㊲「空気を読む」の裏側

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

イタリア人精神科医が見た、日本人の心身をむしばむ「悪しき文化」とは?

 ダイヤモンド・オンライン パントー・フランチェスコ 2024.6.19

   日本のこれまでの学校教育がひそかに日本人の自尊感情を損ない、自己肯定感を低下させてきた可能性について考える際に、大いに役立つ内容。画一的で集団主義的な教育を通じてひたすら周りの空気を読み、忖度することを児童生徒に強要してきた日本の学校の負の側面が見事に指摘されているのではあるまいか。

 他方で感情を揺さぶるような教材を提示した後は、自由記述を通じ、生徒たちに感情表現を試みる機会をきちんと設けるべきことも理にかなっているはずです。

日本の「スクールカースト上位層」が、欧米ではむしろ評価されないワケ

   ダイヤモンド・オンライン パントー・フランチェスコ の意見 2024.6.17

   …なぜ日本のスクールカーストが独特かといえば、欧米では「みんなと仲良くできる」ことが望ましい特性だと思われていないからだ。むしろ、相容れない人が存在することは当たり前。反感を抱かず誰とも仲良くできるなんてほぼありえないと思われている。「真正性」(自分が自分であること)が最も崇高な価値として位置づけられている欧米の文化において、「みんなと仲良し」というのはむしろタブーである

   多様性の尊重とはどういうことなのか、なぜ日本社会では多様性がさほど尊重されないのか、なぜ日本人の自己肯定感はひどく低いのか、なぜ日本社会にはイジメが随所にはびこっているのか、などを考える上で一つのヒントと言えるだろう。そして日本の教師たちの多くがかつてはスクールカースト上位層だった可能性について日本の教師たちはとりわけ自覚的であらねばなるまい。

子どもの自殺が2022、2023年ともに500人を超えるも学校は硬直的。生徒の自己

 肯定感は低く、学力、運動能力、年齢でラベリングされ、序列化される現実 

 集英社オンライン 2024.5.27

  1.多様性を尊重する

  2.人物本位主義

  3.自己効力感が強く、主体的に社会活動に関わる

  4.すぐに助けを求める

  5.ゆるやかにつながる

 以上の5点が自殺率の低い地域社会の特徴だという。学校社会とは真逆の特徴が並んでいるように思えるが、いかがか。特に多様性の尊重とゆるやかなつながりの2点は今後、日本の学校に強く求められる大きなポイントではないだろうか。

日本は「世界優しさランキング」堂々の最下位...日本人に起業家が少ない衝撃的理

 由を米国大学講師が考察 現代ビジネス 山川 恭弘 の意見 2024.5.27

 解説はバランスがとれており、ぜひ授業に利用したい記事。海外と比較して日本人の寄付やボランティアの少なさは以前から指摘されてきたが、さすがに114か国中最下位であることに納得できない向きも多いだろう。ただ、その背景に日本人の他者に対する恐れ、敏感さがある、との指摘は説得力がある。何せ、日本は集団主義的な忖度社会であり、集団の空気を読むことを優先しがちである。慎重に集団の意向を忖度する一方であっけなく個人の意思は軽視され、イジメが頑固にはびこる日本社会は確かに自立志向の個人には優しくない。そしてこうした風潮を育成し、社会全体に定着させてきたのは集団への忖度を強制する日本の学校教育なのかもしれない。

 国が今後、国民の寄付やボランティア、さらに起業家を増やしたいのならば、学校教育をも根本から見直す必要があると考えるが、いかがか。

なぜ日本の学校で「いじめ」が起きるのか、「学校」という病

   現代ビジネス 内藤 朝雄 によるストーリー 2024.5.3

   「群生社会」の秩序と「市民社会」の秩序のあり方との差異をここで考えておくと

この後の議論が深まっていきそうである。特定の集団におけるメジャーとなった「ノリ」にタイミングよく乗ることで集団内での居場所を確保しようとする、「空気を読む」行為が群生社会の秩序を形作っているとすれば、空気を読めずに場の雰囲気を乱してしまう人物は群生社会の中でイジメの対象となりがち。したがってイジメを少なくしていくには学校での集団を場当たり的な群生社会から普遍的な正義を追求する市民社会に変えていくことを目指すことになる。

