受験に無関係な生徒から最悪の授業評価が与えられる可能性は十分にあるだろう。

※歴史科目は受験科目に選ばれることが多いため、進学校の場合、授業進度や授業内容が複数の教員間

 で余りにもズレが酷くなると生徒からのクレームが出る恐れがある。度が過ぎれば公平性に欠けてし

 まう点は確かに否めない。授業展開もほとんど教科書に沿うことの多い歴史科目は社会科の科目とし

 ては最も自由度が低いと言える。したがって地歴科の教師は国語科とかなり類似する下位文化を持つ

 傾向があろう。結果的に世界史や日本史は社会科の中でも生徒から最も眠気を誘われる科目となりが

 ちであることも否めない。歴史科目は本来、内容に加えて授業方法にも相当の工夫が必要とされると

 考えるべきである

 

 授業における自由度が高い分、公平さや内容の偏りが問題視されやすいのがこれらの教科の弱点でもある。確かに受験に大きく関わる科目の授業の不公平さは教師にとって致命的になり得るが、受験のための補習授業などを別個に設けることである程度は不公平感を解消できるだろう。従って補習さえ行えれば、正規の授業での多少の逸脱は許されるに違いない。いや、むしろ高校教育の完成教育としての役割を踏まえれば、生徒達の個性を引き出し、育てる上でもこれらの教科は折に触れては積極的に教科書的、画一的な内容から時宜にかなう内容へ勇気をもって逸脱すべき義務すら背負っているとさえ考える。

 

 そもそも「画一的で公平な授業」が最重要視されるのは義務教育段階までである。高校卒業後、個別に進路先が異なる高校教育では教育の画一性よりも、教育の多様性、個別化の方がより大切になってくる。全員一斉に同じ事を学ぶ意義は高校では義務教育ほど重くはない。生徒一人一人の進路が異なるように、授業もまた一人一人の個性、興味関心に応じてその内容を時宜にかなった形で多彩にしていかなければならないのは高校の社会科における当然の義務といってよいだろう。

 

 いかにして授業の中で生徒個々人の異なる個性に丁寧に寄り添い、多様な要望に応えていけるのか、その工夫がこれらの教科では厳しく問われよう。そのための授業改善は日々、怠ることができない。

 

 古くさい一斉講義形式、板書やプリントの穴埋めが中心となりがちな授業を続けていては授業の個性化を進めるのは至難の業である。無論、旧態依然の日本の教科書にしがみついていては決して個性化は実現できない。中学校で生徒たちから最も不人気な教科として毎年のように英語科や社会科が挙げられてしまうのはもっぱらお上から与えられた知識の丸暗記を強要する一斉講義形式に起因するだろう。

 

 生徒の実態に合わせた教師独自の教材、授業構成、独自の方法論が必要とされているのだ。これは一朝一夕には到達できない目標であるが、理科、社会科、芸術科といった教科は他の教科の教師がたとえやりたくともあまりにも障害が大き過ぎて容易に実現出来ない授業の「個性化」という重要な任務を背負っている。

 その恵まれた条件と環境の中でひたすら授業改善に取り組む必要がある、貴重な教科なのだ。実際、社会科や理科、芸術科には極めて個性的で優れた授業の実践家が少なくないように思えるのは気のせいだろうか。

 

 さてそれでは授業の個性化を進め、受け身になりがちな生徒達の主体的な授業参加を促すには今、どのような工夫が考えられるだろうか。理科では以前から仮説実験方式の授業が行われてきた。こうした実験や観察という生徒参加型の授業を比較的数多く行いやすい理科と違い、生徒が受け身になりがちな一斉講義形式に傾く社会科にとって生徒参加型授業の実践は極めてハードルが高いように思える。しかしそれでも幾つかの工夫は考えられよう。

 

 授業の最後でアンケートをとり、アンケートの結果を受けて次回の授業展開に活かしていくという方法は授業のどの分野であってもかなり有効である。この手法で「自衛隊は必要か、否か」といった議論の分かれやすいテーマのアンケートをとって次回にその結果を発表し、面白い意見をピックアップしてそれへの賛否を問うようなアンケートを再びとり、次回の授業へとつなげていくという試みを一ヶ月ほど続けたことがある。

 「紙上討論」と題してこのやり取りをしばらく続けてみたが、様々な意見が活発に飛び交って面白かった。

※ただし、この手の授業準備は膨大な時間と労力が必要とされる。授業前日はほぼ毎回、徹夜同然と

 るのは覚悟しなければならない。

 

 こちらがいくら発問しても率先して手を挙げて応えてくれるような積極性があまり見られなかった学校、クラスの場合は特に、アンケート形式をとると意欲的に意見交換が行える。

 こうした授業展開が可能となれば、アンケートで問うたテーマに関して400字程度の論述問題を出すことも可能となり、定期考査自体、生徒参加型の色彩を帯びてこよう。さらには自己表現の訓練にもつながる点でアンケートや論述問題は生徒の授業参加度を高める、極めて有効な手立てとなると考える。

※不登校だった生徒が多い場合にもアンケート形式は有効であった。文化祭の出し物やクラス役員を

 める際にも、まず、無記名のアンケート形式で希望を書かせておくとその後の話し合いがスムーズに

 行えるかもしれない。

 

 もう一つの工夫としては理科の手法を参考にして社会科の授業でも実験や調査、観察を導入することが考えられる。これも個人的な工夫になるが、過去二十年近くにわたって現代社会や倫理では心理学における錯視の実験や性格検査、リラクゼーションとしての呼吸法の実践などを通じて理科的な手法と内容を繰り返し授業に取り入れてきた。社会科の授業で理科的な授業をするアングルの斬新さに生徒は素直に驚き、喜んでくれた記憶がある。

 

 最大の工夫はもちろん討議形式であろう。匿名の「紙上討論」でも効果はそれなりに大きいが、やはり顔の見える意見交換の場は必要である。

 討論を授業で成立させるために重要な観点とは…まず、以下の参考動画を視聴して欲しい。

 

バカになるな!論破のテクニックで騙されてはいけない!【宇野常寛】

   たかまつななチャンネル 2022.10.10 22:50

   討論中心の授業とする場合、ディベートのような論争の勝ち負けにこだわる「ひろゆき」流あるいは「橋本」流の論破ゲームに陥らないような配慮が肝要となってくる。宇野氏の指摘する「スネ夫症候群」に要注意。

 基本的には討論の過程で多様な意見の創出をまずは目指すべきだろう。そして大勢の意見を聞くことを通じて多様な価値観がこの世に存在することの社会的意義を確認していく・・・それこそが一人でも多くの生徒を巻き込む、討論を用いた授業の最重要目標とされるべきだろう。

 意見の多様性を熱望する討論の場のあり方の中にこそ、ラディカルに「問いそのものを問い返す」可能性や問題解決に向けたオルタナティブで建設的な意見の創出に向かう可能性が胚胎するに違いない。従って教師は討論において決して議論を一つの結論に導いていくような誘導や断言をしてはなるまい。

 一つ一つの異なる意見が持つ様々な意味、意義を注意深く見出し、生徒達にもしっかりと気付かせていく事に教師は最大限の労力と工夫を払っていきたい。

 もちろん、議論の方向性が一定せずにあてどなく彷徨ってしまっては論点がぼやけてしまうので、ある程度構造化されたアンケートや発問計画を事前に用意してから討論に望むべきなのは当然の事である。

 

 手前ミソになるが、カッパがオススメしている動画をピックアップして視聴させてみよう。5~15分間の視聴時間の動画がほとんどなので、利用価値は高い。

 その後にどんな発問をするのかも生徒達の動きに大きな影響を与える。

 

 単純な知識を問う質問ではなく、常識を揺さぶるような、意表を突いた深い問いかけが出来ればきっと議論は盛り上がり、深まるはず。

 例:「千と千尋の神隠し」に関して

  Q.なぜ「お湯屋」ではなく、「お油屋」なのだろう?