 しかしこのことは現在の学校社会でどこまで可能だろうか。大人の社会ですらイジメがはびこり、多くが群生社会に過ぎない日本では極めて難しいように思える。学級という生徒集団を市民社会的な集団にしていくには、生徒たちに市民としての主権と市民としての自覚をそれなりに持ってもらう必要があるだろう。そのためには制服や校則、学校行事、授業のあり方などには生徒たちにある程度の決定権を委ねる必要がある。しかし「知らしめず、よらしむべし」の方針が隅々まで貫徹している日本である。とりわけ画一的で管理主義的な教育行政下に置かれた、自主性が大きく制限されている日本の学校では、以上のような必要性をある程度理解している管理職であってすら、生徒たちに一定の決定権を委ねることを躊躇する人は少なくあるまい。

 まず変わるべきは率先垂範、教育行政のあり方であって、大人たちのあり方自体が市民社会的なそれへと変革されなけれなならないのではあるまいか。自分たちが変革をサボっているクセに、教員や児童生徒たち下々に変革を押し付けようとするのが日本の上意下達的教育行政であり、結局はすべて他人事の改革に過ぎない…とすれば文科省がどんなに素晴らしい改革案を示そうとも、教員や児童生徒の村社会化、群生社会化に歯止めをかけることはできないだろう。

だから「いじめ」はなくならない…この国で「人の命よりその場のノリが重視」さ

 れる実態 現代ビジネス 

 内藤 朝雄(明治大学准教授・いじめ問題研究) によるストーリー 2024.5.21

 …「悪い」とは、規範の準拠点としてのみんなのノリの側から「浮いている」とかムカツクといったふうに位置づけられること…「みんなから浮いて」いる者は「悪い」。「みんな」と同じ感情連鎖にまじわって表情や身振りを生きない者は、「悪い」。「みんなから浮いて」いるにもかかわらず自信を持っている者は、とても「悪い」。弱者(身分が下の者)が身の程知らずにも人並みの自尊感情を持つのは、ものすごく「悪い」。…もっとも「悪い」のは、「いま・ここ」を超えた普遍的な次元への「チクリ」と、個人的な高貴さである。そういう者は徹底的に苦しめなければならない。彼らはそのような「悪い」者を、「いじめ=遊び」の玩具として思う存分痛めつけ、辱め、あらたな全能感ノリを享受しようとする。…もちろん、このような「ノリの国」では、個の尊厳や人権といった普遍的ヒューマニズムは「悪い」ことであり、反感と憎しみの対象になる。彼らにとっては、その場その場で共振する「みんな」の全能感ノリを超えた普遍的な理念に従うことや、生の準拠点を持つことは「悪い」。自分たちの「ノリの国」を汚す普遍的な理念に対して、中学生たちは胃がねじれるような嫌悪と憎悪を感じる…

 周囲の空気を読み、他人の意向を忖度する能力こそが学校社会を無難に生き抜く上で最も重要な力であるとするならば、そのような力を学校社会においてじっくりと養成されてから実社会に出た日本人の間でさらにイジメがはびこるのはどうみても不可避であろう。学校の不祥事において教員からの内部告発が乏しいように思えるのも、教員社会がすっかりイジメ社会化してしまっているからではないのか。今後、日本の学校が「個の尊厳」や多様性の尊重を前面に出して根底から学校教育を見直していかない限り、イジメを減らすことは絶対的に不可能であると考えるがいかがか。

不謹慎にもほどがある!「京都大学ボヘミアン」の泣ける笑える青春…話題ドラマ

   「ふてほど」と同時代 日刊ゲンダイDIGITAL の意見 2024.3.15

   …京都大学ボヘミアンは「まじめなだけでは人間がこぢんまりしてまう」という、りょうさん(1982年入学)の発案で1984年に創設。現在もその精神は後輩に受け継がれ、今年で40周年を迎える。「京大唯一のアウトドアサークル」と名乗ってはいるが、実態は“京都一の変態サークル”と言っていい…という書き出しからして尋常ではない発想にひきつけられる。そして何よりも「お金では買えない仲間との共通の恥が宝」とする考え方が傑作。

   大学生ならではの特権としての持て余すほどの自由時間、このかけがえのない時間をあなたならどう使うのか、改めて現代の大学生は問われているのだろう。イジメや孤立を恐れるあまり周囲の空気を読み過ぎた結果、個性や多様性を軽んじてすべてのメンバーに集団への同調を強いる歪んだコンプラ意識が今の社会を窮屈にし、若者を妙に「こじんまり」とさせてしまっている…そうした危険性は、日本の場合、確かにあるのかもしれない。

   …繁華街では、『ウッホ』という言葉しか発してはいけないというルールがありました。マクドナルドに入店すると、女性店員はギョッと目をむいた。半裸のシオモトが手元のメニューを指し『ウッホ』とハンバーガーを注文し、『ごいっしょにポテトはいかがですか?』と聞く店員に『ウッホ』と返す。今なら確実に通報されるレベルですが、京都の街の人は『学生さんのしはることだから』とおおらかでした。最初は気味悪がられましたが、おなじのが3人、4人とつづくと女性店員も笑いはじめ、店の前の人だかりに失笑(こらえ切れず大笑いすること)が広がっていきました…という珍妙なエピソードには思わず笑いがこみあげてくる。

 こんなおふざけを人前でさらけ出せるのは既にそれなりの高い自己肯定感を保てているエリート学生だからであり、いわゆる「高等遊民」の特権に過ぎない、と批判する向きもあるだろう。しかし社会の常識の枠外にほんの少しだけはみ出てみて「生き恥をさらす」、痛い体験は若いうちにしておいた方が良いような気もする。とりわけ失敗することに臆病になりがちな、傷つきやすい今の青年たちだからこそ、それは大切な経験となるのではあるまいか。周囲からの減点評価ばかりを恐れ、あくまで常識の枠内にしがみつくようにして無難に小さくおさまっているだけの日々では日本の若者に起業家としてのチャレンジ精神を育むことは難しいに違いない。

 そろそろ学校も企業も、日本社会に隅々まで蔓延する減点主義の評価から一旦は離

れてみる覚悟が求められているように思えるのだが、いかがだろう。SNS上で有名人への誹謗中傷がやまないこの悲惨な現状だって、加点主義が社会に広がってくれれば多少は改善される見込みも出てくるのではあるまいか。

 あくまで進学校向けの記事ではあるが、討論のネタに使うと面白いだろう。

 

日本人は「世界一礼儀正しい」が「世界一イジワル」だった…「自分の利益より他

   人の不幸を優先する度合い」を測る実験で「日本人ダントツ」の衝撃結果

   現代ビジネス 週刊現代 の意見 2024.1.2

 日本社会に蔓延する「生きにくさ」の正体は日本人特有の集団心理にあるのかもしれない。規律正しさ、礼儀正しさ、おもてなし文化…これらは同調圧力の強い日本会が生み出した強みでもあり、これまでの日本の工業化を支え、観光業の発展をもたらした長所ではあっただろうが、同時に「出る杭は打たれる」、場の空気を読めないKYを排除する集団的イジメを学校などにはびこらせてきた側面があることも否めないだろう。

 単純に集団主義的な心性を批判し、個性や多様性の尊重を謳うだけでは日本人のせっかくの長所を損なう恐れもあると考えるが、いかがか。要は行き過ぎた忖度を見直し、個性や多様性の価値を認めつつも、規律正しさ、礼儀正しさを出来るだけ失わないような工夫と絶妙なバランス感覚が今の日本社会には求められているのだろう。

北海道警の安倍ヤジ排除問題を追う『ヤジと民主主義』が見せたメディアの矜持  

   ニューズウィーク日本版 によるストーリー 2023.11.29

 戦前の日本における激しい言論統制を彷彿とさせる事件であり、北海道警の違法な動きには恐ろしさを禁じ得ない。日本の言論がどれほど政権に対して「忖度」し、委縮していたのかが浮かび上がる事件。なぜこのような息苦しい日本になってしまったのか、このテーマの導入として問いたい。

【news23】監視社会への懸念も スーパーシティ法成立

 2020/05/28 TBS NEWS DIG Powered by JNN 5:28

知らなきゃヤバい!スーパーシティ法について5分で解説!【せやろがいおじさん】

 2020/05/29に公開済み ワラしがみ 4:33

OPEN THE FUTURE ~スーパーシティ(大阪府・大阪市)における取組~

 地方創生【内閣官房・内閣府】  2023/08/07 3:54

 私たちの個人情報が徐々に可視化され、透明化されていく…すなわち政府や大企業による個人のプライバシーへの侵害可能性が高まっていく傍らで、日本の場合、政治面での隠蔽体質は相変わらず根強く、政府による情報公開は恐ろしいほどに遅れたままである。すなわち国民の知る権利はひたすら蹂躙される一方である…としたら、事は重大であろう。

 「空気を読む」ことを美化しがちな日本社会が陥りやすい、「滅私奉公」的価値観が招き寄せる個人の人権、自由を軽んずるような風潮はこれまで一体どのようにして醸成されてきたのだろうか…日本における学校教育が果たしてきた負の役割について教師としては一層真剣に見直すべき部分は大きいだろう。

 この「スーパーシティ」構想が果たして大阪万博の宣伝に見られるようなバラ色の未来を招き寄せるものなのかどうか…は大阪万博の裏でうごめく利権構造の透明化抜きでは決して明らかにできないはずである。恐ろしい監視社会のディストピアの実現を阻止する上でも国民が政治を監視できるシステムの再構築が急がれるはずである。