  Q.ゼニーバが住む場所はなぜ寂しくてジメジメした「沼の底」という陰気な場所

   なのだろう?

  Q.なぜ「ゼニーバ」(→「銭婆」)という卑し気な名前がついているのだろう?

 

 特にエモーショナルな反応が予想される動画の視聴後には生徒達の思いを自由に吐露させる自由記述を含んだアンケート形式のプリント提出が生徒達の多様な意見を引き出す上でもかなり効果的。

 つまりアンケート形式と討論形式とのハイブリッド型授業こそが生徒たちの自己表現欲求を満たし、多様な意見の表明を重視する授業での理想的展開だと考える。

※逆に重要単語のみを教師が解説しながら穴埋めするプリントの形式は出来るだけ少なく。そもそも教

 師からの一方的な教え過ぎによって序盤から特定の結論に誘導してしまうような展開、あるいは過剰

 な情報量によって生徒達の関心や思考が混乱したり麻痺してしまうような展開だけは避けたい。

 

 議論を活発にしていくためには授業の導入部で強烈に生徒達の心をワシヅカミしてしまうような訴求力のある動画を視聴させることで生徒の思考意欲、表現意欲を最大限、刺激していく工夫をしたい。 

 とりあえず様々な手段を講じて生徒達の自己表現欲求を僅かでも満たしていく努力こそが、インプットばかりで一方通行になりがちな授業に風穴をあけていくことにもつながるはず。生徒の感性や感情をしっかりと刺激する教材を用いて生徒の興味関心を最大限に引き出し、生徒自らが言葉を紡ぎ出したくなる…そんな機会をできるだけ多く作り出すことがこれからの社会科授業では最も大切な目標となると考える。その流れの中でこそ、生徒はおのずから社会科における重要語句の本当の重要さに気付いていくのではないのか。

 物事に面白さ、驚き、怒り、悲しみを感じた時こそ、人は物事の仕組み、メカニズムを知りたくなるものである。この順序を逆にしてしまっては折角の素材の面白さが台無し。それはちょうど手品の種明かしをしてから手品を見せるようなものである。つまり授業の冒頭から重要語句の解説と暗記のための反復学習を強いる展開に生徒達がトキメキを覚えることは決して無いと考える。

 こうした観点から授業に取り組んで行くには当然、他の教師や教科書に縛られ過ぎない独自の内容と展開の工夫が求められる。特に繰り返しの宣伝になるが、カッパが紹介しているyoutube動画を有効に使うと討論のたたき台にピッタリ。

 

 他にも教科書的な内容ばかりになりがちな日本史では「地名・人名の由来」や「和食の特徴」、「お祭りの由来と意味」、「西欧と日本との美意識の違い」など、文化史的な側面から切り込んでいく工夫も行ってきた。文化史は他教科の内容とかなり交わるため、生徒たちの興味、関心をある程度は高めることにつながったようだ。

 

 また定時制にいた時には生徒の多くが不登校や貧困問題などに直面していたので政治経済や現代社会、倫理では授業の多くを貧困問題や就職問題、結婚や介護、欧米との比較を軸とした学校教育問題、ウツ対策のカウンセリング理論の紹介などにも時間を費やしてきた。

 

 さらにアニメ「千と千尋の神隠し」のもつメッセージ性について1か月以上をつぎ込み、いろいろな角度から検討を加えたことが幾度かある。必ずしも生徒からの反応は良かったわけではなかったが、教科書一辺倒の授業よりはマシな反応が得られたと思う。

 

 いずれにせよ教科書にはない教師独自のネタやユニークな授業構成を数多く持つことが、生徒の関心と意欲を継続的に高め、授業への自発的参加を活発にする大きなポイントとなる。ただでさえ勉強嫌いの生徒は多い。普段、見ることすら嫌な教科書をただ順番通りに工夫もなく教えて暗記を強いるような授業ではいつまで経っても生徒は「冷淡な傍観者」にとどまるだろう。

 

 特に学習意欲の低い生徒が多い教育困難校にあっては通常の講義形式の授業が成り立つはずはない。これまでドンヨリとして重苦しかった授業を一新し、少しでも生徒たちの目の輝きを取り戻す上での思い切った工夫、チャレンジがこれらの教科では絶対的に欠かせないのである。

 

 教師達が教科書から離れて独自のネタで悪戦苦闘しながら真剣勝負している姿を生徒達に見せる事が出来ればいつしかそれだけでも教師を見る生徒達の眼差しは変わってくるはず。最初から芸術的な仕上がりを見せる必要は無いし、それはどだい無理である。完成度を高めるためには手痛い失敗も避けては通れない。

 一つのネタを完成させるために何年もの月日を要するのは当たり前のことである。たとえ授業が無惨な「脱線転覆」に終わろうとも、教師のチャレンジする心意気に生徒達はいつの日にかプラスの反応をしてくれるようになる。

 

 「ウケ狙い」との周囲からのからかいに耳を貸す必要は無い。大切なのはあきらめずにチャレンジし続ける姿を率先垂範、生徒に示し続けること。続けていればいつかブレイクスルーできる瞬間が来ると少なくとも私は確信してきた。

 

 独自の工夫を凝らした授業を成立させるための準備に費やす時間と労力はもちろん膨大なものになる。しかし理科、社会科、芸術科は生徒の興味関心に応えてくれる可能性のある数少ない教科として、多くの生徒達が実は密かに期待を寄せている教科でもあると感じてきた。

 学校生活の最後ともなりかねない完成教育の段階で彼らの秘めてきた期待をあっさりと裏切ることは絶対に許されないだろう。とすれば授業準備は何にもまして優先されるべき、教師の本務となる。

 

 特に理科、社会科の教師は授業準備を優先すべく、部活動への取り組みはほどほどにしておくべきだろう。海外の学校を見てみよう。実際、分掌の仕事、クラス経営は授業準備の次に来る副次的な任務に過ぎない。欧米で最も強く問われる教師の力量は圧倒的に授業力であることを忘れてはならない。

 

 とりわけ理科、社会科教員の責任は、画一的で管理主義に走る日本の高校教育のお寒い現状を踏まえたとき、突出して重大なのだと考えている。ぜひその誇りと責任を持ってユニークな授業を通じて生徒の目の輝きを取り戻し、その輝きを我々教員が見失わないためにも日々、終わりなき授業準備に邁進してくれることを後に続く若き教師たちに願ってやまない。

 

参考記事

東大より攻めてる?「上智大の日本史」問題の凄さ 「現代的な視点」から歴史を見る良

 問だ 東洋経済オンライン 相澤 理 の意見  2024.3.11

 現在の出来事と類似する過去の出来事とを関連させて説明するのは日本史や政治経済の授業の話の枕として多くの教師が以前から試みてきたことであり、それ自体は決して驚くほどのことではあるまい。大学入試問題にそのパターンが利用されるのは教師からすればむしろ当然の事だとすら思う。そうした点では正直に言って上智大の問題がとりわけ「攻めている」とか「凄い」との印象を私はまったく感じない。

 ただしこうした問題が今後、他大学でも多くなっていくとすれば、それは高校の授業の実際と入試問題との親和性が高まる点で高校教師としてはおおいに歓迎すべきことだろう。

オワコン化した従来教育、捨てられる教師の末路 平成の価値観が通用しない

 Z世代が親になる頃に危機

 東洋経済オンライン 石川 一郎 によるストーリー 2024.1.10

⑳10年前のOECD調査

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 世界経済フォーラムが発表する国際経済競争力調査でも2001年から2006年までフィンランドは首位または二位の座を維持していた。厳しい自然と少ない人口を考慮すればたしかにフィンランドの健闘ぶりには目を見張るものがある。一方、日本の学校事情は先進国としてはお寒いばかりであった。1970年代半ば以降、日本政府は残念ながら国家予算の伸び率に比例するようには教育費を伸ばしてこなかった。その結果、国家予算やGDPを基準に見た教育費は先進国中最低の部類に属している。2014年の対GDP費ではOECD34か国中24位。しかも国家財政中に占める教育予算の割合は31か国中30位。学校教育費に占める公的負担の比率も28か国中26位である。

 

 つまり教育における私費負担の割合が非常に高い。しかも学校教育費には個人的な通信教材費や塾代、家庭教師代、予備校代は含まれていない。日本の場合、こうした学校教育費以外の教育費の支出が異常に高いと言われている。

 

 総じて日本は国や自治体が教育予算を大胆なまでにケチっており、家計に大きく依存した教育が行われているといえる。この結果、日本では家庭の経済力の格差がそのまま学歴、学校歴格差につながりやすい社会となっているともいえよう。日本が格差社会であるといわれて既に久しい。かつて「国家100年の大計」といわれ最重要視されてきた教育政策の現状が今、いかにお寒いものとなっているか、私たちはきっちりと確認すべきだろう。

 

 一学級あたりの児童生徒数は2013年、小学校で27.9人(OECDの平均値は21.2人)、中学校で32.7人(同23.3人)であり、日本より悪条件なのはOECD加盟国では韓国だけという有様である。教員一人当たりの児童生徒数もまったく同じ傾向がみられ、韓国とともに日本ではOECDの中で最も劣悪な環境のもとに初等・中等教育が行われていることになる。

 世界では少人数のクラス、小規模の学校ほど教育効果が高いというのはもはや常識となっており、WHO(世界保健機関)も生徒総数100人を上回らない学校規模を勧告している。

 

 確かに日本はかつて国民の同質性が高く、集団主義が広く社会全体に行きわたっていたため、クラスや学校規模が大きくとも児童生徒は極めて学力が高く、規律正しいといわれてきた。

 しかし地域社会の崩壊(隣近所の助け合い減少)、家庭教育力の低下(核家族化、共働き…)、格差の拡大、個人主義の蔓延と外国人の増加(=同質性の低下)などが進んできた現在、かつてのような高い教育の効率性が維持できるとは思えない。

 

 本来、10年以上前に騒がれたPISAの順位の低下が示していたのは日本社会のこうした激変とそれに対応できなくなった日本の学校教育の残念なまでに遅れた姿であったはずである。

 

※実はカッパは個人的に日本の学校教育が北欧のそれとある意味では百年余り、遅れてしまっていると

 感じている。これは決して大げさな表現ではない。

  実際、100年以上昔の日本には大正「新教育運動」が教育界の最先端の潮流としてあった。その動

 きの中では…チャイムをなくす、学習集団は固定化せず、時間割もフレクシブル、一斉講義形式を辞

 め体験学習を重視する…といった斬新な取り組みが既に一部で試験的に行われていた。そこでは児童

 生徒への内発的動機付けが試みられ、子供たちの自主性が今以上に重んじられていた。

  この100年近くの間、日本は学校教育に対して一体何をしてきたのか…厳しく問われなければなる

 まい。

 

 ところが今の日本は1000兆円を超える国家全体の負債を教育予算や福祉予算を削ることで賄おうとしている。現在、日本の各地で小中学校だけでなく、高校もまたすさまじい統廃合の危機にさらされていることを皆さんは知っているだろうか。

 

 日本では世界の趨勢である小規模の学校が望ましいとする流れに完全に逆行する動きが今、加速しているのである。急速に進んだ小中学校の統廃合によって170億円の「効率化」が進められたと財務省はむしろ学校の統廃合を手放しで絶賛している。しかしその陰で自宅から遠く不便な大規模校に通学することを余儀なくされた児童生徒が大勢いることを忘れてはならないのである。

 学校基本調査をもとに学校数の変化を表示してみる。

 

 

平成20年

平成29年

増減

小学校

22476

20095

―2381

中学校

10915

10325

―590

高等学校

5242

4907

―335

 

 少子化によっていずれは小規模学校や少人数学級の実現が苦も無く実現できるという楽観論も学校の統廃合の強行によって完全に消え去った。ただでさえ教育予算をケチってきた日本がさらに教育予算をケチり、正教諭の数を急速に減らして非正規雇用の講師を急増させ、教育条件をいっそう悪化させている。公立小中学校の教員に占める講師の割合をみると1980年には全体の2.6%に過ぎなかった講師率が2007年には8.9%に達している。3倍に増えたわけである。不安定な雇用の下で低賃金、過重労働を強いることのできる講師を増やすことは教師全体の労働環境を悪化させることでもある。

 2013年、OECDは34の国、地域の中学校に当たる学校の教員に勤務実態調査を行っている。その結果は日本の学校教育が衝撃的に劣化している深刻な状況をあからさまに示した。まず日本の教員の仕事時間は週に約54時間でOECD平均の約38時間を大幅に上回った。

 部活動や事務活動などに費やされる時間が飛びぬけて多いからである。週当たりの部活動に費やされる時間はOECD平均が2.1時間に対して日本は7.7時間、事務作業はOECD平均が2.9時間なのに対して日本は5.5時間。

 

 ところが肝心の授業に費やす時間はOECD平均が19.3時間に対して日本は17.7時間でやや平均を下回っている。

 また校外で行われる研修への日本の参加率は極めて低く、参加しない理由の8割が仕事のスケジュールを理由にしている。多忙感で教師として必要とされる知識や技能の習得がおろそかになっているという事態は日本の場合、致命的な結果を招くはずである。

 

 日本はかつての師範学校による専門的な教師養成教育が戦時中の全体主義的教育を支えてしまったとの反省からか、専門的な教師養成教育自体を否定的にとらえられる傾向を戦後強めてしまい、師範学校が廃止されるとともに教員免許は極めて容易に取得できる(この事態は教員免許の「開放性」と呼ばれるが、その実態は教員免許が専門的な教育を受けずとも取得できる安易な資格に堕してしまったことを意味するに過ぎない)ようになってしまった。

 したがって教員になりたての若者は学校教育が一体どんなものなのかをほとんど学習せずに現場で教えることになる。当然、教員になってからの研修で教師としての知識・技量不足を補っていかなければならないはず。実際、かつて日本の教師の自発的な研修は極めて盛んで、参加率も高かったはずである。