 上の北海道警によるヤジ排除の件と併せて「スーパーシティ法」が成立した政治的背景をぜひ考えてみたい。また日本社会、とりわけ学校でなぜこれほどまでイジメが横行するのか、できればその原因を政治の動きと関連させて推論させてみたい。

 

1.神戸市東須磨小学校教師イジメ事件

参考動画

ANN ニュース教師が教師をいじめるとは 2019/10/10 4:07

保護者説明会で加害教員のコメント サンテレビ 4:41 2019/10/17

【大人のいじめ】乙武洋匡「僕も経験がある。戦う気力は湧かない」本人が証拠を

 揃えるのは無理?相談先は?ひろゆきと考える職場の嫌がらせ|#アベプラ《アベ

 マで放送中》 2022/01/16 ABEMA 20:02

【激白】教員時代、陰湿なイジメを受けていました。

 2022/02/25 乙武洋匡の情熱教室 - Limitless OTO 14:13

参考記事

東須磨小の教諭いじめ事件の調査報告書に記された驚くべき“動機” 「ストレス発

 散」AERAdot. 2020/02/24 15:09 今西憲之

神戸「教師いじめ」、男性教師2人は懲戒解雇でも45歳「女帝」は停職3か月の不可

 解 デイリー新調 国内 社会 2020年3月6日掲載

教員間いじめの神戸教職員、相変わらずの隠蔽体質…児童への体罰指導を矮小化

 Business Journal 2021.08.10 05:30 文:鮎川麻里子

 

2.日本人の自己評価の低さの背景:「自分だましの心理学」(菊池聡 2008)より

 一見すると日本人はポジティブ・イリュージョンが苦手のように思われがちです。確かに傾向としては平均以上効果が目立たず、自分の能力は劣ったものとするネガティブ・イリュージョンすら認められます。

 しかし相互協調性を大切にする伝統的心性から自己の能力を誇るよりも謙遜し、自己批判する人間の方が社会的にも好ましいという価値観から自己卑下するのではないでしょうか?むしろ自己卑下したほうが相手に好印象を与えるという計算が働いており、これも一種の情報戦略といえます。

 個人主義的な欧米や中国、韓国では成功やポジティブな出来事を自分自身に帰属させる傾向が強いですが、日本では極端に弱く、ときにはマイナスでさえあります。日米中三カ国の高校生約3400人を対象にした調査でも・・・

 「私は他人に劣らず価値のある人間である」という質問に肯定的に答えた高校生はアメリカで89%、中国では96%に対して日本は38%。同じく「私は人並みの能力がある」アメリカで91%、中国94%、日本で58%。「計画を立てるときはそれをやり遂げる自信がある」アメリカ87%、中国73%、日本38%。逆に「自分にはあまり誇りに思えることはない」アメリカ24%、中国23%、日本53%。

 

 ただしこれも「出る杭は打たれる」といった自己保全からくる自己卑下だけではなく、自己の弱点や問題点を能動的に受け入れて自己の向上を目指す傾向の賜物とみる見方があります。

 よくいわれる日本人の自虐史観もネガティブなことの責任を自分に帰するのが美徳とされてきた伝統的心性の産物なのかもしれません。

 しかし・・・他者と比べての自己評価を見る大学生対象の調査では「社交性」「容貌」「経済力」「スポーツ」などの側面ではやはり過小評価する傾向が見られましたが、「優しさ」(7割以上)「まじめさ」「明るさ」「誠実さ」(6割以上)といった項目では自分が他の大学生よりも優れていると考える傾向が見られました。

 さらに夫婦間の調査でも夫は妻を、妻は夫を自分よりも高く評価する傾向が見られました(特に夫側)。この相対的自己卑下は友人関係でも見られましたが、これは自分たちの夫婦関係や友人関係は他の平均的なそれよりも素晴らしいものだという「関係性高揚」のイリュージョンが見られるということでもあります。 

 

 つまり日本人のポジティブ・イリュージョンは自分自身を直接持ち上げるようなものではなく、人間関係を仲介として自分自身を高く評価する傾向があるということ。 

 ここにも日本人の強力な集団主義的心性が潜んでいそうです。

 

 楽観的であればそれで良いというわけではありません。小学生対象のある調査ではストレスの高い子どもにはポジティブ・イリュージョンが基本的に好ましい影響を及ぼすが、子どもの攻撃性が高い場合にはかえってその攻撃行動をエスカレートさせる傾向が指摘されています。

 