 ところが現在、その肝心の研修が不足してきているということは日本の教師が多忙の中でどんどん劣化してきていることを意味する。教師の不祥事が相次いで報道される背景にこうした事態が急速に進行していたのである。

 

 当然のことながら日本の教師の自己評価は世界の中でダントツに低い。「学級内の秩序を乱す行動を抑えられるか」という質問に対し、日本はおおむね「できている」と答えたのが52.7%でOECDの平均87.0%を大幅に下回る。「生徒に勉強ができる、と自信が持たせられる」に対し、おおむね「できている」と答えたのが日本はわずか17.6%、OECDの平均は85.8%。「勉強にあまり関心を示さない生徒に動機づけできている」に対し、おおむね「できている」は日本が21.9%でOECDの平均よりもやはり50%あまり低い。

 かつて日本の教室は世界のどこよりも秩序が保たれていると絶賛されてきた。しかしそれは遠い昔のことになりつつある。特に教師にとって最も大切なはずの授業に対する自信の欠如は、授業や学級経営といった本務をないがしろにしてはびこる部活指導や事務仕事に大きな原因が求められる。研修不足の教師は自信を欠いたまま保護者からのクレーム対応にも追われる。教師の間にうつが蔓延するのも当然である。

 2002年、精神疾患で休職した公立小中学校の教師は2700人近くだったが2009年には瞬く間に倍増しており、現在は年間5000人前後で高止まりしている。その数は当然、部活指導に追われる中学校が一番多い。

 

 2013年のOECD調査で「もう一度仕事を選べるとしたら教員になりたい」と回答した日本の教師の割合は下から二番目という実に痛ましい状況も、日本の教師が直面しているこれらの問題点を知れば十分納得できる結果なのである。

 

 自信に欠けたまま学校教育への理解も進まず、技能を向上させるチャンスを奪われ、ひたすら雑務に追われる日々。若い教師はただ自分の所属する学校現場しか知らず、酷い視野狭窄に陥っている。海外まで視野を広げれば日本の学校の異常さや自分の多忙さの背景を知ることができるのに、そうした自己研修の機会も奪われている。

 

 若者が理想に燃えて保守的なベテラン教師を批判するという風景は完全に過去のものとなってしまった。今や若手はストレスをためこんだまま、眼前の職務を果たすことで一杯になっている。現状を批判し、変えようとする意欲を持つ若手は極めて希少。むしろベテランよりも保守的であるのが今の若手教員の実態といえよう。これでは現場からの変革は絶望的である。

 

 自殺する教員、精神を病んで休職に追い込まれる教員の数は2000年に入って急速に増えた。サービス残業を強いる部活動の盛んな中学校や高校の顧問は過労死の危機にさらされ、ストレスをため込んで暴発し、体罰事件などを引き起こしたり、離婚や過労死、家庭崩壊の危険にまでさらされている。そして批判の矛先は常に教師個人の資質に向けられている。ひたすら予算を減らし、教育現場を荒廃させて多忙に追い込んでいる張本人に責任を求める声は小さい。日本の学校はもはや世界でも最悪レベルのブラック企業に近づいているのである。

 

 こうして日本では予算の後ろ盾もない中で多人数の学級という悪条件が放置されたまま、無謀にも「自ら学び、考える力」を養成するための手厚い教育が学校・教師に求められてきた。ごく一部の恵まれた家庭の子供たちは「お受験」を経て私学での充実した教育を受けられ、優良企業への就職まで可能となってくる反面、過半数の他の児童生徒は「安かろう 悪かろう」の公教育を受け続けることになる。

 そして進路の結果がたとえ無残なものになったとしても、責任を負うのは生徒や家族であり、国ではないとするのがまさに「自己責任」の国、日本の学校事情なのだと思われる。

 

 技術の高度化が進み、技術革新の担い手は一握りのエリートで十分な時代となってきており、企業の多くが正社員を大幅に減らして使い勝手のよい安価な非正規採用でコスト削減と人手不足の解消を図っている。多数の国民が今後、十分な教育を受けられずに学力を低下させたとしても、国家としては一定数のエリート層が健在ならばさほどの国家的損失は生じないと高をくくっているのだろうか。

 もしもそうだとしたら…諸君の将来も、この国の将来も相当危ういだろう。

 

 確かに日本の自殺者数は統計上(警察と厚生労働省がそれぞれ統計を出している)はかつての年間3万人台からここ数年で2万人台にまで減少してきている。これは景気回復に伴い、特に中高年の自殺者数が減少してきたからである。

 しかし実は15~24歳の若者の自殺者数はこの間も増え続け、ついに世界一位になっていることはあまり知られていない。今や日本の若者の死因の一位は自殺なのである。若者の自殺は将来を悲観してのものが多いと考えられる。

 

 つまり若者にとって今の日本は「出口無き絶望社会」となっているようである。若者に将来への夢や希望を持たすことに失敗した社会になっている日本という国と、若者を相手とする日本の学校の疲弊ぶりとはまったく無関係とは言えまい。

 もういい加減なんとかしないといけないのである。

 

 ではどうしたらよいのか?日本の若者の危機を救う手立てはあるのか?他の国を参考にして考えてみよう。ここ数年、国連が3月に世界幸福度ランキングを発表している。2017年3月20日に発表された最新のランキングトップ10を見てみよう。1位ノルウェー、2位デンマーク、3位アイスランド、4位スイス、5位フィンランド、6位オランダ、7位カナダ、8位ニュージーランド、9位オーストラリア、10位スウェーデンの順である。北欧を中心に白人系の常連国が並んでいる。日本はというと51位。やはり教育と福祉が充実している国々が上位にきている。日本が目指すべき方向は教育・福祉の充実であることは明白である。

 

 しかしどうみてもこの目標達成には時間がかかる。今、現在を苦しむ日本の若者を救出するには別の観点も必要である。教育と福祉の充実は中長期的目標として取り組むにしても、短期的目標は別途に掲げておく必要があるだろう。そもそも国連の幸福度調査の観点は一人当たりのGDP、社会的支援、健康な平均寿命、人生の選択をする自由、性の平等性、社会の腐敗度などであり、どうみても先進国に有利な観点に偏っている。私たちは別の観点から幸福を捉えなおす必要もあるのだ。

 

 先進国からは貧しくて自由度も低く、客観的には幸福に見えなくとも、主観的に国民が幸福感を強く感じている国々がある。フィジーやコロンビアである。幸福はやはり主観的な要素が大きい。どんなに豊かで健康であっても本人が幸福を感じられていないならば意味がない。そこで最後にフィジーの人々の幸福感を支えている考え方を紹介しよう。

 

 フィジーは330ほどの島々からなる南洋の楽園。四国ほどの総面積に85万人が住む。平均寿命は世界119位、一人当たりのGDPは102位、民主主義指数は119位、報道の自由度は107位となっており、先進国の価値観からすれば幸福度は中の下。しかしフィジーの人々の満足度、幸福感はダントツの世界1位。物質的には恵まれなくともハッピーになれる秘訣はフィジーの人々の独特の価値観に潜んでいる。絶望的な日本の若者でもフィジーの価値観の中になら光を見いだせるかもしれない。

 

 フィジーの人々の独特の価値観はまず物事を共有し、シェアする精神が豊かである点。彼らには私有の概念が極めて薄く、お金も土地も家族までも共有する。豊かな人が困っている人に金品を贈るのは常識である。また過去を振り返らず、未来を案じない。くよくよしないのだ。そのかわり今、この瞬間への注力度が極めて高い。

 悪く言えば刹那的、享楽的。必然的に貯金はしないし、肥満も気にしない。細かいことは気にせず、実におおざっぱ。レストランや役場でも間違いだらけ。仕事はスローで効率は悪いがその分ストレスフリー。しかし人間関係をつくるスピードは光速で、瞬く間に友人となれるフレンドリーな国民性…

 

 日本人の生真面目さ、律義さが悪いのではない。ただ少しだけ肩の力を抜いてみるべきなのかもしれない。般若心経が説くように物事は容易には変わらなくとも、それを受け止める私たちの主観が変わることで案外、楽になれるのかもしれない。

 まずは自分の心を少しだけでもリラックスさせることから始めよう。

 

 

 以上はカッパが10年ほど前に作成した授業プリントの一部。

 

 この時からも既に10年経った…一体、日本は自分たちの学校教育に何をしてしまっていたのだろう。どんなことをやらかしてしまったのだろう。

参考動画

先生がいなくなる 日テレNEWS NNN 2024.10.30 5:35

    授業で視聴させるなら、時間的に見てもこの動画が一番だと思う。10年以上前のOECDの調査から何一つ、改善されてこなかった学校現場の実情。「働き方改革」の掛け声だけが虚しく響く教員の世界で、今、学校教育は着実に崩壊してきている。文科省を含めて政府はそのことのリアルな認識を完全に欠いており、ただひたすら教員の仕事を増やし続けている。

 生徒たちにはなぜこのような事が続いてしまっているのか、その原因と対策について考えさせたい。

参考記事

「教師を殺す気か」現役教員が語る"沈みゆく教育現場"、給特法改正は「評価でき

    ない」 弁護士ドットコムニュース 2025.6.12

 西村氏が指摘するように給特法改正は学校のブラック化とブラックボックス化の歯止めにはつながらないだろう。学校行事の削減や校務のDX化が一気に進み、高校も含む部活動の地域移行が完全実施されない限り、教員の負担軽減は実現できない。確かに教員の給与引き上げも必要だが、他の公務員とのバランスを考えれば引き上げには限度がある。何より重要なのは教員の負担軽減および教育行政、とりわけ教員人事の透明化、民主主義化なのだ。

 文科省、教育委員会、管理職が教員の仕事をひたすら増やし続けてきた過去への痛切な反省が行われない限り、西村氏の予想は的中するに違いない。また教師の職務を徹底的に授業中心としていくには大学での教員養成教育の見直しも不可欠である。無謀な「全人教育」を目標として教師の職務を無限定に膨張させてきた過去をしっかりと反省し、教師の職務を授業中心に限定していく作業が今、痛切に求められている。

業務減で長時間労働改善を 教員不足解消へ大学教授ら訴え   共同通信 2025.1.8

   妹尾氏だけでなく内田良氏、現役高校教師の西村氏らが再三にわたり、業務削減を訴えてきたにもかかわらず、文科省やマスコミの反応は相変わらず冷淡なまま。一体、いつになったら現場の悲鳴は教育行政側に届くのだろう。中学校での部活動の地域移行が多少、進展したとしても、その波はほとんど高校にまで及んでいない。小学校もまたほとんど業務量の削減は進められていない。

   給与を多少、引き上げたところで業務量が減らなければ教師たちは心身を病むばかりになる。業務量を減らさないまま、上辺だけ残業時間を減らしたとしても「お持ち帰り残業」が増えるだけである。そのしわ寄せは、高齢者介護医療の負担増とともに次世代を担う若い世代に集中するだろう。

   こうして政府が何事も先送りしてゴマカシながらズルズルと日々を無駄にしている間に、日本は大地震、大噴火に襲われる日がきっと来てしまうのだろう。

今こそ金八先生が必要?部活は教師が指導すべき?大空幸星氏「授業外での教師と

   の人間関係に救われてた子供はいる」

   ABEMA TIMES (Microsoft)  2024.12.28

   部活動を巡る老害発言の典型、まさに昭和の「ふてほど」発言がどんなものなのかを分かりやすく確認できる点できわめて役立つ記事。授業での利用価値は高い。武内彰氏は「部活は全人教育に必要」としているが、この「全人教育」の発想こそが学校のブラック化を招いた最悪の張本人である。そもそもただの教師に「全人教育」を担わせることの罪深さをまったく気付いていないらしいところに武内氏の老害としての痛々しさを感じてしまうのだ。

   児童生徒にとって部活動の意義は極めて大きい。これはあらためて指摘されるまでもなく、分かり切ったことだ。スポーツ、音楽、美術、演劇、書道などが児童生徒たちにとってまったく無意味だ、と否定する人はまずいない。しかしそれをほぼ全面的に学校教師が担おうとする事は完全に時代錯誤。それが可能と思うことほど傲岸不遜なことはあるまい。再三、繰り返してきたが、教師はスーパーマンではないのだ。

 私は体育や芸術科の教師でもないのに、剣道(3回)、バスケットボール(2回)、ハンドボール(1回))、ソフトテニス(1回)、ソフトボール(4回)、軽音楽(1回)などの顧問を任されてきた。太字の部活はメインの顧問を任されたことのある部活である。もちろんサブの顧問ではあっても大会や練習試合の引率は引き受けてきた。なお肩書だけの顧問としては書道部や美術部などもやってきた。同時に二つの部活を任された時さえある。一体、どこの誰がそれらすべてを児童生徒や保護者に満足のいくレベルでこなせる力をもっているのだろうか。

 このような酷い校内人事が横行している現状があることを教師生活の長い武内氏が知らないはずはないだろう。にもかかわらず、学校の部活動には教育的意義があるのだから存続させるべきだというのは、「自分は頑張ってきた、だからお前たちも頑張るべきだ」という老害教師による、あまりにも痛すぎる自慢話、すなわち若い教師たちへのマウンティングに過ぎまい。しかも、おそらく彼が部活動を頑張ってこられたのはもっぱらバトミントン部ばかりの顧問生活という幸運に恵まれた事に加えて、察するに、夫および父親の長期の不在に人知れず(?)耐えてきた家族の大きな犠牲があったからこそ…なのではあるまいか。

 大空幸星氏の「授業外での教師との人間関係に救われてた子供はいる」との指摘も耳にタコができるほど聞き飽きたセリフ。当たり前すぎて「だから何?」と言い返したくなる。この発言の最大の問題点は「授業外」での役割を重視するあまり、授業自体を軽視しかねない点であろう。もちろん大空氏は決して「授業を軽視しろ」などとは言っていないのだが、日本の教師の多くが部活動や様々な校務によって不本意ながら結果的には授業を軽視してきた(「10年前のOECDによる調査」参照)これまでの経過がある。

 生成AIの活用など、日々刻々、教える内容と技術のアップデートが絶え間なく必要とされてくるこれからの教師たちにとって、授業準備時間の確保は教職に留まろうとする限り、深刻な死活問題となってくるはずである。自身の授業のレベルの低さを部活動の熱心さで補う、などということが決して許される時代ではないことに多くの教師たちは気付き始めている。