 ムードメーカーや営業などには楽観的な人が向いていますが、リスク管理のような公正で、冷静な判断力が問われるポジションには「防衛的悲観主義」のタイプがふさわしいのだそうです。

 「防衛的悲観主義」は悪い状況を想定することで不安を制御し逆境に備えるタイプ。病的なうつとは違い、適応的な悲観主義のことです。一人の人間の中でこの二つを使い分けられるようになることが理想でしょうか。

 

 人には一歩引いて冷静に観察できる「メタ認知」が必要なのです。やたらにポジティブ・シンキングに走るのはむしろ間違いでしょう。不安や恐怖といったネガティブな感情にも適応的な意味があります。これらの感情は周囲の環境が望ましくない状態になっていることの反映であり、認知システムとして脅威や危険を見逃さないように分析的でシステマティックな思考方略を採るのが必然であり、「ウツの現実主義」もこうした原理によっているのです。

 

 客観的に物事を眺めるべき時点で単純にポジティブ・シンキングに走ればむしろ不適応状態を招く(・・・太平洋戦争末期の日本?)ことすら起こりえます。新興宗教や自己啓発セミナーの危険性はまさにそこにあるといいます。

 

 日本人は伝統的に均質で固定的な共同社会を営んできたために「だまし」の文化が欧米に比べて未成熟だそうです。ある犯罪学者は日本人が情報を鵜呑みにしやすく、それらへの警戒感も、確認作業の習慣も不足していると指摘しています。

 →歴史の隠蔽や改ざんに無頓着でデマやフェイクニュースに踊らされやすい。

 

 日本人には関係性高揚のイリュージョンが見られるという認知心理学の知見は極めて重要だと考えます。控え目で自己主張に乏しく、「空気を読む」ことが大切とされる日本社会独特の息苦しさも日本人の伝統的心性にこびりついている集団主義に基づくものと考えられます。

 質問紙調査の結果でも分かるとおりに欧米や中国のような、個人主義が伝統的に強く根付いている社会と個が埋没しがちな集団主義的社会の日本とでは決定的に違うものを感じます。

 

 よく海外向けに「おもてなし」が日本の美徳として宣伝されますが、それは日本のブラックな体質のサービス産業が演出している側面もあって、「お客様は神様」だとする裏側に「過労死」や「社畜」と呼ばれるような労働世界の過酷さが横たわっているのではないでしょうか。

 

 変に「空気を読む」延長線上に成立する、働く人の「滅私奉公」に支えられた「おもてなし」であるのならばそれは厳しく見直すべき「美徳」でしょう。

 

 また日本人は情報を鵜呑みにしやすく、だまされやすいのでは・・・という犯罪学者の指摘も頷けます。他者への肯定的で積極的な関心に裏付けられた「空気を読む」社会であるならばもう少し他者への思いやりがある社会になっていたはず。きちんと空気が読める社会ならば自殺や孤独死が横行するはずはありません。

 

 同質性を重視する傍ら異質なものを排除し、個性を軽んじてきた日本の集団主義的心性は相変わらずファシズムに転化しやすい危険性を抱えていると思います。

 日本の学校教育がそうした心性を育む張本人である、との自覚は教師に必要不可欠のものでしょう。

 

 今、日本はオリンピックを機に「素晴らしいおもてなしの国である」と自負する余り、近隣諸国を見下す傾向がネット上の言論の一部に感じます。またコロナ禍を巡る騒動を通じて、上から強制されなくともマスクを着用している日本人と強制されなければマスクを着用しない欧米の人々とを比べ、日本人の優位性を説くような言論もチラホラ出てきたようです。

※参考記事

ハーバードで教えた心理学者が伝授、「同調圧力で外せない」日本人のマスクを外す方法 

 ダイヤモンド・オンライン トッド・ローズ の意見 2023.8.15

 ソーシャルメディアによって強化された同調圧力に対抗するには「なぜ?」と理由を問い続ける努力が有効だという。また「少数意見でも何回も投稿される意見が、多数派とみなされ、今目の当たりにしているのは、少数派が多数派を黙らせている状態です。政治家はこのことを熟知しており、うそであっても何回も繰り返して“真実”にしているのです。」という指摘はSNS上でのフェイクニュースと誹謗中傷、偏った意見の横行を説明してくれる。

 

 欧米の個人主義をただの「ワガママ」という言葉で一方的に見下すような一部の日本の風潮は明らかに変です。

 どうやら日本人の中で他者への積極的な関心に基づいた、共感性豊かな「メタ認知」とはほど遠い言論が現在、目立ってきたように思いますが、皆さんはどのように考えますか?