 極論すれば、既に教師たちには部活動などに割く時間がほとんど残されていないと考えるべきなのだ。そんな中で、転職してまで部活動に拘るのか、それとも学校に踏みとどまって授業を磨いていくのか、の二者択一を実情として今の教師たちは迫られている…そしてこの問題は非常に切迫してきており、教師たちを心身ともに追い詰めている…だからこその教師たちの休職者、中途退職者の増加であり、若者の教職離れなのではあるまいか。

 そうした、教師たちの切羽詰まった状況にあって、大空氏のような、どっちつかずの曖昧で、あまりにも無難、表面的過ぎる国会答弁そのものの発言を敢えて記事にして紹介する、さらには「今こそ金八先生が必要?」などと一応疑問符は付いているものの、教師たちをひたすら不快にさせる煽り方をしてくるマスコミの鈍感さも、もはや我慢の限界を超えて噴飯物。やはり教師を愚弄しているとしか捉えようがあるまい。この記事、まさに報道する者としての責任感や誠実さをそっくり失っており、もはやどうにかしているマスゴミレベル…だと思うのだが、いかがだろう。

定数改善や授業こま数減を 長時間労働で日教組   共同通信 2024.12.11

   日教組の影響力の低下がなぜ起きているのかをまざまざと見せつけられる記事であろう。教員の定数改善や授業のこま数の削減では長時間労働の改善に結びつくわけがあるまい。学校行事やクラブ活動の削減、学校カウンセラーの増員、事務仕事のDX化による負担軽減をまずは急ぐべきである。

 教員定数の改善や授業コマ数減を先に進めてしまうと、給与引き上げ等の対応も加わることで教員の業務自体はかえって増やされる危険性まで出てきてしまう。英語や情報の授業などが追加され、小・中学校教師の負担はこれまで増える一方であった。わずかな定数改善やコマ数減ではたして教師の負担がどれほど軽減するだろうか、極めて疑問である。

 授業負担の軽重は週当たりのコマ数だけでは判断できない。教師一人が担当する教科・科目数と単位数、及び担当学年数との兼ね合いがより重要なのだ。たとえ一週間の授業数が減ったとしても、担当する教科・科目数、学年数が多ければ負担はむしろ重くなる。ただし授業負担の軽減が教科数や科目数、あるいは担当学年数を減らすことで実現できる可能性があるとしても、その実現は現状ではかなり難しい。

 組合として最初に強く要求すべきは学校行事の精選と簡素化、クラブ活動の廃止、学校カウンセラーの増員と各学校への常置化であると考えるがいかがか。

学校教員の給与増額、首相に提言 条件なしで、自民党特命委

   共同通信 2024.12.10

    政治家の多くがいかに学校の現状を把握していないか、この提言だけでも明らかである。教師の給与増額で教師のなり手が増えるという、恐ろしいほどの的外れな見通しを立てているようだが、勉強不足も甚だしい。教員採用試験の前倒しと同様、これでは教員不足の解消にはつながらない。また、たとえ教員定数を少しばかり増員したとしても、それだけでは効果が上がるとも思えない。

 教員不足をもたらしているのは常人の能力をはるかに上回るレベルにまで達してしまった教師の過重負担であり、それに加担してきた教育行政への無責任さに対する猛烈な反発が学校現場に充満してきていることに求められる。たとえ熱心な教職志望の学生であったとしても、わずかな教育実習期間ですら体験する仕事の過酷さを感じて教職を諦めるケースが後を絶たないのだ。

 問題なのは膨大な仕事の量だけではない。見過ごされがちな質の問題も極めて大きい。教職は言うまでも無く、人間相手の仕事である。質を落とすことは出来るだけ避けたいのが「サービス過剰」気味を良しとする「おもてなし」日本の精神的風土であり、教師もまた質の低下を恐れている。

 しかし、不登校や引きこもり、イジメ、学習指導に進路指導、部活指導、保護者対応、学校行事、それらすべてに高度な専門性を求められても常人には無理。教師はスーパーマンではない。自分の能力を遥かに上回る質と量の仕事を抱えて心身共に疲弊し、病んでいく。質を落としたくない真面目な教師ほど真っ先に病んでいく憂鬱さが学校から無くならない限り、教職を目指す若者は減り続けるしかあるまい。そしてわずかばかり給与が上がり、教員定数が増やされても、この問題は一切、改善しないだろう。理由は簡単である。

 心身の健康を害することと引き換えにわずかばかり増額した給与をもらいたいと一体、どこの誰が思うのであろうか。ブラックなままの学校現場に高潔な使命感だけで就職した若者が辿る人生は決してバラ色ではあるまい。真面目な若者ほどひどい目に遭うのが落ちである。もちろん、教員定数を増やそうとも、人気の無い高校が定員割れを毎年の恒例行事のように繰り返してしまうように、人気の低落した教職を希望する若者は減り続け、教員定数の増員は多くの場合、ただ単に教員の定員割れの規模を大きくするだけである。つまりこの提言では人手不足による学校ブラック化の進展を押しとどめることは一切できない。

 教師にスーパーマンであることを期待するような日本の学校教育のあり方そのものを根本から変える必要があるのだ。端的に言えば学校でのすべての部活動を禁止し、社会教育機関や民間に完全移行させる。さらに学校行事の多くも大幅な削減を実行すべきである。事務仕事の合理化もより一層大胆に進めるべきだろう。

 他方で増やすべきなのは教員定数ではなく、学校カウンセラーやケースワーカー、スクールロイヤーといった専門職の方である。給与や定数を含めた待遇改善はむしろそうした専門職を最優先すべきなのだ。教師の双肩に背負わされた重荷を分相応のレベルまで軽くする上で、教師以外の専門職が学校で果たす役割は極めて大きい。

 自民党の特命委員会の顔ぶれをじっくりと見てみたいものである。

教職員84%「勤務開始前の日常的な業務がある」実態調査

   リシード 2024.12.4

   個人的には初任の時から早朝の出校は日常的なルーティーンと化していたので、特に意識せずに多くの日々は早朝出勤を続けて来た。最初の20年間では朝7時を超えると酷く道路が混雑する勤務校だったので、敢えて6時30分頃に自宅を出て7時頃に学校へ到着する日課を続けてきた。結果的には技能員の方よりも早く学校に来てしまい、校門がまだ閉まっていて私が校門や昇降口を開けることもままあった

 学校にまだ誰もいない時間帯はもっぱら提出物の点検や授業の準備、教室の清掃などにあててきた。もちろん時折、朝補習や登校指導にも加わっていたが、普段から7時20分前には出勤していたので、特にそのために早起きすることはほとんど無かったと記憶している。ただし遠足や修学旅行、文化祭、部活動の大会、練習試合などでは普段よりもさらに早く自宅を出なければならないことがある。大会の会場校を任された時などは天候とグランドのぬかるみとが気になってしまい、朝6時には学校に来ていたこともあった。併せて10回、引率した修学旅行では三泊四日や二泊三日の行程で合計の睡眠時間が10時間を超えたことは一度も無かった。こうしたことはおそらく普通の企業ではほとんど考えられないような、極めて歪な勤務形態だろう。

 しかも学校を出る時間は早くとも午後7時であった。勤務先によってはほぼ毎日、午後8時を過ぎないと帰宅できない時もザラにあった。午後5時以降の多くの時間はもっぱら部活指導にさかれていたが、進学補習、就職指導や提出物の点検、授業プリントの作成にもあてられていた。

 早出の時間帯も残業の時間帯に含めれば一日平均の残業時間はだいたい4時間前後だったように記憶している。当初は週6日間勤務だったので一週間では平日(月~土)が合わせて20数時間の残業、それに日曜の部活指導などが加わる。日曜の場合、普段は4時間程度の出勤時間となるが、かなりの割合で練習試合や大会が入り、その時には一日勤務となってしまう。試合が遠くの学校や会場の場合、自宅を朝6時過ぎに出ることもあり、かつ帰宅時間が午後8時になることもあって、平日の勤務よりも祝祭日の方が「校務」に費やされる時間が多くなったりした。当然、試合の方が練習よりも疲労度が大きい(監督・コーチに加えて審判も任される)ので翌日の月曜日から体と頭が重く、週の始まりから気持ちがドンヨリとしていることは決して少なくなかった。

 通常、一か月間の残業時間は合計で大体100時間以上はあったかと思う。これに加えて組合員だったので分会長や支部長になると動員がかかり、わずかな休日でも出かけざるを得ない事がある。さらに結婚後は家族サービスとして少なくとも月に一回程度、家族を連れて外出するのだから時間的な余裕などどこにも見いだせずにひたすら時ばかりが慌ただしく過ぎていく。特に体力的に衰えてきた40代後半以降、授業の準備にもっともっと時間と労力をかけたい、という焦りに似た絶望的な気持ちに苛まれる辛い日々がとうとう退職の日まで続いてしまった。

 以上は決して私だけの特殊な事例ではなく、多くの教師が似たような経験をしてきたことであろう。文科省はこうしたブラックな働き方をしっかりと直視し、「やりがい」という言葉で美化したり、給与の引き上げでゴマカスのではなく、教師の業務量の大幅な削減を最優先して全力で取り組むべきだと思うが、いかがか。

大学院卒なのに…「国立大教員の求人募集」で示された年収が驚きの低さだった

   ダイヤモンド・オンライン 朝日新聞「国立大の悲鳴」取材班 2024.12.1

   国立大学の法人化から20年、その弊害が日本の研究力の低下と大学院進学者数の減少となって表面化しているという。日本の場合、大学院進学がかえって経済的なデメリットとして機能してしまうのだから、当然の結末ではある。若手研究者への待遇悪化はもっぱら人材力に頼ってきた日本経済をさらに悪化させるだろう。何せ、教育予算をずば抜けてケチり続けてきた日本である。当然の報いというほかあるまい。

   これは高等教育だけの問題ではない。高校以下、すべての学校が抱える共通の問題である。講師の増加と正規教員の不足はすべての学校種で生じている。人材育成をケチってきた政策はいよいよ少子高齢化の極致に向かう日本をどん底の奈落に突き落としていくだろう。このことは何十年も前から指摘されてきたはずなのに、なぜ、ひたすら経済力を低下させる政策をわざわざ取り続けてきたのか、文科省はなぜこの動きを阻止できなかったのか、見直すべき点は余りにも多い。

 優秀な日本の若者はいち早く日本に見切りをつけて、いよいよ海外に飛び出していくだろう。中高年も同じように海外での再就職を目指すだろう。そして賃金が低く、外国人の受け入れに後ろ向きな日本には、観光目的以外に外国人が来てくれる可能性は極めて低くなるだろう。日本における良質な労働力の、致命的レベルでの不足が生じてしまうのは最早、時間の問題なのだと思うが、いかがか。

 かつて「国家百年の大計」と言われて重視されてきた日本の学校教育はいまや瀕死の状態にある。目先の損得ばかりを優先し、教育を散々冷遇してきた日本の今後に果たして明るい兆しはあるのだろうか。

 規律正しく、親切でサービス満点かつ安価な接客、独自のエキゾチックな伝統文化と世界最高レベルの料理、最高に安心・安全で清潔な社会、世界に冠たる日本の漫画・アニメ、伝統と共存する近未来的な東京の都市景観、時刻表通りに縦横に走る公共交通機関・・・少なくとも観光資源においては様々な観点においても断然、世界トップクラスを誇り、年々、日本を訪れる観光客は増えている。確かに現時点での日本は表向き、最も魅力に満ちた国ではある。

 ただし、それはあくまでも観光客の視点に限られることは認識しておきたい。今やネトウヨのごとく、もろ手を挙げて「日本万歳」を唱えている状況ではないと思うのだか、いかがだろう。

 もうしばらくすれば海外に雄飛できなかった日本の若者の多くが「無敵化」し、闇バイトは一層はびこる。となればかつて日本が誇ってきた安心安全神話がたちまち崩れ出すだろう。これまでは時刻通りに運航出来ていた公共交通機関なども、優秀な人材不足等により遅延し始める。故障や事故も増えてくるだろう。橋や道路、ダム、高層ビル、港湾施設なども一部は老朽化し、深刻な人口減少に直面する地方では廃墟が目立ってくるはずだ。研究力の後退によって日本企業の多くは競争力を失い、少子高齢化が進む中で国家財政はいよいよ危機に瀕する。そして防衛費は倍増すれども教育予算は相対的に目減りしていく一方となる。これからの日本はこうした悪循環の中でひたすら落ちていく運命にあるのではないか。

教職調整額について教員259名に調査「引き上げで教員志望者は増えない」が 

 96%、給与増より業務改善を求める

 こどもとIT 正田拓也 によるストーリー 2024.11.27

 これでは調査対象の人数が少なすぎてあまり参考にならない。財務省案に反対の立場をとるならば、このような調査をもう少し大規模にして文科省主体で行うべきだろう。せめて千人単位の調査人数でないと説得力に欠ける。ただし教師たちの意向をこれまで徹底的に黙殺してきた文科省がこのような調査を行うはずがあるまい。

 まもとなデータ集めをサボり続け、相も変わらずふんわりとした要求しかできない、不甲斐ないお役所に教師たちの命が預けられていることの悲しさ…

忙しい職場ほど「考えない人」が増える驚きの理由 本人と組織の「ラクしたい」が生ん

   だ悲惨な結果 東洋経済オンライン 深沢 真太郎 2024.11.27

   この記事を敷衍すれば、教師が忙しい学校ほど、考えない教師が増えてしまうと考えて良いだろう。実感としてこれは相当程度正しいと思うが、いかがか。「思考」ではなく、もっぱら何かあった時の、管理職や教育委員会、文科省が責任逃れに利用するアリバイ作りに過ぎないような事務的「作業」と部活動、学校行事などの雑務に忙殺されている。これらこそが今の教師たちを疲弊させている元凶なのだ。

 もちろん教師たちの中には学校教育への専門的な知識や理解が足りないため、学校において本来、教師は何を重視すべきかをしっかりと考えることが出来ない、残念な人物だって少なからずいるに違いない。そうした教師ほど、他の教師たちへ平気で無意味な作業を増やしてそれを手柄に管理職に就こうとする妙な傾向が、これまでの管理職をみていると時々感じられないわけではなかった。おそらく文科省の官僚や教育委員会にもそうした小役人体質の人物が少なからずいるに違いない。

 教員採用試験で問われてきたのは明らかに学校教育に関する些末な「知識」が中心であり、批判的、創造的「思考力」ではなかった。淡々と正確に、表向き規則通りに、最低限の事務的処理ができれば教師として合格、と言わんばかりの教員採用試験だったのだ。「知らしめず、依らしむべし」は教員採用においても千葉県の不動の方針であったと思うが、いかがだろう。

 かつて面接試験などで学校教育の現状を批判的に捉えるような思考力を不用意にも表に出してしまおうものなら、ブラックリストに名前が載ってしまい、ほぼ永遠に正規の教師として採用されないことは千葉県の場合、明らかであった。そんな採用試験を合格してしまった公立学校教師に、そもそもまともな思考力など期待する方が間違っているだろう。

 いずれにせよ、教師たちの仕事を増やすことばかりが官僚や管理職の手柄とされている限り、学校でのブルシットジョブは増える一方であり、その中で教師たちは自ら考える気力、能力を失っていく。教師たちの思考力を回復すべく、学校の仕事を大胆に削減する方向での政策立案が文科省官僚たちの手柄とされる時代は一体、いつ来るのであろうか。

モンペ対応、無制限残業...教員の「ブラック労働」の改善は、日本全体の「生産性

   向上」の試金石に ニューズウィーク日本版 加谷珪一 2024.11.21

 見当はずれな対策ばかりひねり出す文科省と比べ、極めて常識的な意見である。学

校の業務削減こそ、最優先させるべきだろう。

他の教員も「過労死ライン」超え 訴訟で明らかになった残業の実態

 毎日新聞 によるストーリー 2024.4.7

教員多忙化「支援体制を」 OECD局長インタビュー

 共同通信 によるストーリー 2024.4.3

 教員の多忙化に対する取り組みの不十分さが現今の教員不足、不登校やイジメ事件

の増加を招いているとの認識はOECDでも共有されているのだが…

不登校のキミはどう生きるか? 鴻上尚史が解く「不登校」の背景 学校・教師が抱え

 る問題とスマホの悪影響 コクリコ編集部 の意見 2024.10.31

 日本が教育予算をケチってきたがために様々な問題が生じてきているのは間違いあるまい。なぜ手遅れとなるまで学校教師を放置してきたのか、政治責任が厳しく問われるだろう。

 鴻上氏が参考にしたユネスコのデータを下に紹介してみる。

 

・公的教育費の対GDP比率 国際比較

 単位 : %  出典:UNESCO  データ更新日:2024年9月20日

 ・世界の公的教育支出・教育費の対GDP比率 国際比較統計・ランキング。

 ・各国の公的教育費に対するGDP比率と国別順位を掲載。

 ・単位は%。

 ・公的教育支出は公的機関における教育上の全ての支出を含む。

 ・公的機関は中央政府・地方政府・地方自治体・市町村及び他の公的教育関係機関

  を含む。

 ・ランキング表示では当年のデータが無い場合、過去のデータで補完表示。

 

 以下、トップ10に加えて日本の順位の周辺にある国も併せて列挙してみた。このデータがどこまで信用できるのかについてはトップ10の国名を見ると、特に途上国のデータはかなり信頼性が欠けるように感じられる。したがって本来ならば比較的データが信頼できる先進国間での順位を重んじたいが、途上国込みのデータ自体の衝撃度はかなり大きいので、今回は途上国こみの順位の方を紹介する。

 なお日本の順位は男女平等度の国際比較での順位と極めて近く、子どもや若者、および女性を尊重しようとしない歴代内閣の政策がものの見事に反映されているように思えるが、いかがか。

 

     トップ10

1 キリバス       14.20       

2 ツバル        12.85       

3 バヌアツ       10.64       

4 ミクロネシア連邦   10.54       

5 キューバ        9.39       

6 ナミビア        9.04       

7 ソロモン諸島      8.29       

8 ボツワナ        8.06       

9 ナウル         7.81       

10モントセラ       7.61      

 

   日本の順位と周辺の国々

119      フィリピン           3.62  

120      アゼルバイジャン   3.58  

121      ザンビア              3.58  

122      アンギラ              3.55  

123      パラオ               3.44  

124      サンマリノ           3.43  

125      コートジボワール   3.43  

126      パラグアイ      3.41  

127      ベナン        3.38  

128      パナマ        3.37  

129      ルーマニア           3.32  

130      タンザニア      3.26  

131      セルビア              3.24  

132      日本         3.24  

133      カタール              3.23  

134      グアテマラ           3.18  

135      エルサルバドル    3.17  

136      ヨルダン              3.16  

137      マダガスカル       3.14

前年比1.4倍に大幅増の「いじめ重大事態」 調査する校長にも大きな心身への負担

   「今でも涙が出る…」 医療機関にも通院 弁護士を自費で雇おうともしたが…

   TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー  2024.11.1

    日本の教育予算の少なさは先進国内でも突出している。このことがイジメ問題の解

決を極めて困難にしている事は明らかだろう。「子供中心社会」という口先だけのスローガンでは一時しのぎのゴマカシに過ぎない。

じつは「日本の15歳」は世界でもトップクラスに「数学ができる」のに、なぜか

   「数学に自信がない」…最新のPISAの結果から見えてきた意外な実態

   現代ビジネス 飯田 一史 の意見 2024.4.30

   PISAの結果だけで日本の学校教育を評価するとこんな暴論が出てしまう点に総

じて日本の学校教育に対する理解の低さが現れてしまっているように感じるのだが,

いかがだろう。一向に減らない不登校やイジメ、教職志望者の減少、児童生徒の自己肯定感や幸福度の低さ…どれをとっても日本の学校教育の行き詰まりは明白。

 そもそも通り一遍のPISAの調査で判明するのは学校教育のごく限られた一面でしかない。この結果に一喜一憂する方が間違っているのだ。加えて日本は伝統的に数学を得意としてきた。さかのぼれば高度経済成長期から政財界の圧力を受けて理数系の教育が重視されてきたのだから、今回の数学の高得点など決して不思議ではあるまい。ましてこの結果が日本の教育行政の素晴らしさを証明する材料になるとは到底思えない。

 解答の正誤が明確な数学の場合は日本の学校教育が持つ画一的で管理主義的な体制がプラスに働く側面もあるだろう。しかし日本の学校に根強く残るこの体制は社会科のように必ずしも答えが一つに限定されず、どれが正解なのかを決めつけること自体難しい内容を扱う教科ではマイナスに働く側面が少なくあるまい。だからこそ管理主義的な日本の社会科授業ではあたかも数学のように正解を一つに絞る暗記中心の学習を主体としがちになるのだ。

 もちろん人材の選別配分の基準としての公平性、客観性を担保する上でどうしても一問一答式の設問が多くなるという、試験の宿命的な性質が社会科にも及んでいる側面が大きいのは否定できないのだが…

 「…産業界を中心になんでもかんでも教育のせいにする風潮があるし、保護者も学校現場も大学の先生もメディアもみんな口を開けば文科省批判をしがちだが、もう少し客観的に実態を把握した上で日本の初等・中等教育に対して提言したほうが、生産的な話になるだろう。」とのご託宣、実に軽薄な意見であり、飯田氏は文科省の回し者なのではないかと疑わざるを得ない。「もう少し客観的に実態を把握した上で日本の初等・中等教育に対して提言したほうが、生産的な話になるだろう。」という言葉はまさにブーメランとなって飯田氏を直撃するだろう。